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文学部として、そっれぽい本を一冊読破してやろうと買った本。
字小さくて読みにくいし、キルケゴールが言っていることを理解するのはすごく難しい。
哲学好きな人。
ぜひご覧あれ。
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難解で、陰鬱で、読後も解ったんだか解らなかったんだか、自分でも今ひとつ整理できないのだが、それでも何年かに一度手にしたくなる本。(特にキリスト者以外の)絶望の回避、絶望からの脱出方法について、自分で考えるのが面白いのかも知れない。
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第1編は難しくてさっぱりわからない。それに比べて第2編はわかりやすい。罪の反対は不信仰、罪の極みは躓き、など。
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なんだって、翻訳されたもの(とくに哲学とかそういう関係の)はこんなにも難解な書きかたがなされるのか…。意訳し過ぎも大変だとは思うけれども、柔らかく噛み砕いて、っていうのはおおよそ無関係なものなのだろうか…。
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10年ぶりの再読。
冒頭わけわかんないけど、気にせず読み進めるとほんとおもしろい。
死に至る病=絶望(=罪)に対して、人が取りうるのは延々と続く撤退戦。この不可避的な撤退戦それ自体が絶望でもあり、この先に信仰が存在する。
続編的な「キリスト教の修練」では、「死に至る病」をさらに推し進めて、キリスト者としての苛烈なまでの信仰を説いていてこれも刺激的。
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人はいつも頭の中で自分のあるべき姿というものを作り出し、それになろうとする。しかし、「いまここにあるがままの自分」は決してその像とひとつになることはできない。
あるべき自分像は、内心の要求でもあれば、社会や周囲の人々の要請から作り出してしまうものでもある。これに重なろうとすることは、長期的に自分の人生をどこにも連れて行ってはくれない。その場しのぎで向きの変わる、目的を持たない風である。
決して達成できないこと、達成できたとしても自分をどこへも連れていってくれないこと。そんなことに向かって努力を積み重ねている生が絶望(=死に至る病)である。キルケゴールは、この絶望は自覚の有無によらずそこにあるもので、自覚した人は一面では不幸だが、そこから立ち上がるなら、自覚さえしない人よりも幸福である、と言う。信仰の始まりは、自分こそ何よりもどうしようもない者であると知ることであり、その好機によって、阿弥陀仏による救済ははじまっている、という嘆異抄の不思議な一節に重なる。
文化も時代も越え、古くから蓄積されてきた人の心、人生についての普遍的な知恵の存在を感じずにはいられない。根っこの部分ではとてもよく似ている。
思考は、あるべき自己像を作り出す。考えられる限り自由に、都合の悪いことからは目を伏せて。
まず、本当の自分を見つめること。そして世界を見つめること。この2つは一つのことである。世界から自分が知れ、自分から世界が作られる。その中間に立てられた自己像は、この今ここにいる自分と世界(キリスト者である著者は神と呼ぶ)、最小と最大の「自分」の中に溶かしてしまう。
その中で、自分というのは自己像のようになんでもありの自由なものではなく、ある不可能と可能を、必然と可能性を等しく与えられ、ある形を持った働きとしてこの世にあるはずである。この「必然」こそが重要で、これが自分に与えられた「場所」なのだという。この、世界と自分との関係によって定められ与えられた場所を無視して、抽象的に自分像というものを描くことが絶望なのだ。本当の自分というものに近づいたなら、それは自ら欲したり意思するのと同じくらい、何か大きな世界によって定められ、導かれていると感じるものであるらしい。そしてそれは、ひとつの限定、規定であるにもかかわらず、忌々しい拘束であるよりもむしろ、安心して身を委ねられる大きな流れとして感じられるようで、これがどうやらかつて「神」「信仰」の意味していた深いものである。
鈴木大拙いわく、東洋的にいう「自由」とは「自ら」に「由る」こと、自らが備え持った形に従った働きが十全に出ることで、制約からの解放や、なんでもありのことではないそうだ。この東洋的自由にとても近い呼吸がここにある。
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斎藤信治先生が一番よく取り上げておられた本だと思う。病気になった友人にこの本をお見舞いにあげたのは、上梓されたばかりの頃だったからだろうが、「死に至る病」は決して死ぬことはないのだから縁起がいいのだ、と強弁したという話は何度聞いても笑えたものである。
しかし、この本の本質をよく表しているし深いのではないか。その後「死に至る病」を斎藤流に解釈した話は聞かない。みんな浅いなあ。
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訳が固いので読みづらい。
ところどころに「弁証法」と訳されているけれども、キェルケゴール訳者で有名な桝田氏の解説をお借りすれば、キェルケゴールはヘーゲルへの対抗意識があるせいで、dialecticという語を意図的に多用し、この語の持つ意味に揺さぶりを掛けている場合がある。なので、正確に「弁証法」と訳さない方が、日本語として意味を通しやすい場合があるようです。
この本は彼の神学だと思っていますが、それよりも個人的には心理描写や例えの方に目が向いてしまいます。
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高校時代に購入、「1ページで1行分かればたいしたもんだ」と社会科教師に言われて、悔しがった思い出の本。絶望したから読むんだよ、さすがに2行くらいは分かるよ!…と思いつつ、読了できず。やっぱり先生の言うように、キリスト教がわからなければ読めないのかしら、とそのままにしてしまっていたのを、現代仮名遣いで再購入。しかし、割と平和な日常のためか、現在積読中。
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二十歳の時に出会い、最近ようやく読破しました。
何年かかっとんねんっていう。
想像以上に難解でした。
ただ完読できたときは嬉しいというか・・正直つかれました。
自分のなかで難しく考えてしまうのか、と思ったんですけど高校生の頃に読んだものとまた訳が少し変わっていました。
まぁ違う人なんで当然なんですけど。
結構有名な翻訳家らしいのですがあまり好きじゃなかったです。
内容的には皆さん触れてるとおり「絶望」だと思います。
宗教色が強いように感じます。
人は絶望する、しかもそれを認識すればするほど救えないとか。
そして絶望は罪、神を信仰とかもうね。って感じです。
哲学や宗教に興味がない人に説明するとしたら↑と精一杯(少し事実と湾曲してますが)です。
私はキェルケゴールの作品では不安の概念の方が好きです。
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絶望とは、死に至る病である。ここでいう「絶望」とは、神の存在を確信していない自己を認めている状態のことである。キリスト教圏内ではない読者には違和感があるだろうから、自己疎外状態と置き換えて読むといいかもしれない。
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大学1年の6月頃に読んでた気がする。
色々と付き合いや家庭の事が原因で4年間ほど湧いてた鬱な感じを、CLASHの「London Calling」のジャケットのギターのようにぶち壊してくれた。
バカみたいだったよ、長い間抱いてた思いが数時間で壊されちゃったんだもん。
今思い返すと、この本がきっかけで実存主義哲学に興味が湧いたんだったな。
題名にたじろぐ人も居るかもしれないけれど、人の血が通ったとっても温かい本でした。
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難しかった。正直わからないことだらけ。でも、なんとなく好きだと思ったのは、彼の例外者の意識に共感してたからなんだろうな、と思った。キリスト者じゃないからそのまま当てはめるわけにもいかないのだけれど、絶望してたって大丈夫なんだと思う。信仰とは複雑なものですね。
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とにかく難解だった。
有限性と無限性、可能性と必然性をもとに絶望を定義しありするアプローチは面白いと感じたし、論理的に説明されていて読み込めば分からないことはなかった。
ただ、言葉遊びみたいに持論を述べたりするのでとにかく厄介。
最初に読んだときは絶望を禁じ得なかった。
あくまでキリスト教が基盤になっているから、その辺の知識とか歴史的背景をもって知っていれば理解しやすかったかも。
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いかに生きるか。絶対的な可能性という永遠者を見つめ、それに対する内なる永遠者(つまり自己)の声を聞き、その声に従って生きよ。それこそが神に近づく信仰者の道であり、真の生き方である。
絶望について書いたものでありながら、そこを端緒に人間とは何か?自己とは何か?生きる意味とは?といった疑問に答える道筋を丹念に示している。
信仰者キェルケゴールの著した全人類必読の啓蒙書。