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本に対する愛情が行間からぴょんぴょん飛び出てくるような一冊でありました。
この方の、自分の物差しできっちりと計るブレの無い姿勢が好き。
柔軟な視点で物差しの長さを調整する余裕さも好きだ。
かと思えば、許せないことは絶対に許さない。
その狭さがもっと好き。むしろ、その狭さゆえに好き。
ひとつだけ、納得できないこと。
アマチュアレビュアーにまで(アマゾン含む)、斬り込むのはどうかなあ。
アマチュアは自分の思いを発信したいというだけの金銭に関わらないものなんだから、マイナスイメージを抱かせるレビューはダメ、というのは腑に落ちない。
好き嫌いについて自由に話したっていいじゃない?って思うよ。
まあ、悪意に満ちたものでなければという注釈付きですが。
ここんとこの区切りが難しいんだろうね。
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私は書評と批評の違い(あくまで日本で)と、評論との違いもはっきりしなかった。はっきりとこれらの違いを理解した上で、「本」について書いていくという事、また読者層を想定して、内容を変えながら文章を書いていくことは大変なことであり、また、書評というだけに「本」を読まねばならない。将に「本が好き」という前提に成り立っているのだろう。欧米の書評と日本のそれとは立場も内容もかなり違うようだ。しかし本が好きな人、各種書評を参考にして本を読む人には必読の1冊だろう。
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豊崎さんの書評をよく参考にするので読んでみた。ファンとしては納得の内容。まあ、そうでない人は手に取らないだろうけど。自分がこうやって感想残すのもレビューの1つと言えるわけで、トヨザキ社長の嫌うシロウトにならないためにも、否定的すぎる感想は非公開だけにしておこうと思ったり。
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実は、本を買う時は書評をあまり当てにしない。それは紹介者による批評がどこかにあるんじゃないかと察してしまうからなのだが、トヨザキ社長曰くそれはどうも「否」であるらしい。あくまで客観的に、読み手に向かって適切な字数で語ることは、まさに論理的な文章を書くには良きレッスンとなる。平凡な感想文から論理的な書評を書けるような読解力と表現力が、ワタシも欲しいものである。
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たかが書評? それは、限られた字数に無限大の「ぜひ読んで!」を詰め込むステキなお仕事。
自分の仕事に誇りを持つこと。私の大切な仕事を、全力を注いでいる仕事を、軽んじないでほしい、そういう思いが伝わってきた。書評と批評の違い、諸外国の書評と日本のと違いも面白い。私も書評でネタバレはしないでほしい派。ネタバレをせずにいかに「ぜひ読んで!」と勧められるかがプロの仕事だ。ネタバレを許したら、それはただの感想文じゃないですか。
ちなみに、私の中で、書評=ネタバレをせずに「ぜひ読んで!」と訴える文章、感想文=ネタバレをしてもよく「おもしろかった!」と伝える文章、です。つまり「他の人に読んでほしい」が「私が読んで面白かった」よりも優先するのが書評、逆が感想文。
このブクログで私が書くのは感想文です。書評のつもりはあまりない。ここを読んで、これを読もう、と思う人がいるのかな? いたら嬉しいけれど。あまりマイナスのことは書きません。読んだ本に対してマイナスに感じるのは、その本と向き合うのに、自分に足りない部分があるから。そうやって全然分からなかった本は、「悔しい! もっと理解したい!」というラブコールを記したいです。
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いい書評とダメな書評の違いは?書評の役割、成り立ちとは?一億総書評家時代の必読書(「BOOK」データベースより)
トヨザキ社長が自分なりの書評論をあれこれ模索しつつ書きだした一冊、かな。
ほほう、なるほど~と思わせられる部分もあって、おおまか面白く読んだんだけど、素人書評ブロガーや、Amazonユーザーをああまでけなす事もないんじゃないのかね~。
確かに悪意あるレビューも見受けられるけど、まともに相手しないでいれば済む事で、いい大人はそれができるんじゃないかしら?
あと実名出せばそういうレビューを書くことが許されるって訳でもないと思う。
なんかこの辺りは、考え方が極端でエキセントリックな感じを受けました。
ちょっと社長らしくなかったかな。
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豊崎さんの書評に対する考えも分かりやすく書かれており、参考になる一冊。書評なのか批判なのかハッキリしない自分のあいまいな感想を猛省。
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楽しく読みました。
パンピーの私でも覚悟を持って読んだ本のレビューを書きたいと思います。
好きで書いてるんだから、無料でも結構です。
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本書の価値は次の一文に集約される。
批判は返り血を浴びる覚悟があって初めて成立するんです。的外れなけなし書評を書けば、プロなら「読めないヤツ」という致命的な大恥をかきます。でも、匿名のブロガーは?言っておきますが、作家はそんな卑怯な”感想文”を今後の執筆活動や姿勢の参考になんて絶対にしませんよ。そういう人がやっていることは、だから単なる営業妨害です。
まあ、そういうことです。
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この本はプロ書評家、豊崎氏が”書評道”を追求した本である。今日、我々はあらゆるメディアを通じて書評を目にする。雑誌、新聞、ブログ、書籍、ラジオ、テレビ・・・もはや読み手よりも書き手が多いのでは?と言われるほどだ。書評家が溢れかえる中、著者が自身のレゾンデトール(存在意義)を問うべく、様々な観点から書評に対する考察をし、「書評はどうあるべきか」について激白している。
この本の最大のウリは、ちまたに溢れる書評を勝手に”切りまくっている”点だろう。
(書評全文は、こちら↓)
http://ryosuke-katsumata.blogspot.com/2011/08/blog-post_05.html
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書評家、豊崎由美の書評にたいする本気を得意の好戦的な態度で見せつけてくる。何かに掛けてる人は素晴らしい
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途中まで読んで、図書館に返却。
機会があったらまた借りて読んでみよう。
何気なく目にする書評だけれど、いろんな事情や書き手の苦労があるんだなぁと思った。
小説を書くのもすごいことだけれど、“よい書評”を書くのもものすごい才能と努力がいる。
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トヨザキ社長がかなり毒舌の書評家だということは、『文学賞メッタ斬り!』とか、『百年の誤読』みたいな本で、なんとなく知っていた。ものすごく本を読んではる人なんやなーということも。
こないだ図書館でカードいっぱい借りたあとに、新着コーナーで見かけてぱらぱら…おー読みたいと思い、次の日に読んだ一冊を返しにいって、これを借りてきた。
私が今のところ定期的に書いてる本ネタ(「乱読大魔王日記」@『We』、「頭のフタを開けたりしめたり」@月刊『ヒューマンライツ』)は、自分でなんと呼ぶのがええんかなーと思いつつ、だいたいは「本の紹介」と言っている。ひとからは「書評」と言われたりもして、(書評、な~…書のことを書いてはいるが、アレは評なんやろか)などと思うこともあるのだった。
書評って、何?
書評と、批評とは、何がちがうか?
おそらく「書評」論は、「教育」論に似て、論者の数だけあるような気がするが、トヨザキ社長は、書評は「本を読む前に読むもの」、批評は「本を読んだあとに読むもの」だという。
つまりは、書評ってのは、それを読んで「わ、この本よみたいわ~」と思うとか、本屋に買いに走るとか、あるいはネット注文ぽちっとしてしまうとか、図書館にリクエスト票を出すとか、ないしは「これは別に読まんでエエな」と思うとか、そういう手がかりになるもの。それに対して「批評」とは、「ははぁ~、へえええ、この話のここにこんな仕掛けがねえ~」と自分が読んでて気づかんかったことに気づいたり、「ふーん、この本はあの本やらアレやらとこんな関係があるんか」と知ったり、、、というものらしい。
ついては、この本でトヨザキ社長が熱く語る「書評」には、"ネタばらし"問題というのがある。ミステリーの犯人やトリックは言わずもがな、文学作品のストーリーやプロットなども含め、作者が読者のために仕掛けた「ストーリー上の驚き」を奪ってはいけない、本を読んで初めて知る愉しみを奪ってはいけない、と、この本を書いた時点でのトヨザキ社長は言う。
小説における"ネタばらし"的なものになるのかどうか、これまで私が書いた「本の紹介」で、「かんのさんが書いたのを読んで、読んだ気になったわー(だから、本そのものは読んでない)」という反応を受けたことが何度かあった。
私としては、その本がおもしろかった!だの、ここがスゴイねん!だの、その本を紹介しようと思うだけの動機がある先には、同じ本を読んだ人としゃべってみたいな~という気持ちもけっこうあるので、「読んだ気になった(だから、本は読んでない)」というのは、ちょっとビミョウで、そんなつもりで書いたんとちゃうねんけどなーと思うことがあった。
この本には、トヨザキ社長自身の書評とともに、他の方々の書評も複数引かれている。おもしろいのも、なんじゃこりゃーと思うのもあったなかで、うおう、さすがだと思ったのは、トヨザキ社長も「まいった!」と書いていた、平田俊子による『ばかもの』評、850字(pp.76-78に掲載)。私は平田俊子の書くものにすでに好意があるので贔屓目もあるだろうが、私もこんなん書いてみたい���ーと思った。そして、850字で書く練習をしてみようと思った。
巻末の、トヨザキ社長と大澤聡さんの対談のなかで、ここがよかった。
▼大澤 …読書する人たちの側に立った表現者。書評家ってそういう存在だと思う。表現者なんだけれども、基本的には読者の側に立っている。つまり、読者として書くんですが、それがひとたび読者に読まれると、表現者の位置に移行してしまう。面白い位置ですよ。
豊﨑 そう。誰だって、本を読んでいるあいだは読者なんですよ。だからこそ、読むという行為が一番大事。(pp.220-221)
読まないで書く、という凄い人もあるらしいが、「読む」のは前提やろ~
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トヨザキ社長が光文社のPR誌「本が好き!」に連載していた「ガター&スタンプ屋ですが何か…」を加筆訂正してまとめた物。トヨザキ社長の「書評」を巡る真摯な姿がヒシヒシと伝わってくる一冊。そして「書評」と「評論」の違いに付いても(社長の考えかたが)よく判る本でした。そして「たなぞう」の感想文字数の制限が1000文字なのにハタと気がつくのでした。
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私なんかもよく、本を読んだ後にブログで感想文なんかを書いています。あくまでもそれは“感想文”であって、書評とは言えないようです。
“感想文”と“書評”との間には大きな壁があるようです。
今後軽々しく
「ブログで書評を書いている」
なんて言えません。言ったことないけど。言わなくて良かった。ああ恥ずかしい。
そして今後は単なる“感想文”を“書評”レベルに近づけたくなりました。できるかのう?
さて、私も返り血を浴びる覚悟で言わせてもらいます。
【書評とアフィリエイト】
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20110820/p1