0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作者の方は、物理を入試向けに指導しておられるのですね。なのに、その知識は最先端の物理学を極めておられ……。予備校生徒は、かなりの原発事故の知識を得ていると思いました。
本書を批判するに際して、目新しさが無い点を挙げても的外れである
2011/09/24 21:39
14人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の副題は「いくつか学び考えたこと」となっている。これが本作の鍵だ。
本書で著者が展開する議論での素材や情報一つ一つには目新しいものは多分無いと僕は思っている。著者自身が「特別にユニークなことが書かれているわけではない」とあとがきで断言しているが、おそらくその通りであろう。著者が認める通り、著者は原子力の専門家でもないからである。従い、本書を批判するに際して、目新しさが無い点を挙げても的外れである。
但し目新しくない素材を集めた上で「学び考えたこと」の展開を通じて、本作は非常にコンパクトながらも、ピリリとした、山椒のような著作になっている。特に、人間が自然との対峙スタンスをどのように変化させてきたのかを展開する部分は大変勉強になった。原発が立っている土台には、人間の自然観と技術観、つまりは人間の哲学が存在している点は、今回の事故を通じて見えてきたものの一つである。
今回の事故を通じて、「脱原発」「原発継続」「原発推進」等の議論が発生している。これからもこの議論は続くだろう。
ともすると経済成長とのバーターというような議論(若しくは恫喝)に矮小化されてしまう可能性もあるが、本当に今の段階で試されているのは人間の哲学であると僕は思っている。
「哲学というような青臭い議論をしている暇は無い」という異論もあろうが、長いスパンで考えた場合には、必ず哲学の問題になると僕は確信している。いかに今後技術が発展しても、人間が内部から崩壊していく可能性は常にあると考えているからだ。
その意味では今回の事故を通じて「学び考えたこと」をどのくらい積み上げることが出来るのか。その一例として、著者が提起している「科学技術幻想とその破綻」という切り口は、大いに傾聴に値すると僕は考える。
書き写したくなる傑作
2011/10/10 22:35
11人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アリョール - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初のページ、最初の行から引き込まれる。
ひと言で言えば、文章よし・視点よし・思考よしと三拍子そろった傑作だ。
簡にして要を得た文章は、さながら明治の文豪による小説を読む気分をもたらす。それでいて、ふいに聞き慣れた口語体が出現するところもおもしろい。たとえば1950年代の科学者が原子力に抱いた期待について述べるくだりで「物理学者福田信之の書には、なんともノー天気に書かれている」とあるような。
視点のよさは、日本の原発問題は米国による広島への原爆投下に始まる核兵器開発の流れに本質があるという指摘を、冒頭から提出している点にある。
そのため読み手は、何の抵抗もなく思考の流れに身を委ねられるわけで、著者のこうした姿勢が、すぐれた文章とともに「読みやすさ」を生んでいると気が付くのである。
何行でもいい、何ページでもいいが、どこかに書き写したくなるような中身をもつ一冊だ。
考えるきっかけに
2012/02/10 02:41
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ギンギラギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の山本義隆氏は物理学者、そして元・東大闘争全学共闘会議代表、今は駿台予備校にて物理を教えています。自分は全共闘世代ではないけれど、著者から駿台予備校にて物理を教わっていました。
元・東大闘争全学共闘会議代表であったということ、また自分が接してみて感じたことから、著者は、人に端的かつ論理的に物事を分からせる力は凄いと思います。それは、この本にもよく現れています。
前半は、原発問題がどういうところに起因するものなのか、様々な事実が要領よくまとめられ、分かりやすく書かれています。
後半は、歴史や文学に絡めたりしつつ(著者の物理学者としての顔からは少し意外だったのですが)、自分の脱原発という立場を表明しています。
今、原発問題は一般人であっても考えるべき問題であることは明らかです。
本書は、分量としては薄い。しかし、きちんと問題提起、それを踏まえた自分の取る立場が表明されており、私たちが考えるよいきっかけと材料を与えてくれると思います。
投稿元:
レビューを見る
日本での核開発原発の歴史から判りやすい言葉で書かれています。
アイゼンハワーの核の平和利用から日本の核武装を警戒しながら米国の核戦略に取り込んで原発を売り込んで行く。
原発ファシズムとして大資本と一体化した政府と大学や研究機関の原発ありきから始まる硬直化した姿勢、その中で事故は必然として起こりそれを解決する方策もなく場当たりで処理するしかない原子力共同体原発村。
張るか昔に聞いた山本義隆さんの党派等の学生とは違う平坦な言葉で訴えかけるアジ演説を思い出してきました。
投稿元:
レビューを見る
アルファブロガー池田信夫氏が「残念ながら読んではいけない本になってしまった、、、」と書かれていたので、政治的なことで山本先生もつい力が入って過激で刺激的な文になってしまったか、と思っていた。
が、池田氏が駄目出ししていた「正気で書いているのかどうか疑わしい。」という表現。苦笑を誘うような部分である。決して池田氏がいうように他者を罵倒したものではない。
読むべき本である。
ちなみに苦笑を誘う表現とは「処分場閉鎖後、数万年以上というこれまでにない・・・したがって、・・・各地方自治体や国民に広く理解、協力を得る必要があり・・・」という原発推進者の一文である。数万年・・・。苦笑せずにはいられないだろう。西堀栄三郎氏が技術者倫理を説いた「技士道十五ヶ条」の十四・「技術に携わる者は、技術の結果が未来社会や子々孫々にいかに影響を及ぼすか、公害、安全、資源などから洞察、予見する。」を捧げたい。1985年の言葉である。
投稿元:
レビューを見る
著者があとがきで断わっているとおり、とくに新しいことが書かれているわけではないのかもしれない。しかし、これまで「進歩」の名のもとで語られてきた自然支配へとシフトした科学技術の進展と、それに乗じた軍事技術の開発と一体で、かつ利潤のために不正と不公正を生まずにはおかない資本主義の発展との延長線上で、福島の「事故」が起こるべくして起きたことをこれほど明晰に見通させてくれる書物に出会ったのは、これが初めてである。著者が専門とする16世紀に、知と技術が自然の模倣から、自然の支配へと移行したこと、そしてその頃にはまだあった自然への畏敬がその後失われていったことから、科学主義的な幻想が生まれ、そして科学技術がとくに20世紀の大不況を契機として、国家に取り込まれ、その軍備拡張に寄与することになったことの延長線上に、現在の「原子力ムラ」の「原発ファシズム」とそれがでっち上げた「安全神話」があることが、簡潔ながらもしっかりとたどられている。また、原子爆弾をマンハッタン計画の延長線上に、「原子力の平和利用」があり、それはさらにニュー・ディールを背景としていることや、並行して日本では、戦前は岸信介が指導し、今日の経済産業省に連なっていく、国家資本主義による軍需産業の発展があったことも歴史的に描かれている。ちなみに、岸信介は戦後、核技術の導入に奔走し、その際核武装による「国力」の誇示をつねに夢見ていたとか。とくに日本の戦後に、「進歩」、「成長」、そして「復興」と語られてきたことが、何に由来し、何に行き着くものであったかはもはや明らかだろう。なお、科学史研究の立場から、現在の「原子力技術」が技術的にも欠陥だらけであることも、丁寧に綴られている。近代の歴史を踏まえて核を乗り越える見通しを開くうえで、貴重な足がかりとなる一冊と言えよう。
投稿元:
レビューを見る
間違いなく慧眼である。著者は、長い間政治に関わりそうな問題については頑固に沈黙を守ってきた。それだけに深く考え抜いた結論であると思う。
しかし、惜しむらくは、こうした本にするには、与えられた情報量があまりに少ないのでは無かろうか。原子力村だって一枚岩と推断できない様々な考え方があるに違いない。もう少し丁寧にそうした部分が拾えたらなあと無い物ねだりをしてみたくなる。
このタイミングでこのたぐいの本を出すとすれば仕方ないのかもしれないが。
投稿元:
レビューを見る
科学史に精通した著者によると、原爆製造から派生した原発技術は、核分裂という物理学理論から生み出された科学技術であり、それまでの経験主義的な技術先行で、理論が追いついてきた事例と異なっていると述べている。このような原発技術は未だ未完成であり、数万年にわたって管理が必要な放射性廃棄物の問題など、人間の感覚や想像を超える制御不可能なものと主張する。人間の能力を超えるものが存在するという認識は大事であると思った。裏表紙に記された一文には、日本の原子力ムラについての状況がシンプルに(一文としては長いが)的確に表されている。
投稿元:
レビューを見る
かっては日本物理学会を100年推し進める才能と期待され、現在は科学史著述家として活躍されている山本義隆さんの書下ろしです。
戦後、アメリカで提唱された「原子力の平和利用」を、当時の総理だった岸信介が、日本で国策として始めたのは、必ずしも将来の電気需要を見込んでの判断ではなく、核兵器保有国としての将来性を考えてのことでした。やがて、国策は、国是となり、政治家、官僚、学者、企業が一体となり原発プロジェクトが、推し進められました。
国是は、決して過ちを犯さないはずのものです。最先端の科学技術が集約されているはずの原発への、科学的な批判や検証が省みられることはありませんでした。多くの専門家の発言がそれを証言しています。
ルネサンス以降の自然を凌駕する人間の技術革新を良しとし、今後も進むのか。技術では制御できないものがあることを認め、謙虚に新たな道を模索するのか。私たちは選ばなければなりません。
投稿元:
レビューを見る
全共闘以来、発言を謹んできた山本先生。この福島の事故は、ポリシーを曲げても、メッセージを残したかったと思いました。
投稿元:
レビューを見る
大学1年のときに学科の学年縦断旅行で高速増殖炉もんじゅに見学に行ったことがある。言うまでもなくそこでは夢の技術としてそのすばらしさを強調されたわけなのだが(ただし、そこに辿りつくまでのバスの車中で、学科の教授によって高速増殖炉をとりまく世界の現状と、原子力政策が以下にうさんくさいかが散々語られた後で、である)、商業利用がコストやリスクにまるで見合わないのは明らかなので、なぜそこまで固執するのか全く理解できなかった。答えは、この本の最初の章にあった。というわけで引用その1。
http://booklog.jp/quote/129800
今年の広島の式典のときに、脱原水爆とともに脱原発も、という動きがあったけど、僕はそれに違和感を感じた。しかし、その動きを起こしていた人が意図していたのかどうかは分からないけれど、それは正しかったのだ。
たぶん、著者の主張は、もうこの章で尽きている。あとの2章は彼らしい詳細な分析で、この主張を裏付けようとするのだろう。そう期待しながら第1章まで読んだところ。
(2011.10.17)
僕は物理学科で原子核物理を専攻する大学4年生だけど、3.11以来顕在化した原子力をめぐる問題についてほとんど何もしてこなかった。多少考えることはしていても、何か発言する勇気はない。
そんな僕が、大学院入試が片づいたら読もうと決めていたのがこの本だった。最初はどのような内容なのか知らず、みすずの出版ダイジェストを見て驚いた。ずいぶん思いきったことを書いていると思った。でも、実際に読んでみると、ちゃんと納得できた。
この本などを読んでも、現在の原子力政策は非人道的なものであることは疑いないので、間違いなく改めるべきものと思う。その上で原子力を捨てるべきかどうかは、僕にはわからない。とはいえ、少なくとも現時点では、原発を動かしていること自体が間違っていると言えるのですべて止めたほうがいいと思うし、そうなると再開するのは現実的ではないかもしれない。
それにしても、なんだか原発関連以外でもブルーにさせられる本だった。第3章とかは必要なのかなという感じはしないでもないが勉強にはなった。
(2011.10.20)
関連リンク
山本義隆
http://booklog.jp/users/pn11/All?display=front&tag=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%BE%A9%E9%9A%86
投稿元:
レビューを見る
略歴には載ってないが,著者は東大全共闘の元議長。当然原発を批判する。まず原発導入の経緯を概観。岸信介をはじめとする戦後日本の支配層が,潜在的核兵器保有国となり国際的発言力を高めるという倒錯した論理で推進したと総括し,糾弾。
著者は物理学をやっていて,科学史に関する著書もある。近代社会の最大の発明は科学技術,というのが持論らしく,その科学技術は核エネルギーの解放をもって破綻へ突き進んでいると論じる。科学技術とは,単に科学と技術ではなくて,科学理論という客観的法則の生産実践への意識的適用としての技術。
技術は当初理論に先駆けて発達してきたが,原子力に至って完全に逆転。原爆は百パーセント学者の頭脳のみから導き出され,原発はその副産物として得られた。ここにはじめて科学理論に領導された純粋な科学技術が生まれたことになる。
しかしその科学技術の成立には巨大な権力が必要不可欠だった。人間に許された限界を超えた暴走が,怪物的権力によって引き起こされてしまった。福島の惨状も,政官財一体となった権力が何の掣肘も受けずに突っ走った結果。そして本書は次の一文で結ばれる。
「こうなった以上は、世界中がフクシマの教訓を共有すべく、事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、そのうえで、率先して脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう。」
権力というものがなくなると,確かに原発なんかの大規模な科学技術は不可能になるんだろうが…。
投稿元:
レビューを見る
原発がなぜここまで推進されてきたのか。不安視する声が聞こえてこなかったのか。そんなことが分かる内容です。結果として誰にも止められなくなってしまっていると感じます。
投稿元:
レビューを見る
福島出張のお供にチョイスしました。
「福島の」とついてはいるものの、中身は日本の潜在的抑止力としての「核」としての原子力への取り組みからはじまり、誰も制御できないものになっていった過程、そして日本がアジアに、そして世界にどのような態度を示していくべきなのかということを訴えています。
福島にいる人々は明らかに被害者であったものの、この国は、世界的に見れば加害者なのです。なんともやり場のない…