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学問と仕事、宮仕えの心構え。芯のある夫人。時代を生きる人々。家族のヒストリーを語りながら、文武両道とユーモアと暖かみにあふれ、誠実にして緻密な史料調査を厭わない森鴎外の視線、筆致に触れられ、憧れるような文化水準の高みを気持ちよく感じさせてくれます。
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2021年12月「眼横鼻直」
https://www.komazawa-u.ac.jp/facilities/library/plan-special-feature/gannoubichoku/2021/1201-10958.html
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最初はじっくり読もうと思ってはいたが、次第に走り読みになり、抽斎が亡くなってからは、もう速読のフェイク動画のような状態だった。難しすぎる。しかし、抽斎の4番目の妻、イオさんだけはすごい人物だったということは分かった。抽斎が暴漢に襲われそうになった時、お風呂に入っていたイオさんは裸に近い状態で飛び出してきて、暴漢にお湯をぶっかけ刀を抜いて立ち向かったって!イオさんの映画観たい!
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一般的にいって、面白いものではないだろう。
ただ、江戸文化や森鷗外自身に興味がある人にはいいだろう。
サマセット・モームのような小説を期待する人は、手に取らないほうがいいだろう。
とはいえ、最後まで辛抱して読むと、味わい深いものはある。
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東京文京区森鷗外旧居「観潮楼」跡地に森鴎外記念館があります。谷根千と呼ばれる地域です。近隣には、吾輩は猫であるを執筆した夏目漱石旧居跡地があり、猫のオブジェがあります。漱石が住んでいた3年間程は、本当にご近所さんだったのですね。
さて、記念館には、貴重な鴎外遺産もさることながら、大銀杏や三人冗語の石等も保存されています。
数ヶ月前に、記念展に行き、何か一冊と思い、完全未読の渋江抽斎を。小説と言っても、江戸の教養人、渋谷の伝記となります。
森鷗外が「武鑑(江戸期の紳士録)」収集の途中で、抽斎の蔵書印からその存在を知ります。抽斎が弘前の官医で考証学者であり、自分と重なる人生を感じたのでしょうか。ブグログで自分と同じような本が登録されている本棚を見つけた感じ?
執着と思える程の熱量で、抽斎の仕事から交友、家族。亡き後の子孫や親戚の行く末までを克明に書き続けます。
鷗外には興味あるけど抽斎には別段……むむ、読むのに数ヶ月を費やし、今日の鷗外の誕生日に読了とします。
抽斎はどのような人だったか、という印象よりも、
明治維新を挟んだ時代背景や、当時の交通状況や給料、家族の在り方(特に女性)のような社会風景が、抽斎の周囲から見えてくるという史伝そのものなのかと思います。その百十八でふっと終わるのですが、初出はおよそ100年前東京日日新聞。一日一話だったのでしょう。私も一日一話でした。あまり汚れる前に本棚に並べます。
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森鷗外は、人生の最後に「史伝」作品群を残し、その中でも最も知られている作品が「渋江抽斎」だ。
”史実を淡々と述べていて無味乾燥である”、という評もあるようだが、自分は、鷗外の作品の中でも多いに関心を抱く作品のひとつだ。
鷗外は、「舞姫」から始まり、その作風の変遷が特徴的だが、日本の近代化という大きな変革の中に体制側に身を置き、最後、「史伝」に辿り着いたことは、説明がつくような気がする。
ひとつのキーワードが考証学。
渋江抽斎も考証家であり、鷗外が自らを渋江抽斎に見立てていたのであれば、合理的な欧米的知識をバックボーンとしていた鷗外にとって、考証学は拠り所になっていたのではないかと思われる。(これは「かのうように」にもつながる)
歴史小説作家で好きな作家のひとりが吉村昭だが、彼の作品も司馬遼太郎と比べると、事実を淡々と積み重ねるアプローチだ。
吉村昭のこの修飾文がない作風は、却って、読み手側に歴史が迫りくるような印象を抱かせる。「渋江抽斎」を読んでいると同じような印象を得る。
この小説は、渋江抽斎死去後も話が続く。
というよりも、死去後が本編のような気もする。
鷗外の家族思いは有名で、この作品で自らの死後を子供たちに託すような思いも伝わってくる。
渋江抽斎亡き後も、渋江家は、明治維新、士族没落という荒波を乗り越え、特に妻の五百(いよ)を中心に新たな時代を逞しく生き抜いていく。
この小説は、登場人物が多いこと、主人公がいないこと、が特徴なのだが、それゆえに”人”にフォーカスした歴史小説といえ、イベントドリブンの歴史小説よりも、時代の息吹を実感することができるだろう。
なお、この小説は新聞に連載されたものであり、適当に長さが区切られているので読みやすい。また、時々で登場人物のその時代の年齢のおさらいがあり、それも工夫がされている。
ところで、この五百(いよ)は、鷗外の理想の女性像を表しているようで興味深い。
鷗外は、津和野藩代々の典医の家に久しぶりに誕生した男子であった。
(それまでは女系が多く養子を得る。鷗外の実父も養子)
そのような背景もあり、特に、祖母や母の鷗外に寄せる期待は大きく、英才教育があったようである。鷗外は、父よりも祖母、母に強く影響を受けているように思える。
そして、何よりも鷗外の作品には、精神的に自立した強い女性像が多く描かれている。
「渋江抽斎」の面白いところは、史実を丹念に描いているので、特に江戸後期から明治初期に生きる人々の生活、考え方、例えば知識人の処世を理解することができる点だ。
鷗外自身、近代化、西欧化が急ピッチで進む中、江戸時代にあった、良き姿勢、文化、慣習を改めて世に問おうとしたのではないか。
そして、それは現代社会でも十分に考慮すべきことであったりする。
(この点が「渋江抽斎」を読む意義でもある)