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主人公の周りの人にはメロドラマ的な事件が起こるけど、主人公自身には本当に何も起こらないし、これと言った行動もない。だけど、それがかえって何気ない日常の中の微妙な感情の起伏を表現しています。
初老にさしかかった主人公と、昔の憧れの女性を思い出させる息子の妻との恋愛とも言えないくらいのかすかな好意の描写はまさに名人芸。
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初めて「文学」に衝撃を受けたのかもしれない。
衝撃というか、静かな感動と苦しみと時が流れてる。
人の書き分けもいいと思う。
改行多いのは気のせい・・・?
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初版
1954年
あらすじ
老いに目覚めはじめた信吾は、息子の度重なる放蕩に悩み、その嫁菊子に淡い想いを寄せる。時折聞こえる山の音に死の恐怖を覚える一方、菊子の面影から、遠い日に抱いた恋心が蘇る。
読後感想
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この作品は全編、一家の長である信吾視点で描かれており、それ故に出来事は全て信吾のフィルターがかかって描かれているのかな、と。
そう思って読んでいたんですが、信吾が、何かにとらわれているのか、したかったができなかったこと、したくはなかったがしてきたこと、何か、罪というか、そういうものに対する、償いというかそういうものを感じました。
的確な語彙がない自分を悔みます。解説には「日本古来の悲しみ」と書かれていました。僕が感じたものがそれだったのかどうかはわかりませんが、なるほど、と思いました。
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会話や行動で全ての表情が伝わってしまう文章能力。
この本は戦後の中流家庭の様子を描きながら、恋に似た淡い感情を息子嫁に抱く老人の物語である。
ある程度読んだところで、「渡る世間は鬼ばかり」の上質で品のあるバージョンを一瞬想像してしまった。
嫁姑のいさかいなどないが、様々な出来事がある一家の杞憂が渡鬼を想像させてしまう。
この物語で特に心情面は描かれていないように見える。
しかし会話や行動の端々に真意が読み取ることが出来て、その表現方法も情緒的で美しい。
少し老人の憂いさや少しの頼りなさが、現代の人たちとも通づるものがある印象も受けた。
どの家庭にでもあるであろう本心と、いくつ年を重ねても青春の恋のような淡い想いへの錯覚。
この恋心と親しみをこめる心の危うい境界線も1つの見所だと感じた。
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高校生のときにお決まりの「伊豆の踊子」「雪国」「古都」を読んで以来の川端康成.そのときにすっかり退屈してしまい,もう二度と読まないだろうと思っていた.それが久しぶりに読んでみると,信吾の年にはまだ間があるにもかかわらず,強く引き込まれてしまった.いろいろなものの喪失の寂しさがやりきれないほど伝わってくる.老境に入って菊子のやさしさは身にしみるだろうなぁ.
会話が多く,段落も短いのでどんどん読めるのも意外だった.
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久しぶりに川端康成の作品を読んで、まっとうな日本語の文章表現とはこういうものだと感じさせられた。そして、その表現の中には、今の日本に存在しないように思われる情緒的な感覚が溢れている。そのことを嘆くつもりなどは全くないが、この点において川端康成の作品はこれからも後世に残る価値があるのは間違いない。
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何年も前に退屈に感じて挫折していた作品。改めて読んでみると非常に良かった。菊子がかわいすぎる。当然これは主人公目線によるものだが、彼にとってそれだけ菊子がかわいく写っていたということだろう。優れた書き手というのは日常の些細なことを描写するのがうまいなと再認識した。
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中学生の頃になんとおもしろくない作品だろうかと思ったのを覚えている。
まさかこの主人公に共感できる日がやってこようとは・・・
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晩年の作品。家族の相関関係にひそむ心情が、たんたんと静謐にかかれている。
人間のつながりを描写しているのに、その背景にある自然の大きな気配が浮き上がってくる。
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面白かった。
ホームドラマが繰り広げられる中に、叶わなかった憧れや戦争によってもたらされた無常感や、老いへの不安などが直接言及されないまでも描かれている。それらの心象は全編に渡って低く鳴っている「山の音」にも託されている。
信吾は、亡くなった義理の姉への恋心を菊子に持ってしまっていたところを、「菊子を自由にしてやること」で断ち切ることで信吾の物語は終わる。
義理の姉への恋心が、綺麗に整えられたモミジの盆栽で表現されているあたり、その恋心はもはや対象を失った観念的なものだったのだと思う。
それは最後に菊子たちと故郷の山のモミジを見に行こうというあたりとうまく対応して、菊子への思いが観念的な恋心の錯覚から、生きた家族愛のようなものに変わったようである。
修一の、新しい命を命と思わないような自暴自棄ぶりからは、修一が戦争で何か無常感のようなものを心に塗りつけられてしまったような感じがした。
ともかくも、戦後に生きる家族という場を利用して、失われてしまったものへの愛しさや哀しさを心の奥底に持ち続ける日本人的な感性を描いた小説だと思った。
失われてしまったものに特別感傷的になって表に出しやすくて浸りやすいのは男の常なのかもしれない。それに対してこの小説の女性は男性よりも逆境に強くてパワフルだった。
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戦後日本の鎌倉を背景に、息子夫婦と同居する老紳士の家で次々と巻き起こる家族の問題。しみじみとした会話と物語進行だったのに加え、鎌倉の自然とともに生きる穏やかな性格の夫であり父であり舅である主人公の信吾と嫁の菊子の心の交流を主軸に描いているものと思いきや、豈図らんや、次第に昼ドラや渡鬼顔負けのドロドロ愛憎劇の様相を呈してきて、展開が気になり一気に読み進めてしまった。(笑)いや、舅と嫁の交流が主軸なのは間違いないんですけどね。
死というものを感じるようになった老境の主人公の、未だ幼い嫁に「女」を感じる眼差しと、かつて自分が恋した妻の亡き美人姉への忘れ難い想いが、老紳士の哀愁を引き立てている。だが、「老人」と「少女」という川端ならではの対比と相関がそこはかとないシンボリックな描写に止まり、逆に想いだけを胸に秘めた旧き家長像を設定することで、ドロドロとした物語展開にもかかわらず、読者へ安心感を与えているようにも思える。物語は次第に不倫、DV、離婚、エトセトラと重たい話になっていくのだが、主人公の女性に対する抑制とほんわかな老紳士ぶりをみていると、どの重たい出来事も優しく包まれているような感じになってくるので不思議だ。シンボリックといえば、主人公がみる夢の話が随所にみられるが、これも抑制した主人公の心理状態や予兆をうまく物語の表面へ浮き上がらせる話のタネとして面白い手法であった。
この物語で登場する主要男性は実は主人公の信吾と息子の修一のみで、その周りを彩る女性が多いのも特徴だ。信吾の妻・保子、修一の妻・菊子にはじまり、信吾の娘・房子、その子どもの里子と国子、信吾の秘書・英子、修一の不倫相手・絹子などなどで、それぞれの個性が対極な相手によって対比させられているのも設定の妙である。何気ない女性らしさの描写をみるにつけ、細やかな観察眼には敬服するとともに、やはり川端先生、女好きなんですね。(笑)
会話は考え抜かれて選ばれたであろう言葉が多くみられ、たおやかな表現が心地よいのだが、自分には意味が捉えずらい会話も少なからずあり、途中で何度か会話の前後を読み返してしまった。(笑)しかし、それだけに心理と感情のあやが繊細に伝わってくるので、この物語全般に流れる穏やかな関係性を一層印象付けているといえる。
あと余計な話だが、やはりこの物語の展開自体はかなりのドロドロ劇であるので、昼ドラになってもかなり面白いのではないかな。(笑)
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大好きな一冊。
戦後の日本、鎌倉を舞台に〈家族〉の中に生まれる複雑な機微が描かれています。
無駄がなく奥深い文章はまるで能面のようです。
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「世界最高の小説ベスト100」に入った日本の2作品のうちの一つということで読んでみました。登場人物の感情の描き方が素晴らしい。心の奥底では、思いつくけど言えないことまで書き切ってる感じが。
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呆けはじめる歳になるまでずっと、初恋の人を忘れられない男、夫婦仲が上手くいかない寂しさを舅の優しさで紛らわす若い嫁、自分の結婚の失敗を親のせいにする出戻りの娘、その親を見ているせいか可愛げのない孫、さらに、これだけ問題アリアリなのに能天気な妻。
一見そうでもないのに内実は見事にばらならな家族の話が淡々と進む。川端康成という人も、この主人公と同じく冷たい人だったんだろうな、と思ってしまう。
これといった解決も光明もないまま唐突に終わるところも、この話を象徴しているような気さえしてきた。