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徳川幕府成立の序章
2020/12/13 09:49
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投稿者:だい - この投稿者のレビュー一覧を見る
○関ヶ原の戦い
豊臣政権の崩壊の最大原因は“唐入り”の失敗ではない
自分の死という事態をきちんと想定し対策を練っておかなかった秀吉の失敗である
秀吉が家康より早く死ななければ徳川幕府の成立はない
両者の生存中は秀吉の方が優位に立っていたのだから、後継者選びの失敗が原因だとも言える
三成は秀吉の遺言“太閤遺命”を守るのが正しい道だと信じていた
それは豊臣家の天下をみだす者“家康”を排除することに他ならない
関ヶ原の戦いで東軍勝利を決定付けた日は、50日前の小山軍議で、ここで福島正則が東軍に味方することを決断したことで東軍勝利が決まった
正則を説得したのが黒田長政であり、小早川秀秋、吉川広家を東軍側に付けたのも長政である
決戦には勝ったが、秀頼をはじめまだ西軍は生き残っている
毛利輝元は120万石から36万石に落とされ、長州へ移された
封建社会では怨みは世襲する
毛利家は、正月元旦の夜明け前に徳川打倒の儀式を行っていた
島津家は、関ヶ原の戦いの日に妙円寺詣りとして当時の悔しさを反復する
○泰平への道のり
譜代大名の創設
関ヶ原の戦い前に徳川家に従っていたものを“譜代大名(63家)”と認めた
征夷大将軍の宣下を受ける条件
実力的なもので、全国の大名・武士を実質的に統轄していること
血統的なもので、源氏の一員かということ
松平家は加茂氏の流れであったものを、子孫が途絶え使われなくなった系図を探しだし、松平家に強引に結びつけて源氏となった
その系図に使われていた姓が“徳川”であった
徳川家の公式系図は新田義貞の子孫“得川四郎”が先祖となっている
大阪冬の陣は、最初は豊臣が勝っていたが、完全包囲された時点で講和を持ちかけられた
講和は、外堀と内堀を埋め立てるという形で結ばれた
豊臣は、防衛力の弱体化を補うため大量の浪人を城内に入れた
徳川方から見れば、反乱を起こすために兵を集めているとしか見れなかった
夏の陣で大阪城は炎上し、豊臣家は滅亡した
その後、大阪城は再建されるが、現在の大阪城は豊臣時代のものである
淀殿が強い者が勝つという戦国ルールを認めていれば、豊臣家に生き残るチャンスはあったが、頑なに徳川家への臣従を拒否した
家康は、豊臣家滅亡の翌年75歳の生涯を閉じた
○天下泰平の構築
室町幕府が滅んだ理由は、将軍と比較して緒大名の力が強すぎたからである
家康は、外様は中央政府機構には参加させず、参加させるのは小禄の譜代大名に限定し、財力と権力の分散により大名統制図った
武家緒法度(無嗣絶家)により、世嗣ぎがいない大名家は取りつぶされた
(福島正則・加藤清正・松平忠吉など)
天皇と倒幕勢力との結び付き回避のため、公家との通婚を禁じた(将軍家は例外)
三代家光からは御台所は五摂家か宮家から出ているが、正妻が次の将軍を生んだ形跡はなく、将軍家が天皇の外祖父になることはなかった
また、禁中並公家諸法度により、天皇の直接政治(軍事)にかかわることを排除した
尾張・紀伊・水戸の中で水戸家だけに与えられた“定府の制”という役割があった
御三家が血統のスペアという公式史料は言霊思想により存在しない
水戸家は将軍家と天皇家が争った場合、天皇家に味方して、血統を後世に残すための“分家”である
幕府が推奨した朱子学は儒学の中でも主君への忠義を重んずるため、将軍家に対する反逆は最大の悪徳となり、徳川家安泰となるはずだった
水戸学は朱子学の忠義を、光圀が”天皇家を日本の正当なる君主”としたため、水戸家出身の15代慶喜の時に、倒幕の原動力となった
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2008/6/12 Amazonにて購入。
2012/1/29〜2/9
関ヶ原以降の徳川家康の権謀術作の解読は目ウロコ。知っている話もあったが、御三家、御三卿、本願寺分裂など知っているようで知らなかった話も沢山。歴史の真実は分からないが、真実は文字に残らない、との井沢氏の主張には首肯できる。
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秀吉没後、家康が天下をとり、江戸時代の基礎を固める歴史を、逆説的に語っておられます。
関ヶ原関連の本がもっと読みたくなります。
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私は、一般週刊誌というものを定期購読したことはほとんどない。もちろん、ちょっとした時間に手の届く範囲に置いてあれば、それに目を通すことはよくある。時として、関心のあるテーマがあり、単発的に購入したこともある。
「ほとんどない」と書いたのは、実は、ある時期、ほんの数ヶ月だが、「週刊ポスト」を続けて買ったことがある。
井沢元彦氏の連載物「逆説の日本史」を読むためである。
その後、いくつかの週刊誌が近くにあるときは、迷わず「ポスト」を手に取り井沢氏の「逆説の日本史」に真っ先に目を通す。
しかしながら、碩学に対して、大変失礼な物言いになるかもしれないが、私はこの読み物は決して、歴史検証物だとか歴史解説書とは思っていない。「逆説」という言葉の中に含められているのだろうが、あくまでも歴史推理物、井沢史観解説書と認識して読んでいる。おそらくは、井沢氏ご本人もその認識ではないだろか。
少々乱暴な推論や引用も多く見られるが、ご自身の史観を明確に打ち立てられ、日本の歴史に新しい価値観を吹き込もうという意欲は強く感じられるし、私は、心から敬意を感じている。そして、一読者として、この「作品」を楽しみにしている。
ご本人も、この著作の中でも何度も書かれているが、井沢氏は歴史家、歴史学者ではなく作家である。だからこそ、日本の歴史を私たちにも分かりやすく、興味を持ちやすい手立てを打ちながら引っ張っていってくれる。
先般、本屋さんにふらりと立ち寄る。ちょうど文庫本で12巻が発売されたばかりだ。久し振りだと思い、すぐ購入し、一気に読み終えた。そのまま、さかのぼって11巻も買った。
歴史物は古い物から順に学んでいくよりも、逆に読んでいった方が、頭の整理はしやすいかもしれない。学校の授業でもそうすればいいかもしれない。
知識の再整理にはもってこいの書物である。
しかし、ある程度、日本の歴史を勉強してからでないと、少々危険なような気もする。やはり、井沢氏の思い、史観が強すぎるからだ。
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日本史に関しては、以前「中央公論」の日本史を読破した。学校の勉強では好きになれなかった歴史も、学業から離れ、趣味として接し始めると、これがなかなか面白いものだった。
読み物として読めば、歴史上の様々な出来事は、フィクションよりずっと躍動的である。過去がなければ、今の自分もないなどと哲学的なことも考えたりする。
さて、井沢氏の日本史は、視点がこれまでの歴史通史より多角的で、興味深く読めた。もちろん、第1巻から通読している。ちょっと、歴史学者に対する批判的文章は、鼻につく感じもするが、その辺は読み飛ばしてみると、新しい歴史観がすんなりと入ってくる。
小説家の手になる日本史は、当然の事ながら一つの読み物として成立しているし、そればかりでなく歴史通史としてもかなり読みやすく、わかりやすい。
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信長・秀吉、2人の独創的な支配者の興亡を目の当たりにした家康が75年の人生を目一杯に使って築き上げた徳川幕府。
その権力の簒奪から確立までの権謀とその真意。
諸大名及び宗教勢力の統制政策、信長・秀吉からの流れで読み解く見方に納得。
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怨霊、言霊、穢れから日本史を見据える《赤松正雄の読書録ブログ》
日本史をおさらいするうえで比類なき面白本をようやく見つけた。歴史の書というよりも歴史推理小説といった方がいいかもしれない。かねてからの「歴史通」や、今はやりの「歴女」には、何を今更と言われよう。このシリーズが世に出てもう10有余年も経っているのだから。しかし、恥ずかしながらその存在を私は知らなかった。井沢元彦『逆説の日本史』1~12である。未読の方は、まず文庫の第一巻を購入されることをおすすめしたい。
日本史を追う井沢さんのキーワードは、怨霊、言霊、穢れの三つ。彼はことごとくをこれで抑えていく。見事なまでに。彼にかかれば歴史学者は形無し。木っ端微塵にやっつけている。宗教の本来的な役割を知らずに、文献至上主義に陥ってることの弊害を事細かにまた繰り返し飽きもせずに説く。読んでる端から忘れがちな私のようなものには、まことにこれは助かる。しかし、この手法ではさぞかし正統な歴史学者や同業他者から嫌われよう。であるがゆえに、あまり世の中に評価されていないように思われるのは、著者ならずとも口惜しい。
近眼の人が寝ぼけ眼に顔を洗ってメガネをかけた時のように、ぼんやりしていた歴史絵巻が忽然と姿を現すのは嬉しい限り。というのは少々ほめすぎかも。だが、古代から中世にかけての日本人たちにとっての、様々なる神社仏閣の存在や「和歌」の持つ意味が判明するのは大きな収穫であった。軍事について現代日本人がとかく敬遠しがちなのは、何も戦後に始まったことではなく、古代からの歴史に根ざした伝統であることを知ったことも大きい。
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天下泰平と家康の謎
・徳川幕府の成立Ⅰ
序章としての関ヶ原編―「天下分け目の戦い」でいかにして勝利し たか
・徳川幕府の成立Ⅱ
泰平への長い道編―保守主義者が好んだオーソドックスな手法
・徳川幕府の成立Ⅲ
天下泰平の構築編―賢者のライバルつぶしの秘策「分断支配」
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徳川家康の天下統一に至る思想や戦略が詳細に描かれており、自分なりに家康の「すごさ」を理解。関が原の戦いにおける各武将の策略も興味深く描かれており、現代の社会における政治的な動きと多々共通することもある意味で参考になった。
この徳川の歴史も武将らの判断や行動ひとつで大きく変わっていたのだなぁということを感じつつも、家康の力を実感した一冊。
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最早恒例、年に一度の井沢史観。遂に戦国編完結、近世に突入。
今回もまた「史料絶対主義」に逆らい、「宗教の無視」を糾し、「通して歴史を見る」ことを貫く。
11巻に引続き信長−秀吉−家康をセットで見ることで通説に風穴を開ける。
関が原、かくして制されたり、というところも勿論面白いが、後半の宗教がらみの本願寺の分裂、檀家の成立、そして穢れから部落差別に論が展開されるところなどこの作者の真骨頂。
サラサラ書かれているけれど結構深い。もう一度、第4巻なども紐解かねば。
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2005年のハードカバー発行時に読んでいましたが、6年ぶりに再読。関ヶ原の駆け引きはいろいろな本で何度読んでも本当に興味深いですね。(例: 司馬遼太郎さんの「関ヶ原」等) その後の幕府の仕組み作りも含め、家康という人の凄さ… 当たり前ですが。
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鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス―遂に徳川家康の時代が始まった。
彼が人生の大半で体験してきたこと、それは戦国時代を、いや、世の中そのものわどう切り抜けていくのかかということであった。
信長、秀吉は言うに及ばず、源氏や足利氏などからもその生き方を学んでいる。だからこそ、その体制は260年の長きに渡って維持されたのであった。
12巻まで読了し、やっと気づいたことがある。井沢史観はアンチテーゼであるということだ。対になる“一般史観(学校史観)”があってこそ、その価値に気づくのだ。もし先に井沢史観から入っていたら、見識もないのに世の中を批判するだけになっていたことであろう。
結局、双方を知り自分で立体的に歴史を捉えることでしか、その実態は見えてこない。そんな気がする。
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ご本人とその政治的主張は非常にクセがあり(マイルドに言って)、好き嫌いが別れそうですが、彼の通史は本当に面白い。「怨霊信仰+コトダマ+ケガレ忌避+和の精神」という日本人の宗教観をベースに古代史から現代までを新たな視点で考察しています。粗い・甘い箇所もあるけど掛け値なしに面白く、目から鱗。考えさせられます。
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http://shinshu.fm/MHz/67.61/archives/0000397298.html
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ここまで読み進み確信したのは、井沢シリーズ歴史の見方だけでは、やはりいけないのではないか。
氏の見解と客観的事実が、判然と区別できない時がある。私の歴史認識の甘さや、知識の少なさも当然あるのだろうが。
ともかく、批判的な態度、多角的な見方だけは失わないでいたい。