紙の本
肩の力を抜いた茶飲み話から伝わる透徹した視線
2003/11/16 20:56
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:田中武人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
まるで親戚がたまたま何かの教授で、気軽に居室を訪れた際に話を聞くような感じで始まる語りだが、読み進めるうちに著者の思想が立ち上り、気がつくと深く考えされる、そのような書物である。
我々は文化という名の擬制の中で暮らしており、理を突き詰めるとその擬制は暴かれてしまう。それでも理を追求することが必要であるのは、擬制であることに気がつかないことが、さまざまな弊害、既得権益や差別を生み出すからである。
著者は、理論生物学者で本書の中で、狂牛病、地球温暖化、オカルト、クローン人間などなどさまざまな事象に関して、理を徹底的に突き詰める。その結果は、本書を読んで欲しいと思うが一般の人(評者も例外ではない)には受け入れ難い結論を多数含んでいる。しかし、ほとんどの文章に関しては「理において」否定仕切ることは難しいと思われる。(無論、専門家からは異論があるかもしれないが、大枠において「正しい」と思われる。
この理の追求振りは凄まじい限りである。しかし、著者はそこで立ち止まらない。理を追求した後で引き返してくるのだ。それは例えば、「自然保護をしなければならない理由というのは厳密に論理的に考えると底が抜けているのではないかと思う。(中略)それは人間のナイーブな感情であり、(後略)」と指摘しつつも、それを否定せず、他の箇所では自らに関して「(前略)自然の摂理であり、善悪の問題でないことはわかっていても、自分に親しいものの命は助けたいと思ってしまう。」と積極的に認知するのだ。
話が認識論や構造主義生物学になると評者の評価できる範疇を超えてしまうが、本書を貫いているのは、ナイーブさを偽装しない透徹した視線とそのナイーブさを引き受ける優しさである。虫喰いやバカ学生についてバッサリと語るその中に理と情の間の緊張感が伝わってくる。
我々は擬制に浸りきっていて、擬制の中でしか生きられない、だからこそきっと擬制の限界と必要性を認識すべきであろうし、本書はそれを考える良い手助けとなるだろう。
紙の本
キラリと光る視点や論理
2011/08/05 22:38
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Genpyon - この投稿者のレビュー一覧を見る
時事の話題や著者の思索を、痛快な語り口で語ったエッセイ集。タイトルは「科学論」だが、内容は、科学というよりは著者の哲学に近い。
いろいろなトピックが盛り込まれているため、時事ネタなどについては、古くなってしまっているものもあることは否めない。そんな中にも、色褪せずにキラリと光る著者の視点や論理があり、いろいろなことがすっきり解ったような気にさせられる。
内容にもまして、著者の語り口が痛快で楽しい。押しては引き、引っ張っておいて投げ出してしまうかのようなその語り口は、ある種の話芸の域に達しているように思う。
投稿元:
レビューを見る
日ごろのニュースを科学的な視点からみるエッセイ的な本。2003年。若者の科学離れから職の安全まで、日常的な出来事を多岐にわたり解説していく。ガンの主原因はタバコではなく車であること、危険な肉を食べるよりも昆虫を食べたほうが安全で栄養価が高いこと、などマイノリティな主張となっているが面白い話が多い。確かに喫煙者が減っているのに、肺がん患者が増えているのはタバコによるものではないことの裏づけだろう。しかし、日本は車メーカーが一部支えているところもあるから、国、マスコミも追及できないのか。普段のニュースの一般的な見方ではなく、やや斜めからみている点が面白く、オススメである。
投稿元:
レビューを見る
・「論」とあるが余り論理的ではない。
・温暖化やクローン、理科離れ、自然保護、狂牛病等々、幅広い内容。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
クローン人間作ってなぜ悪い?
地球温暖化なんてホントにあるのか?
科学とオカルトって、どう違う?
…オソロシイ勢いで進歩し専門化してゆく科学に、多くの人びとはついてゆけない。
そのくせ、いかがわしい科学(まがい)は無根拠に信じてしまう。
かように厄介な科学的現実から虚飾を剥ぎ取り、本質を見極めるにはどうしたらいいのか。
そこで、生物学の風雲児(?)池田センセが最新の科学トピックに縦横に斬り込み、徹頭徹尾「論理」で腑分けする。
[ 目次 ]
若者の理科離れ
自然保護と原理主義
狂牛病
市民バイオテクノロジー情報室の発足
好コントロール装置と健康
セカンド・オピニオン
科学的知識の確実性
食い物とエスノセントリズム
地球温暖化論のいかがわしさ
科学はリアリティーを喪失した?〔ほか〕
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
科学エッセイ。どうも視点と内容はいい気がするが、エッセイというかたちのせいか若干内容が薄いのと、皮肉な感じがして星二つ。
皮肉ならとことんユーモアにして頂きたいし、科学視点ならとことんいってほしい。
投稿元:
レビューを見る
本になる前の連載を読んでました。2002年9月「加速するバカ化」
読みやすく、興味深いエッセイだったと思います。
投稿元:
レビューを見る
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061409/
投稿元:
レビューを見る
科学論というよりも、「科学に対する人間」論。
“人々は科学の成果を利用する権利を有するが、科学がよしとするものに従う義務はない、と私は思う”
私が子どもの頃、科学は今よりもいい生活に向かって延びていくレールのようなものだった。
今は、科学は万能ではないし、必ずしも人間のためになるものばかりではないこともわかってきた。
では、人間は科学とどう向き合えばいいのか。
今の科学は細分化されすぎてしまって、全てに対して専門的であることは無理だ。
だからこそ、基礎をきちんと学習することが大事だ。
マスコミが無責任に垂れ流す似非科学、国や企業が自らの利益のために恣意的に押し付けてくる科学論理。
そういうものを見極める目。それが必要だ。
世間一般の風潮を、いったん立ち止まって考えてみると、流されてるな~と思うことしばしばである。
著者はあえて世間を敵に回すような立ち位置で物申しているけれど、言われて見れば納得のいくことばかり。
「自然保護と原理主義」原理主義とは手段を目的にしてしまうこと、と考えるとわかりやすい。
「地球温暖化論のいかがわしさ」ひと月先の天気予報だって無理なのに、地球が温暖に向かっているのか、寒冷に向かっているのかなんてわからない。
「クローン人間作って、何が悪い」生物の形質はDNAのみによって決定されるわけではない。クローン人間と元になる人間は一卵性双生児ほどにも似ていないと考えられる。
「加速するバカ化」日本の大学生の大半は智への憧れも畏れも皆無である。
「死ぬことと生きること」たくさんの死の上に自分の生があることを認識して、人はやさしく上品になれるのだと思う。やさしくても上品でも、いずれ死ぬことに変わりはない。
特に強く同感したのは「定期検診は病気を作る?」
定期検診でがんを早期発見できた人が、私のまわりにも何人かいる。
それを踏まえたうえで、あえて言いたいのは、定期検診の結果として出される数値の正常異常は、あくまでも国が決めた目安であるにすぎないのである。
そこに個体差は考慮されてはいない。
どういう状態がその人の最適な状態なのかは、平均的な数値からは出てこない。
だから、自覚症状の伴わない多少の異常値に、無理やり病名(疑い)をつけて再検査や精密検査を強要するのはいかがなものか?
2000年まで日本に高血圧の人は1600万人しかしなかったのに、21世紀になった途端3700万人になった。
なぜか。
日本高血圧学会が、高血圧の基準値を160/95mmHgから140/90mmHgに引き下げたから。
60歳以上の6割以上が高血圧症というのなら、むしろ高血圧の方が普通なのではないの?
病気は数字が作り出すものではないはず。
あきらかにレントゲンや内視鏡などに異常が見られたときは別として、数字で線引きされる異常については、もう少し体の声を聞いてみることが大事なのでは。
つまり何事も盲信するのは危険だね、ということ。
投稿元:
レビューを見る
BSEや地球温暖化、クローン技術など、さまざまな問題をあつかった科学エッセイです。
著者の議論を支えている柱のひとつは、著者が「好コントロール装置」と呼んでいる近代国家のパターナリズムに対する批判だといえるように思います。ただし本書は「リバタリアンのすすめ」といったような内容ではなく、科学的な装いを施したパターナリズムに対して科学者の立場から問題点を指摘するというものとなっており、興味深く読みました。
本書の議論を支えるもうひとつの柱となっているのが、著者のいう「構造主義的科学論」の視点です。これは、あらゆる科学の理論は「同一性」というものに依拠して組み立てられているという科学認識論上の立場だと理解することができます。著者は、この同一性を構築するのは脳の働きだという、唯脳論の養老孟司を思わせる議論を展開しています。
読者によっては、著者のシニカルな語り口が好きになれないと感じるひともいるかもしれません。