紙の本
老いていくことも、人に惹かれ勝手に思いを募らせることも、うっかりとした不注意も、すべて現実は酷いものなのだという厳しさに貫かれた名作。酷さゆえのめまいに襲われそうな……。
2007/05/05 21:55
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
四半世紀も前に観たヴィスコンティ映画「ベニスに死す」でかすかに記憶に残るのは、タッジオ役ビョルン・アンドレセンの波打つ金髪に濡れたようなくちびる、そして有名なラストシーン、タッジオへの思いを抱いた老作曲家アッシェンバッハの顔にしたたる墨色の液だれの酷さ。酷いけれども、ヴィスコンティはこの映画をやはり彼独特の美学のなかで描き切っていた。不世出の映画監督にとって、愛読小説の映像化は夢だったという。
監督がなぜこの小説を映像にしたのか——その理由は以下のようなものだと思っていた。老いた芸術家への共感、同性愛と少年愛への志向、水の都に集う上流世界の人びとの社交という、視覚効果高い舞台設定への期待、そして人の滅びを美しく表現することへの欲。映画を観た後、私はトーマス・マンの原作を読まずに、そういったものだとずっと思い込んでいた。
しかし、こうしていざ原作に当たってみると、トーマス・マンとヴィスコンティの微妙な差異に気づかされ、ふたりの芸術家の表現の違いに面白味を感じる。ヴィスコンティは美しい世界を描くことによって「酷さ」を際立たせた。一方、マンは決して酷さを「美」によって描こうとはしていないと思えるのだ。あるいは、美に流してしまうような対象の描き方をしていないと言ってもよい。
マンは、酷いものは酷いのだと、現実は厳しく、老いることも片恋もごまかしようのない残酷な成り行きであり、恍惚や陶酔のような「美」に通ずる官能のしばらくを過ぎれば、そのあとの無念は覆い隠しようのないものなのだという姿勢で書いているように取れる。そういう非情な現実の受け止め方とは、どこかゲルマン的ではないだろうか。もっとも、マンの出自にはラテンの血も少し入ってはいるようなのだが……。
では、ヴィスコンティがこの小説のどこに強烈な魅力を感じたのであろうか。もしかすると、こういう部分なのではないかという箇所に出くわした。
——孤独と沈黙の人が行う観察や、その人が出会う出来事は、仲間の多い人の観察や出来事よりも曖昧であり、同時に切実でもある。そういう人の考えはより深刻で、変わっていて、どこかに悲哀の影がさしている。ただ一度の視線、一度の笑い、一度の意見交換で簡単に片付けられるような映像や発見が、異常にその人を刺激し、沈黙の中で深められ、意味を持ち、体験となり、冒険となり、感情となる。孤独は独特なものを生み出す。(48P)
引用したい文章はまだこの先もつづくのだが、自重する。この先の文章で明らかになるが、ここには芸術に向かう人の傾向が書かれている。このような部分を始めとする思念のいくつかが、芸術家の創作意欲をかき立てたことは想像に難くない。
この思念というものが小説では重要で、それは作家である主人公(映画では作曲家)がヴェネツィアに旅するまでに全体の3分の1が費やされていることから分かる。次の3分の1が年端のいかない美しい少年に魅せられていく過程であり、そして残る3分の1が、ストーカーばりに彼の跡を追い身の破滅を自覚していくという内容となっている。映画では、なぜ旅するかという事情は、ここまで表されていなかったのではないだろうか。マンにとっては、「なぜ旅に出るか」「それもなぜヴェネツィアに向かうことになったのか」という結末に至るための経過が、少年への恋同様に大切な内面だった。
そして、深い思念を離れ、無意識に老芸術家が起こした行動が、彼の運命を一気に暗転させてしまう酷さ。マンの姿勢は一貫している。
紙の本
北杜夫氏が
2017/05/21 20:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:igashy - この投稿者のレビュー一覧を見る
その構成の見事さを賞賛していたが、前半と後半で対となるエピソードが現れる。出会いのレストランと、別れの砂浜での振り向く少年。少年にキスした若者を内心脅しながら雄々しく口にする苺と、死への感染源となる市場の苺。不気味な若作りの老人と、彼自身がそれと化してしまうラスト。 ラストにかなり露骨に性行為の暗喩が出てくる(気がする)。パイドロスと対話しているってことはこの作家はソクラテスなの?等々、マンは博学すぎて、こっちは単語をググるだけでも打ちのめされる。
投稿元:
レビューを見る
一度以前の訳のものを読みかけたのですが、訳が古いこともあり挫折してしまったことがありました。原本自体が古いというのもあってやはり少し古さを感じる文章ではありましたが、この新訳は非常に読みやすかったです。タッジオの美しさの描写が尋常じゃなく美しかったです。色々な詩歌からの引用が散りばめられた散文ですね。あと、視線に関する描写が印象強く(タッジオが最初は視線を慎ましく伏せ、それから見上げる…など)残り、視覚的なものが強い作品だと思いました。映画を見たことはありませんが、あちこちで見た写真のビョルン・アンデルセンの人間離れした美少年振りと言ったら!
投稿元:
レビューを見る
これは…なんというか…おお…(せんりつ)。
圧倒的な耽美と官能と退廃に酔います。
指先ひとつ触れないのに、瞳しか見てないのに、しっかりうしろぐらいエロスが存在するんだもの。
古びるなんてとんでもない、これぞ古典と言うべきなのでは。
ずっと読みたい読みたいとは思ってたんだけど、読んでよかった!
投稿元:
レビューを見る
高貴で有能な精神はなによりも認識の鋭く苦い刺激を速やかに徹底的にうけつけなくなるようである。
太陽は知性と記憶を大いに麻痺させ、呪縛する、その結果、魂は深く満たされて自分の本来の状態を忘れ果て、陽光の恵みを受けたものの中で最も美しいものに驚愕し、それを讃美し続ける。
余すところなく感情となることのできる思想、余すところなく思想となることのできる感情、それは作家の幸せである。
なぜなら美は、パイドロスよ、ここをよく注意してくれよ、ただひとつだけ美が紙のものであると同時に肉の目で見えるものなのだ。
投稿元:
レビューを見る
劇的で美しくて破滅的で準古典ならではの明快さ。題材には時代を感じるけどこの美しさは普遍だと思う。ってか個人的にこういうお話は大好き。
新訳読みやすかった!でもなんとなく味がなくてさっぱりした感じ。話はよく分かったから重厚な古い翻訳で読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
同性愛の要素はあるけれども、
決して露骨なものではなく、
美の象徴、といった感じのもの。
その時代ではピークを過ぎた作家が
出会うことになった輝ける存在。
その魔力ゆえに、彼は彼が感じえていた
動物的勘を鈍らせて、結局は最悪の
事態を招いてしまいます。
人は誰しもがこういった危険をはらむもの。
こういった例ではないにしろ、
いつ、どういったことで、「どうしてこうなった」
になることか。
だけれども、最悪の事態と引き換えに、
堪能できた一時の夢は、美しいものでした。
投稿元:
レビューを見る
懸命な仕事ぶりで多大な業績をあげた初老の芸術家が、保養先で美少年に出会い、恋に落ちていく様子を描く。それまでの人生からすればまるで逆の生き方、すなわち欲望のままに生き、堕落して行くさまはデカダンスと言えるが、一方で人間らしくまっすぐな生き方であるとも言える。一貫してゆったりとした調子で物語は進んでいくが、その結末はあまりにも甘く、悲しい。
投稿元:
レビューを見る
映画のイメージがどうしても先に立ってしまうけれど、非常に面白かった。アッシェンバッハは幸せに死んでいったのだなと思う
投稿元:
レビューを見る
【本の内容】
高名な老作家グスタフ・アッシェンバッハは、ミュンヘンからヴェネツィアへと旅立つ。
美しくも豪壮なリド島のホテルに滞在するうち、ポーランド人の家族に出会ったアッシェンバッハは、一家の美しい少年タッジオにつよく惹かれていく。
おりしも当地にはコレラの嵐が吹き荒れて…。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
濃厚な死の気配。
老作家、アッシェンバッハを魅了して止まなかった青白い顔をした美少年タッジオ。彼は、性別や生死をも超越したような存在に思えた。
投稿元:
レビューを見る
トーマス・マンの傑作。
20代の頃は、若者に恋する年寄りって、身の程知らずだし醜いよなぁと思っていたけど、30代になって、少し気持ちがわかる。
若い身体、美しさってそれだけですごく輝いていて(まじで光輝いてる)、眩しくて、憧れてしまうし、自分の若い時代を振り返り、みすみす無駄にしたと悔やんでしまうものだ。
きっともっとしわくちゃになれば、更に思うのだろう。
最近、老いを受け入れる等の考えが急に増えているし、30代でも若いと言われ、公共交通機関を見渡すと、確かに40代以上ばかりで、さすが高齢化社会だと思うことも多いが、反面トルコに行って、若い人の多さに驚いた。
若い、というだけでエネルギーが溢れ出し、醜いものはそれなりに、それなりなものは美しく、美しいものはカリスマのように輝いてみえる。
何が言いたいか分からなくなってきたけど、恋焦がれて、最後にスペイン風邪かなんかで死んでしまう小説家は、幸せだったのかだけを判断したい。
最後に強烈な生を愛することができ、幸せだったと思いたい。
投稿元:
レビューを見る
だいぶ前に読んだので,詳しくは覚えていません。
もう一度読み直したら、書き直します。
トーマスマンで読んだ記憶があるのはこの本だけかも。
投稿元:
レビューを見る
今月12冊目。今年の48冊目。
20世紀の作家トーマス・マンの作品。まぁよくわからなかったていうのが感想です。もっと正確に言うと、書いてある内容はわかったけど、この本の面白みや何を伝えたかったのかが、今いちわからん。まぁテーマは少し斬新だとは思ったけどね。こういう外国の古典はやっぱ作家の背景や国、歴史をしっかり調べないと面白さはきっとわかりづらいんだろうなーと思いました。
投稿元:
レビューを見る
ヴェニスではなくてヴェネツィアに死す。そんなところまで現代的な訳なのがちょっとだけおかしい。
話の中身は単純というか、タイトルで語り尽くされている。アッシェンバッハ老がヴェネツィアにやってくること、老いらくの恋のためにその地を去ることができずに死を迎えること。そんなに単純なのに人を惹きつけてやまないのは、そんな話の古典であるからこそ。
中編ということもあって、岩波でもそんなに読みにくいわけではなかったが、現代語訳をウリにしているだけあって、読みやすさはひとしお。そんなこともあって星は文句なしの5つ。