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主人公たちは天使の話を聞いた翌日、サタンという名前の天使に会う。彼は不思議な力を使い、たちまち出会った者たちを魅了してしまう。彼は善悪と言うものを知らず、人間がいかに愚かなものかを語る。
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キリスト教的にやばいところを取り除いて出版された と 後書きに書いてあったけど これで 取り除いているんなら 相当きてたんだと思う・・
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それぞれの価値観というか常識が違うってこわい。こんなにも必死なのに伝わらない。
作者は人間に絶望していたのかしら?人間なんて生まれなくても良かった
「『いかにも君たち人間という卑しい連中のやりそうなことなんだな。嘘ばかりついて、ありもしない道徳なんてものをふりかざしたがる。そして、実際はほんとうに道徳をわきまえている、人間以上の動物に対して、道徳知らずなどとけなしつけているんだな。第一、獣はけっして残忍なことなどしやしない。残忍なことをやるのは、良心なんてものを持っている人間だけなんだ。そりゃ獣も他を傷つけることはあるよ。だが、それは無心でやっているんであって、したがって、けっしてそれは悪じゃない。第一、獣にとっちゃ、はじめから悪なんてものはないんだからね。獣には、他を傷つけてよろこぶなんてことは、けっしてない。それをやるのは人間だけなんだ。良心なんて、糞っくらえの代物にあふられやがってね!」
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人間とはどういう生き物なのでしょうか・・・。
そんな答えのない問題をいくら探しても意味がありません。
しかし、考えるべきなんではないでしょうか。
なぜなら私たちは人間なんだから・・・。
考えることをやめてしまえば、それはきっと狂人になったも同じです。
それでも人間、何が幸せで何が不幸せなのか・・・。そして優しさって・・・。
どうあるべき事が人間にとって幸せなのか・・・。相手にも・・・。
考えてみませんか?
私がこの本に出会ったのは、学校の図書館で偶然目に入ったことからでした。
話は、主人公がその「不思議な少年」に出会うことからはじまります。
その「不思議な少年」は、自分は天使だと言います。
ありとあらゆる能力が使え、あらゆるモノを自在に操り、生み出すことができます。
そこで事件が起こります。
この本で私は人間とはという永遠の問いに目覚めました。
哲学家気取りではなく、それが人間であることだと思ったからです。
そして、ストーリーが進むにつれてどんどん話しにのめりこみました。
ストーリーは読んでいただいて感じてもらいたいです。
なぜなら、小説の中に答えがあっても、現実には答えがないから、
各々考えてもらいたいのです。
「人間とは?」という本だと聞くと、きっと難しい哲学書なんでしょと思う人もいるかもしれません。
しかしこの本は小説ですので、ストーリーもちゃんとしていて、読みやすいと思います。
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中学時代に読んで世界観が変わるほどに影響を受けた作品。
良心とは何か。幸せとは何か。世界とは何か。
そもそも自分自身は存在しているのか。
考えることを教えてくれた作品。今でも時々読み返しています。
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天使(サタン)という超越した存在からの視点で「人間」について言及されていく。人間の「良心」があるために残酷なことが平然とおこなわれる。正義を追求するためには悪とみなされた側の視点はなくなってしまう。
畜生の生き方。人間は畜生より低俗な生きものという意見にはまったく反論できない。
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中野好夫訳ということで手に取ったわけだがww
アメリカのドラマでは、ミカエル、ガブリエルといった聖書に出てくるような大物の天使たちがよく登場するが、彼らがなぜかだいたい残酷で
人間を理解しようともせず、バカにして、嘲笑っているのはなぜだろうと
正直不思議だったのだが
この作品を読んで、アメリカ人の「残酷な天使観」がマーク・トゥエインの時代からあったのかと、ちょっと新しいことを知った気がした。
しかし、この作品において天使の名前が「サタン」というのはいくらなんでもww
物語の終りはどうなるのだろうと気になっていたが
結局こうした虚無でしかないのかと、なんだかこけた。
トゥエインの抱える現実への厳しさと皮肉が、どれほど彼を打ちのめし信仰心を去らせてしまったのかと、そこに興味を感じる。
それともうひとつ、ここにキリストの言葉こそ登場するものの
仔羊とその父に関する具体的な言及は行われていない。
やはりそこまですることはできなかったのかと思われるが、どうなのだろう。
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【あらすじ】
ニコラウス、セピ、テオドールの3人の少年は、16世紀のオーストリアの小さな村に暮らしていた。そこにある日不思議な少年が現れた。一見感じの良い美少年の正体はなんと天使だった。その上彼の名前はサタン。3人の少年たちは、サタンの巧みな語り口、魅力的な魔法に誘われ不思議な世界へと惹きこまれていく……人間とは、良心とは何か。善悪、幸福は存在するのか。運命とはどのように決まるのか。人はなぜ戦争をするのか。ニコラウスは天使サタンと過ごすうちに、このような疑問にぶつかる。はたしてその答えは――
【解説】
作者は、『トム・ソーヤの冒険』、『ハックルベリー・フィンの冒険』などの著作で知られるマーク・トウェイン。アメリカの楽天主義を代表する作家だといわれているが、晩年に書かれたこの作品では彼の異なった一面、人間不信とペシミズムが色濃く出ている。ひどく悲観的な物語はしかし奇妙に人を惹きつけて離さない。中野好夫訳。亀井俊介解説。
【感想】
私は、同じくマーク・トウェイン晩年の代表作『人間とは何か』を読み、そのあとがきに本書のことが紹介されており興味をもったのでこの本を手にとった。どちらの本も訴えるメッセージは似たようなものである。『人間とは何か』が青年と老人の問答が終始続くのに対して、本書は構成されたストーリーになっている。
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いわゆる良心や、宗教的価値観(著者はカソリック教会の価値観に対して述べている)、正義や善といったものが、いかに残酷にひとの命を奪ってきたか、不幸の種となってきかたを描きだしている。
人間社会にとって、良心は不要であり、むしろ害となるのだという論理は、一面では正しいが、他方では現に人間社会にはルールや規範が必要であり、それなくして集団生活は円滑に営み得ないという現実が軽視されているようにも思える。
著者の人間に対する絶望は、痛いほど伝わってくる。
救いはないが、忘れてはならない大切な事実を、著者は教えてくれている。正義では世界は救えない。
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とことん否定をされて、いろんなことがどうでもよくなった。ので、がんばれるきがしてきた。
章ごとのつながりがわからない部分もある。
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人間とは何か?の小説版みたいな感じ。
やっぱりこういうペシミスティックなのに惹かれてしまいます。
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イデア論の極みか。
これまで読んだマークトゥウェインとはまるで別人の様なペシミズム。
神の否定、というかキリスト教カトリック批判。
後半終盤にかけていきなり、流れの展開が急過ぎて違和感を覚えたのだが、後書きを読んだら納得。原本は未完な上に、原著者他界により他人の手によって再編されていたんですね。
人間とは。
この壮大なるこのテーマ。
こりゃ、著者『人間とは何か』を読まねばなるまいな。
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「人生そのものが幻じゃないか」
「あるものは君だけなんだ」
人生や世界が自分自身がつくりだした幻にすぎないとして、それならどうして自分の人生の中身に喜びだけでなく悲しみなどの負の感情が多いのか。そのようなことは決して望んでいないはずだ。もしかしたら、悲しみは決して否定的な要素ではなく、あくまでも喜びを相対化させるために存するだけの要素なのかもしれない。そうすれば自分の作り出した自分の世界の悲しみにも何か積極的な意味を見出せるのかもしれない。というようにあっさりと最終的に自己を肯定してしまって完結していいとは思えず、肯定も否定も全てひっくるめて幻の人生であり、独我論なんだろう。そもそも独我論というカテゴライズされる話ではないという感想もよぎるが、やはりこの小説の最後の主題はキリスト教的な倫理観と鋭く対立する個々の主体を考えさせる独我論だと思った。
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「人間とは何か」に続いて、マークトウェインを読むのは二冊目。
これも彼が絶望的・悲観的視点で書いた著書。その中には人間の愚かさや無知さなどが露呈されている。
この中に出てくるサタンという不思議な少年は子供たちにその人間の愚かさを説明していくが、しかし、唯一人間が持つ能力を肯定的に捉える。それは「笑い」だという。
つまり、人間はどうしようもなく絶望的な状況になるが、その境遇を笑い飛ばす事ができる強さを持っているという。この部分には深く共感する。というのは、自分もちょうど同様のことを考えていたからだ。
失敗したりしても、それをネタにして、笑い飛ばせることってすごく大事な事だと思う。失敗し、そこから必要最低限学び取って、その失敗を繰り返さないように努めればあとは笑い飛ばせばいいと思う。そしたらもっと楽観的に生きられるだろうと。
ちなみに、最後のオチはこの人間世界そのものが夢であるというものであり、なかなか面白いがちょっとあっけない感じがした。
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晩年のトゥエインがこれを書いたのだと思うと虚しくて憂鬱になる。サタンの視点から見る人間の愚かさ、そんな着想からここまで広げられたのはトゥエインならではだ。亀井氏は「ペシミズムに陥りながらも、それを乗り越えようと苦闘した」と評するけれども、むしろこの本こそ彼のペシミズムの骨頂だったという気がしてならない。名作ではあるが、気分の良い思いはしない。