紙の本
「力」が欲しいか!?
2013/07/07 21:27
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投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
「むりょく」ではなく、「むりき」と読む。
仏教用語で「他力」(たりき)と、それに対する「自力」(じりき)という言葉がある。
「自己に備わった能力を使うことを”自力”、仏・菩薩などの働きを”他力”という」(ウィキペディアより)
しばらく前から、いろいろな言葉に「力」が付けられていた。
「コメント力」「社長力」に「日本力」、挙句に「税金力」
それをネタにブログ記事を書いたこともある。
http://randokukanso.blog79.fc2.com/blog-entry-51.html
個人的には「力」そのものに「力」が付く日を夢見ていた。
が、何にでも「力」を付けようとするのは、(不安なので)強い軸となる「力」が欲しいからではないか、
力強い(というか、威勢だけはいい)言葉が喝采を博するのは、裏を返せば、不安や自信のなさの現れだ、と著者は言う。
そろそろ、「力」(「自力」もしくは「他力」)とは決別すべきでは?
「自力」「他力」に対する概念として、著者が提唱したのが「無力」(むりき)という言葉。
この「無力」という考え方は、冒頭では
「自力でもなく、他力でもなく、その先にある世界」
と言っている。
が、その後を読むと、「自力」と「他力」の一方だけに偏るのではなく、状況によって、どちらかの「力」の間を行ったり来たりすることを指している。
「無力」とは「自力」と「他力」を包み込むものである。
ただ正直、あまりパッとしない印象も受ける。
近頃、(一時期ほどではないにしても)「ブレないこと」がもてはやされるが、それが本当にいい事だろうか?と以前から疑問を持っていた。
「ブレないこと」=「融通が利かない」では?
「ブレないこと」にこだわるあまり、当初、想定していなかった問題が判明し、反対意見が出ても、「もう決定した事だから」と耳を貸さずに、物事を進める事になるのでは?
もちろん、言う事がコロコロ変わるのも迷惑至極なのは分かる。
要は、どちらか一方に偏るのではなく、バランスの問題なのだ。
「無力」も、それと同じ。
「ブレないこと」を誇り、難しそうな問題に対しても、一言で、バシッと言い切ってしまうより、一見、パッとしなくても、悩んでフラフラする事を受け容れる。
曖昧である事を受け容れるのも大切ではないだろうか。
もちろん、バランスが重要ではあるが・・・。
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実に五木さんらしい著書。
白か黒か、はっきりさせるのではなく、そのあわいを揺れ動く。
それこそが世の中の真実ではないか。
有力ではなく、無力でもなく、無力(むりき)。
読んでる間にちょっとくどい気もしたけど、そんな本でした。
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○680円
●独特の世界観。
●言葉の表現力がおもしろい。
●参考になる考え方が多いが、何か違和感を感じる部分も多い。
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「明日のことはわからない」ということをわかっている人は、「明日のことなどわかっている」というひより、5割ぐらいはマシ
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「むりき」
ついに「力」と決別する時がきた。自力か他力か、人間か自然か、心か体か、生か死か―あらゆる価値観が揺らぎ、下降してゆくこの国で、私たちはどういう姿勢でこれからを生きていけばいいのか。いいね、これ。
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無力をむりきとよませるのは著者の工夫。「~力」がつく新書が多い中でいっそ流れに身を任せようという提案。力むなということだろう。著者の行き着く先だと納得。
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この本のタイトルですが、「むりょく」ではなく「むりき」と読みます。80歳になった五木寛之さんの本ですが、先行きのはっきり見えなくなった現在においては、必要な考えと思いました。
「むりき」とは、物事に白黒をつけるのではなく、どちらにもつかず不安定さを肯定する事を意味しています。要は物事にはグレーゾーンがある事を理解し状況に応じてどちらの側にもつけれるような物の見方をする事が必要だとの考えです。
考えのブレナイ人は尊敬されがちな世の中ではありますが、ひとつの価値観で物事を正常だ異常だと仕分けする方が間違いであり、人間はむしろブレがあるのが当り前であり、時代の流れと共にブレル事こそ「生きる」事ではないかと述べられています。
日本は少子高齢化や経済成長の行き詰まり等、登山で言えば下山の時期に来ている。下山の時期にはひたすら上を目指した頃には気付かないものも見えてくる。そして登山とは下界まで無事降りて初めて成功と言える分けで、下山の時期にどう生きるかもこれからの日本人には問われているとも書かれています。
GDPが最盛期の1/10になろうとも、株価がかつての半分になろうとも幸せな生き方が出来る事を追求するには五木流の「MURIKI」の考え方は学ぶ価値のある価値感でないかと思えます。
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この本のタイトルですが、「むりょく」ではなく「むりき」と読みます。80歳になった五木寛之さんの本ですが、先行きのはっきり見えなくなった現在においては、必要な考えと思いました。
「むりき」とは、物事に白黒をつけるのではなく、どちらにもつかず不安定さを肯定する事を意味しています。要は物事にはグレーゾーンがある事を理解し状況に応じてどちらの側にもつけれるような物の見方をする事が必要だとの考えです。
考えのブレナイ人は尊敬されがちな世の中ではありますが、ひとつの価値観で物事を正常だ異常だと仕分けする方が間違いであり、人間はむしろブレがあるのが当り前であり、時代の流れと共にブレル事こそ「生きる」事ではないかと述べられています。
日本は少子高齢化や経済成長の行き詰まり等、登山で言えば下山の時期に来ている。下山の時期にはひたすら上を目指した頃には気付かないものも見えてくる。そして登山とは下界まで無事降りて初めて成功と言える分けで、下山の時期にどう生きるかもこれからの日本人には問われているとも書かれています。
GDPが最盛期の1/10になろうとも、株価がかつての半分になろうとも幸せな生き方が出来る事を追求するには五木流の「MURIKI」の考え方は学ぶ価値のある価値感でないかと中田には思えます。
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著者は、浄土真宗の他力の思想に深く共感しながらも、しかし同時に自力をも否定しない。それどころか、どちらか一方を採用する二分法的な考え方自体を改めなければならないとする。そして花田清輝の「楕円の思想」(真円の中心点は1つであるのに対し、楕円は2つの中心点を持つ)を引き合いに出して、自力と他力という2つの力点間を自在に往復し、どちらにも偏らない(力まない)生き方=「無力(むりき)」を提案する。
「本来、人間は時に右へ、時に左へと揺れ動いていくものなのに、その認識を欠いたまま、どちらに落ち着きたがっているような気がしてなりません」(p.65)
少なくとも現代社会において、このようなどちらにも落ち着かない、いわば不安定な生き方を自発的に選択することにも、ある種の「強い力」を必要とするような気がしないでもないが、この問題意識は共有できる。
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考え方はまぁ現代社会に大事なものなんだろうけど、やっぱり私はぶれない生き方をしたいし、あんなふうに肩の力抜けないなぁと、まぁ若者が読んでどうこういう本でもないかもしれないけど。仏教の考え方に触れることができたのは貴重な体験だった。
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下降、下山してゆく時代であるこの現代で
うまく生きてゆくための、
二元論、2つの間、二分法の選択に囚われない偏らない、自力でも他力でもない
「無力」という言葉から等の著者の考え方。
とらわれない、融通がきく、柔軟な心。考え方など。
本書では語られていないが、老荘思想に近いモノではと感じた。
第七章の楕円の思想(の紹介)が個人的に非常に新鮮であった。
第八章末の、
「絆が叫ばれながらも、実は絆から外れるような時代に入っている。
そのことを、あらためて覚悟すべき時代が目前にせまっているのです。」
という部分の鋭い指摘に非常に同意。
簡素な文の本だが、逆に読み終えた後の無意識的影響が強く残り、
結果的に心の偏りが矯正された感じ。
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純粋他力が阿弥陀仏に帰依するという反自然的な行為の中で生まれてくるとするなら、自然法爾とは、すでに自力にも他力にもとらわれていない境地。これが無力(MURIKI)との事。宗教的説明としてはこれがイチバンしっくりくるというか、結局はここに到達するのかな?という気はする。
開祖の死んだ年齢から、キリスト教(30代、青春)、イスラム教(60代、中年~壮年)、仏教(80代、老年)と分類するのは興味深い。
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五木寛之による、他力でも自力でもない無力(むりき)を説いた一冊。
実際、自力でできることは限られるし、運などの他力に左右されることも多いので、非常に参考になった。
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私は新書に関しては、読み終わるたびに真面目に書評を書くようにしているが、これは何と書けばよいか。
何というか、おじいちゃんのいい話を聞き終わったような、読了後の今の気分です。
しかし、おじいちゃんのいい話を聞く機会が、現代人にはないのである。
実際、祖父はもう鬼籍に入り、いい話を聞いたのもハナタレだったガキの頃である。
いや、これは貴重な読書体験なのだ。
だって、今の自分の年齢ではこんな境地には至らない。
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五木寛之さんの「無力(むりき)」(2013.4)、宗教的色彩もあり、五木さんの本にしては難しかったです。自力でもなく他力でもなく無力、「?」です(^-^) ただ、読んでて考えることは多々ありました! 自力か他力か、人間か自然か、心か体か、生か死か、意識か無意識か・・・。そして琴線に触れる文も~。人間は重力という他力によって立っていられる。重力がなければ、猛烈なスピードで自転する地球の表面からあっという間に宇宙へ吹っ飛ばされてしまう。本当に不思議なことだと思います!