紙の本
イギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームが1739年に著した懐疑的経験論哲学の書です!
2020/07/12 14:54
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、1739年にイギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームにより書かれた哲学の著作です。内容は、人間の知覚が印象と観念に区分されることが指摘され、印象は感情や感覚、感動などの力強い刺激を含み、観念とは感情の動きを伴わない映像に過ぎないと捉えられると言います。観念と印象は密接に関係しており、単純な観念は単純な印象から派生するものであり、印象は観念を生み出す基盤であると主張されています。また印象は感覚の印象と反省の印象に区分できるのですが、前者は未知の原因から人間の心理に現れるものであるのに対し、後者は観念により発現するものです。したがって、印象がまず感覚を刺激して快苦などを人間に知覚させ、印象が消えた後にも心に保持しておくものが観念であると論じられています。このイギリス古典経験論の掉尾を飾る懐疑的経験論の一冊をぜひ、お読みください。
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日経ビジネスAssocieで紹介されており、タイトルが気になったので読んでみた。人生論ではなく人性論。当然人生についての哲学などが書いてある訳ではなく、テーマは原因と結果の関係について。印象と観念や蓋然性や人格の認識などを体系的な実験を用いることで「原因があるから結果がある」を推論している。残念ながら哲学者ヒュームの因果論を解く事で導かれるであろう結論を、私には読み解く力が無かった。
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「人性論」の抄訳と「原始契約について」
人間は"印象"と"観念"しか知りえないという話が一つ。唯識ってこんな感じなんでしょうか。
道徳には、"人の本性によるもの"と"社会体制を守るためのもの"があるという話が一つ。それぞれ仁と義になるんですかね。
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懐疑論とはどのようなものか。固有名詞へのイメージなどの偏見なしに入り込める。ただ、断片的に読むと少し危ない。
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こいつも読み出してから読み終えるまで時間かかりました。ヒュームって難しいんだもの、文章が。言っている内容は分かりやすいし、納得いく所も変な所も区別しやすいです。彼が因果について一所懸命考えてくれたおかげで、今の議論が整理しやすいです。
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魅惑的な天才。認識論のストーカー。分析的ヘンタイ野郎。
ヒュームの丁寧な、丹念すぎる分析に読者はおのずと惹きこまれていってしまう。
認識論は言わずもがな、第三部の道徳論も傑作だと思う。
規範倫理学の立場からではなく、メタ倫理学的な立場から、つまり「道徳とは本来どうあるべきか」ではなく「道徳とは現にどうあるのか、どういう機能を果たしているのか」を適確に観察・分析している。だれも意識的に行うことのなかった、画期的な作業である。
カントの微睡みを醒まし、現代思想の先鋭の多くにも多大な影響を与えたことに疑いの余地を与えない素晴らしい内容。
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「それは、われわれが徳と悪徳とを区別して、ある行為について、非難されるべきである、あるいは賞賛に値すると宣告するのは、観念によってなのか、それとも印象によってなのか、という問題である。」
印象=本能、直感
観念=学習
と捉えるとわかりやすいと思う。私にとってこの本はとても難しくて、読みきるのが大変だった。たぶん理解はそんなにできていなだろう。ただ、第一篇七節からはそれまでよりも読みやすいと感じた。
72ページの第二段落のところはとても面白い。同じことをすれば同じ結果が得られるというのは、そうおこりうると確からしいというのを補強するだけで、それが絶対におこることを示しているのではない。
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読んでいくと、とても面白い
なんだけども、どうしても読みきれない
といつのも、道徳とかの議論はなんかもう、あんまり興味もてないというか
それよりも、人間性に主眼をおいたあたりに面白みを感じてるんだけども、なんかこう訳文が馴染まないのか
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いつまでも読み終わりたくないヒューム。
内省と内観の天才。
その後の自然科学と社会科学の発展をもってしても、この人ほど、人間や社会の本性に深くかつ的確に迫ることができた人は未だにいないと思う。
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プラトンの真善美にのっとり、経験論者としてのヒュームなりの真(認識論)、善(道徳論)、美(芸術論)について語った哲学書。キーワードは「因果律は経験に基づく習慣に基づく」「道徳や芸術は共感の原理にもとづく」。