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「しかし、私には船をつくる資金がございませぬ」
「ないないというのがお前の念仏か」
さきに一度きいた。一度ならず二度も言うとは馬鹿か、と松右衛門旦那は笑いながら毒づき、そんな資金ぐらい自分で工夫せい、海から湧いてくるものをとればよいのじゃ、ともいった。
「海でございますか」(p.56)
この時代の日本社会の上下をつらぬいている精神は、意地悪というものであった。
上の者が新入りの下の者を陰湿にいじめるという抜きがたい文化は、たとえば人種的に似た民族である中国にはあまりなさそうで、「意地悪・いじめる・いびる」といった漢字・漢語も存在しないようである。
江戸期には、武士の社会では幕臣・藩士を問わず、同役仲間であらたに家督を継いで若い者がその役についた場合、古い者が痛烈にいじめつくすわけで、いじめ方に伝統の型があった。この点、お店の者や職人の世界から、あるいは牢屋の中にいたるまですこしも変わりがない。日本の精神文化のなかでもっとも重要なものの一つかもしれない。
嘉兵衛は都志新在家の若衆宿でいじめぬかれてきただけに、炊にこの種のそぶりをみせる者に対してゆるさず、ときに血相を変えて叱った。
「みな、人ぞ」
というのが、こういう場合の嘉兵衛の一つせりふであった。人は世に生まれて愉快にくらしてゆくべきなのに、人が人に対して鬼になるのはゆるせぬ、というのである。(p.237)
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嘉兵衛が,小さいながらも自分の船を手に入れ,いよいよ海に乗り出すという場面が描かれる。
紀州の丸太を江戸まで届けるという大役を引き受ける嘉兵衛。丸太を筏に組み,そこに帆,舵,船室などを設け,荒波を超えていく…という場面は,映画にすると手に汗握る画像になることだろう。
1巻同様,いろいろなミニ知識が出てきて,なかなか為になる小説だなあ。わたしが読んでいるのは,単行本の方である。
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▼2巻。嘉兵衛は乞食のような放浪民から兵庫で「船員さん」になる。まだまだ貧しい。ところが優秀である。フリーの特殊技能者としてごりごり出世する。このあたり、農村の秩序のなかで陰湿にいじめられていた前史に比べて、実に爽快に実力主義です。このあたりは、現代でも同じでしょう。なんであれ商売や生産や、工事や料理などの「現場、最前線」では、役に立つ立たないが、学歴や所属会社と関係なくずる剥けに見えてしまう。
▼そして嘉兵衛は、「フリーのイチ労働者」から、「船(ぼろだけど)という資本?を所有する商売人」へと変貌していきます。このあたり、言ってみれば出世譚ですね。多少のわくわくがありますが、それだけに流されない晩期司馬節。主人公の出世と活動範囲の拡大にしたがって、江戸、隠岐、秋田…と「日本各地の江戸中期の経済と暮らし」の風景を見せてくれます。それが「わくわくしない」とする読み方ももちろんあるでしょう。でも、今の自分的には実に惑溺する読書の快楽だったりします。