紙の本
読書の醍醐味を味わう
2017/06/29 05:51
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
言わずと知れた作家吉村昭(1927~2006)の代表作である。
そして、この作品が吉村昭を文学史に残る作家にまで高めたといえる。
作品自体もそうだが、この作品の誕生に至る経緯とそれにつながる吉村の心情そのものがまるで名作そのものだ。
この作品が文芸誌「新潮」に一挙連載されたのは1966年9月。同じ年の2月、『星への旅』で第2回太宰賞を受賞した39歳の新鋭の作家にとって、この作品そのものがまるで自身の目指してきた道と乖離するものに映ったかもしれない。
実際そんな吉村を「堕落した」と評した編集者もいたという。
吉村はあるインタビューの中で、この作品を書けるかどうか「猛烈な脅え」があったと語っている。吉村が言うには、「小説っていうのは人間が主人公」だが、これはそうではない。
船が主人公で、吉村は書くうちに人間が主人公でなくても、その世界に没頭していったらしい。
この記録小説の主人公は「戦艦武蔵」という当時世界でも建造されたことのない巨艦である。
その誕生から死までを描いたのがこの作品で、読むうちに「武蔵」が命あるものに感じられてくるから不思議である。
文庫本にしておよそ300ページの作品だが、その誕生まで(完成品として海軍に引き渡されるまで)は約三分の二、残りで沈没までは描かれる。
海軍に引き渡される場面が印象に残った。軍と民間人がともに手を携えて武蔵を完成させながらも、引き渡した途端、まるで世界が異なってしまうそのことに、当時の社会の構造の怖さが浮き彫りになるようであった。
とにかくこの小説は読ませる。
読書の醍醐味を味わう一冊といっていい。
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投稿者:レムロム - この投稿者のレビュー一覧を見る
大艦巨砲主義の最後の遺物とも言える戦艦『武蔵』の誕生から終焉までを綴った本で、吉村昭独特の味わいがそこにはあります。
紙の本
わずか20数年前にあった戦争の記憶
2019/05/18 14:16
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投稿者:ニック - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦艦武蔵の関係者に徹底取材して著した昭和41年発表の氏の出世作。今日に置き換えると、阪神大震災やオウム真理教事件の記憶と等距離にある、わずか約20数年前の記録と記憶であり、太平洋戦争というものがすぐそこに存在していたことが実感できる。取材対象者は社会の要職に復帰している方も多く、戦争を経験した世代がまさに戦後復興の担い手であったこともわかる。
紙の本
戦艦武蔵感想
2015/08/20 07:00
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投稿者:goodfield - この投稿者のレビュー一覧を見る
武蔵発見のニュースに触発されて数ヶ月前に購入、今夏読み終わった。理系の私としては技術者に感情移入でき、そのせいか後半、武蔵が沈没するシーンでは胸が痛んだ。武蔵の設計、建造、航海、沈没、を通じて日本の敗戦をうかがい知る展開になっており、歴史の流れにおける技術者の役割というものを考えさせられる作品である。吉村作品はこれまでに幕末モノをメインに読んできたが、今後は昭和モノにも手を出してみるつもりである。
電子書籍
戦艦武蔵がすきになる
2013/08/31 23:10
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投稿者:みずの - この投稿者のレビュー一覧を見る
図書館で借りて読むだけにしようと思いましたが、読んだときの衝撃が忘れられず書店で購入しました。
相変わらず吉村さんの聞き込みや情報収集のきめ細かさが目立ちます。
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技術の面から読んでいた記憶があります。制空権を軽んじていた指導者?軽んじていたわけではないのでしょうが、せっかくの技術を、技術におぼれてしまって、戦略をもてなかったのでしょうか?
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(2008.09.11読了)(2008.01.19購入)
「戦艦武蔵の生涯」を描いた本です。
どんな本なのか知らずに読み始めました。菊池寛賞をもらうほどの本ということは、吉村昭さんの代表作の一つと言えるのでしょう。
1937年夏、棕櫚の繊維が市場から姿を消した、という話から始まります。
まるでミステリーを読んでいるようです。実にうまい導入です。
戦艦武蔵の建造準備の一つだったのですが、棕櫚が何に使われたのかは、読んでのお楽しみにしてください。
戦艦武蔵の建造準備から、建造や進水のための工夫・等、丹念に取材し、興味深く読めます。戦艦武蔵の沈没まで描かれていますが、250ページのうち180ページまでは、建造に関わる話ですので、話の主力は、戦艦武蔵の建造にあります。
逆にいえば、戦艦武蔵の戦場での華々しい活躍の場は、なかったということでもあります。
戦艦武蔵の建造は、三菱重工業株式会社長崎造船所で行われました。海軍からの注文によるものです。
同じ型の第一号艦は、呉の海軍工廠で建造準備が進み、第二号艦が長崎造船所に委託されました。第一号艦は、後に戦艦大和と名付けられ、第二号艦が武蔵となります。
世界に今までない大きさの戦艦であり、積み込まれる大砲も今までなかった大きさのものです。どのようなものを作っているかをアメリカに知られると、対応策を工夫されてしまますので、機密を厳重に保たなければなりません。かなり厳しい知性を敷いたようです。
長崎は、各国の領事館や異国人が多数居住しており、坂の町で、いろんなところから造船所が見えるので、隠ぺいのための工夫が大変だったようです。
造船所で、建造した船を海に送り出さないといけないのですが、長崎の港はせまく、場合によっては、海に滑り出した船がそのまま対岸に衝突して破損してしまったり、対岸への衝突をさせないためにカーブを切らせようと片側にロープを付けて引いた場合には、まかり間違うと転覆することも考えられます。
大変な工夫をしたようです。次々の生じる難問とそれに対する研究・工夫がこの本を興味深いものにしています。
第一号艦は、1937年11月4日に起工され、1941年12月16日に竣工した。
第二号艦の起工式は、1938年3月29日に行われた。当初の竣工予定は、1942年3月31日であった。(52頁)
実際に竣工引き渡しの行われたのは、1942年8月5日であった。(178頁)
武蔵の乗員数は、2300名です。
レイテ沖海戦の際の乗組員は、2399名。その内、生存者は、1376名。レイテ沖海戦時の生存者も、日本の敗戦までには、亡くなった方が大部分のようです。
☆読んだ本
「三陸海岸大津波」吉村昭著、中公文庫、1984.08.10
「桜田門外ノ変 上巻」吉村昭著、新潮文庫、1995.04.01
「桜田門外ノ変 下巻」吉村昭著、新潮文庫、1995.04.01
著者 吉村昭
1927年 東京日暮里生まれ
学習院大学中退
1966年 「星への旅」で太宰治賞を受賞
1973年 『戦艦武蔵』等で菊池寛賞を受賞
1979年 「ふぉん・しいほるとの娘」で吉川英治文学賞を受賞
1984年 「破獄」により読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞
1985年 「冷い夏、熱い夏」で毎日芸術賞を受賞
1987年 日本芸術院賞を受賞
1994年 「天狗争乱」で大仏次郎賞を受賞
1997年 芸術院会員
2006年7月31日午前2時38分、すい臓がんのため死去、享年79歳
(2008年9月12日・記)
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前半は、武蔵建造に関わる人々のさまざまな苦労、後半は武蔵のその後を描いていて、どっちもとにかく「狂って」いるとしか思えない。すごい船だったんだろうけど、こんなに必死になって造ってあっさり沈められちゃって。そのギャップとか、最後どんどんゴミのように死んでいく乗組員の描写の物凄さとかに、吐き気を覚えた。沖縄の「ひめゆりの塔」で感じたのと同じ種類の吐き気だ。
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巨大戦艦を造り上げた日本のものづくり力は昔もレベルが高いのだろうが、棕櫚すだれで戦艦建造を隠す姿は滑稽だ。どこかバランスが崩れている。結局、不沈艦といわれた武蔵は、米国の波状攻撃で沈没してしまうが、この場面を吉村昭氏は地獄の様に描いていて、読んでいて体が冷たくなってしまった。
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プロジェクトXばりに武蔵の建造風景がつづられていたのが一転、淡々と非情緒的な戦闘場面と末路の記述。その分、戦争や人間の愚かしさというかなんというか、が迫ってきた。そして漂う諦念。
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武蔵が如何にして生まれ、如何にして沈んでいったか。
ほぼ建造中の話ですが、其処で沢山の人と沢山の時間と沢山の資材と沢山の夢を投入して生まれたのかが分かります。
でも、小説なので一行で数年話が飛ぶので、本当はもっともっと苦労したンだろうなぁと空白の合間を読んでしまいます。
最後の頁は言葉がない程の衝撃でした。
そうか、これが戦争なんだな……って思わずにはいられませんでした。
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浦野所有。
淡々とした筆致でありながら、まるで生きものであるかのように、巨大戦艦の息づかいが迫ってきます。ありきたりな感想で恐縮ですが、智恵と技術を結集して建造される前半と、ロクな戦力にもならずあっけなく撃沈される後半の対比が恐ろしいくらい見事で、リアルです。
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長崎の三菱造船所での武蔵建造の秘話が描かれている。史実に基づく描写が素晴らしく,そのディテールにこだわった書き方はまるで全てを観てきた人のよう。大和の影にあった武蔵の位置づけが良く判る。
「龍馬伝」で岩崎弥太郎,三菱造船所が賑わっているようだが,本書を読めばまた別な見方で造船所が眺められる。
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淡々とした書き方
ドキュメンタリー番組のような感じの小説
戦艦武蔵は何のために作ったのか分からないね
壮大な徒労と犬死やね
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昭和41年の作品、『戦艦武蔵/吉村昭/新潮文庫』をふと手に取った。戦艦武蔵の一生を通じて、それに関わった人間のドラマが克明につづられていた。ズシリと胸に迫るものがあった。
あとがきによれば、この作品の発端は著者が借りた戦艦武蔵の建造日誌だったそうだ。以後、膨大な資料やインタビューなどの調査を経て、戦時中に人間たちが示したエネルギーを閉じ込めるために『戦艦武蔵』が書き上げられた。読者としての僕には、武蔵の周囲に集められたエネルギーがこれでもかと伝わってきた。
本書は、日本海軍最後の戦艦、武蔵の建造から海に沈むまでの史実を緻密に、冷静に紡いだドキュメンタリである。大和ではなく武蔵。日本海軍が運命を託した兄弟艦。その根本的な違いは、武蔵が民間会社(三菱重工長崎造船所)によって建造されたことだ。史上かつてない超巨艦を三菱の技術者たちは底知れぬ技術力を武器に、幾多の困難をこえて完成させていく。全長263m、全幅38.9m、総重量35737トン、鋲の数540万本、溶接長26kmという前代未聞の巨大艦を造り上げて行く技術者たちから熱気がほとばしる。高揚感、そして悲壮感。その間4年超。
ここで本を閉じれば、壮大なプロジェクトXで終わることができる。だが話は当然まだ続く。建造時の熱気と対比させるかのような就役後の無力感ただよう場面へと。
武蔵(そして大和も)も海戦ではほとんど無力だった。ただしそれは航空兵力に抗しきれなかった大艦巨砲主義と揶揄されるような図式だけではなかったようだ。武蔵は戦おうにも動けなかったのである。これほどの巨艦を動かす重油がなかった。したがってこの貴重な兵器を温存し続け、最終的に負け戦に投入したのである。果てしなく繰り返される空襲と悲壮なまでに交戦し、そして壮絶な最後。武蔵が、大和が活躍できる場を与えられていたら戦局は変わっていたもしれないと思わずにはいられなかった。
加えて、この物語の終わりに武蔵と最後を共にした猪口艦長の遺言が記されている。艦長の遺書なるものを僕は初めて読んだ。艦を沈めたことへのお詫びとこれまでの感謝。しかしそれだけではない。いやそれ以外のことに多くの文面が使われている。武蔵での戦いで得た教訓、反省がめんめんとつづられている。次の戦いに向けて何をなすべきなのかが。これから死に臨む人間とは思えない冷静さ。気高さと言えるかもしれない。涙があふれてきた。
何の気なしに読み始めた44年前の一冊に感動できる。読みそびれている本はどれほどあるのだろうか。