紙の本
不思議な小説
2004/11/11 12:20
8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る
読みはじめてみるとすぐに気が付くことだが、この小説は人物の記述が異常に「詳しすぎる」。おまけに淡々とした記述している。たとえば、抽斎の日常生活をこんな風に記述する。
《飯は朝午各三椀、夕二椀半と極めていた。しかもその椀の大きさとこれに飯を盛る量とが厳重に定めてあった。殊に晩年になっては、嘉永二年に津軽信順が抽斎のこの習慣を聞き知って、長尾宗右衛門に命じて造らせて賜わった椀のみを用いた。その形は常のよりやや大きかった。そしてこれに飯を盛るに、婢をして盛らしむるときは、過不及を免れぬといって、飯を小さい櫃に取り分けさせ、櫃から椀に盛ることを、五百の役目にしていた。朝の未醤汁も必ず二椀に限っていた。(p.185)》
どうやら鴎外は「歴史其儘」という考え方をこの作品で実践したらしい。要するに、書き手の判断を何も書かずに、事実だけを客観的に記述していくスタイルだ。この鴎外のスタイル、私はけっこう好きだ。だけど、こんなこと言ってはなんだが、読者にしてみれば、「渋江抽斎」なんて一般に有名ではない人の日常生活にこれほど詳しくなっても仕方がないかもしれない。
とは言うものの、私にはこの本が「渋江抽斎」という人物の研究書だとは思えない。そこかしこに鴎外の想像=創造が侵入しているはず。だからこれは評伝のスタイルと採っているが、紛れもなく小説なのだと思う。
ちょっとタイトルが良くないと思う。『渋江抽斎』というタイトルでは、この抽斎という人物について鴎外が書いているように読者は思ってしまう。もちろん、抽斎を中心にこの小説は語られているけれど、けっして抽斎ただ一人について語った作品ではないのだ。抽斎と関係した人物や家族に関しても逐一報告していく。しかも「詳しく」。実際に読んでみると分かるのだが、抽斎の嫁の「五百(いお)」のほうが生き生きと語られているではないか!他にも不良の息子についてのほうが抽斎自身についてよりも詳しく書かれているし。したがって、この小説は「渋江抽斎とその時代」と言ったほうが正確なのではないかと思う。
だいたい、主人公の渋江抽斎は途中、それも約半分あたりの箇所で、病気になってあっけなく亡くなってしまうのだ。そのへんの描写を引用してみよう。
《八月二十二日に抽斎は常の如く晩餐の饌に向った。しかし五百が酒を侑めた時、抽斎は下物の魚膾に箸を下さなかった。「なぜ上がらないのです」と問うと、「少し腹工合が悪いからよそう」といった。翌二十三日は浜町中屋敷の当直の日であったのを、所労を以て辞した。この日に始めて嘔吐があった。それから二十七日に至るまで、諸証は次第に険悪になるばかりであった。(…)
抽斎の病況は二十八日に小康を得た。(…)
二十八日の夜丑の刻に、抽斎は遂に絶息した。即ち二十九日午前二時である。年は五十四歳であった。遺骸は谷中感応寺に葬られた。(p.159−160)》
以後、この小説は「抽斎没後の第○○年は、○○年である」という書き出しで、ひたすら抽斎没後の家族の様子を、鴎外がこの作品を執筆している時間まで追いかけていく。普通『渋江抽斎』というタイトルの本なのだから、主人公の抽斎が亡くなったらそれで終わりなのではと思うのだが、鴎外はそこで執筆を止めることはない。これがよく分からない。鴎外が本当に興味・関心を抱いていたのは何だったのだろう? まったく不思議な小説だ。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ないものねだり - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある出来事をモチーフに書いたとか。職業作家という感じがする。作家としての創作姿勢は非常に熱心で、医者としては特に功績は無いと聞いた。作家の作品。
紙の本
聞く側も聞かれる側もご苦労様
2019/09/19 22:34
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは小説ではなくて、史伝だ。史伝というのは、辞書によると歴史上の事実に基づいた伝記ということらしい。 鴎外がなぜ「渋江抽斎」という人に興味を持ち始めたかというと、江戸時代の「武鑑」を集めていてとやたらと「渋江蔵書」という印が目に付く、調べてみると、この人は医者で、官吏で、哲学書を読み、歴史書を読む、文芸書も読む、彼は「私と同じではないか、先人だ」と思ったのだ。ただ、彼は「哲学歴史の面で考証家7としての地位を樹立している渋江氏にくらべて私は・・・」と謙遜して見せている。鴎外は遺子・保氏らから抽斎についての情報を得ているが、これだけの情報を聞き取るにはどれだけの時間を要したであろう。聞く側も聞かれる側もご苦労様である
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歴史小説の原点とも言うべき作品だと思います。文章はピカイチ!!!まさに教科書のような作品。その成功の一つに一人称で書かれているということがあると私は思っています。
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まず漢語を中心とした圧倒的な語彙力に憧れる。伝記としては訥々と事実を述べていて劇的な展開はないが、その分幕末の武家、明治の士族華族の暮らしぶりや考え方がリアルに伝わりとても良かった。つい100年程前なんだなと思うと胸いっぱい。
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ひたっ…すら、渋江氏とその家族についての経歴を書き連ねた作品。はぁ、退屈だった汗 もう、何度か挫折しかけた。多分、鴎外的には、渋江氏をリスペクトするあまり、「この人の自伝を残せるのは俺だけだ!(じゃないと歴史に埋もれて今後の世に名を遺せないから)」と、ひたすらマニアックな萌を発露させてしまったのだろうなー、
それにしても、個人の(あるいは
知人数名の)力だけでよく、そこまで微細に昔の人の人生を調べあげたね…。渋江氏の熱狂的ファンて、昔もこれからも森鴎外ただひとりだろうに。
鴎外的には、読書中、たまたま歴史の本の編纂に関わった渋江チュウサイとかいう人が、自分と同じ医者でなおかつ文芸好きだったってとこに、このうえなくシンパシー☆ミだったぽい。
ま、とにかく無駄に(ごめん)長いのと退屈なので再読はおそらくなしです。はい。
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歴史長編。読むのには難解かもしれない。
渋江抽斎は医者で物書き。鷗外と同じ経歴を持つ人で、だからこの人を選んだのかと納得してしまった。
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須賀敦子の愛読書と知って読んだ。一読してその面白さにはまり、直ぐに再読した。幕末江戸の直参医師を中心に、今はなき江戸の心情と文化を淡々と描きながら、その美学を蘇らせ、愛惜する。主人公は狂言回しで、その周りの人々が生き生きと描かれる。中でも、後妻の五百が、秀逸。龍馬のお龍さんに匹敵する。鴎外の史伝の筆法を現代に蘇らせたのが須賀敦子だと言える。
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岩波文庫の表紙によれば「鴎外史伝ものの代表作」なのだそうだが、まず史伝とは何であるのかが今ひとつわからない。歴史小説というのとも少し違う、強いて言えば伝記であろうか。題名のとおり渋江抽斎が主人公というか中心人物であるが、その親族や師弟、交友関係のそのまた親族まで、まさに虱潰しと言うべき執念で記録してある。これを読んでWikipediaみたいだと思うのはマヌケな感想だろうか。
固有名詞の大群に飲み込まれそうになるのだが、じっと耐えながら読んでいると、まさに江戸から明治にかけての大変革期に生きた人々の有様を覗き込んでいる気持ちになくる。
ルネサンス人的ともいえる医者が儒者を兼ねるのが当たり前な様子、嫁入りするのに士族の養女になってからしたり末期養子などのイエ意識、とにかく人が若くして次々亡くなること、放蕩息子に切腹を命じるかどうかで親族が鳩首協議する様などなど、いまとは違う社会の様子が些細とも思える記述の積み重ねから立ち上がってくる。
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岩波文庫緑
森鷗外 「 渋江抽斎 」 医者であり、官吏であり、読書家であった渋江抽斎の史伝。
鷗外が 抽斎を リスペクトしすぎ。抽斎が人格者すぎる。逆に 虚構的で 小説的だが
対照的に 抽斎の4番目の妻 五百(いお)や 抽斎と交友のある人々が 生き生きと描かれていて 面白い。
鷗外の抽斎像
*心を潜めて 古代の医書を読むことが好き
*技をうろうという念がない〜知行よりほかの収入はなかった
*金は「書を購う」と「客を養う」ことに費やした
*詩に貧を問いている
*抽斎は 人の寸長も見逃さず、保護をして、瑕疵を忘れる
史伝の題材としての抽斎=抽斎に因縁を感じる鷗外
*抽斎は 医者であり、官吏であり、読書家であり、鷗外と相似
*抽斎は かって わたくしと同じ道を歩いた人である〜抽斎は 優れた健脚を持っていた〜畏敬すべき存在
*抽斎は 古い武鑑を求めた〜抽斎がわたくしのコンタンポランであったなら〜二人の袖は〜摩れ合ったはず〜親愛すべき存在
抽斎の自戒=人はその地位に安んじていなくてはならない
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悠に4.50人を超える登場人物たちの実生活と、繰り返される「生まれた」「沒した」… 人間の営みのリフレインが事実に即して紡がれる。このテクストは、しかしながら、滔々とした単調な時間の流れの模写ではあり得ず、鴎外の思い入れや、そもそもの登場人物の人生の濃淡によって自在に収縮、膨張を繰り返す。そんな時間の起伏の文様に魅了された読書だった。連載自体は「その百十九」で終わっているが、次の日に「その百二十」がふと続いていたっておかしくないような、「その百十九」のぷつんとした終わり方。まさに時間の物語と呼びたい。
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退屈で中盤まで読むのに数週間を費やした。後半、抽齋の死から幕末~大正の現在までが糸結ばれるに従って、鮮やかな興奮が起こり、結局二日で読了した。歴史というもの、現在というもの、生というもの死というもの、それらのありのままの重さを感得できる。
前半部はかすかに揺れ動く草むらを見ているようなものであった。後半、突如、その草むらから猛獣が出てきた、おれに向かって突進してきた。
おれにとって遠い過去であり、縁のない人物が、人格性を強く帯び、やがてそれは分裂するかのごとく周囲の人間に及び、ついに幾多の死を超えて現在の生に結びつく。
小説―史実 過去―現在 死―生という対立項が止揚され、読後にはある心地よい重さだけが残る。
この極度に抑制された文体でなくてはならぬ偉業だったろう。
もう一度最初から読みたくなる。今度は草むらに隠れる獣を直視しながら。
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カテゴリ:図書館企画展示
2020年度第3回図書館企画展示
「大学生に読んでほしい本」 第2弾!
本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。
川津誠教授(日本語日本文学科)からのおすすめ図書を展示しています。
展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。
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学問と仕事、宮仕えの心構え。芯のある夫人。時代を生きる人々。家族のヒストリーを語りながら、文武両道とユーモアと暖かみにあふれ、誠実にして緻密な史料調査を厭わない森鴎外の視線、筆致に触れられ、憧れるような文化水準の高みを気持ちよく感じさせてくれます。
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2021年12月「眼横鼻直」
https://www.komazawa-u.ac.jp/facilities/library/plan-special-feature/gannoubichoku/2021/1201-10958.html