紙の本
今川の跡目相続
2017/04/18 14:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:井沢ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
伊勢新九郎、早雲庵宗瑞が今川の跡目相続を支援した内容が書かれているが、江戸城を最初に手掛けた太田道灌との関係や室町幕府や守護と農家から経済的な地盤を底上げしてきた、国人・土豪との関係がよく分かった。
投稿元:
レビューを見る
守護、今川義忠の死による混乱を鎮めるため、
早雲は駿河に下り、嫡子・竜王丸を後見する事となる。
室町幕府の力はかなきに等しく、国人・地侍たちが
力を持ちはじめていた。
この時代の大きな変化を鋭く先取りした早雲は、
天性の知略で彼らの信望を得、政敵を退けていき、
有名な北条の治世の土台を築いていく。
2008 9 23 読了!
投稿元:
レビューを見る
全巻通読後のレビューです。
代表的な下克上の大名である、北条早雲が主人公。
室町時代(応仁の乱以降)の様子が、政治的状況以外のこともよく書かれていて、非常に参考になる。
それに和歌も登場して、日本史や古典文学に興味のある人には、なかなか楽しめる作品になっている。
早雲の前半生は史料がないため、筆者の創作となっているが、これもなかなか楽しめる。
また、当時にあって、早雲の思想の新しさも、この作品を一際輝かせているし、早雲が駿河に入って以降の合戦の様子も生き生きと描かれており、いかにもその状況が目に浮かんでくるようであった。
小田原北条氏五代の礎を築いた早雲の領国統治の方針は、現代にも通ずるものがあるのではないか、と思った。
投稿元:
レビューを見る
舞台を京都からいよいよ駿河に移り、興国寺城を中心に早雲の国取りが開始される。このときは今川の家臣として城持ちになるが、ここから周辺国の調査にはいる。加賀でので季語とを参考に、本当の領主としてどうすべきかに行き着くための過程が描かれる。
投稿元:
レビューを見る
司馬さん晩年の作品。かつての英雄譚でなく、鉄の鋤、鍬の流布により農民が豊かになり、惣が力を得たと社会を説く。11.3.21
投稿元:
レビューを見る
中巻では早雲が京を離れ駿河に下り、今川義忠の嫡子・竜王丸を後見し、とうとう今川新五郎を討つ。討伐の舞台設定も興味深い。
当時の加賀藩の政情の考察は、当時の権力構造の一端を知ることにもなり、早雲の治世のヒントを窺うことができる。
最終巻が楽しみだ。
以下引用~
・それまでの城といえば山城で、山塞というようなものにすぎなかったが、江戸城は平地に設けられたという点で画期的であり、かつ自然の地形と人工の堀を掘り、土居を築き、さらには複数の郭を組み合わせることによって、防御力の点で従来の居館とはまったく異なる土木を独創した。
道灌の名声の何割かは、かれが設計した斬新な構造をもつ江戸城が負っている。
・この無用なさわぎを可能にしているのは、貧しかった前時代~鎌倉の世~とは異なり、国々に蓄積された富というものであったろう。その富は守護の富ではなく、本来、前時代では侍の階級ではなかった国人の富であった。さらには地侍、大百姓の富で、それらの家々、一族がたがいに相続争いをするとき、すさまじいエネルギーになってあらわれてくる。
早雲は、この時代の本質をよく見抜いた数すくない人間のひとりだった。
・室町幕府を興した足利尊氏は、公家の権威と銭の力で立っている南朝に対し、農村に基礎を置いていた。おりから諸国の農村は、農具の進歩と普及、品質の改良などによって空前の活況を呈していた。諸国の武家はここに根をおろし、尊氏を推戴し、過去のばけもののような公家や社寺に対抗した。
・室町の後期のこの時代ともなれば、百姓が数十戸あつまって一向宗の寺をたて、僧とその家族を養うまでに、農民の経済力がたかまったのである。蓮如は、そこに目をつけた。越前もさることながら、加賀は圧倒的に門徒の国になった。とくに、一弐世紀前に開拓された加賀平野の農民は富裕で、よろこんで村々に寺をたて、僧をまねいた。
・早雲にとって、加賀平野でおこっていることは、局地的な異変とはおもえない。
投稿元:
レビューを見る
北条早雲はある日突然伊豆を乗っとりました、って感じの人なので、若い頃の資料が少ないです。この本では伊豆を乗っ取るまでの話が十分すぎるほど書かれていて、多少くどいところはあるものの、面白く描かれています。
↓ ブログも書いています。
http://fuji2000.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_2a1c.html
投稿元:
レビューを見る
早雲の妹・千萱は今川義忠に嫁ぎ、氏親をもうけた。
その嫡子・氏親は幼少であったので、
義忠の従兄弟である今川新五郎が実権を握り対立した。
中巻ではその今川新五郎が斃される。
投稿元:
レビューを見る
伊勢新九郎が伊豆を乗っ取る中巻。とても渋くて、あまりおすすめできないというオススメの本である。
______
p29 頼朝が頭領になれたわけ
頼朝が関東八州の棟梁に推戴されたのは、彼の人望や実力というわけではない。
力を付けた関東の農民や武士団は、西の朝廷にいつまでへりくだっていなければいけないのか、不満が膨れている。そこで、自分たちで蜂起するのにふさわしい頭目を求めた。その頭は、格式高い貴種の出であることが望まれた。源頼朝は、いうても天皇家から臣籍降下した雅な人間である。ちょうど良い存在である。
鎌倉幕府の成立の頃から、頭領は担がれた神輿でしかないのである。それが、神輿を担ぎもしなくなったのが戦国時代と言えようか。
p36 巫女
当時は、病気は魔性の仕業として、巫女などが祈祷によって払うものだった。にんにくの臭いで攻めたり。
昔は縫い針は呪術性が強かったらしく、失くすと呪いがあるとして巫女による祈祷を受けた。巫女の秘部は呪術性が強いので、すっぽんぽんの巫女が針の落ちていそうな部屋を回って祈祷し、「三日のうちに出てくるであろう」というような胡散臭い生業をしていた。
p62 塩留
沿岸部を治める今川氏の外交戦術「塩留」内陸の国への塩の輸出を封じることで、兵糧攻めにする。そのための関所もあった。
p90 農民の力
早雲は言う、農民が力を付けたのは誰の入れ知恵でもない、社会の発展が生み出した自然の流れである。
日本は古来から、支配層は支配層のためにしか政治をしてこなかった。だれが農民のためを思って政治をしたか。
農民が鉄を安く手に入れられるようになり、自分の手で開墾をし、力を付けたのである。自分の手で力を付け、自分たちの足で立ったのである。
p129 道灌の江戸城
道灌は足軽戦法の創始者。さらに上杉氏の吏僚として江戸城を普請したのも太田道灌
p153 早雲の違い
守護のように権威を振りかざしたりはしない。自ら百姓頭として農事の世話やもめごとの調停役や百姓用の式目を作って、積極的に民のための政治をした。
また、早雲の国の租税は安かった。税を軽くすることで民の力を伸ばすことこそ、国力をあげることにつながると考えた。というのも、世に足軽戦法が浸透してきたからだろう。
税を軽くし、面倒をよく見てくれる国主のために働く農民を育てる。それが早雲の違い。
p156 応仁の乱とは
応仁の乱を起こさせたエネルギーとは何か、司馬遼太郎は国人の生産高向上による「余剰価値」であるとみている。
農業生産高が飛躍的に上がったことで、経済が発展し、貨幣とともに価値の貯蔵ができた。それを相続する時にすさまじいエネルギーを生み出し、応仁の乱のような社会的混乱を巻き起こした。
p243 朱印状
朱印状は今川風が元祖であった。鎌倉・室町時代に中国の宋代の文化が輸入流行した。そこに捺印の文化が生まれ、今川家が真似して、戦国武将に広まっていった。今日の日本の捺印文化の発端はここら辺にあるという説。
p249 すみーれ
室町時代の菫の花の発音は「すみーれ」だった。菫の花の花弁の下に大工の墨入れのようなものがついていたから、墨入れのような発音になったという説。
菫がぽつんと咲いていたら「大工さんが置いていったのかな」というと、巧い一言。
p256 倹約家
早雲は吝嗇者として嫌われる一面もあった。夜は8時には寝ること。そして朝4時には起きることを家臣に言い聞かせていた。
しかし、それでも本質的に素晴らしい人間なので、そういう表面的なことしか言われない。心根の部分では皆から慕われ、信用される頭領だった。
p300 尊氏の功罪
足利尊氏は太っ腹な大将だった。南朝を倒して政権を握ったが、それには失ったものも多かった。戦で家臣が功績をあげるたびにその褒賞を与えなければいけない。それを尊氏は惜しみなく与え、戦勝地を得られなければ自分の領地を分け与えた。
その結果、世の中は領土の椅子取りゲームの強い者が正義という世になってしまった。将軍家の領土も減り、もはやその名前しか権威が無く実行的な支配力が落ちてしまったのも、社会混乱を招いた一因だろう。
p365 土台になるだけ
北条早雲は、今川新五郎範満を討ち取り、妹:千萱の子:今川氏親が駿河の地の守護になる環境を整えた。
早雲ほどの人物なら、幼い氏親ではなく自分で駿河の地の棟梁になることもできただろうし、彼の方がより多くの人数を集められたかもしれない。
しかし、彼はあえてそうはしなかった。かれは土台になっただけ。
2014年の大河の黒田官兵衛もそうだが、できる男は自らが頭になるのではなく、手足になり、頭を支えるのだな。
p368 国一揆
早雲の考える駿河の国は、「駿河の国は、百姓のもちたる国」であった。一揆の象徴として今川氏親がいて、国人たちがキチンと権利を持った生活ができる社会を作るのが、早雲の理想であったし、武士の生き残る道だと考えた。
_____
北条早雲の人間の大きさが発揮される巻だった。
室町時代は熱いなぁ。司馬遼太郎が書くとすごく熱い。日野富子とかを題材にするとドロドロだけれど、この本は熱い。いや、そんな温度は高くないな。
良い加齢臭のする本でした。
投稿元:
レビューを見る
中巻はどこからどこまでだったか忘れた。
伊豆に領土を持った早雲は善政を施した。
そして足利茶々丸を倒し伊豆を支配。
このとき戦国時代が幕を開けたといっていい。
投稿元:
レビューを見る
20150827 展開がゆっくりなので少し読み疲れてしまった。この先が本来知りたかったところなので少し疲れをとってから読む事にする。
投稿元:
レビューを見る
あれよあれよと言う間に50代後半。まだ、甥っ子を守護にしたとこまで。ここからどうやって関東の覇者に駆け上がるのか。楽しみ。
投稿元:
レビューを見る
室町末期、応仁の乱から戦国時代に至るまでの雰囲気を北条早雲=伊勢新九郎という稀なる人物を通して眺めることができた。
投稿元:
レビューを見る
未だ箱根にたどりつかず、舞台は駿府と丸子。
義忠の子どもはまだ幼く、遠縁の今川新五郎範満が駿府城に居座って実質的に駿河の支配者となっている。
彼の後見は関東公方の扇谷上杉家。
今川の嫡子であり、伊勢家の血を引く竜王丸を守るため、早雲は駿河に行く…のだが、これが11年間も守備一辺倒なわけです。
竜王丸の命が奪われないよう、丸子の館に住まわせ警護する。
自分は江戸や鎌倉からの兵を駿河に入れないよう沼津の城に住み、関東各地の情報収集に余念がない。
生まれの良さだけで土地を治めることができない世の中になりつつある。
早雲はそれを見極め、急速に力をつけ始めた国人、地侍、そして農民を大切にするように竜王丸を教育する。
のはいいけれど、やはり対外的にはもっとパフォーマンスを見せた方がよいのではないかとじりじりする。
この時代の礼法を仕切る名家、今川家と伊勢家の血を引いた子なのだから、いくら弱体化しているとはいえ、正統性を強く訴えたら天皇のお墨付きくらいはもらえたのではないだろうか。
ましてやその後、早雲は小笠原家の娘を妻にするのである。
この三家が後ろ盾になれば、結構勝ち目はあったと思うんだけどなあ。
史実だからしょうがないか。
早雲の弓で敵の大将を斃し、無事竜王丸が守護として立つところでこの巻は了。
箱根は遠いなあ。
というか、今のところ早雲は竜王丸改め氏親を立てることに腐心して、自分が前面に出ることが考えていない。
でも後北条家はその後今川家と並ぶ戦国大名になるんだよね。
どこでどう道が分かれたのか。それとも繋がったままだったのか。
次が気になる。気になる。
この巻で気に入っているのは、太田道灌と早雲の交流。
互いを認め合いながら、敵味方でいる。
敵味方なのに礼を尽くして清廉な付き合いをしていた二人だが、私心のない道灌の器の大きさを恐れた主家が道灌を弑する。
正直なだけでは生き残れないのだよね。
そう意味で早雲はしたたか。
投稿元:
レビューを見る
本作品は昭和57年6月から翌58年12月まで『読売新聞』に連載された。司馬の歴史小説としては、最後期の作品になる。北条早雲の生涯は、特に前半生について良く分かっていないことが多く、諸説が認められるようだが、本作では当時の研究を反映させた"新説北条早雲"といった趣がある。ただあとがきで作者が付記しているように、想像で補っている部分も多々あるし、史実を曲げない範囲で、独創的な解釈も試みている。史実を追うだけでは小説にならないから、そこに歴史作家としての力量が問われるのだろう。その点、本作はNHK大河ドラマの候補に挙げたいほどの面白さがある。
中巻からいよいよ早雲が駿河に下る。かの地で孤立する"妹"北川殿とその子、竜王丸の危急を救わんがためである。従者をひとりも持たない早雲は、かねてよりの盟友・田原郷の荒木兵庫と山中小次郎に駿河への下向の供を求める。のちに大道寺太郎、更に伊勢で勇士三人が加わった計六人と早雲は、伊勢で神水を酌み交わし、同士の誓いをする。三国志の桃園の誓いもさもありなん。いよいよ早雲の一代事業が始まる。