紙の本
退屈させない森鴎外の代表作のひとつ
2020/11/25 15:03
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「史伝」というのは、「広辞苑」によれば「歴史と伝記」とまずあり、「歴史に伝えられた記録」と続く。
小説ではないので創作の要素がないのだろうが、森鴎外が55歳の大正5年(1916年)新聞に発表し鴎外史伝の代表作にもなったこの作品の面白さはどうだろう。
読めばほとんど記録の羅列が続くのだが、そしてそこには実に多くの人が登場(誕生)し、消えて(死んで)いるという人間の営みがまずあることがよくわかる。
それでいて、小さな挿話の一つひとつがまるで良質の短篇小説を読んでいるような味わいがあって、飽きさせない。
中でも主人公たる弘前藩の医官で考証学者の渋江抽斎の四番目の妻となる五百(いお、と読む)の魅力といったらない。
彼女が抽斎の妻になるのあたっては実家の事情を慮って抽斎に嫁ぎ、その抽斎の力を借りて実家に監督せしめようとしたという。
この逸話にしても当然婚儀に話として書かれてもよいものを、鴎外はあえて終り近くに持っていく。
この作品が読むやすく面白いのは、かくのように鴎外の巧みな編集力にあるといえる。
主人公の抽斎が53歳で亡くなったあとも鴎外がこの「史伝」を書き続けるのは、歴史とは単に一人の人物の生死ではなく、彼がもたらしたあらゆることが歴史を生み出すという思いがあったのかもしれない。
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歴史小説の原点とも言うべき作品だと思います。文章はピカイチ!!!まさに教科書のような作品。その成功の一つに一人称で書かれているということがあると私は思っています。
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まず漢語を中心とした圧倒的な語彙力に憧れる。伝記としては訥々と事実を述べていて劇的な展開はないが、その分幕末の武家、明治の士族華族の暮らしぶりや考え方がリアルに伝わりとても良かった。つい100年程前なんだなと思うと胸いっぱい。
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ひたっ…すら、渋江氏とその家族についての経歴を書き連ねた作品。はぁ、退屈だった汗 もう、何度か挫折しかけた。多分、鴎外的には、渋江氏をリスペクトするあまり、「この人の自伝を残せるのは俺だけだ!(じゃないと歴史に埋もれて今後の世に名を遺せないから)」と、ひたすらマニアックな萌を発露させてしまったのだろうなー、
それにしても、個人の(あるいは
知人数名の)力だけでよく、そこまで微細に昔の人の人生を調べあげたね…。渋江氏の熱狂的ファンて、昔もこれからも森鴎外ただひとりだろうに。
鴎外的には、読書中、たまたま歴史の本の編纂に関わった渋江チュウサイとかいう人が、自分と同じ医者でなおかつ文芸好きだったってとこに、このうえなくシンパシー☆ミだったぽい。
ま、とにかく無駄に(ごめん)長いのと退屈なので再読はおそらくなしです。はい。
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歴史長編。読むのには難解かもしれない。
渋江抽斎は医者で物書き。鷗外と同じ経歴を持つ人で、だからこの人を選んだのかと納得してしまった。
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須賀敦子の愛読書と知って読んだ。一読してその面白さにはまり、直ぐに再読した。幕末江戸の直参医師を中心に、今はなき江戸の心情と文化を淡々と描きながら、その美学を蘇らせ、愛惜する。主人公は狂言回しで、その周りの人々が生き生きと描かれる。中でも、後妻の五百が、秀逸。龍馬のお龍さんに匹敵する。鴎外の史伝の筆法を現代に蘇らせたのが須賀敦子だと言える。
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岩波文庫の表紙によれば「鴎外史伝ものの代表作」なのだそうだが、まず史伝とは何であるのかが今ひとつわからない。歴史小説というのとも少し違う、強いて言えば伝記であろうか。題名のとおり渋江抽斎が主人公というか中心人物であるが、その親族や師弟、交友関係のそのまた親族まで、まさに虱潰しと言うべき執念で記録してある。これを読んでWikipediaみたいだと思うのはマヌケな感想だろうか。
固有名詞の大群に飲み込まれそうになるのだが、じっと耐えながら読んでいると、まさに江戸から明治にかけての大変革期に生きた人々の有様を覗き込んでいる気持ちになくる。
ルネサンス人的ともいえる医者が儒者を兼ねるのが当たり前な様子、嫁入りするのに士族の養女になってからしたり末期養子などのイエ意識、とにかく人が若くして次々亡くなること、放蕩息子に切腹を命じるかどうかで親族が鳩首協議する様などなど、いまとは違う社会の様子が些細とも思える記述の積み重ねから立ち上がってくる。
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岩波文庫緑
森鷗外 「 渋江抽斎 」 医者であり、官吏であり、読書家であった渋江抽斎の史伝。
鷗外が 抽斎を リスペクトしすぎ。抽斎が人格者すぎる。逆に 虚構的で 小説的だが
対照的に 抽斎の4番目の妻 五百(いお)や 抽斎と交友のある人々が 生き生きと描かれていて 面白い。
鷗外の抽斎像
*心を潜めて 古代の医書を読むことが好き
*技をうろうという念がない〜知行よりほかの収入はなかった
*金は「書を購う」と「客を養う」ことに費やした
*詩に貧を問いている
*抽斎は 人の寸長も見逃さず、保護をして、瑕疵を忘れる
史伝の題材としての抽斎=抽斎に因縁を感じる鷗外
*抽斎は 医者であり、官吏であり、読書家であり、鷗外と相似
*抽斎は かって わたくしと同じ道を歩いた人である〜抽斎は 優れた健脚を持っていた〜畏敬すべき存在
*抽斎は 古い武鑑を求めた〜抽斎がわたくしのコンタンポランであったなら〜二人の袖は〜摩れ合ったはず〜親愛すべき存在
抽斎の自戒=人はその地位に安んじていなくてはならない
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悠に4.50人を超える登場人物たちの実生活と、繰り返される「生まれた」「沒した」… 人間の営みのリフレインが事実に即して紡がれる。このテクストは、しかしながら、滔々とした単調な時間の流れの模写ではあり得ず、鴎外の思い入れや、そもそもの登場人物の人生の濃淡によって自在に収縮、膨張を繰り返す。そんな時間の起伏の文様に魅了された読書だった。連載自体は「その百十九」で終わっているが、次の日に「その百二十」がふと続いていたっておかしくないような、「その百十九」のぷつんとした終わり方。まさに時間の物語と呼びたい。
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退屈で中盤まで読むのに数週間を費やした。後半、抽齋の死から幕末~大正の現在までが糸結ばれるに従って、鮮やかな興奮が起こり、結局二日で読了した。歴史というもの、現在というもの、生というもの死というもの、それらのありのままの重さを感得できる。
前半部はかすかに揺れ動く草むらを見ているようなものであった。後半、突如、その草むらから猛獣が出てきた、おれに向かって突進してきた。
おれにとって遠い過去であり、縁のない人物が、人格性を強く帯び、やがてそれは分裂するかのごとく周囲の人間に及び、ついに幾多の死を超えて現在の生に結びつく。
小説―史実 過去―現在 死―生という対立項が止揚され、読後にはある心地よい重さだけが残る。
この極度に抑制された文体でなくてはならぬ偉業だったろう。
もう一度最初から読みたくなる。今度は草むらに隠れる獣を直視しながら。
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カテゴリ:図書館企画展示
2020年度第3回図書館企画展示
「大学生に読んでほしい本」 第2弾!
本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。
川津誠教授(日本語日本文学科)からのおすすめ図書を展示しています。
展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。
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学問と仕事、宮仕えの心構え。芯のある夫人。時代を生きる人々。家族のヒストリーを語りながら、文武両道とユーモアと暖かみにあふれ、誠実にして緻密な史料調査を厭わない森鴎外の視線、筆致に触れられ、憧れるような文化水準の高みを気持ちよく感じさせてくれます。
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2021年12月「眼横鼻直」
https://www.komazawa-u.ac.jp/facilities/library/plan-special-feature/gannoubichoku/2021/1201-10958.html
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最初はじっくり読もうと思ってはいたが、次第に走り読みになり、抽斎が亡くなってからは、もう速読のフェイク動画のような状態だった。難しすぎる。しかし、抽斎の4番目の妻、イオさんだけはすごい人物だったということは分かった。抽斎が暴漢に襲われそうになった時、お風呂に入っていたイオさんは裸に近い状態で飛び出してきて、暴漢にお湯をぶっかけ刀を抜いて立ち向かったって!イオさんの映画観たい!
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一般的にいって、面白いものではないだろう。
ただ、江戸文化や森鷗外自身に興味がある人にはいいだろう。
サマセット・モームのような小説を期待する人は、手に取らないほうがいいだろう。
とはいえ、最後まで辛抱して読むと、味わい深いものはある。