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金曜日には本屋に寄るのが楽しみだ。
アマゾンでもずいぶん買うのだが、
本屋の空間が提供してくれる身体性、偶発性は
かけがえのないものだ。
山本義隆『福島の原発事故をめぐって
ーいくつか学び考えたこと』(2011)を読む。
山本の名前は『磁力と重力の発見』(全三巻)(2003)の著者として
僕の記憶にあった。
山本は事実や引用に基づき
丁寧に冷静に自分がなぜ原発に反対するか説いてゆく。
「16世紀文化革命」から始まる「3. 科学技術幻想とその破綻」は
人間の思考・営みを科学史の視点で俯瞰にとらえた著者の真骨頂。
歴史的事実の連続から現代の官民学一体の
反駁を許さぬ「原発ファシズム」の全貌までを明らかにしていく。
その筆致にはムダがなく、感情におぼれず説得力がある。
(デジタルノートが以前紹介した
平井憲夫『原発がどんなものか知ってほしい』(1996)からも
引用している。平井の原文を参照してほしい)。
福島原発事故から9ヶ月が過ぎ「終了宣言」のようなものが
政府から公式に出されたがその実態は疑わしい。
放射能汚染は数万年の単位で続くことが
科学的に証明されているからだ。
著者は現在学校法人駿台予備学校勤務。
こうした気骨ある在野の知性と対話し続けることで
僕も原子力問題について倦まず弛まず考え続けることができる。
雑誌『みすず』の福島原発に関する原稿依頼が
著者も予測しえなかった単行本の出版となった。
みすず書房の良質な仕事に感謝する。
(文中敬称略)
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3月11日の大震災、その後の福島の原発事故が発生し、いまだ自分の
中でもやもやした感情が残っている。
この著者は、今回の原発事故は科学技術幻想の肥大化が招いたものだ
と指摘する。科学技術とは、技術者が経験主義的に形成してきたもの
だが、原子力は純粋な科学理論のみに基づく点が異なり、それが人間
のキャパシティの許容範囲を超えた技術を生み出す結果になってしま
ったという。
脱原発社会に向けた説得的な批判を読み、腹落ちのする内容だったと
思う。
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誠実な思考。その積み重なり。
ひとことを導き出すために、多くの言葉が選ばれていることがわかる。
「特別にユニークなことが書かれているわけではありません」と著者がいうとおり、書かれていることは、すでによく知られていること。
それだけに、著者の論の進め方は、説得力がある。
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2011年3月11日の福島第一原発の炉心溶融・水素爆発事故を受けて、どうして日本で原子力発電が推進されてきたのか、その歴史的な経緯を振り返りつつ、原子力事故が隠される背景に探りを入れている。ページ数から分かる様に、それほど深い考察をしている訳ではないが、著者の専門分野との関わりを示しつつ、著者の考えを明らかにしている。
本書は三章構成となっており、第一章では日本の原子力政策に岸信介元首相が果たした役割を強調しつつ、兵器転用の含みを残すための民生利用だったことを明らかにしている。
第二章では、そもそも、原子核物理学から原子力工学へ至るためには、電気科学理論から電気工学へ至るのに比べ、比較にならないほどの経験蓄積が必要であり、未だ原子力を必要十分にコントロールできる科学技術はないという著者の考えを明らかにしている。
第三章では、科学技術に対する幻想と、政治的思惑の野合が、現在の状況を作り出し、それを掣肘することすら許さないもたれ合いが原子力村にはあることを糾弾している。
ではこれらの経緯を受け、これからどうすれば良いのか、そういうことを考えていく必要があるだろう。
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元・東大闘争全共闘会議代表の山本義隆氏の著書ということもあって、骨太の反原発論を期待して購入したが、激しく後悔する結果となった。
その内容も視点も、従前から擦り切れたテープのごとく散々繰り返されてきたサヨクの言説の範囲を超えるものでない。その一言に尽きる。
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山本 義隆氏の真骨頂だ。
いい反原発の論だと思います。
賛成派の本もぜひ出してください。
きちんとした議論が大切です。
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原子力と核兵器の関係、とくに核燃料サイクル政策の不自然さへの指摘は、広く共有されるべきだと思う。それにしても、財政赤字の子孫への負担を憂う人々が、万年単位の放射性廃棄物という負の遺産に鈍感な現実は理解に苦しむものがあります。
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山本義隆といってすぐ反応できるのは団塊の世代である。そう、かれはもと東大全共闘の委員長だった。多くの闘士がその後、体制の中に入っていった中で、山本さんは河合塾の講師をしながら研究を続け、つい数年前にも『磁力と重力の発見』1-3という本を書いて、いくつもの賞をもらっている。さすがにこの本を買う勇気がなかったし、本書も買って積ん読だけで、なかなか読むところまで行っていなかったが、このほどようやく読了することができた。一読して、じわっと心に残る本である。本書の構成は三つの部分からなり、まず原子力平和利用の虚妄性が暴かれ、原発の未熟性が問題にされる。そのあとは科学技術幻想の破綻で、要するに原子力は「人間に許された限界を超えている」ということばに集約できる。自然を征服するとか、技術でなんでも征服できるというのは人間の虚妄であり、傲慢さなのである。
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福島の原発の災害をどうして招くことになったのか、その淵源を原子力爆弾の開発、さらには産業革命以前にまでさかのぼるなどさすがの一言につきる。ただここで書かれていることに賛成もするのだが、原子力推進派にはなかなか届かない言説になっている。
これは山本氏に限らず反原発、脱検発の言い分が原発推進者にとどかないのと同じなのである。
だからと言ってこの本の価値が減じることはない。この本の言い分が届かないという現状から出発しないと何もかわらないことが本当に日本人が考えるべきことなのである。
産業界が力をもちすぎたことが 一つの悪夢の始まりだが、産業界に距離をおくひとに産業界の歯車をとめる力は生まれない。
省エネを叫んでも、エネルギー消費社会の舞台からそでに身をひくだけで
舞台ではあいかわらず乱痴気騒ぎ。
そして客席からいかにやじっても舞台は舞台ですすむ。
論理的か、実証的な、説得的かも関係がない。
放射性廃棄物の廃棄場所も、原発作業者の疾病も、福島の人の移住も関心のない人にはぜひ読んでほしい。
難しいことを優しく書いているので 読みとばし危険です。
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(2012.04.26読了)(2012.04.21借入)
【東日本大震災関連・その77】
日本の原子力発電は、何のために始められたのか?
原子力発電は完成された安全な技術なのか?他の技術とどう違うのか?
科学技術の歴史、等が述べられています。
日本の原子力発電は、政治主導で始められ、世界に対して日本はいつでも原子爆弾の製造ができるということを誇示するために維持継続されているということです。
日本が外交上、原子爆弾を所持するか、いつでも所持する潜在能力を持っていることが、発言力を保持するために必要だということです。平和憲法は何の役にも立たないということです。
技術が完成されたものとなるためには、稼働時に発生した有害物質等を無害化することができるようになるか、または、有害物質を隔離保存することができるようになる必要がある。しかし、原子力発電は、まだそのようなことができていないので、未熟ということになります。技術が完成する見込みがあるのかといえば、今のところなさそうです。
再処理して、永遠に使い続けようという計画もあるのですが、今のところその見通しも立っていません。
仮説とそれを確認するための実験を行うというやり方を見つけることによって、科学と技術が結びつき、科学技術による今日の社会が創られてきました。
何人かの、天才たちによって押し進められてきた科学技術も、いまでは、一人や数人の力では、どうにもならないものが増えてきています。巨大科学技術のはじまりが、原子爆弾の製造でした。いろんな分野の人たちを参加させて、一つのものを作り上げるために全体を統括する人が必要です。
100頁ほどの本ですので、原発について学ぶにはいい本だと思います。
【目次】
はじめに
一 日本における原発開発の深層底流
一・一 原子力平和利用の虚妄
一・二 学者サイドの反応
一・三 その後のこと
二 技術と労働の面から見て
二・一 原子力発電の未熟について
二・二 原子力発電の隘路
二・三 原発稼働の実態
二・四 原発の事故について
二・五 基本的な問題
三 科学技術幻想とその破綻
三・一 一六世紀文化革命
三・二 科学技術の出現
三・三 科学技術幻想の肥大化とその行く末
三・四 国家主導科学の誕生
三・五 原発ファシズム
註
あとがき
●核武装(7頁)
1954年に日本で初めて原子力予算を提出し、翌年に原子力基本法を成立させた中曽根康弘をはじめとする国家主義的な政治家たちは、産業政策の観点からでは原子力を将来的なエネルギー政策の一環として位置付けていたかもしれないにせよ、それ以上に、パワー・ポリティックスの観点から核をめぐる戦後国際政治の状況を敏感に感じ取っていたであろう。彼らを捉えていたのは、さしあたり核の技術を産業規模で習得し、核武装という将来的選択肢も可能にしておくという大国化の夢であった。
●核開発は明るい未来を約束する(14頁)
マンハッタン計画の公式報告書であるスマイス著『原子爆弾の完成』が日本で翻訳され��とき、岩波書店から出版されたその書の帯には「スマイス報告の完訳! 原子力開発という人類の偉業は、いかにして発芽し いかにして育成され いかにして完成されたか?……これこそ科学技術の成果を後世に伝える不滅の記録である」と書かれている。
●原子力への期待(15頁)
ウラニウム・パイル(炉)の莫大な熱を利用する原子力発電所は、近いうちに実現されるかもしれません。これについては、技術上いくらかの困難が予想されますが、本質的な困難はないように思われます。船舶、汽車、航空機などの動力として利用される日もそう遠くはないでしょう。ただし、有害な中性子その他の放射線をどう防止するかが、将来に残された問題です。(1954年)
●プルトニウムの蓄積とロケット技術(20頁)
1992年11月29日、「朝日新聞」朝刊
「日本の外交力の裏付けとして、核武装選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。(核兵器の)保有能力は持つが、当面、政策として持たないという形でいく。そのためにもプルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケット技術は開発しておかなければならない」という外務省の談話が記されている。
●技術の完成(31頁)
有害物質を完全に回収し無害化しうる技術が伴って初めて、その技術は完成されたことになる。
●人形峠のウラン鉱滓(40頁)
住民は動燃に残土撤去を要求したが、動燃は誠実に対応せず、2000年になって住民側がやむなく裁判に訴えた。一審・二審で住民が勝訴し2004年に最高裁で住民勝利の判決が確定した後、日本原子力開発機構と名前を変えた動燃は、特に放射線量が高い残土290立方メートルを、なんと米国ユタ州の先住民居留地に搬出したと報道されている。
●ガリレオの実験(64頁)
自然認識における近代への転換を象徴しているのが、滑らかな斜面にそって物体を滑らせ、水時計でその時間を測定することで、真空中での物体の落下距離は落下時間の二乗に従って増加するという法則を立証したガリレオの実験であった。
●マンハッタン計画(79頁)
マンハッタン計画はその膨大で至難の過程の全体―以前なら個々の学者や技術者や発明家や私企業がそれぞればらばらに無計画におこなった過程の全体―を、一貫した指導のもとに目的意識的に遂行した初めての試みであった。
●原子力は人間に許された限界を超えている(89頁)
第一にそのエネルギーは、ひとたび暴走をはじめたならば人間によるコントロールを回復させることがほとんど絶望的なまでに大きいことが挙げられる。
第二に、原子力発電は建設から稼働のすべてにわたって、肥大化した官僚機構と複数の巨大企業からなる怪物的大プロジェクトであり、その中で個々の技術者や科学者は主体性を喪失してゆかざるを得なくなる。プロジェクト自体が人間を飲み込んで行く。
☆山本義隆の本(既読)
「磁力と重力の発見1 古代・中世」山本義隆著、みすず書房、2003.05.22
「磁力と重力の発見2 ルネサンス」山本義隆著、みすず書房、2003.05.22
「磁力と重力の発見3 近代の始まり」山本義隆著、みすず書房、2003.05.22
☆関連図書(既読)
「食卓にあがった死の灰」高木仁三郎・渡辺美紀子著、講談社現代新書、1990.02.20
「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年���」菅谷昭著、ポプラ社、2001.05.
「原発と日本の未来」吉岡斉著、岩波ブックレット、2011.02.08
「緊急解説!福島第一原発事故と放射線」水野倫之・山崎淑行・藤原淳登著、NHK出版新書、2011.06.10
「津波と原発」佐野眞一著、講談社、2011.06.18
「前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録-」麻生幾著、新潮社、2011.08.10
「災害論-安全性工学への疑問-」加藤尚武著、世界思想社、2011.11.10
「南相馬10日間の救命医療」太田圭祐著、時事通信出版局、2011.12.01
「市民の力で東北復興」ボランティア山形、ほんの木、2012.01.15
「官邸から見た原発事故の真実」田坂広志著、光文社新書、2012.01.20
「見捨てられた命を救え!」星広志著、社会批評社、2012.02.05
「ふたたびの春に」和合亮一著、祥伝社、2012.03.10
「飯舘村は負けない」千葉悦子・松野光伸著、岩波新書、2012.03.22
「これから100年放射能と付き合うために」菅谷昭著、亜紀書房、2012.03.30
(2012年4月27日・記)
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さすがに、学究の分野に進めばノーベル賞級の研究者といわれるだけあり、客観的で、説得力のある著述だ。
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原発停止による電力不足が日本経済に与える影響があることは分かっていても、原子力発電に関しては再考すべきだと思います。どんなに安全だと言われても、無害化まで数万年かかる放射性廃棄物の処理すら人間にはできていないのです。
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山本義隆氏の本を読みたかった。
探してみると、本書が見つかった。
薄い本である。しかも原発に関する書である。
今まで私なりに原発や核兵器に関して、本を読んできた。
氏の原発に対する考え方を知りたかった。浪人生時代を思い出し、あらためて生徒になった。
先生の言葉を聴き逃すまいと、一文一文ゆっくり読んだ。原発は外交カードであったことを知り、目から鱗が落ちた。先生の知識量に圧倒された。また、先生の正義感と誠実さと優しさも感じられて嬉しかった。
先生は20年前と少しも変わっていなかった。
柔らかい表情の奥に光る野武士のような目の輝きを思い出した。
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ボリュームはあまりないし、内容も悪くはないのだけれど、ちょっと退屈だったかなぁ。期待が大きすぎたかも。
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山本義隆 「福島の原発事故をめぐって」 将来に負の遺産を残さないために脱原発を行うべしの論調。
著者の主張「原発周辺の住民に対して、原発という未完成技術の発展のために捨石になれという権利は誰にもない」
著者の主張に同意するが、これまでの原子力政策を否定し、脱原発を実現すると、安全保障や外交面で問題(核について 日本の国際的発言力が低下して 核なき世界が遠のくこと)もありそう。
原子力問題は 経済産業だけでなく 外交、安保、環境、憲法解釈など、それぞれの意見を知りたい。メディア、選挙、国会で争点化してくれないだろうか。
これまでの原子力政策
*原子力技術は 産業利用のみでなく、軍事利用も選択肢
*どちらを利用するかは政策による
*核兵器を持つことができなくても、原子力技術を持つことで、潜在的に 核兵器を保有していることになり、核についての国際的な発言力を維持できる