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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
宮城谷三国志の最終巻。諸葛孔明死後、三国が統一されるまで。英雄の晩年がむなしく描かれ情緒を誘う。大団円といえようか。
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宮城谷昌光の「三国志」全12巻を読み終えました。
作者の文章に慣れてきたのか、比較的スムーズに読むことができました。
相変わらず、登場人物の多さには閉口しました、1200人余りだそうです。
しかしながら、わかりづらいのは人名だけでなく、地名もです。
ある武将が何処から移動して、どこで戦ったのか地名だけではわからないのです。
添付されるべき地図がまことにもって不親切なのです。
ご存知のように、吉川英治の「三国志」の元になった「三国志演義」は
史実とは異なったフィクションが数多く含まれた読み物なのです。
例えば、あの劉備・関羽・張飛の3人が義兄弟の誓いを結んだとされる
「桃園の誓い」は「三国志演義」の作者による完全な創作です。
また、あの有名な赤壁の戦いにおいては、
呉の孫権から任された周瑜は蜀の劉備・諸葛孔明の軍を全くあてにせず、
火攻めという奇襲で、大軍の魏・曹操を敗走させています。
その辺りの様子は、本書に詳しく、かつ面白く描かれております。
では、なぜこのようなことがおこるのでしょうか?
それは「漢王朝の正当な血を引くのは蜀の劉備である」
とする風潮が明の時代に浸透していったためだとされています。
そうした身びいきとも云える物語が出来あがり、
それが後の多くの大衆に支持されたのだそうです。
それでは西晋代の陳寿によって表された正史「三国志」は
ほんとうに正しいことを伝えているのでしょうか?
正直、私は少し疑問を抱いています。
およそ歴史書は勝利者の側から見た事実、記述で構成されており、
そこには敗者側からの見方・陳述は無視されやすいのではないでしょうか。
双方の記述、更には第3者の記録を突き合わせてはじめて
真実に近い歴史が出来上がっていくものだと思っています。
それにしても、この三国志の時代が西暦200年前後こと、
この「三国志」という歴史書の終わりあたりに、
「魏志倭人伝」という項目が出てきます。
そう、あの卑弥呼がいた邪馬台国の記述が出てくるのです。
しかしながら、肝心の日本はまだ文字を持っていなかったため、
今もって邪馬台国がどこであったかわからないのです。
従って、魏志倭人伝の記述の何処までが正しいのか不明のままなのです。
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とうとう三国が終わります。国ができる時と滅びる時が面白いと言うのは第三者の視点だからでしょう。次は晋だったんですね。
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孔明亡き後の三国志はつまらないよ、と言われることもあるけど、この最終巻は興味深い。
後世、酷評を受ける劉禅とその選択はほんとうに愚かだったのかと思いながら、彼が、独り廟前に座り、劉備の霊と対話する姿を想像してみる。
蜀という国は、弱小国だけども、いろいろな人を得て、流れ星のように、美しく出現し消えていったのでしょうか。
尾のない竜に乗って天に昇った夢をみたという孫休のしたたかさも面白い。
司馬昭には、新たな王朝を開く人の風格を感じる。
魏と呉の国境線での攻防も、曹操や孫権が健在だった頃の番外編のよう。投降や亡命という選択肢が、当たり前のようになっています。将軍たちの国への思いの質が変わっていったのでしょうか。
宮城谷さんの三国志は、重厚で興味深いものでした(私などでは深部まで読みこなせたとは思えないけど)。
それと同時に、曹操の人の能力を引き出す力と、孔明に出会って変化していく劉備は、どんな三国志でも、華だなぁと思いました。
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司馬昭のおおらかさ、狡猾さ、総じて政治力が高い。
とうがいはある意味その犠牲者だが、高い能力と華々しい活躍の割りに最期が寂しい。
鍾会の野心とそれを利用する姜維の執念、面白いところだがあっさり。
劉禅はほんとうに暗愚か?
呉のぐだぐだはおなかいっぱい。
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最終巻。
陰湿な登場人物が多い中で文欽、文鴦の親子はいかにも三国志的な登場人物。
最後にちらっと出てくる羅憲は知らなかった。
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第九巻で顕著だった人物(国)へ対する好悪の激しい筆致には低劣さを覚え嫌気がさしていた。今巻もいつ“それ”が現れるかひやひやしながら読んでいたが、全編宮城谷昌光らしいおだやかな、あくまでも『正史』に沿った淡々とした描写で安心した。
ただ一言で感想を述べれば、面白かった!
私としては特に蜀滅亡の件での鄧艾、鍾会、姜維三者の生き様(思惑)が面白く、楽しささえも感じた。
「王朝にかぎらず組織を立て直す近道は、益をふやすよりも害をのぞくことである」『蛇足』より。
「最悪の事態とは、君主が選択をあやまることではなく、決定をためらいつづけることである」『劉禅』より。
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遂に終わってしまった。
三国時代って、中国の長い長い歴史の中で一瞬のように短い。
蜀は二代、魏は五代、呉は四代しか続かず、その国の終焉はどれも自滅と言っていいようなもの。
才ある者の枯渇、権力者の専横、など。
滅ぶべくしてほろんだ王朝ではあるけれど、建国前から読んでいた身にすると、先人たちの苦労や偉業をふみにじるような愚かな後継者たちに忸怩たる思いがぬぐえない。
それにしても今まで読んできた三国志となんと違う事よ。
曹操の祖父の時代から書きはじめられたのは、幕末を描こうとして関ヶ原から描き始めたみなもと太郎にも通じるけれど、わかりやすくはあるけれど情報量が多すぎて、思考も行きつ戻りつしながらこの作品を咀嚼した。
桃園の誓いもなければ、赤壁の戦いにおける劉備軍の活躍もない。
そもそもこの十二巻の作品中、多分蜀の記述が一番少ない。
史実に残されるような出来事があまりなかったのだろう。(三国志を編纂したのは晋の時代)
だから、フィクションにする余地が多かったのだな、きっと。
そして、これは中国に甚だしい特徴だと思うのだけど、誰かが出世すると一族みんなが優遇される。
これは儒教的なことなのかな。
そして、だれかが罪に問われると一族全員が族滅させられる。
だから権力闘争が命がけなのだ。
そして儒教的感覚では、上に立つものの指示に従うのが是であり、過ちを正すのは否らしい。
時代の違い、文化の違いを超えて、人の思いや行為って通じるものがあるんだなあと巻を通してしみじみ思う。
ああ、面白かった。
次はだれの三国志を読もうかな。
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吉川英治の三国志では、天候を操り奇門遁甲で敵を術中に嵌める超人的な軍師として描かれたが、本書では優秀な行政官ながらも戦争では決断に欠ける諸葛孔明。史実をベースとした淡々とした物語に途中まで退屈さを覚えたが、吉川三国志では最後のオマケ程度だった孔明死後の物語が凄く面白く、十巻以降は一気読み。
三国時代の主役であった魏呉蜀、どの国も結局は統一できずに司馬氏の晋が統一、本書で描かれた三国志の時代以降、その晋の統一も短命に終わって南北朝時代に入り、漢人ではない異民族人が隋や唐を建国。そして歴史は繰り返す。諸行無常。