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司馬遼太郎氏の短編集。短編とはいっても、一つ一つ重厚でとても丁寧に書かれている。
他の長編のダイジェスト版のようになっている小説もあり、長編に取り組んでみたいが敷居が高いと思う人は、こういう短編集から読んでみるのもいいかもしれない(といってもやはり長編がおススメだが)。
室町時代から江戸時代まで、必ずしも一番活躍したわけではない歴史の脇役に焦点があたっていて興味深い。本当に面白くて、寝食を忘れて読んだ。
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・幕末の長岡藩で非凡の才を発揮しつつも時勢を見極められずに散った河井継之助を描いた「英雄児」
・英国人殺害事件に関与した海援隊隊士菅野覚兵衛と佐々木栄を中心に幕末の日英関係を描いた「慶応長崎事件」
・江戸末期から明治初期を生きた、非凡の才を持った血気盛んな絵師、田崎草雲の生涯「喧嘩草雲」
・奥州の覇者正宗が歴史に残した足跡を、彼の持つ非凡な詩歌の才と共に描いた「馬上少年過ぐ」
・一介の町医者の身から伊予宇和島の命運を握るまでに栄達し、数奇な人生を送った山田重庵を描いた「重庵の転々」
・大阪の陣の後に武士になることを嘱望した大須賀満左衛門の奮闘を描く「城の怪」
・賤ヶ岳七本槍の武将として武名を轟かせた脇坂甚内(安治)の生涯を描いた「貂の皮」
「英雄児」…長岡藩家老河井継之助
情景は江戸古賀茶溪塾での、無隠鈴木虎太郎の出会いの場面である。未だ穏やかな江戸の空気が懐かしさを醸し出している。やがて継之助はその凄まじい才能を発揮して藩政を指導し、強大な長岡藩軍を作り上げ、凄惨な北越戦争を戦う。藩は焦土と化し、多くの民衆が斃れ、継之助もまた戦傷死する。その墓碑は幾度も毀たれたという。著者の評言『英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい。』に大いに首肯する思いがする。
「慶應長崎事件」…土佐藩海援隊士菅野覚兵衛。
慶應3年7月6日夜、長崎で起こった英海軍イカレス号水兵斬殺事件の顛末である(イカレス号事件)。嫌疑が海援隊に懸かった為、英国、幕府、土佐藩の三者が折衝したが、大政奉還直前の幕末の最も煮えつまった時期に当たり、『歴史はこの間、停止したといっていい。』という著者の評言通りの無用の摩擦であった。アーネスト・サトウの観察眼が非常に興味深い。
「喧嘩草雲」…足利藩士田崎芸(絵師草雲)
幕末の奇士の逸話である。喧嘩で鳴らした絵師草雲(梅溪)は、宮本武藏の画幅に出会い心を改めた。ところが幕末の風雲は彼を措かず、小藩足利戸田家一万石の宰相の様になってしまう。やがて戊辰戦争が始まるや、機知を以て藩を救う。乱世に生まれた者の変転を考えさせられる。
「馬上少年過ぐ」…仙台藩主伊達政宗。
奥羽の雄政宗の、主に少年期から、家督を相続する前後に焦点を当てて描く。奥州の土俗と、稀代の没個性人の父輝宗を詳しく描写し、その特異性を述べるが、表現や推察にやや筆が走り過ぎ、著者の作品群の中では異質な位置を占める。
「重庵の転々」…伊予吉田藩家老重庵山田仲左衛門。
伊予吉田藩分封直後に起こった所謂「山田騒動」の顛末である。重庵は史実では「文庵」。長曾我部牢人重庵は寒村の村医であったのが、次第に重んじられて遂には家老に迄栄達する。藩政改革に苛烈極まる施政を行い庶人の反動を受け、遂には元の重庵に戻り仙台で余生を送る。著者の云う『侍の家にうまれれば温和で無能であることがのぞましかった。最大の不幸は有能にうまれつくことであった』の言葉その儘に、泰平の世で無く、戦国・幕末等の乱世に生まれていれば稀代の英雄と成り得た人物であった。末尾に語られる著者の前に現れ���仙台の老人の挿話が何とも不思議である。非常に秀逸な短編。
「城の怪」…下総牢人大須賀万左衛門。
元和偃武の後、松平忠明治下の大坂城下。仕官を夢見る牢人、仕官の望み得ないと思う足軽物頭、嘗て豊臣家に使えた女、の三者が織り成す江戸初期の市井の風景。
「貂の皮」…龍野藩主脇坂安治。
賤ヶ岳の七本槍の最年長者で、播州龍野5万5千石脇坂家は大名になった七本槍では唯一、維新まで家を保った。その馬印は世に珍しい雌雄一対の貂の毛皮の槍鞘である。此れに纏わる奇瑞と安治の数多い戦場往来の逸話を絡めて描くのだが、その中でも大変興味深い丹波の豪族、赤井悪右衛門直正から貂の皮を受け継ぐ有名な逸話は、残念ながら史実では無い。
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伊達政宗をはじめとした短編集。
分家の宇和島伊達家の話もあり、とても面白い。
司馬遼太郎の短編集はどうしてこうも面白いのだろう、長編小説より短編集を買い漁る癖がついてしまったではないか。
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歴史の教科書に出てきた人も、そうでない無名の人も、いずれも遠い昔の時代の話なので、どうしても実感がわかず想像力が働かない場合が多いと思います。何を考えてどういう人生の局面で、どういう真剣な、あるいはいいかげんなDecisionをしたのか など。
いくつかの短編を読んでいて、そういうのが俄然Vividに伝わってきます。いきいきと見えてきます。遠い昔に生きていた人たちにも、今の自分たちと同じように感じて考えて行動していたのだろうと、うまく想像できます。
サラリーマンとしては、『重庵の転転』を非常に興味深く読みました。
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龍野藩の家祖、脇坂安治のことを知るために収録の「貂の皮」を再読。当時豊臣秀吉の家臣であった安治が丹波で400年続く名門で、丹波の赤鬼と恐れられた赤井直正の護る黒井城へ、降城の使者として単身乗り込む。説得は失敗するが、直正が安治の勇気に感じて、奇瑞をもたらす家宝の雌の貂の皮を贈る。しかし貂の皮は雌雄あったため、安治が雄も所望すると、力づくということになり、翌朝、貂の皮の指物をした直正が城門を開いて討って出た…。
非常におもしろい作品。でも黒井城の地元の資料では直正は病死となっています。司馬遼太郎のねた本は江戸時代に脇坂家が安治の宣伝として作成したようです。しかしその後安治は大名となり、子孫も明治まで続きます。貂の皮の加護はあったようです。尚、貂の皮は地元の龍野神社で年に一回のお祭りで公開されるとのこと。
その他の作品も一級品揃いで大変面白いですが、司馬遼太郎の短編集は統一性が無いように思います。やはり読者としては時代は同じ方が良いのですが。
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幕末・戦国・江戸期など、詰め合わせ短編集です。
表題作の「馬上少年過ぐ」が仙台伊達家の話なのですが、この話の後の「重庵の転々」が南伊予にある伊達家の別家の話なのが興味深いです(内容につながりはありませんが)。
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内容紹介
戦国の争乱期に遅れて僻遠の地に生まれたが故に、奥羽の梟雄としての位置にとどまらざるをえなかった伊達政宗の生涯を描いた『馬上少年過ぐ』。英国水兵殺害事件にまきこまれた海援隊士の処置をめぐって、あわただしい動きを示す坂本竜馬、幕閣、英国公使らを通して、幕末の時代像の一断面を浮彫りにした『慶応長崎事件』。ほかに『英雄児』『喧嘩草雲』『重庵の転々』など全7編を収録する。
内容(「BOOK」データベースより)
戦国の争乱期に遅れて僻遠の地に生れたが故に、奥羽の梟雄としての位置にとどまらざるをえなかった伊達政宗の生涯を描いた『馬上少年過ぐ』。英国水兵殺害事件にまきこまれた海援隊士の処置をめぐって、あわただしい動きを示す坂本竜馬、幕閣、英国公使らを通して、幕末の時代像の一断面を浮彫りにした『慶応長崎事件』。ほかに『英雄児』『喧嘩草雲』『重庵の転々』など全7編を収録する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
司馬遼太郎
1923‐1996。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。’66年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。’93(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、’71年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
本の感想(オフィス樋口Booksより転載、http://books-officehiguchi.com/archives/4760658.html)
この本は著者の司馬遼太郎が雑誌などに投稿した歴史小説を再度掲載したものである。
『英雄児』(別冊文芸春秋昭和38年12月)
長岡藩の家老河合継之助が主人公で、戊辰戦争で旧幕府軍の側でガトリング砲を使って新政府軍に抵抗した話である。
『慶応長崎事件』(オール読物昭和39年2月号)
幕末の長崎が舞台で、亀山社中の隊員とイギリスのイカレス号の船員との間で事件が起こる。この事件は未解決で明治新政府に移行する。
『喧嘩草雲』(小説新潮昭和39年7月号)
文久の政治改革で、島津久光が江戸に上った頃の話である。主人公は幕末の足利藩の画家、田村早雲である。あまり知られていない人物であるが、画風が明治になって評価されたことを取り上げている。
『馬上少年を過ぐ』(別館文芸春秋昭和43年12月号)
この本のタイトルにもなっている。この本はある老人が晩年に作った詩の一部である。老人とは独眼で有名な伊達政宗である。伊達家が鎌倉時代から奥羽の名家であること、政宗の生い立ち、江戸時代以降にできた伊達家の分家である宇和島藩のことが書かれている。
『重庵の転々』(オール読物昭和45年5月号)
この物語の主人公は山田重庵である。元長宗我部の遺臣であり、医者であった。吉田伊達藩に仕えていたが、不忠者にされ、仙台に流された話である。
『城の怪』(小説新潮昭和44年4月号)
年号は元和で、大須賀万佐衛門が主人公である。戦の火種がなくなり、浪人が増えていた頃の様子が描かれている。
『貂の皮』(小説新潮昭和44年6月号)
主人公は脇坂安治である。この人物は近江国出身で、豊臣秀吉が近江国の長浜に入ってから台頭したと言われている。豊臣の家臣として仕えていたが、関ケ原の戦いでは徳川方についている。この作品では脇坂のことを地味な人物としているが、洲本市など淡路島では知名度が高いのではないかと考えられる。脇坂家の関ケ原の戦い後も描かれているのも特徴として挙げられる。
貂の皮は槍鞘で使われていて、代々世襲されている。
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司馬遼太郎さんは、僕にとっては極めて「アンパイ」な作家さん。
ほぼ、個人的には外れがないので、安心して読めます。
その代り、何しろ10歳くらいから延々と読んでいるので、若干新鮮味には欠けます。
なので、疲れているときとか、落ち着かないとき。
「読書に体力を使いたくないけれど、ちょっとした隙間で現実逃避の快楽が欲しいなあ」という季節には、とても重宝します。
2017年は、4月5月となかなか落ち着かなかったので、意図的に司馬遼太郎さんで癒されていました。
「馬上少年過ぐ」。短編集。これは、初読でした。
以下、備忘メモ(と言ってももうかなり経つので忘れていますが)
「英雄児」
長岡藩家老、河井継之助の生涯を駆け足で。
これはやがて「峠」という長編小説になります。
「慶応長崎事件」
長崎で、刃傷事件があった。
坂本竜馬の海援隊のひとりが下手人の疑いが。
結局、しらを切って逃げ切るという話になります。歴史のこぼれ話。
「喧嘩草雲」
幕末維新。小さな小さな藩の家老でもあった、絵師のおはなし。
大藩に生まれていれば、英雄になったのかも知れない。
そういうちょっとした哀愁が後味か。
「馬上少年過ぐ」
伊達政宗の人生をスケッチ風に。
細部は忘れたけれど、この人も家族のどろどろが凄いなあ。武田信玄といい、そういう人ばかりですね。戦国。
これは矢張りなかなか面白かった記憶が。
「重庵の転々」
伊予、宇和島。土佐出身の医師がふとしたことから政治に巻き込まれていく悲劇、喜劇。面白かった。
「城の怪」
大阪城の落城前後の、ぐっちゃぐちゃの牢人たちの人間模様。
なんともやるせない、乾いた男女の物語。
実はこういうの、司馬さん上手いんですよね。
「貂の皮」
戦国時代の脇坂だか、そういう小大名の奇縁の話だったような...ほぼ失念。
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表題作のみ読んだ。基本的に知っていることのおさらいって感じだったので歴史の勉強を始めたばかりの頃に読みたかった。
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英雄児
慶応長崎事件
喧嘩草雲
馬上少年過ぐ
重庵の転々
城の怪
貂の皮
著者:司馬遼太郎(1923-1996、大阪市浪速区、小説家)
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司馬遼太郎短編集
☆英雄児
・・・河井継ノ助の生涯を描く。『峠』のダイジェスト版のようなもの。
☆慶応長崎事件
・・・幕末、長崎で起きて英国人殺傷事件。海援隊の菅野、佐々木に嫌疑がかけられて、龍馬があわてるという筋。
☆喧嘩草雲
・・・幕末もの。けんかっ早い田崎草雲と絵師の話。絵師であり、剣術使いでもある主人公。様々な挫折を経て、足利藩の責任者となって、官軍に味方して闘うことに。
「自分は何者か」ということを追求し、迷い続けた男の話。
☆馬上少年過ぐ
・・・東北の雄、伊達政宗を描く。母に疎まれた少年時代の話は悲しい。この物語の中で目をひくのは、父・輝宗だろう。政宗を後継者と決めつつも。家内で反乱が起きないよう差配する気遣いが見事だ。優しい人物でもあるらしい。
☆重庵の転々
・・・江戸初期、伊予吉田藩の藩主の病を癒したことから藩の重役にまでのぼりつめた山田重庵。才能と行動力のある人間は、太平の世では排除されてしまうという悲しい事実。藩主の伊達宗純のみが彼を理解していた。
☆城の怪
・・・豊臣家滅亡直後の大坂。
士官先を求める浪人の身に起きた悲劇を描く。
☆貂の皮
・・・戦国時代の脇役の1人、脇坂安治と家宝、「貂の皮」の不思議な巡り会いを軸に話しが進む。
丹波の赤井直正から譲り受けた貂の皮。この家宝とともに、命の危機を何度も乗り越え、竜野藩の初代藩主までのぼりつめた。戦国の一風景として面白い話だ。
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司馬遼太郎氏の短編小説。
図書館で借りた本は、1970年8月20日発行の第13刷ということで、現在の文庫本とどうやら構成が違っていたようだ。
今回借りた本には、次の4編が収められているが、現在発行中の文庫本には、「慶応長崎事件」「英雄児」「喧嘩草雲」の3編がその前段に追加されているようだ。
「馬上少年過ぐ」
「重庵の転々」
「城の怪」
「貂の皮」
「馬上少年過ぐ」は伊達政宗公の話。本書の中で、政宗公が晩年に自分の人生を振り返って詠んだ詩の説明がある。
馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何
馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯天の赦す所
楽しまずして是を如何にせん
幼少期に疱瘡を患い片眼を失明しただけでなく、母親の愛情も薄かったようで、それゆえかこの物語の中でも、初陣で相手の子女までことごとくせん滅したり、勝利のためには父親の命さえ犠牲にする、非常にクールな政宗の一面が描かれていた。
しかし一方で、詩心があり、才知に富む、あの三国志の曹操と比肩する武将であるとも記されていた。
同時代に秀吉、家康がいたために天下こそ狙えなかったかもしれないが、東北の雄であることに疑いの余地はない。そんな政宗が晩年に、「わしの人生は・・・」と回顧している姿が目に浮かぶようだ。
2話目の「重庵の転々」も伊達続きの話だった。南伊予(現在の宇和島)に土佐から流れてきた山田文庵という医者が、伊達家の分家の殿様の病気を治したことをきっかけに急速に力をつけていったが、次第に我欲を貪る結果となり反感をかって飛ばされるという話。
その本筋の話よりも、宇和島に仙台伊達の分家ができた経緯の話のほうが興味深かった。
3つのめの「城の怪」は豊臣秀頼の大阪城陥落後の城に出る幽霊退治の話といってよいのか。感想は特になし。
最後の「貂(てん)の皮」は、面白かった。豊臣秀吉臣下の脇坂安治(甚内)の話。
脇坂家に代々伝わる「貂(てん)の皮」は、脇坂家に幸運をもたらす存在であるようだ。「その貂(てん)の皮」が脇坂家の家宝となったのは、本編の主人公・脇坂甚内の一つのエピソードに帰する。
甚内は、あの秀吉と柴田勝家の戦いである賤ケ岳の戦いの功労者とされる七本槍の一人とされているが、全く実が伴っていなかったようだ。言ってみれば、秀吉のエコヒイキであり、この戦いで最も軍功のあった福島正則からすれば「なんであいつが入っとんねん」「あいつと一緒にすな」という感じだ。
この戦いに限らず、甚内は能力以上の出世をした人物で、それは「貂(てん)の皮」のおかげだというオチであると思う。
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これまでは司馬遼太郎氏の作品と言えば燃えよ剣しか読んだことが無く、また、その燃えよ剣がまったく合わなかった。他の作品も刊数が多く、チャレンジしにくい。
そんななか、たまたま本屋で手に取ったのが、この短編集であった。
七つの短編が綴られているが、なんと生き生きと、かつ緻密に主人公やその世界が描かれていることか。彼らが活躍する関ヶ原の時代や幕末の息吹を感じ、時代や運命の不思議さ(絵師や一介の野伏が表舞台にたって活躍する)と、それに翻弄される主人公たちに引き込まれる。
英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい
とは、なかなかに含蓄のある文章であり、心に残っている。
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7つの短編小説をまとめた本である。
各章は他の方の記載を拝借します。
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・幕末の長岡藩で非凡の才を発揮しつつも時勢を見極められずに散った河井継之助を描いた「英雄児」
・英国人殺害事件に関与した海援隊隊士菅野覚兵衛と佐々木栄を中心に幕末の日英関係を描いた「慶応長崎事件」
・江戸末期から明治初期を生きた、非凡の才を持った血気盛んな絵師、田崎草雲の生涯「喧嘩草雲」
・奥州の覇者正宗が歴史に残した足跡を、彼の持つ非凡な詩歌の才と共に描いた「馬上少年過ぐ」
・一介の町医者の身から伊予宇和島の命運を握るまでに栄達し、数奇な人生を送った山田重庵を描いた「重庵の転々」
・大阪の陣の後に武士になることを嘱望した大須賀満左衛門の奮闘を描く「城の怪」
・賤ヶ岳七本槍の武将として武名を轟かせた脇坂甚内(安治)の生涯を描いた「貂の皮」
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いずれも、歴史の本流からするとやや道にそれた話であり、文献が十分にない部分で小説を書いていると想定される。
著者の力を感じる小説。
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タイトル作品は、壮絶な政宗の人生を淡々と描いていて、そこに司馬作品の味わい深さを感じた。
そして、そうした淡々さが全編にわたり徹底されていた作品集だと思う。
他短編に比べ、正直華やかさがなく教訓にもとまず、個人的にはぐいぐい引き寄せるモノがなかった。淡々さ自体は珍しいことではないので、それは登場人物が相対的に地味だったからか。