デビュー作と直木賞受賞作を含む、完成度の高い初期の作品たち。これらは暗いが快く心を撫でる。
2011/09/21 16:52
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投稿者:toku - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はデビューしてから二年の間に書かれた作品を収録している。
藤沢周平の作品が、初期から完成度が高かったことに驚かされた。
収録している作品は、どれも暗い色調の物ばかりだが、嫌な感じは受けない。
むしろ、快く感じられるのは、登場人物たちが、心の声に従って行動する自分に素直な姿が、羨ましく感じられるからだろう。自分の素直な心に従って行動すれば、たとえ結果が悪かろうと、それをしなかったことを後悔するより、心は幸せなのだ。
【黒い縄】
おしのは、幼馴染みの宗次郎に出会った。姑にいびり出された形で、出戻ってきたある日のことである。
そのことを母に話していると、植木職人として家に来ていた地兵衛が口を挟んできた。
その眼は、かつての岡っ引きをしていたときの鋭い眼だった。
人殺しの容疑で宗次郎を追う地兵衛。人殺しをしていないと言う宗次郎。
真犯人の正体を暴くミステリーであり、宗次郎とおしのの危険な恋を描いた作品。
出戻りの自分に、もはや居場所はなく、新天地を宗次郎との逃避行に見いだした、強く悲しいおしのの心が印象に残る。
【暗殺の年輪】
父は、藩内の政争により、ある重臣の刺殺に失敗し、腹を切った。
その後、ある時期から、馨之介は家中の侍とすれ違うときに憫笑を感じ始めている。
やがて、それらの結びつきを知ったとき、馨之介は一度断った中老・嶺岡兵庫の暗殺を引き受けた。
藤沢周平の、悲哀を描いた下級武士ものの原型となる作品。
暗殺の年輪というタイトルが、読み込んでいくうちに、非常に重みを増してきて、親子二代に渡る無情な役目が、何ともやり切れなく悲しい。
エッセイ【汗だくの格闘】(『周平独言』に収録)によると、はじめのタイトルは【手】だったそうだ。それが、担当編集者から変更を、と言われ、【暗殺の年輪】に決まった。これがもし【手】のままだったら、直木賞を受賞できたかどうか、と思われるほど、現在のタイトルはしっくりくる。
先にこのエッセイを読んでいたので、縁の下で働く編集者の力を強烈に感じた作品でもあった。
【ただ一撃】
酒井藩新規召抱えの試技で、藩士四人の骨を砕いた清家猪十郎。その再試技の相手に刈谷範兵衛という者が選ばれた。
しかし、誰も兵法家としてその名を知らず、息子すらも兵法が達者であることを知らなかった。
ところが、再試技の日まで七日を残して、熊のような猪十郎の姿を見た夜、範兵衛の姿が屋敷から消えた。
猪十郎との試技で放つ範兵衛のただ一撃の剣が物語の骨格で、見所は範兵衛と嫁・三緒の心の交流である。
三緒が、男のものが役に立つか試したいという義父に身を捧げたのは、兵法家として目覚めた義父の勝利を確信したかったからかもしれない。
始めて読む作品なのだが、三緒の「それがお役に立つなら、お試しなさいませ」という言葉を知っている気がした。
【溟い海】
北斎は、広重が東海道を書いたという噂を耳にした。広重には平凡な風景画の絵描きとしか印象はない。
しかし、いたる所で、東海道を見たか、と問われだすと、北斎の中にさまざまな感情が生まれ始めた。
藤沢周平のデビュー作。
広重の東海道登場によって、既に風景画師として名声を得ていた北斎に芽生えた、動揺のような感情を描いている。
見る物にあっと息を呑ませる北斎の富嶽三十六景。
特徴もなく平凡、しかし人間の哀歓が息づく風景を、あるがままに切り取った広重の東海道。
自分とは質の異なる風景画を描く男の登場に動揺し、溟い海を描く北斎だが、作家にも同じ事が起こりうるだろうか。
と、名声を得ながらも、賞に恵まれず、後進のSF作家たちが賞を受けていくという、辛さを味わった星新一が思い浮かんだ。
ところで、内容こそ違うものの、東海道五十三次を描く前後の広重を描いた【旅の誘い】(『花のあと』に収録)がある。併せて読むと、面白いだろう。
【旅の誘い】では、北斎という大きな壁を前にして、さまざまに逡巡する広重の心中が、【溟い海】では、広重の新たな風景画に対する北斎の動揺が楽しめる。
【囮】
下っ引きを務める彫り師の甲吉は、岡っ引きの徳十から見張りを命じられた。
人を殺し、江戸から逃げた綱蔵が、江戸に戻ってきており、その情婦・おふみの家を見張るのである。
甲吉は、半年の間、おふみの家を見張るうち、毎日、おふみが下働きから家に帰ってくるたびに、言い交わした女が自分の元に帰ってくるような気分になっていたのだった。
囮である人を殺した男の情婦に思いを寄せる下っ引きと、その一方で、版木彫り工房での人間模様を描いた作品。
見張る男と見張られる女。これが逆の立場だったら、女は甲吉のように、見張っている男に思いを寄せるようになるのだろうか。
暗殺の年輪 新装版(文春文庫)
2019/01/28 14:29
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投稿者:雨読 - この投稿者のレビュー一覧を見る
藤沢周平氏が昭和48年に第69回直木賞を受賞した作品「暗殺の年輪」を未だ読んでいなかったので購読しました。
他に、「黒い縄」、「ただ一撃」、「溟い海」、「囮」が収められている。
みな昭和四十年代に発表されたもので、晩年の様な円熟味は余り感じられなかった。それは題材選定なのか、クライマックスが期待外れなのか、作家としての技量なのか、葛藤なのかよく分らないが、貴重な足跡として拝読しました。
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後味の悪い、苦い物語が多かった。「蝉しぐれ」で藤沢修平の世界観が好きになっていなかったら、ちょっとキツかったかも?主人公の男たちより女性の方が印象に強く残ったなぁ。
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「暗殺の年輪」はさすがにすごいと思う。それより前はあまり好きではないかも。後年の方が好みなんだろう。
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重苦しいのとは違う。人生ってこうなのかな、翻弄されてそれでも足掻くものなのだな、と響く話ばかり。表題作よりも「黒い繩」があまりに哀しい。
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84歳のハッピー・バースデーと言えないのが残念な藤沢周平は、1927年12月26日山形県生まれの時代小説作家。15年前に69歳で逝去。
この本を読んだ時の衝撃を、今でもはっきり覚えています。
ええっと、たとえて言うなら、心地よいボディブローか痛快なアッパーカットか、ううん、ちょっと違うというか、そうであるようでないような、ひょっとして何気ない会話を交わしていたらいきなりクロスカウンターを食らうようなとでもいうのか、ともかく油断して無防備でいるこちらの全躯に、思いもかけない圧倒的な力技で真正面から真剣でズバッと斬りつけられそうになった感じ、でもよけるでもなく、このまま斬られてもいいわって感じ。ダメ、やっぱりうまく言えません。
しかも、なんとこれは、いったいぜんたい、時代劇というよりまさしく全篇ハードボイルドではありませんか。
何といっても文章がいいのです。私にとてもフィットする、私の言葉の感覚や文の運びやボキャブラリーに通底する文章で、読んでいてカタルシスを感じることができるものなのです。
それほど熱心にではありませんが、今まで一応の著名な時代小説は、村上元三『真田十勇士』や山本周五郎『樅の木は残った』、山手樹一郎『又四郎行状記』や吉川栄治『鳴門秘帖』、村山知義『忍びの者』や野村胡堂『銭形平次捕物控』、中山義秀『戦国無双剣』や中里介山『大菩薩峠』、山田風太郎『伊賀忍法帖』や白井喬二『富士に立つ影』、座頭市の生みの親である子母澤寛『新選組始末記』や柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』、池波正太郎『鬼平犯科帳』などなど手当たり次第に読んできましたが、このときほどズッシリと手ごたえのある感触を感じたことはかつてありませんでした。
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封建社会を生きる人々と武士の息苦しさが生々しく描かれている時代小説。精密だしおもしろいので、年老いたときに読んだらもっとはまるだろうな。
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藤沢周平初期短編5作品。
解説を読んで知りましたが、自分としては文壇初登場の「溟い海」と第2作の「囮」が中でも面白かったです。
どの作品も悲劇的な最後ですが、落ちるところまで落ちた悲劇な終わり方ではなく、わずかな救いを感じさせるのも絶妙なところです。江戸時代の情緒をしっとりと感じさせてくれる鮮やかな筆致と、ぐいぐい物語にのめりこまさせてくれるストーリー展開が大きな魅力です。
「黒い縄」は女性視点での町人物。離縁された?女性の心の移ろいを細やかに描写した作品で、ミステリーの常道ともいえるストーリー展開が楽しめる。
表題作「暗殺の年輪」は直木賞受賞作で、自らの生い立ちに桎梏を持つ青年武士の葛藤と決断までの過程を描く。これもストーリー展開と青年の心理の揺れ動きと魅力的な女性陣の登場が楽しませてくれる。
「ただ一撃」は、剣術物として疾走感のある作品。最もはらはらして読んだ作品で、舅と魅力的な嫁との掛け合いも面白かった。
「溟い海」は葛飾北斎が下り坂になり安藤広重に嫉妬する様を、サイドストーリーを絡ませながら、その葛藤を巧みに描いた作品。ストーリー展開とその終わらせ方も含めて面白かった。
「囮」は下っ引きの張り込みを中心とした物語で、主人公の下っ引きの本職である版画工房での出来事とあわせ、巧みなストーリー展開と主人公の張り込み先である犯罪者の情婦との絡みが面白かった。
一慨に女性の描き方も上手く、大いに魅せられた作品群でした。
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単行本刊行1973年。全5編中直木賞受賞作1編と直木賞候補作3編を含むなんとも贅沢なデビュー短編集。 内容的には葛飾北斎のことを書いた「溟い海」や海坂藩作品の第一作で直木賞受賞作「暗殺の年輪」など本当に質の高くてバラエティーに富んだ作品集であるが、私がもっとも印象に残ったのは唯一直木賞の候補に上がらなかった「ただ一撃」、この作品は展開もさることながら作中に出てくる“三緒”という嫁が本当に健気で物悲しいのです。 とにかく各編、重苦しくて哀しいけど素敵な女性が描かれています。
各編の女性たちを読み比べるだけでも価値のある作品集だと言えます。ズバリテーマは“女心”。ただし初めて藤沢作品を手に取られる方や時代小説初心者には他の作品の方が良いような気がします。 物悲しいと言えば全五編に統一されたモチーフというかデビュー時の藤沢さんの特徴だと言えそうです。 藤沢氏の作品は端正な文章で読みやすくわかりやすいというのが通説ですが、この作品集に限って言えば少し難解な部分も含まれていて他作よりも何回も読むことによってより味わい深いものとなるでしょう。最初から凄く高い位置を極めていたんですね。
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短編小説集ですが、新聞の書籍紹介欄で葛飾北斎の小説があるとあったので借りてみました。藤沢さんの小説を読むのは初めてなのですが、タイトルどおり暗い小説を集めたものなのか、藤沢さんの小説が全般的にそうなのか。「暗い」とか「救われない」ってイメージの短編集です。
肝心の葛飾北斎の話も「人間の内面」に焦点をあてたわけですが、画業とはあまり関係ない話だったので面白いものではなかったな。というのが感想です。個人的な趣味があわないな~。という小説でした。
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情念と女性がテーマの短編集。
情景描写と心理描写が精緻に描かれている。
一つ一つの短編を読み終えると、その^ どこか物憂げな展開に、心の一部に穴を開けられたような感じさえした。
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いずれの短編も、面白い。出てくる人物の魅力と、ストーリー展開に、魅了される1冊。藤沢周平、また読みたい。
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父の仇と母の恥を雪ぐ「暗殺の年輪」、冤罪で追われつつ真犯人を追う若者とそれを救おうとする若後家の切ない思いが哀しい「黒い縄」、老年を迎えた北斎の若い広重に対する嫉妬の思いが生き生き描かれる「溟い海」、老武芸者と息子の嫁の心の交流が美しく描かれた「ただ一撃」など。老境を迎えた男性の枯れた心境と不幸を背負った可憐な女性がいつもながら素晴らしいです。
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直木賞受賞の表題作をはじめ、5つの短篇を収録。「暗殺の年輪」も悪くはないが、やはり篇中の白眉は「ただ一撃」だろう。武骨で巨漢の猪十郎の存在感も十分だし、なによりこれに対する、隠居の身の範兵衛が兵法者として復活してゆく姿と、一瞬の立ち合いは読みごたえがある。物語の主軸を支えるのはこの二人だが、実は真に藤沢周平らしさが出ているのは刈谷家の嫁、三緒の造形だ。つつましく、いじらしく、聡明でもあり、さらには感情も溢れるほどに豊かだ。剣豪小説のように見えながら、彼女の存在こそが作品にふくらみと陰翳とを与えているのだ。
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海坂藩ものの第一作「暗殺の年輪」には、「蝉しぐれ」などの後の作品のプロトタイプを思わせるものがあるが、全体に”暗い情念”が横溢した短編集。「ただ一撃」が好物。