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■持って生まれた星廻りと血の呪縛■
第三部のストーリーの舞台はいわゆる「戦後」からの脱却期、日本人がようやく自分たちのために上を目指して歩みだす時代。様々な男女、親と子が登場し、それぞれが持って生まれた星廻り、あるいはその体内にどうしようもなく流れる血を意識させる。
両親の愛を知らずに育った熊後の妻房江は「子供は自分の親に育てられるのがいちばん幸せや」と言う。たとえ親が薄情でも極道でも敵国でも船上の住む飲んだくれでも、それぞれの宿命の下、自分の親に育てられるのがいちばん幸せなのだと思うと、何だか切なくなってくる。
房江はまた、「誰が悪いのでもなく、すべては自分の持って生まれた星廻りのようなものであろう」とうまく表現できない思いを口にする。
星廻り。それは宿命のようなものだろうか。
血は争えないと言うが、環境は違えど親子の性格や行動、結果としてたどる道筋まで親の影響を受けるとしたら…血脈とはなんと恐ろしく、抗いがたいものなのか。そもそも子がその親や環境を選べないのなら、その子の運命に対する責任をどれほど負わせるべきなのだろう。
熊吾を取り巻くそれらの人間の人生が熊吾父子の人生を軸に交錯し、頼りなく絡まりあい、先の見えない物語が織りなされていく。
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前2部に比べると穏やかな内容。とはいえ、熊吾もその周りの人々もみな必死に生きている。
伸仁の成長、客商売のこれから、母の行方、熊吾の病気。さあ次の部へいきましょう。
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第三部に入っても、面白さの勢いは止まらない。
なんでだろうなあ。
松坂熊吾の波瀾万丈の人生は確かにおもしろいけれど、ではジェットコースター小説なのかというと、そういうわけでもない。
プロットに落とし込まれた伏線が…というのでもない。
松坂熊吾という人物は確かにおもしろい人物だけれど、キャラクター小説ではない。
短気ゆえの失敗ばかり繰り返すから、成長物語というわけでもない。
だけど、一度読み始めると、読み止めるのが本当に難しい。
なににそんなに引きつけられるのだろうなあ。
大きなストーリーのうねりに身をまかせながら、熊吾の生き様を眺めているのが心地よい。
第一部や第二部に比べて、熊吾の暴力が格段に減ったのは嬉しい。
そして、病弱だった伸仁が、いや今でも弱いけど、意外とはしっこいやんちゃ坊主に育ったのも楽しい。
熊吾は小学校低学年の伸仁に麻雀を教えたり、競馬を教えたり、キャバレーに連れていったりと、親としては相当破天荒なことをしてのけるけれど、嘘をついたり弱いものをいじめたりなどをさせないことは徹底している。
熊吾60歳。
南宇和から大阪に戻ってきて始めた商売は、大成功したと思えば大打撃を受け、結局巻の最後は中華料理屋と雀荘ときんつば屋と立ち食いカレーうどんやの親父。
少し舞台が小さくなったような気がするが、年のせいか?
それともこれからまた巻き返すのか?
小説を読む楽しみを、存分に味わえた一冊。
子どもの頃の読書はいつもこんな感じだったよなあ。
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熊吾と房江の其々からの描写で構成されているので、ストーリーに奥行きがあって面白い。登場人物も根っからの悪い人はおらず、危うい怖さはあるけれど嫌いになれない。
また戦後の大阪の様子が思い浮かび、作品に入り込んでしまう。流転の海は一年かけてゆっくりと読もうと思っていたけれど、あっという間に読んでしまいそうだと思った。
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「流転の海」第三部。
舞台は再び大阪に。
しばしの休息を経て自らの戦場へと戻った熊吾は、時代の先行きを読む確かな感性で、中華料理屋「平華楼」、雀荘「じやんくま」、きんつばの「ふなつ屋」等次々と事業を起こし軌道に乗せる。
だが…
伸仁が死にかけた近江丸事件を皮切りに台風による高潮の被害で大金を失い、電電公社と労組の不毛な争いに巻き込まれた形の理不尽な食中毒事件…
さらには共同経営者・杉野の脳溢血と熊吾の母親の失踪、房江の精神の乱れと、
津波のごとく次々に災厄が襲いかかる。
やがて、
高瀬勇次の再三にわたる懇請を受け入れ、富山で自動車部品を扱う会社を起こす為、大阪を離れる決意をするのだった。
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熊吾の妹タネの行動に、イライラさせられた。しかし、この話しに出てくる登場人物は不倫してる人がやたらと多過ぎる。
また、気になるのは、小学校低学年の伸仁に競馬させたりストリップを見せたりと、めちゃくちゃな父親であるところ。
そんな感じで、はちゃめちゃな所もあるけど、ものすごく奥行きがあって、生き生きと人物が描かれているので、物語の世界にどんどん引き込まれていくよなぁ。
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人間を具に、描いていくとこういう小説になるのか。
テーマが分からないと思っていた。夫婦、親子、商売、戦後の社会、人間関係、親子関係、恋愛、任侠、などなど色んな要素が描かれていく。どの表象も、人間がおこすこと。自らの意思であったり、抗えない環境や抑えられない衝動だったり、そんなもの全てがごった煮である人間(ジンカン)の中で、人間(にんげん)がどう生きていくのか、子どもを育てる親も人としてどういう存在なのかが、描かれていてる様に感じる。
そうして人間を見つめていくと、今流行りのダイバーシティ&インクルージョンに通ずるセリフが出てきたり、人情は哲学の範疇に何故入っとらんのかという言葉が出てきたり、戦後日本が失っているもの(それが何かは詳細わからないが)があるという言葉だったり、所謂本質的な欠片が出てくる。
そうした欠片を真実として、理解できるものとして、それだけを追い求めて来ている自分だが、そうした欠片をも生み出す人間そのものの存在を知らずに見ないでいては、その実、何もわかってないのではないかという気がして来た。
万華鏡の様な人間模様。その中の欠片一片のみを見るのではなく、それらも含めた万華鏡の図柄を見る視点もあるということか。
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やはりスケベ。スケベが歴史を作る。そんな世界観がサイコー
所々に松坂熊吾のいいセリフがあるんですよ。
これ、今のビジネスにも使える良い台詞。そしてやっぱりスケベ。
まだまだ読むでー!
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登場人物が多く、ごちゃごちゃしている話なのに、すっと頭に入ってくる。まさに映像が思い浮かぶような物語。主人公の主義主張が好きなんだよなぁ。今の時代にはそぐわない、もしかしたら古い価値観と言われてしまうかも、でも芯が通ってるように思う。次も読もう。
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解説に記載の通り、「人とは単彩一色ではなく、万華鏡のようにさまざまな面を見せる」ことが熊吾や熊吾が関わる人々から感じられる、人間味溢れる物語です。
3部では、伸仁の成長も感じられ、熊吾も親として成長を喜ぶ親子愛が感じられるシーンが多く、温かい気持ちになりました。
特に、最後の伸仁が火事に巻き込まれたかもしれないと熊吾が嗚咽を出して泣くシーンは心打たれるものがありました。
周英文と麻衣子など、親子の繋がりの深さや愛情を感じられ、家族とは何かを深く考えさせられます。
そばにいるから分かるわけではない。血が繋がっているから親や子として認められるわけでもない。
複雑だけど、それでも家族。
熊吾のような愛情溢れる人になれるかは分かりませんが、私もこの子のためになら生きていきたいと思える親になりたいです。