投稿元:
レビューを見る
「村上海賊の娘」とかを読んだせいで、だいぶ3巻から間が空いてしまった。だけど、村上海賊の娘と同時代で、官兵衛がこうしている頃、大阪は・・信長や毛利氏の武将たちは・・・と思い浮かべられて面白かった。関が原の戦いが起きた時に、九州を斬り従え、天下を取ろうとした事は知らなかったので、とても興味深かった。田んぼから上がる米中心の考え方の家康と、土地に縛られない貨幣中心の考え方の秀吉や官兵衛。秀吉や官兵衛が天下を取っていたら、現代に近い商品経済が出来上がっていたのかと思うと、そんな世界も見てみたかった。
投稿元:
レビューを見る
山崎以後は官兵衛は秀吉のもとにいなかったんですね。秀吉が天下を取った後、朝鮮へ行ったり豹変した原因の一つ? ずっと官兵衛が秀吉のもとにいたら、、、。ifを感じる物語でした。
投稿元:
レビューを見る
禅であるかぎり、悟りをひらかねば田舎の一ヶ寺のあるじでさえなれない。恵瓊もまた恵心のもとできびしく修行してやがて印可を得た。悟道に達したということになるが、一般に悟りというのはあるいは得ることができても、それを維持することが困難なように思える。生涯、それを維持するために精神を充実させつづける必要があるが、ふつうは、俗世間のおもしろおかしさのために、ただの人間以下にもどってしまうことが多い。
もどったところで、禅僧としての地位の高さから世間はそうは見ず、また当人も自分自身を自分に対して弁護するために多くの禅語や禅宗独特の修辞を動員したりする。たとえば、自分は融通無碍の境地にあるのだと思い込むだけで、自分のたいていのことは、まず自分が許してしまうのである。
恵瓊には、多少そういうところがある。
臣ハソレ中才ノミ。
という意味のことをいった。
秀次はかさねてその意味を問うた。
如水は、自分がもし上才なら何も太閤に仕えておりませんでしょう、すでに天下をとっています。かといって下才でもなさそうであるこということは、このように、真似ごとながらも諸侯に列していることでもわかります。要するに中才でありましょうな、とひとごとのようにいった。
このことは、如水の本音だったらしい。
かれは年少のころから物事の姿や本質を認識することが好きであった。さらにはその物事の原因するところと、将来どうなるかを探求したり予想したりすることに無上のよろこびをもっていた。認識と探求と予想の敵は、我執である。如水がうまれつきそれに乏しかったことでかれは右の能力においてときに秀吉をあきれさせるほどの明敏さを発揮したが、同時に我執が乏しいために自分をせりあげることを怠った。中才である、と如水が、あたかも他人を観察するように言いつくしたのは、さまざまな意味をふくめていかにもこの男らしい。
投稿元:
レビューを見る
備中高松城の講和までの流れについて,実はよく理解してなかったことも判明。安国寺恵瓊の立ち位置についての解釈も興味深かった。
残りのページ数でどこをどうやるのか心配してたら,こう終わるのか。あくまで播磨灘物語なんだな。
投稿元:
レビューを見る
官兵衛という男。戦国時代には珍しい合理的な考えができた男。目薬売りから豪族化した彼の経歴によるものと考えられるが、それがもう一人の合理的な男織田信長に惹かれることになり、毛利ではなく織田を播磨へ導いたのであろう。
投稿元:
レビューを見る
もし関ヶ原の戦いがたった1日で決着がつかなかった場合の官兵衛がどうなったのか、日本がどうであったのか見てみたい。
面白かった。
投稿元:
レビューを見る
信長の援軍を請うた秀吉は、備中高松城の水攻めで毛利軍の攻撃を封じた。安国寺恵瓊の仲介により城主清水宗治は切腹、毛利方との和議が成立することとなった。ここにおいて、明智光秀の謀反によって信長・信忠父子の自害の報がもたらされる。軍師官兵衛がしんがりとなり、中国大返しの末の山崎の合戦へとなだれ込むのだった・・・。秀吉の天下統一の影の立役者・黒田官兵衛(如水)は、嫡男・黒田長政の福岡城で隠居、博多湾の海景を眺めながら五十八歳の生涯を閉じたという。織田・豊臣・徳川の戦乱の時代を駆け抜けた男の物語は、ここに完結する。
投稿元:
レビューを見る
大昔に読んでいたものを、数十年ぶりに再読。
読んでいて「これ、初読なんじゃないか?思い込んでただけで」と数度思い。
でも最終的に「あ、これ読んだなやっぱり。数十年前に」となんとなく思った。
戦国時代に秀吉の下で名を馳せた軍師「黒田官兵衛」の半生を描く長編小説。
個人的な説ですが、司馬遼太郎さんの特に長編は、
「坂の上の雲(1969-1972)以前、と以降」
に分けられると思っていて、「播磨灘」は1975。以後です。
「竜馬がゆく」や「国盗り物語」に比べれば、枯れていて、エンタメ臭が弱い。
その分、読み手側がもうほぼ50歳ともなると、「再読の滋味」は「以降」の諸作の方が深かったりしますね。
つまりは官兵衛という人が持っていた「才気」と「澄み切った人間臭さ」と「背筋の通った人柄」が、幾多の怒涛を経て「時の運」や「人間の集団の頑迷さ」にどこかまでしか、歯が立たない。
でもそれだからこそ風景として描くに足る愛情を呼ぶんでしょうね。
エンタメ感の向こうにそういう湿度のため息を感じるあたりが「以降」でしょうね。
そして何より、「戦国」という混乱の中世が、「信長・秀吉・家康」という近世へと、軋みを唸りながら転換していく、そんな歴史のドラマを感じさせる。このダイナミックさ、この描く力。
エンタメでありつつ、どこかマルクスを読んでいる気にもなって来る。
うーん。やっぱり脱帽。
投稿元:
レビューを見る
ついに完結。全編を通して司馬遼太郎さんの官兵衛に対する好感が滲み出ていた。
あとがきの最後の一文「友人にもつなら、こういう男を持ちたい。」は最高の賛辞ではなかろうか。
投稿元:
レビューを見る
感想を書くのをサボってしまったが、全体を通して星5?の感想だった。
司馬遼太郎を初めて読んだのは『項羽と劉邦』だったが、それも面白かった。
他の著者の歴史小説も少し読んだが、司馬遼太郎のは小説という形で物語として進められていくが、所々に著者の見解が示されている点がうまい具合に内容を読みやすくなっていると思った。
官兵衛の思想、生き方を読み解きながら、その生について少し触れることができたと感じる。
投稿元:
レビューを見る
20年ぶりくらいに信長の野望も購入し何度目かの戦国ブームが来た。
小牧長久手や関ヶ原のときの立ち回りにもっと触れるかと思いきや最後のまとめ程度。
合理さと人としての面白さを持つ稀有な存在。庄屋上がりのような家康を嫌い、それに媚びる息子を馬鹿にするとか人として面白いところがありすぎる。