カフカの精神の断片集
2002/07/30 07:59
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:影山 師史 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は、カフカの短編が非常に好きだ。それは深く考えずに読んでも、どこか神秘的な空間に引き込まれるような気がして面白いし、寓話であると考えても、その言葉の中から様々な深い意味と示唆を汲み出すことができて面白い。審判や城なども全体として面白くはあるが上記のようなことを気軽に楽しむことができないと言う点ではいまいちであるような気がする。
さて、本書では、上述したような短編に容易に転化できるようなカフカの手紙や日記やノートなどの断片が集められているのである。それは時に自分の見た夢を書いてみたり、格言風のことを書いてみたりと非常に多彩であり、あたかもカフカの精神の断片集であるかの様である。そして、それ故にか、読んでいる内にカフカという人間をより身近な人間として感じることができ、本書を読み終わった後、再度『カフカ短編集』を読んでみると、今までよりも、その内容が理解ができるようになったと思う。
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去年の一年間は寝る前にこの本をずっと読んでいました。タバコとコーヒーでこんなに汚れている本は多分これだけでしょう。
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ことばというものは、感覚の世界以外のすべてに対しては、ひたすら暗示的にしか使うことはできない。ほんのおおよそのところで比喩的に使うことも、決してできないのである。それはことばが、感覚の世界に対応して、所有と所有の諸関係だけを扱うからだ。
秋の道のようだ――掃き清められたかと思うと、また枯葉に覆われる。
鳥籠が鳥を探しに出かけて行った。
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人間は、自分のなかにあるなにか<不壊-フエ-なるもの>、破壊できないものへの永続的な信頼なくしては生きることができない。その際、不壊なるものも、また信頼も、彼には永続的に隠されたままであるかもしれない。こうした<隠されたままであること>を表す可能性の一つが、人間になぞらえた<人格神>への信仰である。
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『夢・アフォリズム・詩』
フランツ・カフカ
吉田仙太郎編訳
ドン・キホーテの不運は、彼の想像力ではなく、サンチョ・パンサであった。(p92)
『ドン・キホーテ』の考察。続けて、p94にもそれが書かれている。
本来であれば、「ドン・キホーテ」なるものはサンチョ・パンサが担うものであった。だが「ドン・キホーテ」的なもの(悪魔)が主人にいった為、ある種の責任感から着いて行ったと書かれている。
すべては幻影だ、家族も、オフィスも、友人たちも、通りも、遠いものも近いものもすべては幻影だ。女性も、これがいちばん身近な幻影。でも真実は、お前が頭を、窓もドアもない独房の壁に押しつけているだけのこと。(p294)
カフカらしい。
……本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。そう僕は思う。(p315)
私もそう思う。
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引っ越しで本棚を整理してたら出てきた。
そのうち買おうとAmazonの本棚に入ってたのに、昔買ってたようだ
そしてどうやら90ページくらいまで読んでたようだ
気になったページをドッグイヤーして、シャーペンで線を引いてる
これはいつころの読むくせか
マーキングをするかしないか、何でマーキングするか、ドッグイヤーするのか、マーキングのルールはどうなってるか、そんなこととかでなんとなくの時期がわかったりもするけども、本はやっぱりいつ読んだのか印をつけておくことが大事なようだ
落ち着いて、買った日、買った場所、読み始めた日、読み終えた日、そんなのを見返しとかなんでも適当にメモしとくべきだろう
とはいえ、買って帰ってそのまま積読で発酵させたりするのが好きなので、買った日とかはとても書けないから、今は読み終わった日しか書いてない
とはいえ、この本は、いつ読んだのか忘れたように本棚か、出てくるには嬉しい本の種類ではある
夢・アフォリズム・詩、は、記録の日時とかの構造的な世界観からは自由でいて欲しい
とかいったものの、僕はこの本、あまり読めなかった
引っ越しやコロナウイルスのせいで電車で読書する気分になれない、とかで、暫く読書が出来てなかった
なので集中力や読書コンディションが下がってるというのもあるけども、アフォリズムがどうしても苦手だ
読めない
パラパラとめくって、ほかの人が引用してるところを眺めたくらいだった
まぁ、大事に読みたいのに大事に読めなかった、そういう読書もいくらだってあります