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指導教官のおすすめのひとつ、三大幸福論のひとつ。相手への敬意を払う礼儀正しく優雅な物腰を身につけよ、という教えが最もしっくりきた。文学的。
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久々に外国の方の本を読みました。
そして、当たって砕けてしまいました。勉強不足と自分の中身不足かもしれません。
ですが、面白かったです!!自分にどんな本が合っているのか分からない方に、ぜひチャレンジてみてほしい本だと思いました。
楽観主義に憧れました。
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1 自分の外に弁解の口実を求める人は決して満足しない。
2 憂鬱な人、自分の事など考えるな。遠くを見よ。
3 雨が降ったら、「ああ!結構なおしめりだ!」それが雨に当たっても風邪をひかない秘訣。
4 礼儀作法とは、特に意識する事なく行った行為、特に示そうというつもりもなく何かを示した行為。
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アランのプロポ(哲学断章)。「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになる」など、見方を変えると世の中捨てたもんじゃないと思うようになる。物事の本質は何なのか、頭が熱くなったとき、ふと笑みがこぼれるようなアランの言葉がここにあります。
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引用したくなる素晴らしい言葉がたくさんある。
100年前に書かれた内容とは思えない。
元々の文章なのか、そういう翻訳なのか、文章がかたくて頭に入ってこないものがしばしばあったけれど、何度か読み返せばしっくり来る気がした。
図書館で借りた本だけど、これは買って持っていてもいいかなと思った。何度でも繰り返し読みたい。
下手な自己啓発本読むより、ずっと人生が豊かになる一冊。
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読書って、どうしても生活との天秤だ。生活が充実していないのに読書ばかりを続けたから、ある時期からだんだん澱みはじめていた。それならさっさと書を捨てよ、と言われそうだが、お別れの一冊のようなものを探していた。
アランの幸福論は、とてもピッタリの一冊だった。
思考や想像力の沼に捕らわれた僕を、カラリと明るい風で吹き払ってくれる。
どんな賢人の知恵も、本で読む限りは思考と想像力をもって挑まなければならない。けれど、その思考や想像力こそが、人の苦悩を水増しし、四苦八苦の泥沼に引き込んでしまう張本人でもある。仏教、特に禅などは、この泥沼を吹き払ってしまうことで苦しみの多い世界でも悠々闊歩する力を得ようとするが、それさえもやっぱり読書を通して触れようとすれば、逆効果になったりする。アランの言葉は、とても日常的で平凡な顔をしているが、しかしそれこそがこのテーマの真髄ではないか。
不安や恐怖、悲しみや憂鬱を真剣に思い煩うより、まずは肩をすくめてほほ笑みたまえ、といったところか。
根つめて通読する必要のない、90もの断章になっているので、日々少しずつ読もうと思う。
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昨年の未曾有の大惨事を契機に「幸せ」をテーマにしたいくつかの著作が小さなブームになりました。その影響も受けて、以前から一度読んでみたいと思っていた著作を、今回手に取ってみました。
著者はフランスの哲学者エミール=オーギュスト・シャルティエ、「アラン」はそのペンネームです。本書は、フランス、ルーアンの「デペーシュ・ド・ルーアン」という新聞に寄稿した「プロポ(哲学断章)」の中から「幸福」に関わるコラムを採録したものとのこと。
私レベルの知識と感性では、全編を読み通しても、アランの思想がおぼろげながらでも理解できたとは到底言えませんが、確かに深遠で興味深い内容のものが数々ありました。
とてもユニークな著作だと思います。
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自分の悩んでいることがたいしたことじじゃないと思えた。
幸せは意志が決めて、不幸せは感情が決めるというのが印象的。
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これはあくまで“論”であり、正ととるか空ととるかは自由。捉え方も自由。
ただ、これを空論として捉えるだけにとどめることは虚しい。
理解力と感受性を持っている今出逢えてよかった本。
折に触れて読み返し、その時々に感じ、想いたい。
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短編なのでいつでもどこでも読みやすい。
『肉体』が先か『精神』が先か。鶏卵のよく聞く話だが本書では『肉体』が先。健全な肉体には健全な精神が宿る。そんなとこ。肉体っていうか身体の方が感覚として近い。改めて健康について考えさせられる。
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幸福になる方法、というより、不幸にならない思考を学びました。
人生の敵は「自分自身」であること。
第三者を恨み憎む時間が如何に無駄か。
苦痛や労苦のなかに幸福があること。
自分が行動しなければ幸福は得られない。
など、1900年代初頭に書かれたとは思えないほど現代で読んでも新鮮です。
前向きに生きるためのメッセージがたくさん詰まってます^^
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前向きに生きろ。ご機嫌に振舞え。とにかくまず行動しろ、動いてみろ。というのが作者のいいたいことのようだ。
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幸福の感じ方というよりは、不幸を感じない為の心得、所作なんかが気軽に散文で書いてあった。一回読んで終わりという訳ではなく、折に触れて見返し、日々の生活態度を見直すに役立つ名著だと思う。
でも、逆説的だけどこの本が成り立つのは、読者の多くが不幸に苛まれているからであって、幸せな毎日を過ごせるならば必要はなくなるとも思う。僕がARIAやカレイドスターやセーラームーンに触れる前に読んでいればまた違った感想だったろうけども。
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【「幸せとは何か」を綴った一冊】
「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ」
こんな言葉を目にして、この本を購入した。
内容は何とも分かりにくい喩え話が中心で、少なくとも現代社会では想像もできないようなことが書かれている。喩え話の裏にある本質的なメッセージを捉えようとすれば、少なくとも2回は読む必要があると思うが、私は断念した。
ただ、その中でも「なるほど!」と思った一文があるので、引用しておく。
「自分が好きでやっているこういう仕事は楽しみであり、もっと正確に言えば、幸福である。ボクサーは逃げにまわって受けるパンチは嫌だが、積極的に出て受けるパンチは好きだ。戦いが自分の意志で行われてるならば、困難な勝利ほど楽しいものはない。・・・人は、棚からぼたもちのように落ちてきた幸福はあまり好まない。自分でつくった幸福が欲しいのだ。」
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タイトル通りの内容ではない、アランは別に幸福を論じてない。彼が地元紙に「プロポ」というタイトルで寄稿した5000編のコラムの中から「幸福」に関するものを抜粋したものらしい。原題は Propos sur le bonheur.「幸福についてのプロポ」だそうな。哲学者が徒然なるままに書いたコラムで、1つ1つのプロポには、幸福であるためのエッセンスが含まれている。
1つ読めば少し幸福になる。詩的な表現も多く使われてるので、こちらが心を寄せて読まないと内容を履き違えそうになる、というか私はたぶん随所を履き違えながら読んだ。
当たり前の事だけど、大昔から、ものごとの本質を捉える事ができる人は数多く存在していた。感性が鋭く、情緒豊かで思慮深く、日々の体験を糧にできる人がそういった能力を特化させるのだと思う。そしてその中でより詩的な表現力に長けている人が、建築家や数学者などから哲学者という専門職を派生させるに至ったのかしら、と思った。