投稿元:
レビューを見る
アランこと本名エミール・オーギュスツ・シャルティエは、今から143年前の1868年3月3日、フランスのノルマンディー地方モルターニュで生まれた哲学者。
彼は、何か新しい哲学を創出したというわけではなく、フランスのリセ(後期中等教育)という日本の高校にあたる学校で、哲学教師として40年あまり教壇に立った人でした。
そう、フランスでは高校生が授業でカントやベルグソンなんかを習うということを、最初に知ったのが中1のときで驚きましたが、それが何という映画だったか、いま思い出そうとして思い出せません。
ともかくも、だからこそフランス人の会話が他に例をみない、機知に富んだ豊かなものであるということがわかるというものです。
ところでアランは、単に過去の哲学者たちの哲学を教えるだけではなく、感受性の一番研ぎ澄まされて発揮できる年代の若者たちに対して、哲学することの基本動作を血肉化させようとした人でした。
真っ白い紙に対峙して、意識を集中させ、今現在のありのままの自分の思いつくありったけを総動員して考え巡らすこと。
俗世のあらゆる呪縛から自らの思考を解放することはいうまでもありませんが、いっけん超越的などこか彼方からやってくるインスピレーションの重要さも忘れてはいけません。
シモーヌ・ヴェイユも、そんなふうに、1925年にリセのアンリⅣ世校に入学して、アランと出会って教えを受けたのでした。
この本には、観念的な美辞麗句の欠片は一切なく、すべて具体的な示唆に富んだ、すぐにでも悔い改めて日常生活の中にとり入れてみれば、さぞかし効果的だろうと思われるアフォリズムの数々がひしめいています。ただし、本質を見誤らないようにしないと、何のご利益もありません。
「人間は、意欲し創造することによってのみ幸福である」
「人間は自分以外にはほとんど敵はない。人間は、自分のまちがった判断や、杞憂や、絶望や、自分自身にさし向ける悲観的なことばなどによって、自分が自分自身に対してつねに最大の敵なのである」
この感想へのコメント
1.ryoukent (2011/03/07)
薔薇★魑魅魍魎さんの読書ノート って、結構な長文だけれどいつも理路整然としていますね。あたいみたく、そんときのノリでかんそ書いてるのとは雲泥の差だなぁ。ああ。
2.薔薇★魑魅魍魎 (2011/04/03)
どうも、です。ryoukentは(ゴメン、愛しているから敬称略!)最近聞いている憂歌団っぽい気がする。
なんかこう♪ブルーズなんだよなァって、燻銀の渋さっす、けっこう。
投稿元:
レビューを見る
「親切という名のおせっかい、そっとしておくおもいやり」相田みつを
この本を読んでるときに、ふと上記の言葉が浮かびました。
これはイイ!
久々に心を打たれた!
「不幸を強制しているのは自分」
「不機嫌は伝染する」
「人と接するときはプラスの感情で」
耳が痛い言葉ばかりでしたが、心に深く突き刺さりました。
突然の雨にも、
イライラするのではなく
「けっこうなおしめりだ^^」
と笑顔でやり過ごせる。
そんな人間になれたらなぁ~♪
投稿元:
レビューを見る
三読か四読目。
「幸福になることは明白な義務である」「自分で作る幸福は決して裏切らない」と言って半人前の私を励ましてくれる。
その時の気持ち、置かれている状況によって、響くプロポが毎回違うのが面白い。
アランはいつもわたしに優しい。
投稿元:
レビューを見る
「楽観主義は意志の問題によるものである」。
これは、極めて重要な金言だと思います。物事にとらわれず、しっかりと自己を持って楽観的に解釈すること。これが幸福への唯一の道だとアランは説きます。
また途中には、仕事に対する動機づけに関しても多く書かれています。アトキンソンやデシの理論が想起されました。
常に傍らにおいておきたい、そんな本です。
投稿元:
レビューを見る
20世紀を代表する知の巨人であり、多面的な天才であるラッセルの傑出した業績のひとつである「幸福論」。
偉大な思想家が書き下ろした実践的な書であり、読みやすい内容になっています。「人間は自分の情熱と興味が内へではなく外へ向けられている限り幸福になれるはずである」という一文に彼の幸福観が集約されているように思います。
人間の幸福に寄与するもの、不幸に関わるものは時代を超えて共通するものがあるんだなという印象を受け、同時に先人の鋭い洞察から生まれる知恵に感心しました。
投稿元:
レビューを見る
この本はわたしにとったら当たり前やんって感じのことが書いてある。
だから読んでて あまり得るものがなく逆にわたしの考えの再確認だった。
投稿元:
レビューを見る
新聞の日曜版かなんかで、週に1回くらいのペースで読むなら、ふーんと思ったかもしれない。まあピンと来なかったのは同じだろうと思うけど。
投稿元:
レビューを見る
「マーフィーの黄金律」に引用されていたアランの言葉に惹かれ手に取った本。
ムツカシイ。。。
読んで思った正直な感想です。
でも、いい!
気になった言葉を引用しながら、ご紹介。
「うまく行ったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまく行ったのだ」
「どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となるのだ。」
「幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない。」
心の持ちようって大事。
それを改めて、感じさせられる部分。
否定してたら何も始まらない、すべては肯定から始まるんだよね。
幸せを追い求めて。
「礼儀作法は親密なかかわりあいをもたない人たちのためにあり、
機嫌は上機嫌も不機嫌も親密な者のためにある。」
親しき仲にも礼儀あり。そうは言うものの。
よくはまだ理解できないけど、なんか引っかかったコトバでした。
「幸福とは、報酬など全然求めていなかった者のところに突然やってくる報酬である。」
「幸福は得である。」
「われわれが自分を愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸福になることである。」
自然体でいたいと思う。
そして、それでいいんじゃないかな、と思う。
「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。」
ふむふむ。
確かにそうかもしれないなー。
そんな気になるコトバに巡り会える本。
この本の解説書を出せばニーズあるんじゃないかと思った。。
…そしたら、ふと立ち寄った本屋で優しく書いたバージョンがありましたとさ。
考えることは、同じなんだなぁと。
投稿元:
レビューを見る
プロポと呼ばれる哲学断章がこの本には93個載っています。書いた日付入りです。
1911・11・・という具合ですからちょうど1世紀前に書かれた文章です。あとがきによるとアランはフランスの哲学教師を務めていたようですが、新聞に長期間に渡って毎日!このような文を書いたということですから、今でいうところのコラムとかエッセィの類になるのでしょうか。 この本を読んでいたら、「思考の整理学」などを書いた外山滋比古さんの 文章を思い出しました。
それにしても、93個めの断章で「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。・・・気分というのは正確に言えば、いつも悪いものだ。だから、幸福とはすべて意志と自己克服とによるものである。・・」という文章を書いていますが、この文に集約される内容がどの章にも表現を変えて詰まっています。私は読書のときは、付箋紙を常備しているのですが、今回読み終わったら色とりどりの付箋紙だらけとなっていました。つまりどこから読んでも意義深い内容と言えます。 昨年の大震災で想像を超えた厳しい現実が私たちの目の前で起こりました。このことを考えると、アランが約100年前に書いたこの文章の意義はとても貴重に思えます。
・・ 「うまくいったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまく行ったのだ」といつも考えねばならない。 ・・
そうすることで私たちは不幸や退屈や絶望から遠ざかるようにできるのです。
投稿元:
レビューを見る
アランが指し示す楽観的人生観《赤松正雄の読書録ブログ》
アランの『幸福論』を久しぶりに読んでみて、新たな発見と変わらぬ思いが交錯している。改めて気付いたことは、これはいわば、楽しい“生き方のコツ”を説いたものだということ。いま一つは、やはり極めて難解な側面を持っているということ。かつて、途中で放り出した理由もここにつながっている。難しいことについてはここでは触れない。
わたしたちは人生で様々な障害に直面するが、その時に自分は一方的に不幸だと思ってはいけない―これには全く同感する。「悲観主義は感情で、楽観主義は意志の力による」のだから、いい方へいい方へと楽観的に舵をとるしかない。「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」と言いきかせながら。
ただ、例えば笑い、微笑みの大事さは分かっていても、現実は難しい。私などもう少しにこやかにできないかと幾度となく周りから言われてきた。難しい顔をするな、と。そうはいわれても、簡単に直らない。アランのいうことを、自分の生き方の根底にどう刷り込むかとなると、それはもっと難しい。モットーや信念はしばしば荒波のなかで粉砕される。人間のもつ運命や宿業に思いを馳せ、命の底にまで、生き方をたたき込む大事さとその極意を思う。
つまりは宗教的次元との兼ね合い具合だ。孔子の『論語』を読むときと同じような印象をアランにも持つ。結局、哲学的装いをあわせもった人生論ではないのか、と。
アランは繰り返し幸福になる極意を説いている。なかでも、印象的なのは、幸福は無償の愛ではなく、正しい交換、よい交換によって成立すべき、とのくだりは面白い。「幸福とは、報酬など求めなかった者たちのところに突然やってくる報酬である」との記述はなかなか含蓄が深い。
今、議員会館の外は雨だ。アランも「今これを書いている時、雨が降っている。瓦に雨の音がして、無数の雨樋が切れ目なく歌っている。空気が洗われて、まるで濾過されたみたいだ。雲は切れ切れになった華麗な衣装のようだ」、と。雨を描いてかくほどまでに美しい文章を私は読んだことがない。アランという人は写真をみると、深い思索とやさしい心根を持つ人だとひと目で分かる。内面の深さが顔に見事にあらわれている。今、世の中にはうつ病はじめ精神的に病んでいる人が多い。この本はそうした人々というよりも、そのまわりにいる人にお薦めの本だ。
投稿元:
レビューを見る
悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。
で有名な書。
わかっていても、その楽観的思考を獲得するのが難しいんだけれども。
幸福「論」と云いつつ、アランによるプロポとよばれる断章、散文をまとめたもの。
何も考えずに、また、考えたくない気分の時に手元に欲しい本。
深く考える為にこの本を開くのはNGだと思う。
投稿元:
レビューを見る
全てに共感!仏教にも通じるところがあるような。その日開いたコラムを読んで上機嫌生活に役立てよう!
マイベスト→礼儀作法について
「礼儀作法とは身についた物腰であり、ゆとりである。優雅な物腰とは、表現と動作の安らかな幸福である。それはだれをも傷つけることのないもの、だれをも不幸にすることのないものだ。幸福になるためには、この種の美点をそなえることがきわめて大切である。『ほんとうの生き方』を考えるとき、これらの美点はけっしておろそかにすべきではない。」
投稿元:
レビューを見る
「三大幸福論」の一冊。「2100年、人口3分の1の日本」はアランの「悲観は気分に属し、楽観廃止に属する」という言葉で締められている。その直後、丸善で平積みになっていたので購入。どうも「100人のプロが選んだソフトウェア開発の名著 君のために選んだ1冊」で誰かが取り上げていたらしい。
投稿元:
レビューを見る
世界でもっとも美しい本、ともいう人がある本。しかし、中身は難解で、何回も読み返していくうちに味わいが出てくる本。初めて読んだときは、1章のブケファラスの話から?でしたが、影(恐怖)から目をそらし、太陽(希望)をみよ、という寓意だと理解してからは、この本の本旨自体がよくわかるようになった気がします。とてもいい本だと思いますが、わかるという人と、わからないという人が分かれるのではないでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
意思による楽観主義。めぐりめぐって達した結論なんだと思う。
アランとラッセル、両方の幸福論を読んだけど、それぞれが違う高みに達していて興味深い。次はヒルティ。僕はどの高みにいくのか。少しずつ近づけばいい。