紙の本
戦艦武蔵の造船過程を描き、不沈艦の最期を謎解く
2007/05/08 08:28
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投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は吉村昭が得意とする戦記分野に属する作品のひとつである。戦艦大和は映画化されたりして名が知れているが、同型艦であった武蔵は一般にはあまり知られていないであろう。ほぼ同時に進水した兄弟艦である。
46センチ砲という世界最大の主砲を積んだ戦艦ではあったが、時代はすでに航空戦力中心になりつつあった。したがって、どちらの巨艦も実際の戦場ではその威力を存分に発揮するまでにいたらなかったのである。
本書は武蔵が長崎にある三菱の長崎造船所で製造されて、不沈艦と言われながら、米国機の集中攻撃を浴びて比国シブヤン海で撃沈されるまでを描いたドキュメント風作品である。
私が小学生の頃は戦記ものが大流行で、少年サンデーや少年マガジンのような漫画週刊雑誌の特集は戦艦大和、武蔵の図解入り記事や戦闘機の型式などを詳細に渡って特集していたものだ。したがって、同年代の人にとっては戦艦武蔵はあながちなじみがないとは言えないであろう。
その武蔵は極秘で長崎の造船所で製造されていた。対岸のグラバー邸などから見えないように棕櫚で垂れ幕を作って覆うなど、秘密保持にはだいぶ苦労したらしい。武蔵の製造は同時に1号艦として呉で製造されていた大和と同時に行われていた。
続いて3号艦も製造過程に入ったのだが、これは途中で航空母艦に用途変更となり、空母信濃として完成したわけである。後日この信濃は米軍の魚雷によってあえなく撃沈されてしまう。
この武蔵にしても、大和にしてもそれぞれ最期を迎えるまでに大した活躍はしていない。これらの巨艦を必要とした海戦がなかったのである。そして、武蔵はその巨体を持て余したが、米軍航空機は他の艦には目もくれず、武蔵に集中攻撃を浴せた。武蔵はあえない最期を遂げる。製造を始めた頃の戦況が一変してしまったのである。
このシブヤン沖海戦で武蔵は撃沈されたが、活躍の場がなく、行き場所を求めて放浪する様は、社会における人間の行動や待遇との関係について、考えさせるところが多かった。
期待をかけられたにも関わらず、標的となるためだけに出撃を繰り返す様は何とも世の無常を感じないわけにはいかない。
紙の本
多くの人々に想いを馳せる
2024/04/01 20:10
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投稿者:バベル - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦艦武蔵の計画、建造、改装、戦闘とその役目を果たし終えるまで、お国のためとはいえ、数多くの人が携わり、亡くなっていった。いまが平和である日本人として、それらの人々に思いを馳せ、あらためて敬意を感じた。
電子書籍
ただ事実を持って語らしめる
2018/11/07 13:31
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者の思いや主義主張を語らず、ただ事実を持って語らしめる の極致ともいえる作品。作者ではなく読者に考えさせる作品と感じた。
軍隊の目的が戦闘の勝利ではなく、外交の勝利.国益の確保だとすると、巨大戦艦の建造を秘密にするのではなく、実力以上に喧伝して外交に活用するという手段もあったのか と想像してしまった。
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技術の面から読んでいた記憶があります。制空権を軽んじていた指導者?軽んじていたわけではないのでしょうが、せっかくの技術を、技術におぼれてしまって、戦略をもてなかったのでしょうか?
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(2008.09.11読了)(2008.01.19購入)
「戦艦武蔵の生涯」を描いた本です。
どんな本なのか知らずに読み始めました。菊池寛賞をもらうほどの本ということは、吉村昭さんの代表作の一つと言えるのでしょう。
1937年夏、棕櫚の繊維が市場から姿を消した、という話から始まります。
まるでミステリーを読んでいるようです。実にうまい導入です。
戦艦武蔵の建造準備の一つだったのですが、棕櫚が何に使われたのかは、読んでのお楽しみにしてください。
戦艦武蔵の建造準備から、建造や進水のための工夫・等、丹念に取材し、興味深く読めます。戦艦武蔵の沈没まで描かれていますが、250ページのうち180ページまでは、建造に関わる話ですので、話の主力は、戦艦武蔵の建造にあります。
逆にいえば、戦艦武蔵の戦場での華々しい活躍の場は、なかったということでもあります。
戦艦武蔵の建造は、三菱重工業株式会社長崎造船所で行われました。海軍からの注文によるものです。
同じ型の第一号艦は、呉の海軍工廠で建造準備が進み、第二号艦が長崎造船所に委託されました。第一号艦は、後に戦艦大和と名付けられ、第二号艦が武蔵となります。
世界に今までない大きさの戦艦であり、積み込まれる大砲も今までなかった大きさのものです。どのようなものを作っているかをアメリカに知られると、対応策を工夫されてしまますので、機密を厳重に保たなければなりません。かなり厳しい知性を敷いたようです。
長崎は、各国の領事館や異国人が多数居住しており、坂の町で、いろんなところから造船所が見えるので、隠ぺいのための工夫が大変だったようです。
造船所で、建造した船を海に送り出さないといけないのですが、長崎の港はせまく、場合によっては、海に滑り出した船がそのまま対岸に衝突して破損してしまったり、対岸への衝突をさせないためにカーブを切らせようと片側にロープを付けて引いた場合には、まかり間違うと転覆することも考えられます。
大変な工夫をしたようです。次々の生じる難問とそれに対する研究・工夫がこの本を興味深いものにしています。
第一号艦は、1937年11月4日に起工され、1941年12月16日に竣工した。
第二号艦の起工式は、1938年3月29日に行われた。当初の竣工予定は、1942年3月31日であった。(52頁)
実際に竣工引き渡しの行われたのは、1942年8月5日であった。(178頁)
武蔵の乗員数は、2300名です。
レイテ沖海戦の際の乗組員は、2399名。その内、生存者は、1376名。レイテ沖海戦時の生存者も、日本の敗戦までには、亡くなった方が大部分のようです。
☆読んだ本
「三陸海岸大津波」吉村昭著、中公文庫、1984.08.10
「桜田門外ノ変 上巻」吉村昭著、新潮文庫、1995.04.01
「桜田門外ノ変 下巻」吉村昭著、新潮文庫、1995.04.01
著者 吉村昭
1927年 東京日暮里生まれ
学習院大学中退
1966年 「星への旅」で太宰治賞を受賞
1973年 『戦艦武蔵』等で菊池寛賞を受賞
1979年 「ふぉん・しいほるとの娘」で吉川英治文学賞を受賞
1984年 「破獄」により読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞
1985年 「冷い夏、熱い夏」で毎日芸術賞を受賞
1987年 日本芸術院賞を受賞
1994年 「天狗争乱」で大仏次郎賞を受賞
1997年 芸術院会員
2006年7月31日午前2時38分、すい臓がんのため死去、享年79歳
(2008年9月12日・記)
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前半は、武蔵建造に関わる人々のさまざまな苦労、後半は武蔵のその後を描いていて、どっちもとにかく「狂って」いるとしか思えない。すごい船だったんだろうけど、こんなに必死になって造ってあっさり沈められちゃって。そのギャップとか、最後どんどんゴミのように死んでいく乗組員の描写の物凄さとかに、吐き気を覚えた。沖縄の「ひめゆりの塔」で感じたのと同じ種類の吐き気だ。
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巨大戦艦を造り上げた日本のものづくり力は昔もレベルが高いのだろうが、棕櫚すだれで戦艦建造を隠す姿は滑稽だ。どこかバランスが崩れている。結局、不沈艦といわれた武蔵は、米国の波状攻撃で沈没してしまうが、この場面を吉村昭氏は地獄の様に描いていて、読んでいて体が冷たくなってしまった。
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プロジェクトXばりに武蔵の建造風景がつづられていたのが一転、淡々と非情緒的な戦闘場面と末路の記述。その分、戦争や人間の愚かしさというかなんというか、が迫ってきた。そして漂う諦念。
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武蔵が如何にして生まれ、如何にして沈んでいったか。
ほぼ建造中の話ですが、其処で沢山の人と沢山の時間と沢山の資材と沢山の夢を投入して生まれたのかが分かります。
でも、小説なので一行で数年話が飛ぶので、本当はもっともっと苦労したンだろうなぁと空白の合間を読んでしまいます。
最後の頁は言葉がない程の衝撃でした。
そうか、これが戦争なんだな……って思わずにはいられませんでした。
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浦野所有。
淡々とした筆致でありながら、まるで生きものであるかのように、巨大戦艦の息づかいが迫ってきます。ありきたりな感想で恐縮ですが、智恵と技術を結集して建造される前半と、ロクな戦力にもならずあっけなく撃沈される後半の対比が恐ろしいくらい見事で、リアルです。
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長崎の三菱造船所での武蔵建造の秘話が描かれている。史実に基づく描写が素晴らしく,そのディテールにこだわった書き方はまるで全てを観てきた人のよう。大和の影にあった武蔵の位置づけが良く判る。
「龍馬伝」で岩崎弥太郎,三菱造船所が賑わっているようだが,本書を読めばまた別な見方で造船所が眺められる。
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淡々とした書き方
ドキュメンタリー番組のような感じの小説
戦艦武蔵は何のために作ったのか分からないね
壮大な徒労と犬死やね
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昭和41年の作品、『戦艦武蔵/吉村昭/新潮文庫』をふと手に取った。戦艦武蔵の一生を通じて、それに関わった人間のドラマが克明につづられていた。ズシリと胸に迫るものがあった。
あとがきによれば、この作品の発端は著者が借りた戦艦武蔵の建造日誌だったそうだ。以後、膨大な資料やインタビューなどの調査を経て、戦時中に人間たちが示したエネルギーを閉じ込めるために『戦艦武蔵』が書き上げられた。読者としての僕には、武蔵の周囲に集められたエネルギーがこれでもかと伝わってきた。
本書は、日本海軍最後の戦艦、武蔵の建造から海に沈むまでの史実を緻密に、冷静に紡いだドキュメンタリである。大和ではなく武蔵。日本海軍が運命を託した兄弟艦。その根本的な違いは、武蔵が民間会社(三菱重工長崎造船所)によって建造されたことだ。史上かつてない超巨艦を三菱の技術者たちは底知れぬ技術力を武器に、幾多の困難をこえて完成させていく。全長263m、全幅38.9m、総重量35737トン、鋲の数540万本、溶接長26kmという前代未聞の巨大艦を造り上げて行く技術者たちから熱気がほとばしる。高揚感、そして悲壮感。その間4年超。
ここで本を閉じれば、壮大なプロジェクトXで終わることができる。だが話は当然まだ続く。建造時の熱気と対比させるかのような就役後の無力感ただよう場面へと。
武蔵(そして大和も)も海戦ではほとんど無力だった。ただしそれは航空兵力に抗しきれなかった大艦巨砲主義と揶揄されるような図式だけではなかったようだ。武蔵は戦おうにも動けなかったのである。これほどの巨艦を動かす重油がなかった。したがってこの貴重な兵器を温存し続け、最終的に負け戦に投入したのである。果てしなく繰り返される空襲と悲壮なまでに交戦し、そして壮絶な最後。武蔵が、大和が活躍できる場を与えられていたら戦局は変わっていたもしれないと思わずにはいられなかった。
加えて、この物語の終わりに武蔵と最後を共にした猪口艦長の遺言が記されている。艦長の遺書なるものを僕は初めて読んだ。艦を沈めたことへのお詫びとこれまでの感謝。しかしそれだけではない。いやそれ以外のことに多くの文面が使われている。武蔵での戦いで得た教訓、反省がめんめんとつづられている。次の戦いに向けて何をなすべきなのかが。これから死に臨む人間とは思えない冷静さ。気高さと言えるかもしれない。涙があふれてきた。
何の気なしに読み始めた44年前の一冊に感動できる。読みそびれている本はどれほどあるのだろうか。
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氏の戦争文学に共通するのは、戦争そのものを人間の奇怪な営みと、その果てにあらわれる徒労感、敗北感としてみており、その観点から客観的に事実を積み重ね羅列していく。読後感は読者である私にゆだねられる。読了後の、空疎感は一体・・・・「人命と物資の無意味な大量消耗戦」が戦争であることに間違いない。
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武蔵建造にあたり、物凄いエネルギーが注がれ、フィリピン沖で6度に渡る爆撃を受け、エネルギーが海に呑まれていった。戦争の悲惨さをあらためて感じる。11.1.19