「ジョジョの奇妙な冒険」論
2014/02/08 17:46
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投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
現在、Part8となる「ジョジョリオン」が連載中の「ジョジョの奇妙な冒険」
Part1の連載開始が1987年であるから、もう四半世紀、連載が続いている。
自分は、Part1~Part3まではコミックスも買って、読んでいたが、Part4以降は古本屋などで部分的に読んだりしているだけだった。
本書は「荒木飛呂彦論」というタイトルだが、実際は「ジョジョの奇妙な冒険論」となっている。
ストーリーの意味する内容を読み解こうとする部分もあるが、表現技法についての考察に重点が置かれている。
本書の中で著者は荒木飛呂彦の事を何度も褒めちぎっているので、「あばたもえくぼ」式の考察になっている部分もありそうな感じがする。
(鼻につくほどの感じはなかったので、その点は抑えたのかもしれない)
荒木飛呂彦の絵柄が、どうしても好きになれない、という人がいるのも、よく聞くが・・・。
個人的には、荒木飛呂彦作品の「謎の出し方」が自分の好みにあっている。
(脱線するが、浦沢直樹の「謎の出し方」は、自分にとっては「大山鳴動してネズミ一匹」という感じがして、好みにあわない。)
「ジョジョ立ち」と呼ばれるポーズについては、当然、言及されているが、少し意外だったのは(自分が知らないだけかもしれないが)「独特なコマ割り」について。
「斜形」「円形」など変則的なコマ割りが多用されている、という点。
「斜形コマ割り」で、登場人物の「焦り」「不安」などの心情を表し、「円形コマ割り」は、目のアップで使用して、登場人物の心情を強調する時などに使っているらしい。
正直、今まで、マンガのコマ割りについては、あまり意識した事がなかったので、この考察は自分にとって新鮮だった。
以前、Part3の各エピソードが元ネタにしたと考えられる映画を探す、という分析(というか遊び)をやった事はあるが・・・。
そのためだろうか、少々、難しく考えすぎているのでは?と思えるような部分もチラホラ。
これは単に自分がこういう考察に慣れていないだけか。
荒木飛呂彦のマンガが好き、というだけで本書を手に取ると、少々、面食らうかもしれない。
これは単なるわがままだが、「ジョジョ~」よりも、初期の作品(とくに「バオー来訪者」「魔少年ビーティー」)の方が好きなので、そちらの方にもページを割いて、考察して欲しかった。
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投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
サラッとジョジョを読んだだけの自分では全くついていけませんでした。著者が熱烈なジョジョファンだというのではわかったから ライトな層を弾きだしてるのはいただけないなあ。
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僕にとって「ジョジョの奇妙な冒険」は、まあ一種の経典のようなものなのだけど、同じ神を抱いてもまったく別の宗教になり、宗教間の争いが起こることが、何か少し理解できたような気がする。
タイトルに荒木飛呂彦論と銘打っているのに、荒木飛呂彦そのものへのスポットはあまりあたらず、ほとんどはジョジョの奇妙な冒険の重箱の隅(あるいは重箱そのもの)に壮大な意味を持たせよう、と。強いコレジャナイ感。こうなると、「いやきっと、荒木先生はそんなこと考えてないと思うよ」と突っ込みながらライトに読むほうがいいかなあ〜。でも考えてるかもしれないからなあ〜。
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はやくも、今年ワースト候補が登場。
『荒木飛呂彦論』という名前に釣られて購入。副題に「アート・マンガ入門」なんて書かれていれば、これは買わざるをえないでしょう! というわけで。でも、実際は買うまでに時間がかかりました。本屋で本書を見つけたときは、「おっ!」と思ったものの、ぱらぱらと読んでみると、とても「入門」な内容に思えなかったので。でも、やはりファンなので購入した。
中身は、漫画家荒木飛呂彦を論じるというよりも、『ジョジョの奇妙な冒険』について語るというスタンス。著者は映画研究を専門としている人のようで、ユリイカの荒木飛呂彦特集にも本書のような視点での文章を載せている。映画研究者の立場から荒木飛呂彦の作品について語るという内容。でも、映画なら作品から論を立てるというのは当たり前なのかもしれないが、しかし、それなら本書も『ジョジョの奇妙な冒険論』で良かったのでは? というように、この本には荒木飛呂彦を論じた部分がない。
それはともかくとして、荒木飛呂彦とジョジョの奇妙な冒険のファンとして言わせていただければ、この本は買う価値のない地雷だ。本書を書店で見かけて、興味を持って、パラパラと捲ってみれば気付くと思うけれども、この本の著者の書いている文章は、一読して「なに言ってるの?」と容易に理解できないものになっている。さすが、「マンガ・アート入門」と帯に書かれてあるくらいだから、読み手の素養も試されているのかと思いきや、実際、ここに書かれていることときたら、著者の「そう読める」という論(というのもどうかと思うが)が詰め込まれただけの、ただの私見にすぎないものだったりする。
僕は、この本に書かれているところの、「『ジョジョの奇妙な冒険』は世界的水準の傑作漫画」という評自体に異を唱えるつもりはないし、実際にファンとしてそう思っている。でも、「論」と言うからには、ロジックによって『ジョジョ』=「傑作漫画」という証明をしなければならないはずだ。そこが、どうしてかこの本には欠けている。『ジョジョの奇妙な冒険』についての、基本的なストーリーの事実関係も怪しければ、荒木飛呂彦がジョジョについて語っていることも引用がないし、勝手な解釈を長々読まされるという苦行に付き合わされるはめになる。ジョジョほどに人気のある漫画だと、ある程度の共通した読まれかたがあると思うのだが、この本では、それを無視して特殊な読み方に終始しているので、「この人は本当にジョジョを読んだのか?」と疑問に思う部分が少なくない。
また、著者の主観で語られても、納得のいかないものは納得がいかないし、納得するには文章が訳分からないし、論を補強する先行研究の紹介などもあまりされないし、これが『ジョジョの奇妙な冒険』についての評論だと言われても、ファンであればあるほど反発するのは必至だ。例えば、88Pに「DIO戦の前には暴力描写がほとんどなくなる」なんて書いているけれども、ヴァニラ・アイス戦を完全に無視しているし、73Pには「ジョジョにおける殺害描写は1部と7部を除けば、金銭欲や悪欲や政治的/宗教的理念とほぼ無縁」とあるが、いやい��、欲にかられた敵対キャラは沢山出てくる。
個人的には、著者の中心的な主張になっている「水の描写=波紋」論や、「二元論を超えた物語がある」論については、明確にそうではないと言いたいところがある。
前者については、こじつけもいいところで、主に第二章においてそれが語られるのだけれども、説得力が全くない。これなら、「人の描写=人間賛歌」論でもいいじゃないかと思うほどだ。各部に継承される隠された主題のようなものが、本当にあるのかについては、僕には評論のいろはがないので判断しかねるものがあるが、本書を読む限りでは、著者の「こう読める」という解釈に従って『ジョジョの奇妙な冒険』をパッチワーク的に引っ張りあげているようにしか思えなかった。代表的なところで言えば、「ホワイト・スネイクの瞳」と「空条丈太郎の手のひらマークの帽子飾り」が関連あるように書いているが、ホワイト・スネイクの瞳が手の形に観える絵というのは、著者が言うほど多くない(というか図版の絵だけ)。
「二元論を超えた物語がある」という論については、代表的なところでは3部終盤のポルナレフのモノローグ(ジョースターが「白」でDIOは「黒」)で明確に二元論が示されているし、荒木飛呂彦自身、インタビューで少年ジャンプで連載する以上、二元論は崩せなかったと語っている。そこを無視しての論はありえないはず。善悪二元論を、明確にそのように描かなくなったのは7部に入ってからで、それはヴァレンタイン大統領が最後「説得」という手段を使ったところに見い出せる。それまでの悪役(特にラスボス級のキャラ)は、「信頼のおける仲間」はいるにはいるが、基本的には自分一人が頂点(頂点の位置づけは個々で異なるものの)に立てば他はどうでもいいという孤高の存在だ。5部のディアボロや、2部のカーズ、3部のDIOにおいてもエンヤ婆をボロ雑巾のように見捨てている。さらに、DIOには肉の芽という洗脳手段があるし。
というわけで、「論」としては言葉が乱暴にして、支離滅裂、基本的なストーリーの事実誤認(4部を語るところで、億泰を「最初の敵」と書いてあったりする)もあって、到底納得するレベルには及ばない。もしくは、映画評論としての文脈によって、納得できる方法があるのかもしれないが、そもそも作者がどんな漫画評論の立場で『ジョジョの奇妙な冒険』を語っているのかも解らないので、本書を読んで『ジョジョの奇妙な冒険』についての理解が深まるとも、本書の内容に知的好奇心を刺激されることもないだろう。ただ、絵画表現としてジョジョを語る部分に入ると、あまり引っ掛かる部分はなくなる(私の絵画的素養がないという問題もあって)。やはり荒木飛呂彦論といってもジョジョ3部以降が主眼になっていて、特に2部がほぼ無視されているのはどうかと思った。世評的に名高い2部を語らなくて、ジョジョを論じることができるのだろうか? マニエリズム的表現に関して言えば、2部の柱の男を超えるものはないはずなのに。
これについては、おそらく1部2部が『北斗の拳』的表現の影響があるから、語りづらいということがあったのだと思う。また、著者は映画研究家であるのに、ジョジョのエピソードにおける映画(やスティーブン・キング)の影響について、なぜか語っていないのも残念だった。そういうオマージュやパロディ的なものは、週間連載をする上で仕方のないものだっただろうし、それを含めてもなお、『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画は傑作であるはずで、革新性ばかり注目して、革新的でないものに目を背けては、ものの本質が見えてこないと思う。
また、やはり漫画家荒木飛呂彦に言及なくして、『ジョジョの奇妙な冒険』を語ることはありえないと思った。さらに言えば、『ジョジョの奇妙な冒険』が少年ジャンプでどのような読まれかたをして、どのように世評を獲得していったのかについても言及がない。それなくして、「傑作漫画」の証明なんてできないと思う。ジョジョは漫画として優れてはいるが、他にも優れた漫画は山のようにあって、そのなかで、なぜジョジョだけが美術的にも高い評価を得られたのか。そこは、漫画だけ読んでいては出てこない論だが、そこにこそ、本質があるのでは?
本書の価値は、まがりなりにも漫画研究本として、こういうものが出てきたという1点だけにあると思う。これを足がかり(サンドバッグ)にして、様々な研究評論が増えればいいよねぇ……
【おまけ】
ちなみに、この文章の読みづらさは、おそらくは口述筆記の拙さが原因でないかと思う。ところどころ、喋りの文章っぽい取り留めのなさがあるので、口述筆記をして校正するところが(どこかで)上手く行かずに、そのまま出版されたのかも。だからといって、フォローにはならないけれど!
あと、こんな本が出たおかげで、漫画評論や漫画研究の地位が墜ちるのが心配だったりする。真面目な研究者は、コツコツとやっているんだけれどね。著者の人もユリイカの荒木飛呂彦特集に寄稿するくらいの人だから、そんなに変ではないと思うのだが、どうしてこんなにトンチンカンになってしまったのだろうね??
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荒木飛呂彦論とは、ジョジョ論。
即ち、人間讃歌。
漫画評論家ではない筆者は、アート方面から荒木飛呂彦論に迫る。
作者の意図の狭量性と読者の解釈の多様性の問題も断りつつ、独自に展開する。
シリーズを通して散りばめられた、テーマとモチーフ。
表現の変遷と、コマ割りの使い分け。
なぜ、荒木飛呂彦がマンガ・アートとして前衛なのか?
いわゆる「ジョジョラー」が好きそうな文章ではない。
多少こじつけ感も、否めなくはない。
しかし筆者の荒木飛呂彦への思い入れは、相当感じられるだろう。
ジャイロの鉄球を、スタンド能力と紹介している箇所がある。
しかしあれは、能力ではなく技術だが…。(TURBO 除く)
DIO曰く、すぐれた芸術作品は「まるで時空を越えた『スタンド』だ…」。
言葉ではなく心で理解したら、辛うじて間違いじゃあないぜ。
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原作未読の方にはしげちー状態で理解不能理解不能となります。
こじつけっぽい気もするがここまでベタ褒めだとファンとしてはうれしいところ。
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ジョジョ好きなので、タイトルだけみて図書館で借りました。
他の方のレビューにもありますが、本の出来がとにかく酷い。
「ジョジョの奇妙な冒険」というタイトルを、文章の中でいちいち画期的な、とか超長編漫画などという形容詞を付けるので、読者として疲れてしまいます。
論述にしても、話にまとまりがなく、論旨があちこちへ飛び、全体として何がいいたいのか意味が分かりません。
著者がジョジョ好きなことだけはわかりますが、自分の文章に酔っている感じで、かなり残念な本でした。
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私はジョジョのファンとして、ジョジョをどのように掘り下げるのかと期待していたがガッカリ。
なんというかキャラクターとか、何かテーマをもって一つ一つしっかり掘り下げて欲しかった。
あまりにもマニアックというか細かくて理解が難しいというか、誰に向けて書いている本なのかわからない。
一貫性もなく話があっちこっちいくし、期待外れとしか言わざる得ない。
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そこまで読み取るのか?と思えるほど細かいジョジョ内の解釈や、それぞれの部同士のつながりには驚くばかり。そういう意味では、なるほど~な発見多数う。もう一度ジョジョのシリーズをつまみ読みした気にさえなった。ただ、本当に荒木先生、そこまで考えているかなあという気がしないでもない。あと、荒木先生やジョジョシリーズを持ち上げすぎなところも若干鼻につく。未読の『死刑執行中脱獄進行中』は読んでみようと思う。
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ジョジョに限らず荒木飛呂彦の漫画の特徴をさまざまな観点から論じている
括弧多すぎてめちゃくちゃ読みづらい。
絵画の観点からジョジョがマニエリスム的であるという話は興味深かったけど、その他がこじ付け感が強い話も多く微妙だった。流石にオタクの妄想が過ぎるような関係性の話が多かった