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教えることの専門職としての教師の役割についてはっとさせられた。自分がはっきり言葉にできないまま今まで来てしまったのを大村はま先生と刈谷夫妻が引き出してくれた。
「社会人でも勉強はできるが、学ぶことだけを専門にしている時間は生徒、学生でいる間だけ。学校という場があって、教える専門職の教師があって、その中で学ぶことのを専門としている時期の子どもがる。社会の中で特別な場である。」本当にそう思う。
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確かめておく必要があること。
①専門家としての教師は、授業づくりの手間暇を楽しむこ
とができる。
②「教える」ということは、=「説明すること」ではな
い。ここの誤解が解消されないと、一方的な講演型の授
業になってしまう。「教える」ことには、学習者を思考
に導くということが、含まれている。
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大村はまに関する著書は何冊か読んできたが、何度読んでも大村はまの言葉には身につまされる。
本書も何度も繰り返し読みたくなる金言、また私もやってみたいと思える実践がたくさん。
例えば、目標を具体化し、その評価を毎回の授業のたびにしていたというエピソードや、中学生を大人にするために話は必ず一度で聞くようにさせたこと、掲示物はこまめに張り替えていたことなどが印象に残っている。
どれも奇をてらった取り組みではなく、むしろ当たり前にやらなくてはいけないことなのかもしれない。
しかし、実際にこれらを継続的に行うには教師の覚悟が必要である。
大村はまの言葉からその覚悟と教師としての矜持を感じた。
72歳まで自分の話をテープに採って聞いていたというのだから脱帽だ。
ちなみに本書の刊行は2003年。約20年経っても教育問題として取り上げられていることはあまり変わらないように思える。いくら新しい時代の学力観と騒ぎ立てたとて、大村はまの思想が今でも色褪せないように、教育の本質は不易流行であると改めて感じた。
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大村はま先生の言葉は一つ一つにパワーがあり、たくさん学ぶところがありました。
これまでの本と比べて「近頃の若者は…」という感じが強い印象もありました。話し言葉が混在しているからかもしれません。
現在の「総合的な学習の時間」に対しての否定的な考えについてもすごく納得しました。
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「教える」という言葉は啓蒙的に思われるのか、今は主体的な学びとよく言われるけれど、「教える」ことの重要性を見直そうとする本。同意。