教育実践者と教育社会学者のユニークな対談です!
2016/03/02 08:55
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、戦後の貧しい日本で地道な教育実践を展開してこられた大村はま氏と教育社会学者である刈谷剛彦氏とその妻夏子氏の対談集です。本書は、大村はま氏の教育についての考え、教育という活動を行っていく意義などが非常にわかりやすく書かれています。教育に携わっておられる方々には必読の一冊です。
教育のテルミドール反動に抗して「教えること」を復権する(ババーン)
2003/05/18 23:32
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ヨネ - この投稿者のレビュー一覧を見る
3点にわけて,この本を紹介します.1)この本が置かれている文脈,2)内容の構成,3)とくに感心したところ.
この本が置かれている文脈について.
題名に「教えること」ってあります.まず,そこから話をおこしますね.「教える」っていうことばを聞くと,なんだか一方的に相手へ知識を詰め込むばかりのことのように思えてしまう.たとえば,歴史の年号をどんどん暗記させる,みたいなのが,典型的なイメージでしょうか.
もし,「教える」イコール詰め込みだとすると,みんなが「詰めこみ教育はよくない」って考えるようになったとき,じゃ,教えるのはよくないよね,となってしまう.実際,小・中学校では,その傾向がつよまった.そして,結果としては,学力のさらなる低下が経験的にみえるかたちであらわれた.すると,こんな意見がでてくる──「子どもの主体性を尊重するだなんて甘いことをいうから,こうなるんだ,きびしく詰めこまないとダメだって,わかっただろ.だから,教育の方針をもとにもどそうじゃないか……」. こういうのを「反動」っていうんでしたっけ.一方の極から反対の極にとんでしまう.
ここでみなくちゃいけないのは,「教えることイコール詰めこみ」っていう前提の正しさだ.「教えること」は,具体的にどういう行為に分解できるのか,また,どんなノウハウがあるのか.これを考えるためには,すぐれた教師に話を聞いてみるのがいい.
大村はまさんは,長年にわたって国語教育にたずさわってきた.だから,そのインタヴューの適任者だ.その大村さんを囲んだ対談を中心にして,この本は構成されている.まず,冒頭で,「大村はま国語教室」が,ぼくたち読者に紹介される.それから,言葉や文化が学ぶに値するって話をして,じゃ,その国語教室の実践はどんなものか,という対談がはじまる.で,本の最後に,論考「教えることの復権をめざして」がおかれて,教育社会学者の苅谷剛彦さんが,「教えること」をあらためて具体的に分解する.そして,「教えること」っていうミクロな行為を,社会っていうマクロに関連づける.──こうして本の構成をみると,話が堅実に組み立てられているのがわかる.対談の本って,しばしば,脈絡もなく話が右往左往する.まっすぐ「教えること」の考察に向かっているこの堅実な構成は,地味ながらも大事な長所だ.
内容のすばらしいところについて.
インタヴューのなかの話は,具体的で,現場=教室のディテールがつたわってきます.しかも,たんに細かいだけじゃない.大村さんの話には,いつも,なんのためにこういうことをしたのか,そして,やってみたらどうなったのか,という筋道がある.目的−手段−結果の関連をいつも考えている.たとえば,国語の長文読解力をつけるという目的は,どうすれば達成できるんだろう.そのためには,ひとりの生徒の読解力について,なにがネックになっているのかを知らなくてはいけない.そのために,テストを組み立てる.すると,「読解の病気」(p.116) がみえる.そのネックになっているクセをなおして,読解力がすこしよくなる──これって基本だけれど,学校ではかならずしも踏襲されてない.さらに大村さんは,こうした手段について,工夫を凝らしています.
そして,そうやって成長する言葉の力は,
《心が相手に間違いなく伝わるように音にしたり文字にしたりできる技術だと考えればいいわけね.〔中略〕自分の気持ちがそっくり素直に言えてそれがすーっと相手の人に伝わっていく,そういう人が集まって話し合ったときに民主国家の基盤ができるということでしょう.それで私は一生懸命になって話し合いの指導に心を砕くようになるわけ》(p.72)
大村さんの口から出たこの言葉は,かじかんでない.これは近頃ではちょっとすごいと思う.言葉の共和国の,ちゃんとした保守主義者──そんな感じの一言です.
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彼女以上の情熱を持ち、実戦を続け、構造的な理論を持っていた国語教師はそれまでにいなかったし、きっとこれからも現れないだろう。
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教えることに関わる人以外にも、示唆に富んだ内容であるように読めた。人との関わりの中で生活する限り、誰にでも「何かを伝える」ということは要求される。この本は「何かを伝える」ということについて反省させてくれる。
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教育とは何か,教師とはなんたるか。
はま先生のような実践ができるようになりたいと思った。
教えない教師にならないよう,使命感を持って教職に就きたい。
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たまには「教育」についてのお勉強なぞ。
この本で「大村はま」という人物に出会えてよかったです。
私の一番敬愛する先生に似ていたし
なによりそれを女性が戦後間もない時期にやったことを尊敬します。
かつて生徒であった苅谷夏子さんの視線で大村先生の授業が描かれていたのも印象深いです。
今の学校教育が甘っちょろいと感じている人には是非読んでほしいです。
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筆者が国語嫌いだった理由とあたしが国語嫌いな理由が同じだった。国語ってなんか新しいことを学んだ進歩が感じられないのね。でも、この筆者は大村はま先生の授業受けて国語の印象がかわったらしい。あたしもそういう授業に出会いたかった。自覚的な学習者(自分のやるべき課題に気づく、自分を育てる方法をとる)は大村先生の基本的な姿勢がつくったものだとか。それから、『明日もまた教室に立って』と思えるような魅力を、自分の仕事の中に作り出すこと。』ってのが印象的だった。にしても、今の教師は、教えることが仕事ってことを忘れがちなのかもしれない。部活動に熱心になったり、授業準備を怠ったりなど。
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国語教師として50年以上実践的指導に携わった大村はま。
その大村はまと、教え子の苅谷夏子の対談を中心に、大村の国語指導のあり方について読みやすい形でまとめてある本。
学校教育という形では、他の教師がまねをして実践することがなかなか困難な方法論だと思うが、家庭教師の枠組みの中で、取り入れられるべきところはいくつもあるのではないだろうか。
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なんとなく惹かれて買った本。
「大村はま」という素敵な人と出会えた一冊。
教育とは、教えるとは何なのか。
ヒントがたくさん詰まっていました。
こんな先生がいたらなぁと思います。
そのときの子供にあった教材、授業。
子供を知ること。
徹底しています。
ブレない彼女の信念を垣間見ることができました。
とっても勉強になった本です。
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「教えることの復権」という難しいタイトルだが、中身は対談になっていてしかも難しい言葉は何一つ使われていないのでとても読みやすい。しかし、本の内容が本当にすばらしい。ゆとり教育について様々騒がれているがこれほど問題点を明確にあげている本はなかなかないだろう。教師を目指す人は絶対に読まなければいけない本だ。
これはすごい本に出会ってしまったかもしれない…
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担任に貸して頂いた一冊。
私も大村氏の授業を受けてみたかった。
どんなに充実した授業だったろうか。
うらやましい、と思ってしまった。
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教師の私ができることは
「自分で考え、意見を言い、話し合いのできる」
人間が育つ手助けをすること。
それが民主的な社会に貢献すること。
と、この本で思いをまた新たにしました。
(本書166pより)
決して授業をそのままコピーするわけではないし、
といって一般化・抽象化した分析を学術的に示すのではなくて、
両者をつなぐような中間物を作る。
ことに成功している本です。
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21/7/7 95
掲示板は一日で剥がす>ともかく一度と言うことはいいことだと思うわ。そういうふうにして教室にはピリッとしたところが何処かにないと
なんとなく分かるをはっきりと分かるに
常に二つを比べる>カードの振り分け作業>「ことば」の使われ方を分ける
地道な作業の積み重ねが一番大事
教師のもっともいい姿は、新鮮だということと謙虚だ度言うことですよ。
人と比較してみていれば、子供は必ずそれが分かる。伝わってしまいます。そして子供はそういう目で見られることが大嫌いなものです。
書くことも同じですよ。上手も下手もない。役に立つかどうかでもない。自分の心を文字と言うものを使ってそのまま伝わるものにする。書くというのはそういう技術だということ。
自分の思っていることがそのまま相手に伝わる力を持っていないような人が集まって話し合いをしても、民主国家にはならないじゃないか。
一生懸命やりました、という熱気だけに流されない部分を持っていたから、大村教室はバランスが良かった。
生徒に静かにしなさいって言わなければならないようなら、教師として敗北宣言をしたようなものだ。
読書の手引きは子供の心の内側の声になって書くんですよ。
子供を知るというのはとにかく大変なことですよ。教育の仕事で最大のものではないかしら。その力を持たずにいろいろなことをやっても、上手くいかないというくらい。
『教えすぎる」ことと「教えるべきことをちゃんと教えること」との境目が曖昧になってしまった。
覚えるのは何とか覚えるとしても、忘れてはいけないことを忘れないように教えるのが教師。
使命感を単なる精神論にしないための教えることのリアリズムである。
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大村はま先生のご冥福を、つつしんでお祈り申し上げます。
この本は何回も読みました。
EBMの勉強会をしながら、ポジティブフィードバックだとか、批判のサンドイッチだとかいろんな方法にトライしていたときにこの本を紹介されたのです。
自分は、目先の教育技術だけをみていて、なぜそうすることが必要なのか、をすっかり忘れていました。
大村先生が、生徒一人一人に合った本を選んで渡してあげたという逸話を読んで、僕はしばらくフリーズして身動きも出来なかったのを覚えています。
教育者でなくても、読むべしです。
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小学生のとき、いざ、自由にやりなさいと言われて、何から手をつけていいかさっぱりわからず、それまで自分で考えることをしないでただ先生の好みそうなものを形だけ整えて提出していただけだったことに気づいて、愕然としたのを覚えている。自分がいかに空っぽな人間であるか思い知らされ、その後も長々と苦悩した。
でもそれは一概に、私個人の能力だけの問題ではなかったのかもしれない。教わっていないのだから、やり方がわからなくてもよかったのだ。この本を読んで少し救われた。