紙の本
ドストエフスキー文学のはかり知れぬ恐ろしさ
2005/06/25 19:35
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
スタヴローギンの「告白」(『悪霊』)という「いくつもの真実を同時に隠しもつ、永遠に解くことのできない、開かれたテクスト」に仕掛けられた、あるいは隠蔽されたさまざまな謎──「告白」の文体はなぜ「壊れている」のか、母親に鞭打たれながらマトリョーシャが「奇妙な声をあげて」泣いていたのはどうしてか、ドスエフスキーはなぜルソーに言及したのか、スタヴローギンがゲッテインゲンでまる一年聴講したのは誰の講義だったのか、また世界遍歴の最後に立ち寄ったアイスランドで何を見たのか、マトリョーシャ=スタヴローギンはなぜ縊死したのか、等々──をくねくねと迂回しながら解明しつつ、「ドストエフスキー文学のはかり知れぬ恐ろしさ」すなわち「意識という恐ろしさ、内なるポリフォニー(多声性)の地獄」に迫る。そしてスタヴローギン的な狂気=ニヒリズム、つまり世界をたんに見る対象として突き放す「神のまなざし」の傲慢さへと解きいたる。「九月十一日、神は死んで、人々が神になった」。
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中高生向けの本だ、と書店員さんに言われて、だったら『悪霊』をちゃんと読んだことがなくてもわかるように書かれているんだな、と思って読んだのがまちがいでした。
いや、最低『悪霊』は読んどこうよ・・・・。自分の姿勢にも問題大有りです。
あわてて『悪霊』を読みながら本書を読みましたが、論者の理論もちょっと強引かな・・・と思いました。
読んだ、という記録でここにあげておきます。
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[ 内容 ]
ドストエフスキーの全作品でもっとも危険とされる「スタヴローギンの告白」(小説『悪霊』より)。
作家の全人格が凝集されているこのテクストには、人間の“堕落”をめぐる根源的ともいえるイメージが息づいています。
文学のリアリティとは、人間の可能性とは?
一人の男がさまよいこんだ精神の闇をともに探究してみましょう。
[ 目次 ]
テクスト―「告白」(ドストエフスキー『悪霊』より)
第1回 なぜ『悪霊』なのか(『罪と罰』―憑依の体験;動機―なぜ『悪霊』なのか;『悪霊』とはどんな小説か ほか)
第2回 「神」のまなざし(「告白」とポリフォニー;壊れた文体;告白の意味 ほか)
第3回 少女はなぜ死んだのか?(「完全」と「欠損」、神への近さ;「奇跡」を求めて―スタヴローギンの世界遍歴;二重写し―黄金時代とマトリョーシャ ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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僕は『悪霊』の中で最初に読んだのがここで取り上げられている『スタヴローギンの告白』の章です。そのあまりに反社会的内容のために雑誌の掲載を拒否され、国家からも睨まれるという理由が本当によくわかりました。
僕が現在読んでいるドストエフスキーの『悪霊』。その中でもハイライトでもあり、内容が『一人の少女を陵辱した上に自殺に追いやる』という反社会的なことこの上ないために当時連載していた雑誌の編集長から掲載の拒否を宣告されたことを始め、数々の『毀誉褒貶』やその他もろもろの要素に晒され、なんと百年近くも『お蔵入り』の憂き目に遭ったとされる、いわく付きのテキスト、大学時代からドストエフスキーに耽溺し、数々の新訳でその作品を現在によみがえらせた亀山郁夫氏による解説で紹介する、というのが本書の基本的な内容です。
それにしても…。本書は三部構成になっていて、なぜ『悪霊』なのか、ということに始まり、主人公のスタヴローギンが「神のまなざし」に自らを持っていこうとすることで、自らが『神』に成り代わろうとするかということが解説されます。そして最後の『少女はなぜ死んだのか?』ではスタヴローギンに陵辱されたあと、マトリョーシャが熱にうなされながら、『私は神を殺してしまった』とうわごとのようにつぶやき続け、小屋の中で縊死という形で自らその幼い命を絶つまでのプロセスが記されており、詳細に関しては実際にお読みいただきたい所ですが、『14歳』という年齢がいかに『危険』な年齢であるということと、あいまいにぼかしたような表現の中にこれほどの『倒錯性』を盛り込んだドストエフスキーの手腕に恐ろしさすら感じてしまいました。
スタヴローギンの『告白』は『福音書』に体裁をなぞらえ、舌足らずなロシア語で書かれているという(あくまで亀山氏の解説からですが)文体から、それとはかけ離れた『黙示録』的な内容で、スタヴローギンという人間の中にあらゆる『悪』というものを詰め込みに詰め込み、神になろうとした男が最後に自らに課した運命がこのマトリョーシャと同じものであるということがなんとも皮肉というのかなんというのか…。彼は最期を遂げるときに絹紐に石鹸をべっとりと縫っていた、という記述があって、それが気になって仕方がないのですが、このディテールの意味をご存知の方はぜひとも、僕にお教えください。
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「悪霊」に絞って、スタヴローギンの「告白」全文の紹介から始まります。「スタヴローギンによる」という表現そのものが「福音書」を捩ったものであるという恐ろしい意味づけそしてスタヴローギンという言葉そのものの反キリスト象徴などが興味深いです。著者が5大小説の中でもなぜ「悪霊」なのかを説明しているのですが、考えうる限り最も醜い人物としてのスタヴローギンということは若い日にはピンと来ませんでした。昔はキリーロフそしてピョートルの方が印象に残っているだけに、これも自分自身の世代によるのかも知れません。
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『悪霊』神になりたかった男 (理想の教室)。亀山郁夫先生の著書。世の中の全ての人間が抱える心の闇、精神の闇の存在について真剣に考えさせれらる一冊。『悪霊』神になりたかった男というタイトルそのものの内容。