投稿元:
レビューを見る
いきつけの喫茶店に入って、いつもの席につきコーヒーを飲む。日常の何気ない、けれどそれがきまりになっているらしい律儀さで、ほぼ毎日のルーティン・ワークになっている。そんな店で飲むいつものコーヒーのような味わいの一冊である。
エッセイ集と呼ぶのだろう。短いものなら四ページほどの散文が33篇集められている。いくつかの雑誌に求められて書いた作家本人の登場する小説のような作品から、少年時の回想、食べ物に関するちょっとしたこだわりなど、日常の身辺雑記にあたる文章は、どの作品にも片岡義男という商品タグが付されているような、いつものスタイルで統一されている。
たとえば深煎りコーヒー。たとえば、秋のはじまりであるはずなのに厳しい残暑の中で人とばったり出会い、洋食屋だったり喫茶店だったり、もしくは居酒屋に入って何かを食べ、いかにも訳知り通しらしい会話を交わす。そんな中から小説やエッセイのタイトルに使えそうなしゃれた文句を拾い出す。最近ではそれに俳句が加わった。
スタイルがほとんど変わらないのは自分にキャパシティがないからだ、という作家の言葉に膝を打った。たしかに変わるためにはキャパシティが必要だ。「ワープロのキーを爪弾いている」などという他の作家なら絶対やりそうにない用語法も、この人だと許せる気がする。気の向くまま、たまたま開いたページを拾い読みするような読み方にぴったりの本だ。散歩のときなど持ち歩いて公園のベンチなどで読むといいのではないか。
投稿元:
レビューを見る
もう結構なお爺さんのはずなんだけど、文章だけは若く思えるから不思議。戦時中の疎開なんて経験してる年代なのに。
投稿元:
レビューを見る
片岡さんのエッセイは(小説もだけど)、シャキンと背筋を伸ばして読まなければならない。誰にでもなくそう教わった。多分片岡さんの書き方そのものにそういったものが内包されているんだろう。
投稿元:
レビューを見る
中学高校時代の私の恋愛の教科書的存在でもあった作者。
おじさんには当然なっているんだけど、同じ時代の中を通ってきた人にはわかるよ、まだまだ若い気持ちが有るし。
今度は小説の新作を探してみます。
投稿元:
レビューを見る
年をまたいで読んだ本の一冊。食にまつわるエッセイ集なのだが、最後に収められている「真夜中にセロリの茎が」(書き下ろし)が、創作上の苦労を知ることができて一番面白かった。
投稿元:
レビューを見る
片岡義男は私生活の匂いがまったくしない。それ以前に年齢さえ見当がつかない。80年代、書き飛ばして作品が青春そのものだったから、僕を含め多くのファンはあの時代から「瞬間冷凍」されたまま。まぁ、あの当時だって、何歳なのか気にはしていなかったが。現在72歳。びっくりである。すっかりおじいちゃんである。ということは角川文庫のあの赤い背表紙の書き下ろしを連発していたのは、40歳前半だったことになる。
さて、本書は食に関するエッセイ。とは言え、どこぞのコレが旨い!なんてことは一切出てこない。片岡義男特有のドライな筆致は不変。それゆえ読んでいて思わず生唾が湧いてくるような生理的欲求は薄く、静物の描写のようである。片岡義男といえばアメリカ文化に造詣が深いだけに吉田類がいかにも好みそうな居酒屋について饒舌に語られると妙に居心地が悪い。椎名誠なら「風呂にざんぶと浸かり、待望の生ビール大ジョッキをつかんだ。ワッシワッシと飲んだ後に出るブワァ~。これがあるから、冬でも生ビールなのだ」となるが。作家によって居酒屋ひとつを取ってもこうも違うかと思う。シズル感に欠ける中でコーヒーは無性に飲みたくなってくる。とりわけ喫茶店で飲みたいと思わせる。「コーヒーに向かってまっ逆さま」というエッセイは片岡義男節全開である。作家の田中小実昌との一夜の話。60年代、片岡義男はテディ片岡と名乗っていた。初秋の夕方、新宿駅地下通路で田中さんと偶然に会い、船橋のストリップ小屋へ、その後再び新宿に戻り、何軒もハシゴし、朝まで過ごすいうお話。事実を下敷きにしながらフィクショナルに仕立て上げるテクニックに名人芸の趣を感じる。
「食べ物をめぐる記憶」のページを繰りながら、そこにはかつてのマッチョな片岡義男は無く、「恋は遠い日の花火」のコピーよろしく「老い」を程よく漂わせた枯れた片岡義男が佇む。
投稿元:
レビューを見る
エッセイや短編小説が並ぶ。
片岡さんがご自身のコーヒーの淹れ方を書いている。これははじめて聞く話で、興味深かった。
日本人でコーヒーに凝る人には、どこか茶道のように作法を感じさせるところがある。儀式的とさえ思える。究極とか至高とかを指向し、これがベストに近い方法だと主張しているような。
ところが、片岡さんのコーヒーの淹れ方は違う。シンプルであり合理的であり、実用的だ、と私は思う。だからこそ、毎日数杯のコーヒーを淹れるにしても、それほど面倒にはならない方法だ。とってもいいと思う。
ただし、コーヒー通を自任する方々に、この方法はどうだろう?
少なくとも、クリアなコーヒーを好む方には適さないかもしれない。
こんなふうに、ただ単に「コーヒーを淹れる」というあまりに日常的な行為から片岡流をみるだけでも、片岡さんの生き方の基本が覗けるようで面白い。
投稿元:
レビューを見る
出だしで、片岡義男のイメージか変わったなぁと思い読み始めましたが…かわってなかった(笑)バブリーでした。
投稿元:
レビューを見る
戦後の時代を生き抜き、今を語る片岡氏のエッセイ集。コーヒーとサンドイッチ、トマトがよく出てくる。素敵な日常という切り口ではなく、ある物を通して考えたことを日常の中でさりげなく見せてくるという趣向のエッセイだ。だから、読んでいてふむふむとか、そうだよねとかなるわけだ。日常はそれぞれ違う。だから、日常自体を描こうとした作品、個性的な今を書こうとした瞬間に、それが薄っぺらく伝わらない。本作の素晴らしさは、ある種の思想があるからだと思う。確かな何かをコーヒーから感じるんだからしょうがないじゃんといった思想だ。
投稿元:
レビューを見る
創作ノート的なエッセイ集。タイトルどおり食に関するものから(歩いて5分になにがあるかが要だったりするけれど)俳句や旅の話まで。とくに著者が旅に出たくなる心情を掘りさげて分析したくだりが、それこそ普遍的に人が旅に出る理由なのではないかと思えてうなずいた。田中小実昌に飲み屋をひきずりまわされる話が、その次の吉行淳之介との緊張の対面と、なんというか正反対で、やたら可笑しい。そして装丁が素敵。この著者だったからというのもあるけれど、装丁に惹かれて手に取った本。
投稿元:
レビューを見る
タイトルに惹かれる本は高確率でアタリだから、やっぱりかんばんって大事だと思う。
http://www.horizon-t.net/?p=1086
投稿元:
レビューを見る
街を歩き、街で食べる。美味しい「食」のエッセイ。
食べ物が中心、というよりは食の周りにある記憶をたどっていくような内容だった。記憶をたどる、だけに著者が若かりし頃街をそぞろ歩いていた時代、つまり昭和の雰囲気が満ちたエッセイだった。食べ物エッセイとして期待して読み始めたが、バリエーション豊かな食べ物が登場するわけではなく、その点は少し期待外れだった。特にコーヒーにまつわる話が多かったように思う。それだけ著者の人生に外せない食べ物(飲み物)であるということだろう。そして最も印象に残った話もコーヒーに関するものだった。
著者は毎朝必ず2杯のコーヒーを飲む。コーヒーの香りは覚醒の効果がある、それは著者にとって意識の開放、日常から非日常へ意識を移す効果をもたらす。著者は小説家であり、日常のなかの非日常である小説へ意識を移すトレーニング、条件付けをコーヒーによって行っていたのではないか、と自身で考察している。
コーヒーが非日常への入り口、というのが意外で印象に残ったが、これは言わば、一日の始まりのコーヒーの芳ばしい香りで仕事のスイッチがONになるということである。コーヒーでなくても、毎朝のルーティンの中に何か、気持ちを切り替える習慣を持ちたいものである。
投稿元:
レビューを見る
片岡義男の名前を見ると、
青春時代に思いが飛ぶ。
彼の作品に感化され
一度は本気でバイクの免許を取ろうかと、思った位。
生きた英語の言い回しはおしゃれに感じたし、
少し乾いた目線から見た人々の日常の
切り取りかたが、特に好きだった。
南佳孝の♪ウォンチュー。。。と、音楽まで聞こえてくる。
ひとしきり何作も片岡義男の作品を読んだものだ。
昔から、きらりと光る言葉づかいで
特に短編に良いものが多かった。
そんな片岡義男のわりと最近の作品集
前は気がつかなかったが『俳句』が好きらしい。
何遍も登場する。言葉の捉え方がうまいのだろう。
本人は凡作と言い切るが、しゃれてる。
久々に青春時代を思い出した読書のひとときでした。
投稿元:
レビューを見る
美しい文章が、トマトや沢庵、コーヒーを媒介に世界に溶け込んでいく
先日、麹町・赤坂見附エリアをお散歩していた際に
COOK COOP BOOKさんに立ち寄って、
食に関する本を眺めました。
それで、気になったのがこの本です。
申し訳ないのですが、お名前は伺うのですが読むのが初めての
作家さんです。
ごく短い、短編が続々と続く中、「トマトを追いかける旅」
でトマトを追って世界中を旅する姿、絵が浮かびます。
片岡さん本人も行ってない、空想の世界なのに、
その空想世界に引っ張られる文章です。
沢庵ひときれが冬になり、コーヒー一杯が短編小説になる。
食べ物や飲み物を媒介に、世界に溶け込んでいく、
その溶かし方が絶妙なんですね。
文章に、
「あ、この人こうやって読者を酔わせようとしている」
という作為的な押しが見えないので、
引き込まれてしまうのでしょうか。
文章を書いて、発表してを数多繰り返し、短編小説の書き方、
というのが体に染み付くとこのレベルに達するのだなと感じました。
押しの強い自分の文章からどう引きのエッセンスを取り入れて、
適切な単語を選べるのか、考えさせれる本でした。
春夏秋冬、その間の季節にも、それぞれあう短編があるので、それを探して
ゆっくり読んでいくのも楽しいかもしれません。
投稿元:
レビューを見る
つむじ風食堂みたいな話を期待したら、全然違いました。
題のつけ方にかなり拘っているようですが、このエッセイにことタイトルはあっているのでしょうか。
それから、言葉選びにも並々ならないこだわりを感じます。
・の入れ方やカタカナがくどい。