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ギャグなんじゃないかと思うくらい冒頭から自信満々で読んでいて清々しい気持ちになります。
凹んだときに読むと元気が出ます。
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ニーチェという人は人は非常に高慢というか、自信過剰というか、毒舌なオッサンなのですが、それが逆に人間臭くて、そう言う所も魅力なのでは無いかと思うのです。しかし、これを出版しようとした事自体が凄いと思う。
もう、これを書いた時点で少し狂乱な状態だったのかも知れないけれど、所々、ジャックナイフ的にハッとさせられる
セリフがあったりします。
個人的には「死後にも残る作品を生み出すには、その作品を創造している間に何度も死ななければならない」という言葉が印象に残りました。つまりはそれぐらいの苦労が必要だという事だと。でも、結局の所、言い訳ばっかりなんですよね。なんで、俺を認めてくれないんだ!!…って言う感じが文章からひしひしと伝わってきます。そう言うところからドイツを批判してばかりなんだろうなって。あとはワーグナーが好きなんだなって。
まぁ、人間臭い人ですよ。「超人」では無いと思います。お後がよろしいようでw
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「あらゆる理想主義は、必然的なことを隠し立てしている虚偽だ――、そうではなくて必然的なことを愛すること……」
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「私はどうしてこんなに偉大なんだろう」
悶々と独りで思索を続けたニーチェ。
でも晩年梅毒におかされ、生ける屍のようになってしまう。
嫌っていた姉の長年介護された後、この世を去る。
姉はニーチェの著作を利用し、ナチスに協力していたという説あり。
切ないのう。
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おっさん、どんだけ自意識過剰だよとも思うのだけれど、
神を否定し、主張する「超人」の概念。
非常に納得する部分がある。
宗教や道徳は理性なんだ。
その理性に統制されて達することは可能か。
否。なぜなら、言語は経験した範囲でしか理解できないから。
つまり「隣人愛」という概念を頭に入れたところで、
そこから自身の行動を統制することがあるにせよ、
認識が追いついていないし、隣人愛という概念を悟った経験がないから、
結果的に理性先行、人間の破壊にむかうというわけかな。
だから必要なことは、ただ自分を規定しないこと、規定によって行動の範囲を狭めないことになるのか。
結局は、自分ってのは克服を重ねることでしか見えないわけだから、
その時点ではわかりようもない他者であるのだと思う。
「ひとが本来のおのれになるということには、その前提としてそのひとが本来のおのれをいささかも予感していないということがなければならない」
「わたしにはかつて何かを営々努力したという記憶がない」
「何事かを欲する、何事かを求めて励む、ひとつの目的、ひとつの願望から目を離さぬ、こうしたことを経験したことがない」
「体験上理解できないものに対しては耳を持たない」
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それはギャグで言っているのか?
というような各章の章題が衝撃的でした。
あまり内容を覚えていないけれど、後に陥った狂気が垣間見えるような気がします。
あ、「ドイツ人は食ってるものが悪い!」と怒ってましたね
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ニーチェ本人による自著の解説。
もう一度、『悲劇の誕生』から読んでみたいという気持ちにさせられた。
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だめだめ、こういうの読むのやめよって思うんだけどねー。
危険だよね、よくわかんないのにこうして訳書を読んで、
断片的に理解して、勝手に暗くなるのって。
危ない危ない。
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初めてのニーチェでしたが読み始めて絶対ニーチェとは友達になれないと思いました。自意識の高さ、プライドのあまりの高さ、、最初は辟易としました。が、このテンションの高さにだんだん押されてくる。ここまで言い切る力強い、狂気は引き付けるものがあります。
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とりあえず読み終わってよかった。挫折するかと思った。
ニーチェの自慢話です。「俺ってスゴクね?」と言っています。
読んでいてもかなり不愉快ですが、
でも何かある気がします。
だまされてるだけかもしれないけど。
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『なぜわたしはこんなに賢明なのか』、『なぜわたしはこんなに利発なのか』、『なぜわたしはこんなによい本を書くのか』など「なぜ~」シリーズと『ツァラトゥストラはかく語りき』、『善悪の彼岸』など各著書の解説文を収録した本。
この本でも人々のルサンチマンの温床となる「道徳」を捏造してきたキリスト教に矛先を向けて筆を揮っている。これを読むとニーチェがやたらとポジティヴ志向であることがよくわからない。
「出来のよい人間は、堅くもあるが、同時に弾力性をもってよいにおいのする木で彫られているということ、これがその目安である。」という一節を心に留めておきたい。
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ひゃっひゃー(・∀・)
おもしろすぎたww
真剣に「なぜ私はこのように賢明なのか」
「なぜ私はこれほど利発なのか」
「なぜ私はこのようなよい本を書くのか」
電車の中で笑いをこらえるのに必死でした。
この1,2週間電車で乗り合わせたたくさんの人の中でまさか19歳の女の子がニーチェ読んでると思った人はいないだろう。
途中からの著書の解説は元の本を読んでないのでよく分からなかったけど、一貫してたのは
ドイツ大っっっ嫌い!!ヽ(`д´)ノ
「飛びきりドイツ軽蔑者と見られることは私の野心でさえある」
どんだけ嫌うねん(笑)
よくもここまで嫌いである理由を書けるなぁと感心するほどです。
ドイツ生まれがww
こんな本は初めてですね。
文体といい主張といい、他にはない。
他にあったとしても気が触れてると無視されるだけです(^q^)
いや~、刺激物だった。
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ニーチェ自身がニーチェについて語る。書名の「この人」とはニーチェのことであり、当時世間から理解されることが少なかったニーチェが「(愚民ども)この私を(もっと)見よ!」と言っている。(笑)
「解説」を読むとこんなにも深淵な大望が記されているのかと思いをいたすが、普通に読んでいると随所で笑いがこみあげてくる。(笑)
章立てをみると、
「なぜわたしはこんなに賢明なのか」
「なぜわたしはこんなに利発なのか」
「なぜわたしはこんなによい本を書くのか」
といった感じでこれだけでも抱腹ものだ。(笑)
「ひとにわたしのことを悪く思わせる技術を、どうしても身につけることができなかった」ニーチェさん。(笑)食べ物を通した比喩を記しているのかと思えば、本当に好きな食べ物の話を延々としているし・・・。(笑)「ドイツ人」や「キリスト教」へのねちねちと執念深く罵声を浴びせたりなど偏執ぶりもさることながら、数千年にわたる人類歴史のなかで最強の天才であるという自分自身への躁的誇大的な自画自賛を読んでいると、就寝前読書としては笑いがこみあげてしまい困ってしまう。(笑)
ニーチェにとっては「ツァラトゥストラ」像は、辿りつくべき理想像なのですね。というか自分自身の仮託でしょうか。自身の概念であるディオニュソス的たらんとする思いだけはとっても強烈に伝わった。
余談だが、ギリシャ神ディオニュソスは別名バッカスで、ワインの神。酒を飲まなかったというニーチェだが、バッカス「好き」なところは同感する。(笑)
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初めて読了叶ったニーチェ。此の一冊から採ったなら 挫折も少なく済んだかも知れない。其の猛進ぶりについて 既に病的だとか事実に反する部分があるとか様々云われるようだが そんな訳で彼について全く無知で在ることが 此の読書には却って麗しく作用したらしい:純粋に其の思想のみに耳を傾けることが出来た。在ったのは 足頸括られ市中の真ん中に逆さ吊りされた眼にしか映じない景色。覚えある胸には決して過激でも反道徳的でも彼はなかろう。
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何をそんなに思いつめているのか、という印象しか受けない。彼は哲学者であるらしいが、詩人でもあり、狂人でもあろう。
たまにこういう哲学者が現れるのかな、とも思う。今までの哲学にすべて絶望して、罵っている。まあ、分からなくもないが、破滅的思考は身を滅ぼす。もっともこれは彼の最後の作品であるので、他を読んでみないことには彼への評価も断片的でしかない。