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投稿者:でぃー - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルは「商店街はいま必要なのか」となっており、一見すると商店街についてばかりかいてあるのかと思ったがそうではない。サブタイトルにもあるように「日本型流通」の近現代史について書かれているといったほうがよいだろう。百貨店や通販、商店街、スーパー、コンビニなどの歴史を社会的背景などについても触れながら論じられており、テキスト的でもある。
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本書は、もともと「日本型流通への近現代史」といういう仮タイトルで進められたものだ。
しかし、著者は、「日本の流通を考えるうえで、商店街をどのように理解するのかというが最も重要なポイント」ということを考え、本書は、このようなタイトルに変更された。
戦前の「百貨店」から「通信販売」、そして、本書のメインテーマとなる「商店街」、その後のダイエー創業者の中内氏に代表される「スーパーマーケット」、最後は「コンビニエンスストア」に至るまで、豊富なデータをもとに分析し、「日本型流通」とは何かというアプローチを積極的に試みている。
本書で面白かったのは、コンビニエンスストアと商店街との関係。やはり、商店街とは、単なる商品を販売するところだけでなく、まちづくりの一翼を担ってきたからこそ、今でも多くの方たちに存続を期待されているのだと感じた。
消費者がいて、労働者がいて、そこに地域がある。
商店街がなぜ誕生し、いま存続が期待されているのか。そこには、日本人が求めている流通の原型があると感じた。
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細くて長い=日本の特徴 21
誰にでも同じ値段で売ることは革命的であった(正札販売) 42
売り方で物が売れる(通信販売) 80
顧客は品目と価格のみを指定し、具体的な商品選択は店に任せていた。おもしろい。今でもやれるかな? 98
スーパー全盛期に商店街が残った事実=商店街の意義 173
1990年のダイエーの売上高の多さに驚く 196
1960年代以降に消費者意識の転換期となる 218
消費者のための大型店が(スーパーも含む)消費者に受け入れられないズレ 232
コンビニ会計のカラクリの怖さ 272
見切り販売をすると本部の儲けが少なくなる 274
日本の流通は百貨店、スーパー、コンビニの歴史と避けて通れないことがだんだんわかる。細かいデータの記載が多いので小難しい内容も多かったけど、流通史のポイントが書かれてある良書。勉強になる。
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商店街論というよりは、百貨店、スーパー、コンビニなども含めた近代以降の日本の流通・小売業の変遷を通した社会論。最終章のコンビニ経営における加重労働問題から導かれた「『消費者』としての利益を追求することは、それ自体として、ただちに万人の幸福を約束する訳ではない」という一節は、もっと多くの人に受け止められて欲しい。
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ちょっと挑発的?なタイトルに興味を持って読んでみたのですが、中身は近代日本の流通史を、とてもわかりやすくまとめた本でした。
流通史系の文献はいままでいくつも読んできましたが、これは、その中でもかなり読みやすく、しかも内容の濃い、参考書としても優れた本だと思います。
表題の商店街に関してだけでなく、デパート、スーパー、コンビニなど、現代の日本の小売業界すべてに関して広く触れて、今後消費者の利益のみでなく、生産者、地域、そういったあらゆる人を含め、どのように生活環境を変えてゆくべきか、という問題を投げかけてくれています。
そのような中で、今日の商店街活性化論に関しては、妙に感情的になるのではなく、一歩引いて冷静に分析されているところが、自分にとっても勉強になりました。
商店街は、仮に物が売れなかったとしても地域コミュニティの担い手という役割を与えて活性化させればいい、みたいな議論がありますが、
そもそも商店街は地域コミュニティとつながることを意識して発展してきたものであるということ。そして、それが立ち行かなくなった原因を分析されています。
『「まちづくり」が商業機能と結びつかないのであれば、商店街というコミュニティの形にこだわる理由も見いせません。』
厳しいけれど、間違いのない指摘でした。
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タイトルに惹かれ手に取った一冊。
百貨店、通信販売、商店街、スーパー、コンビニという小売りの形態別の歴史を振り返りつつ、特にコンビニと商店街を比較しながら、その必要性と課題を洗い出しています。
比較することで、理解できることがあった反面、このタイトルに対する答えは著者としても明確に出せないところが残念でもあり、商店街振興の難しさを物語ります。
コンビニを日本型流通の最終形態としつつも、多くの課題があり、商店街にもそれを克服するための答えはありません。
私たちができることは、様々な小売りの形態それぞれの長所・短所を理解したうえで、全体として生活しやすい地域になるためには、どのような形がよりふさわしいか考えることです。
そのためには、著者が言うように、「小売業の歴史というのは、現在の価値観を相対化し、多角的なものの見方を可能にする歴史学の強みが、とりわけよく発揮できる分野である」ととらえ、歴史を踏まえながら、よりベターな選択をしていくことだと思います。
▼日本型流通:「メーカーと小売業者との間に、多くの卸売業者が介在するとともに、規模の小さな小売商店が全国にたくさんある」
大規模小売業がメーカーと直接取引を行うという、「『太くて短い』流通経路が主流である英米タイプと異なり、「『細くて長い』流通経路」が主流だったことが特徴
▼「小売業とは消費者にモノを売る産業である」
▼小売業の制約条件:「消費者需要のあり方に規定された小規模分散性」という条件
▼商店街に対する意識
賑わいやコミュニティの面からは商店街の存続を願いつつも、消費者としてモノを買う立場からは商店街を選ばない
2000年以降、流通政策の分野では、都市計画との連携のもと、中小小売商を「まちづくり」、コミュニティの担い手として位置付ける形で商店街の活性化を図ろうとしていた→現状は「まちづくり」の取り組みが買い物の場としての商店街の利用につながっていない
▼商店街は、「組織」としての活動があまり得意ではなく、利害の調整が難しい性質を持つ。
▼商店街の盛衰が、競争原理に大きく左右される。「縮小均衡モード」に入ってしまった場合は立て直しが難しい反面、「拡大均衡モード」に入ったときの柔軟な対応には目を見張るものがある。この柔軟性こそが、商店街の特長
▼商店街活動が活発になった背景
①地域コミュニティへの意識の高まり
②商店街活動に力を入れることで経営上のメリットがあった(出入規制、陳列販売、共同配達、専門店化など)
▼日本の消費者は、生鮮品に対する鮮度へのこだわりが強く、その日に調理するための食材を、毎日買い物へ出かけて買ってくるという消費パターンが一般的
日本の消費者が、お店が「近くにある」ことを重視するのは、鮮度志向に基づく多頻度小口購入という消費パターンを持っているため
→近所の個人商店が消費者の期待に応える魅力的な買い物の場となった。それに加え、こだわりや地域密着サービスも強み
▼様々な小売革新・新たな消費文化に対応・伝統的な消費パターンへの対応力・趣味嗜好の地域差に精通・地域密着型の流通サービスで地元固定客をつかむ、という商店街の姿→消費への柔軟な対応力を備えた魅力的な買い物の場というイメージ
▼「経済効率性」から「社会的有効性」も同時に追求する必要性
▼コンビニという新業態の登場は、既存の中小小売店の近代化・活性化にもつながった
<目次>
プロローグ
第1章 百貨店―大都市の百貨店が変えたもの
第2章 通信販売―戦前の婦人雑誌・百貨店通販の黄金時代
第3章 商店街―「商店街はさびれるのか?」を問い直す
第4章 スーパー―「流通革命」と消費者の時代
第5章 コンビニエンス・ストア―日本型コンビニと家族経営
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百貨店、通信販売、商店街、スーパー、コンビニエンス・ストアという5つの小売業態について歴史的な成り立ちを整理している。特に販売方式についての詳細な記述が、現在ではなじみが薄い分当時の状況を理解する手助けになっている。それと、一次資料として提示される表や図が情報を読み取りやすく、かつ本文の論理展開の補強として的確に使用されている印象を受けた。
「小売革新の展開が私たちの暮らしを豊かなものにしてきた歴史もしっかり見据えながら、改めて、地域社会のありようや人々の働き方の視点を含む、トータルな人間としての「生活」をどのようなものと考えていくのか」P.289
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小売という視点で1900年頃から現代までの大きな流れをまとめた本、こういった視点は読んだことがなかったため、非常に面白かった
呉服屋が百貨店化していく中、百貨店法の設立でブレーキがかかる。そこをスーパーというシステムが入り込み、並行してコンビニも始まっていくというのが、大きな流れだが、そこに対して「当時の生活様式」「消費」「家族」等、様々な視点で語られており、興味が尽きない。通信販売が関東大震災で廃れるまで、当時すでに扱われていたなど、知らなかった情報も満載。
不満をあげるとしたら、年表での比較も欲しかった点と、タイトルが意味不明という点くらい。何度も読みたい。
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タイトルから商店街の現状、およびどうすべきかについて議論したものかと思ったが、実際には歴史にややウェイトを置いた小売業に関する解説書である。小売業について学ぶためのテキストブックとしても十分耐えられる。
本書は専ら小売業についてのみ言及していて、卸売業、流通チャネル、流通システム、流通構造については全く触れていない。したがって流通論のテキストしては使用できない。
しかし流通論を学ぶ際の副読本として本書を読むことには大いに意義がある。小売業について、流通論のテキストブックでは触れていないところまで詳しく書かれている。特に関スパ方式については、重要でありながら特に経緯について詳しく書かれている流通論の本は多くないため、参考になるだろう。また、流通論ではほとんど触れられないコンビニフランチャイズの問題についてもきちんと述べられている。
本書を通じて筆者が主張ししたいことは、「あとがき」にも書かれている通り、豊かさとはいったい何か、ということなのだろう。
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商店街はいま必要なのか。まあ、新書タイトルだからサブタイトルがホンモノのタイトルだ。「日本型流通」の近現代史がホンモノ。売らんがために編集者がつけた派手なタイトルであろう、と見ぬいていい気になっていた。
そしたらいきなり前書きで、『「日本型流通」の近現代史』というタイトルで書き始めたが、歴史よりも今への問題意識が滲み出ているから、それを強く押し出すタイトルにすべし、といわれてこうなった、と書かれている。ここまで素直に白状されると照れる。
そう、商店街だけでなく、百貨店、通信販売、コンビニ、スーパーといった業態を取り扱う。流通の近現代史でありながら、すなわち消費を発明する、という記録でもある。たとえば百貨店は当初男性店員で構成されていた。呉服屋系だと幼少から奉公に来て、一人前になるのには時間がかかる。商品知識をしっかり身につけた店員というのは、そういうふうに構成されていたのだ。百貨店への女性進出は、当初社会勉強や花嫁修業という動機が強く、また富裕層には女性が働くことへの蔑視もあった。女性の給料は、基本給も男性より安く、結婚退職するので昇給機会も少なく、雇う側としては使いやすい。そして百貨店の変化とともに商品知識がそれほど必要ないものも増えてきて、訓練期間を十分取れない女性でも対応できるようになってきた。そして何より、彼女らは退職後も消費者としてあり続けてくれるのだ。売る側として百貨店の大衆化を進めた女性は、消費者としてもまた大衆化を進めた。
ところで百貨店という業態を知らない学生が存在するという。たしかに、地方のさらに田舎にいけば、そんなものは存在しない。デパートという言葉を聞いたことがあっても、百貨店は知らない、かも知れない。著者もそうだが、総合スーパーを百貨店と思い込む可能性もある。
あれ。商店街の話を書きそびれた。商店街も本書では、一トピックでしかない。むしろ著者の両親も従事していたというコンビニエンスストアにこそ、本書の「今」への問題意識が強く出ているといえるだろう。
あとがきでまたタイトルの話が出てくる。「商店街はウォルマート化するのか」という候補で進めていたという。なんか、終始手のひらの上で遊ばされていたような気になった。ともあれ、「売り」は今への問題意識、だとしても、僕の興味はやっぱり、呉服屋から百貨店への切り替えだとか、行商から商店街への切り替えだとか、そういう古い話に向かってしまう。個人商店がコンビニになる、ということも学問としても経済としても重要であろう。が、受け取り方がどうしても違ってしまうのだ。
例えていうなら、「扇風機」なら季語になるが「エアコン」が季語にならないような(なってたらスマン)、そういう感じ。例え、悪いかな。
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近現代における日本の流通機構の歴史について、百貨店・通信販売・商店街・スーパー・コンビニエンスストアの5つのトピックで書かれた名著。多数の文献・資料に基づいて議論が展開されており、かつ非常に優れた言語運用能力に裏打ちされた文章には感動すら覚えた。大変良い出会いとなった。
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感想
流通革命がもたらすもの。大いなるシステムは個人の努力を飲み込む。適者生存の原理はここでは働かない。強者のみが生き残る。風景は一変した。
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大手百貨店の歴史からコンビニエンストアに至るまでの「商い」と「流通」の変化を時系列に読める。表題の商店街がいま必要かについては後半はそこまで触れられてないが、「消費」「労働」「地域」の3つが深い関係があり、地続きなんだと理解。生鮮食品については日本の流通の強いところだと実感。ダイエーやセブンイレブンの話はどこかで聞いたことはあったが改めて興味深い。