紙の本
鎌倉仏教の本質を理解できる貴重な書です!
2020/04/19 10:53
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、鎌倉時代に起こった新仏教(鎌倉仏教)と従来からの旧仏教を比較することを通して、鎌倉仏教の宗教的特質を描き出した傑作です。同書によれば、鎌倉時代には、法然や栄西、親鸞、道元、日蓮、一遍らを開祖として相次いで当たらな仏教が生まれたようです。また、こうした仏教は鎌倉仏教と呼ばれ、民衆を救済対象に据えたという点において高く評価されてきたということです。しかしながら、この鎌倉仏教の本質は、これだけなのだろうか?同書では、この問題意識の下で、鎌倉仏教を深く掘り下げ、考察したものとなっています。同書の構成も、「第1章 法然の旅」、「第2章 聖とその時代」、「第3章 異端への道」、「第4章 仏法と王法」、「第5章 理想と現実のはざまで」、「第6章 襤褸の旗」、「第7章 熱原燃ゆ」、「第8章 文化史上の鎌倉仏教」となっており、鎌倉仏教の本質が理解できます。
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仏教が民衆支配の強力なイデオロギー装置として機能していた中世にあって、法然、日蓮の思想とそれを引き継ぐ弟子たちに権力に対峙できる信仰を見出すことができることを論証した本。好著。室町時代に至る記述も分かりやすい。
・〈選択〉主義を捨てて伝統仏教との融和を目指すという方向は,日蓮や道元の教団でも全く同様であった。(真宗も)
・しかしその代償として、それらの宗派においては祖師にみられた理想主義や現実批判の精神が、しだいに色あせていったことも否定はできない。
・中性の農民には(江戸時代と違って)領主を選ぶ自由、移動の自由が保証されていた。
・その行動を客観的な立場からながめたとき、これらの在俗信徒こそが祖師の教えの持つ歴史的意義の最も革新的部分を理解し、それをみずからの血肉としていった人々であったとはいえないであろうか。逆にいえば、身分や地位を越えた真実の世界の存在を示し、唯一の信仰による平等の救済を説いた祖師の思想と宗教は、これらの人々の実践によって初めて命をふきこまれたのである。
・室町時代の庭園を造ったのは山水河原者といわれる被差別集団だった。
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これまでの仏教研究の成果を踏まえて、著者が独自の解釈を加えて鎌倉仏教の祖師たちについて考察している。この本を読むと、鎌倉時代を民衆と友に生きた法然や、親鸞、日蓮のことを生き生きとしたイメージがわいてくる。
宗教のクオリティは、その宗教を信奉する人の生き方によって変わる。
自分がどう生きて行きたいのか真剣に考えるきっかけになる一書。
「祖師の思想はいかに立派なものであっても、それ自体では何の意味もない。それは名も無き人々に受容され彼らの心に希望の灯をともして、はじめて宗教としての生命が吹き込まれる(P.18)」
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善行を積む、ということがイコール「寺への土地の寄進」を意味した平安末期において、「財を積むという努力する必要なし、他力でよい」と訴えたことが貧しい人々にどれほどインパクトがあったか、同時に、律令制が崩壊、公権力による鎮護国家仏教の庇護が縮小し、寺が自ら荘園を経営せざるを得なくなっていた時代に「寄進無用」の考え方がどれほどの危険思想であったか、といったことがビビッドに伝わる。興味深い。
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1994年に刊行された、著者の鎌倉仏教にかんする解説書の文庫版です。
いわゆる鎌倉新仏教による専修の主張は、民衆にとって荘園支配を支える仏神的なイデオロギーを否定する意義をもっていたと著者は論じています。こうした見方は、田川建三のイエス論を連想させる内容ですが、こうした視点からの研究は、いまではやや古びてしまったような印象もあります。
著者自身もこのことは認識しており、文庫化にさいして付け加えられた補論のなかで、黒田俊雄や平雅行らの研究成果について触れられています。著者は、鎌倉仏教に「民衆性」といった要素を認める見かたがしりぞけられたのではなく、「鎌倉新仏教」の切り開いた新たな思想的地平に目を閉ざすものではないとしたうえで、鎌倉仏教研究の再生の必要性を主張しています。
入門書という位置づけの本なので、読者に親しみやすい語り口を採用したのかもしれませんが、それ以上に著者の情念のようなものが伝わってくる文章のように感じられます。