紙の本
流石、学者の著作だけあって面白さに加えて参考になる情報がてんこ盛りでした。
2016/11/28 09:56
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投稿者:ナミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
流石、学者の著作だけあって面白さに加えて参考になる情報がてんこ盛りでした。古代の宮廷の詞や女房詞、遊里などで使われた遊女語など言語学的な流れは当然であるが、「女ことば」が本当に定着・意識されるようになるのは江戸時代からであり、その後の流れ、特に戦中・戦後の時代背景の中で「女ことば」に対して、政治戦略的な観点から新しい意味づけがなされていく過程の分析は実に興味深いものであった。たかが「言葉」と思っていたが、その深い意味に実に驚かされた。「女ことば」があるという世界にも珍しい言語である日本語の素晴らしさとして、小説においても会話者が男であるか女であるかが明確に判るという指摘には目から鱗でした。末尾の方でそうした観点から小説論にも触れているのも面白かった。
紙の本
言葉を問うためにも
2024/01/24 15:39
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
小説、とりわけ翻訳のそれにおいて近年はとかく古臭い表現の象徴のようにも思える「女ことば」であるが、それは本当に「古い」表現なのか。むしろ比較的近年に人工的に生み出されたというところもあるのかもしれない。当たり前のごとく存在していたかのような言葉を問うためにも。
紙の本
興味深い
2023/10/04 19:21
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本語の女ことばから、日本文化が分析されていて、興味深く読むことができました。ジェンダー論にまで広がっていて、よかったです。
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ジェンダー論に拠って立つ、女言葉論
2012/09/13 18:27
7人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:md95 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あとがきで著者は、女ことばが国語や標準語、方言、敬語、男ことばなど、日本語にかかわるさまざまな理念だけでなく、西洋やアジアとの関係における日本や日本人、そして、日本語の形成に重要な役割を果たしてきたを明らかにしました。読者のみなさんには、日本語の姿を理解するには、ジェンダーの視点が欠かせないことをご理解いただけたら幸いです。と言う。
天皇制とか、家父長制度に都合の悪い、男女平等を排除するために女言葉を利用したというような論がくりかえされる。
読後感は、だからどうした?というもの。
いつの時代も、ことばが乱れている、女が男のような言葉をしゃべるという批判があったのはわかったけれど、著者はそのことについては、是非を言わない。
岩波書店らしく、たんなる女性学者さんの研究の発表。
特に、読んで面白くもない、お頭のなかで理屈をこねくりまわしたような本。
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例示がうまく行っていないように思う。例が必ずしも筆者の説を説明していない。一事で万事を言っているところもある。
また、支配という語の主語が不明で意味が取れない。というか、全体的に主語が欠けているところが多い。集団が個人のように考え、行動したように言っているところがあるが、よいのか。
読みにくい。
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目からうろこ的。
逆転発想。
強引であっても、解答がちゃんと用意されているのがいい。
あるいはそうかもしれない。
あるいは、まだまだ未熟な理論かもしれない。
でも、すとん・・・とおちる理屈に完敗の気分。
読んでいて、楽しいと感じた。
ジェンダー視点はいつも楽しめる。
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時代・政治情勢などに揉まれながら、今まで使われてきた「女ことば」。
尊重されたりけなされたり、それでも結局守られてきてますよね。
専門的な部分は飛び石のごとく読んでしまいましたが、なるほどと思える「女ことば」の魅力に納得。
「ーだわ。」「ーよ。」「ーかしら。」などといった言葉は、それだけで女が発しているものだとわかるもの。オカマももちろん。
そう言われてみれば、便利ですよね。小学校教科書や絵本にだって、その使い分けによって性の区別がされてるんですから。
これは決して性差別とかではなく、日本語の特徴であり、美しいとされている理由の一つでもあるでしょう。
そんな「女ことば」…私は好きだし、使っていたいと思うし、現に日常、特にメールやWeb上での書き込みで多用している…ことに、改めて気づきました。そう言えば、私ってそうだなって。
一昔前まで強調されていた身分の差による使い分けの要素は薄れてきているし、柔らかくかわいらしく、時には色っぽく、そして女性として「らしさ」を楽しむためにも、「女ことば」は消えずに使われ続けてほしいものだと思えました。
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女性特有の話し方を女ことばと呼ぶが、それは昔からあったわけではなく、作られたものだ。
女ことばは日本の伝統とか世界にない日本の優位性とかいろいろ言われることもあったが、そんなのは後付設定なのだ。
とまぁそんな感じの内容?
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「女ことば」の歴史なんて、今まで知らなかったから、すごく面白かった。
特に、「てよ」「だわ」という言い回しが昔は下品な言葉使いとされてたなんて、ビックリ!
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1.中村桃子『女ことばと日本語』岩波新書、読了。日本語の特徴という「女ことば」は標準語に顕著にみられる区別という。では女性が使う(べき)それはどのように誕生したのか。本書は、鎌倉時代から第2次大戦後までの女ことばの言説を辿り、言語学やジェンダー研究の知見からその形成過程を追う。
2.中村桃子『女ことばと日本語』岩波新書。「女は喋るな」から「喋るならこうあるべき」へ--。女言葉の「言説」は、その言葉遣いが女性らしさの規範となり日本語の伝統へと創造され、天皇制国家の伝統として価値あるものへ定位される。同時に女言葉不使用者は「女らしくない」ともされることになる。
3.中村桃子『女ことばと日本語』岩波新書。フーコーは「ことば」に注目し、私たちが何らかの知識や概念を持っているのは、それについて「ことばで」か語ってきたからだと考察。本書は日本語論の一入門書ながら、フーコー『知の考古学』の一つの実践事例といってよい。自明の襞に分け入る魅力的一冊。
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なぜ「女ことば」は存在するのか。この本の問題意識はいたって単純です。
暑い「わね」のように、単語レベルでそれを使うだけで女性を連想するような言葉があるのは、日本語の特徴の一つだと思います。
この本の内容をかなり乱暴に要約すれば、女ことばが存在するのは、言説による規範化、そしてそれが定着することによって「創られた伝統」が定着するところにあるということですね。
言説による規範化とは、女ことばそれ自体が定着するのではなく、「女ことばはこういうものだ」もしくは、「こうあるべきだ」というような言説のなかで定義されるということです。現代でいえば、マナー本や教科書などが一番身近でしょう(ちなみに、女性語のマナー本は鎌倉時代からあったそうです)。規範化のなかで特徴的なのは、日本国民の優越性を示すための国策のなかで女ことばが日本語の伝統として位置づけられ、戦後にもそれが続いたということでしょう。
それまで正式な日本語として認識されず、標準語の策定にあっても「方言」と同じように無視されてきた女性語が、知識人によって日本語の伝統として天皇と結びつけられ、「日本人」という一体感が作られてゆく。そして、その伝統は戦後においても女性のもつ本来の特徴として、再び規範化される。
各章を比較してゆくと、その時代の言説によって「女ことば」の位置づけが全く違うということが示されています。それによって、「創られた伝統」であることを浮き彫りにしようというのが狙いではないでしょうか。それがこの本の面白いところですね。
若干、女ことばの不遇の扱いを嘆いているような・・・その意味で肩入れしているような語り口だと思いましたが、常識を疑うという意味ではこれぐらいでよいのでしょう。例示が多いので、軽く読むにしても面白いです。「~てよ、~だわ」は堕落した女学生を象徴する言葉として使われていたとか、「あたい」は男子にも使われていたとか。
ただ、すべてそのまま納得できるかというと微妙なところもあると思いますが……それは、他の方の意見を伺ってみたいところです。
……関係ないことですが、良く考えてみると、最近はすっかり女ことばを聞きませんね。
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単なるジェンダー論と思って読んでいたが、「言葉と近代的権力」との関係を「言説」というキーワードを中心に、しかし平易に説く本だった。おすすめ。
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要するに、いつの世も女性の振る舞いは批判されてきたのよって話。
昔の日本人女性に関する興味深い話が多い。
だが一番印象に残ったのは、おまけ的に出てきた「書生言葉」だったり……
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kinoppyで読了。
新書ということもあって、もうちょっと論拠が欲しいところもあったけれど、全体的に目からウロコだった。
明治以来の国語学者の言論なんかをみていると、学問的中立というか、思い込みを払拭することの難しさを感じる。
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本書を読むまでは、日本語の「女ことば」が自然発生的に生まれてきたものだと思い込んでいたが、それがきわめてナイーヴな考えであったことを知った。序章の例にあげられているように、現在もっとも典型的な「女ことば」は、翻訳書の女性言葉にこそ見られるものということになるようだ。例は『ハリー・ポッター』のハーマイオニのセリフなのだが、言われてみるとたしかに誰もこんな話し方はしていない。「言語イデオロギー」から「隠された男性性」、果ては天皇制へと論は展開するが、本書は言語学の立場からのジェンダー論として、きわめて示唆的。
しいて難を言えば、「女ことば」の将来像の展望がなかったこと。