紙の本
養老学をめぐる思考の饗宴
2004/04/10 17:31
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
いまや今西学の向こうをはって養老学とでも名づけるべき独自の心境に達しつつある「人間科学」のエッセンス──「スルメ」(DNAのように停止し止まったもの=情報)と「イカ」(細胞のようにひたすら動いて変化していくもの=システム)のダイコトミーによる万物の一刀両断──に気軽に接することができる講演録が一つ(養老「人間にとって、言葉とはなにか」)。
意識(コギト)と言葉(イデア)と自己同一性と論理と根本感情の関係から、「ある」と「ない」、「内」と「外」の非対称な関係、身体と個性、ダーウィニズムと資本主義経済システム、自然(意識が作らなかったもの)と無意識(意識が管理できないもの)、はてはアメリカ文学における「暴力」と「傷つきやすさ」の関係をめぐる話題まで、軽妙自在な思考の競演が楽しめる対談が三つ(「意識のはたらき」「原理主義を超えて」「手入れの思想」)。
本書の中心を貫くテーマ、つまり意識ではコントロールできないもの(たとえば、脳の中の無意識という自然のプロセス)をめぐる「手入れの思想」の真髄──「意識ですべてはコントロールできない、できるのは手入れすることだけである」──が、落語家や小説家の言葉の修練に託して語られた書き下ろしエッセイ(茂木「心をたがやす方法」。
(余談だが、「小説とは、単にある意味を伝えたり、ストーリーを展開したりするためのメディアではない……その作品を読まなかったら感じなかったであろうある質感(クオリア)を提示するのが、小説という言葉の芸術の究極のテーマである」という茂木氏の小説論は興味深い)。
さらに、あとがきを兼ねた短い養老孟司論(茂木「覚悟の人」)のオマケまでついて、小冊子ながら、噛めば噛むほど、いや読めば読むほど深甚な味わいが楽しめる好著だ。(本書の背後には、野矢茂樹と保坂和志が潜んでいる。たぶん。)
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ウォーリー所有。6月1日購入。ようたろうの影響か、茂木先生ブームが(笑)養老さんもけっこう好きなんで
ついつい購入。興味深いっす。
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(2006.05.23読了)(2005.05.20購入)
養老孟司さんは、解剖学の先生というのは分かるのですが、どういうわけか「唯脳論」などを書いています。分からないのは、茂木健一郎さんです。一体この人は何をやる人なのでしょう。理学部を卒業して、法学部を卒業して、大学院で物理学を専攻して、・・・。
「スルメを見てイカがわかるか」とは、イカは生きている状態ですが、スルメは干物にされて動かない状態です。死んで動かないものを調べて、生きている状態のものがわかったことになるのかということです。
本を読み終わっても、この本の主題がよくわかりませんでした。
●言葉(9頁)
言葉のことを論ずるには、二つの方法を考える必要があります。一つは脳の中から言葉が生まれてくるメカニズム。これは、いってみれば脳の問題です。
もう一つ、言葉というものは「外に出されている」という日常あまり意識されない性質を持っています。言葉はわれわれの外にあります。
脳の働きは言葉によって共有されているのです。脳の中に言葉が入っているのではなく、実は脳の外に言葉がある。(養老孟司)
●患者と検査データ(15頁)
彼ら(医者)の中にはパソコンの画面と検査の結果を書いた紙と、MRIとかX線の写真を見て、患者の顔を見ないという人がかなりいます。(養老孟司)
●個性(18頁)
弟子は、師匠のやることをとことん真似ます。とことんまねてもまねることができない。これが両方の個性です。(養老孟司)
●「いる」「いない」の証明(42頁)
「いない」の証明はできないけど「いる」の証明は簡単だ。
「筑波山にアゲハチョウがいない」ということの証明は、難しい。
「筑波山にアゲハチョウがいる」ということの証明は、一匹捕まえてもってくればいい。
●「同じ」と「違う」の問題(42頁)
「同じ」であることを実証することは、事実上不可能である。(養老孟司)
●コミュニケーション(81頁)
現代社会では、コミュニケーションといった時にどちらかというと言葉に重点が置かれているけれど、言葉というのはひょっとすると人間が行っているコミュニケーションの本の一部じゃないのかと思うんです。(養老孟司)
●自分探し(83頁)
若い人が「自分探し」とか「事故」というのを聞くと、私は「あほなことを言うんじゃねえ」と思います。若い人が「自分探しだ」なんていうのは、ラッキョウの皮むきと同じで、むいていけばなにもないわけです。自分探しをしたいのなら、体を見ればわかるということなんです。あなたの顔は隣の人と違うに決まっているわけで、それ以上何を心配しているんだということなんです。(養老孟司)
著者 養老孟司
1937年 神奈川県鎌倉市生まれ
1962年 東京大学医学部卒業
解剖学専攻
著者 茂木 健一郎
1962年 東京都生まれ
東京大学理学部、法学部卒業
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了
ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー
内容紹介(amazon)
言葉がつなぐ脳と社会、養老孟司の新常識!
脳科学の大御所・養老孟司とクオリアのパイオニア・茂木健一郎がまじめに語った、脳・言葉・社会--。現代の見方が変わり、新しい常識が分かる、養老エッセイの決定版!!
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手入れの思想。意識にできることは、その無意識に手入れをすることだけである。自分が意識的にコントロールできないからこそ、自分の無意識は意識にとって無限の可能性を秘めている。
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解剖学者である養老氏が、あるときいわれたのが題名のことば。
生きているものを分解して理解することはできるのだろうか?
茂木氏との最強コンビによる対談はサイダーのようにはじけまくって、飛びまくります。
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意識化された人工と無意識領域にある自然、その境界を「手入れ」によって馴染ませると云う方法論が面白かった。原理主義については全く同感。反原理主義ではなく非原理主義であるべきだ。非原理主義は価値相対主義でもある。絶対なるものは存在しない、たとえ存在しても人間には認識出来ない。
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積ん読です。
[帯]私が大学に入るまでくらいは「大学に行くとバカになる」というのは世間の常識にあったのです。(養老孟司――本文より)
↑
そうなの?
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[ 内容 ]
あたりまえの常識をマジメに説く。
[ 目次 ]
第1章 人間にとって、言葉とはなにか(心というもの 言語と脳進化 ほか)
第2章 意識のはたらき(言語と同一性 コミュニケーションと強制了解性 ほか)
第3章 原理主義を超えて(ダーウィニズムと原理主義 原理主義に反対する立場も原理主義になる ほか)
第4章 手入れの思想(人工物・自然物 自然について考えるヒント ほか)
第5章 心をたがやす方法(脳をたがやす方法 常に変化し続ける脳 ほか)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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スルメはスルメ、イカはイカ
これが「当たり前」である
しかし現代ではそれがごっちゃになってしまった
そこを見極める、表現する、考える
そこを気づかせてもらった
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何回か読み返さないとダメかな、と思いつつ、とりあえずひととおり目を通したので登録。
「手入れ」の思想っていいな。
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最初怒られているのかと思った。そうではなく、生きているいかを見ないとスルメは生きていないのでわからないという意味でしたのです。
養老さんは解剖学の権威でいらっしゃるのでなおさら生きているのでないとわからないとお考えになられます。
やがて論理は原理主義の怖さへと話が進みそうだなと思うようになります。
とてもいい本です。
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(2、追記)
個性や自分らしさなんてものはない。
いや、もちろんあるんだけど、
それはどれほどのものだということだ。
自分探しの旅なんて聞くと
それこそへそで湯を沸かすほどおもしろくて仕方がない。
あなたと隣のひととの違いはどれほどあるんですかって話ですよ。
99%が同じじゃないですか。
言い過ぎか、それでも50%は同じじゃないですか、
少なくとも30%なんてことはない。
人間であること、3食食べること、寝ること、同じことだらけじゃないですか。
バレーボールやってて個性を出したいから、俺はスパイクを両手で打つねんなんてやつ居ないでしょ。
自分探しなんて言われるとそれを同じぐらいバカなことだと思うのです。
自分探しをばからしいと思う私の感覚を上手く伝える能力が私にはありませんが、
その辺は伝える能力がある人に代弁してもらいましょう。
養老孟司さんが「スルメイカ」の中で述べてます。
p.18辺りで、
お稽古などで師匠について稽古をします。
師匠のところへ行って鼓を打ってみる。
「ダメ」と一言
何か月か練習して打ってみる
「ダメだ」
ある日師匠が
「良し」という。
本人はなんで「良し」かわからないが
師匠がいうのだからよいだろう。
でこれを繰り返していくと
絶対におたがいにマネできないポイントがいずれやってくる。
これが両方の個性であると。
そこまでつめてこその個性だと。
まったくそう思います。
自分探しのまえに、突き詰めたものがないと自分はでてこないのではないでしょうか。
いい話だし、わかりやすいし、納得できるけど、他の人に勧める言語能力が私にはない(笑
(1)
何でも分かったような気になることはやめよう。
分からないことがあってもまぁいいやと思おう。
共通の言語であれば100%分かるなんて妄想だ
数学は共通理解を得られやすいルールのきわめて明瞭な言語だ。
言語というのは社会に受け入れられる為のツールということがよく分かりますが、これはとても怖いことだと思いませんか。
人間を人間たらしめていることが単なる言語だということになっちゃう。
ある意味真実ですよね。
方言だと意味が分からないとか、いじめられることがありませんか、
中身ではなく出てくる言語なだけで、排他的になる。
人間社会なんて怖いですね。
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言葉は生物活動を静的にする行動
生物は静的にはなれない。
死体になって始めて自然と一体化する。
死体解剖は言葉を扱うとことと同義。
目の前でおきている事象と自らのイデアが一致した時、理解が生まれる。
自然は手入れしてナンボ 放置と自然融合とは別物。
無意識の手入れをすることにより、シナプスが新しい結合し、意識が重厚感を増す。
新しい気づきを多々得ることができた。
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無理をすると続かないし、ひずみが出てくる。
だから無意識を意識しよう、という内容。
何かをやってだめなら、「手入れ」だけしてそっとしておく。
読みながらいろいろアイディアが浮かび、脳をマッサージされた読後感だった。
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脳の大きさは1リットルほど、中には1000億の神経細胞が。脳は常に学習し続けている。脳は心を生み出す臓器であり、脳の働きは言葉によって共有されている。人間(生き物)はひたすら変化するが、言葉は止まっている。この本は私には難しすぎました。降参しました。養老孟司&茂木健一郎「スルメを見てイカがわかるか!」、2003.12発行。イカは生きている対象物。スルメは止まっている対象物。イカをスルメにするのが生物学。本当に、難しい話です(^-^)