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B県海塚市、母親と暮らす小学5年生の恭子。
母親から「いつも見られているのだから、恥ずかしいことをしては駄目よ」と言われ続ける。
学校での恭子の様子、先生、同級生たちとの会話などを
読み進める間に覚える違和感。
自分ならどちらを選ぶのか。再読
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うーん。私には難しい話だった。町全体が一つになって捏造された世界。恐ろしい…洗脳?とも違うのか?今見えている世界が本当の事なのか私もふと怖くなった。ニュースで流れていること自体嘘っぱちなんじゃないかと。放射能の心配はありませんとか、魚や野菜には影響はありませんとか。何年後かにその影響がでてきても、それはあの件とは別の原因だと国は逃げるんじゃなかろうか…問題作でる。美味しんぼで鼻血表現しただけで、あの騒動になったんだから、この本も差し止めになるんじゃなかろうか。言論の自由といいながら、ほんとは都合の悪いことは全部隠されてんじゃないの…
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『京都大学新聞』のインタビューを読んで、著者が念頭に置いていたのがカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』だったと知ったが、あの本ほどのインパクトや意外性は残念ながらない。ファシズムの不気味さも書評で言われてるほどはない。ただ読んでいる最中も何かが気持ち悪いし、後味が悪いのはたしかだ。原発事故後の福島を想起させるとしても、何かが足りない。普通に面白いのだろうけど、求めすぎていたわたしにとっては一周回って物足りなさが残ってしまった。
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余華の『死者たちの七日間』を読み終わった中国の人はこういう気持ちになったのかというような読後感。小説というにはあまりに直截的に思われた。
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久しぶりに小説らしいものを読んだ。
はじめは虐待ものかと思わせて、震災後のイジメのような場面もあり、どこかがおかしい、この違和感は
何なのだろうと読fみ進められていく。
後少しの結末を知るのが恐ろしくなる物語。
よほど綿密に練られた構成なのだろう。
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【各紙誌で絶賛を浴びた話題作】こんな町、他にあるんですか――〈空気〉に支配された海辺の町で少女が見たものは? 安全神話からの覚醒を促す今年最大の問題作。
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本当のことを口に出して言えない、そこにどんな悲惨な現実があっても。
架空の世界のようで身近に起きていること。あの事故後におきていることがかかれている、少し誇張して。
風評被害と言い換えて食べて応援とかいって国民をだましているこの国のことを。
子供目線でかかれているが実際は成人した女性が思い出しながら書いているという設定。
なにかを隠してうすら怖い感じがしてとても気持ち悪い文章。とても計算されて短い小説にまとまっている。
はっきり批判しないで架空の世界の小説のようにしないと書けないのはまさにこのお話のなかでおきていることと同じではないか。なんともやりきれない。
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実際の地名は使えないからB県海塚市となった架空の土地で起こっている事。
母子家庭で母一人子一人の小学生の娘「恭子」の目線で物語は書かれている。
これは災害で打ちのめされたある地域の汚染された町でのお話しを彼女の目から俯瞰して眺め、自分の気持ちに葛藤して人との繋がりなどを書いている。
この町の不条理やおかしさを感じながら、仕方なくこの町で生きていこうとする親子。
今の町がおかしいと言えない空気。それはどこかの地域と一緒ではないだろうか?
そして、そういう全体主義の中に溶け込まないこの親子は。。。
何の小説か分からず読み始めて最後頃にやっと気がついたこの設定。先入観が無く読み始めて、こういう世界を感じてしまった。
これが現実?そうなりません事を願います。
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結局、ボラード病は誰なのか、、、
フィクションなのかノンフィクションのか、
先入観なしで読んで驚き。先入観ありで読んで別の驚き。
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大栗恭子という30代の女性が、小学生だった頃の自分を思い出しながら語るモノローグスタイルで物語は進む。
途中、それは小学5年生当時の彼女自身の語りとなり、時に現在へと戻る。が、不思議と違和感はない。
さて、語られているのがいつの話なのか、明かされることはない。ノンフィクションであるようにも、その実、単なるフィクションであるようにも見える曖昧さが、かえって読者の想像を現実の世界に重ねさせてしまう。
今の私たちなら、どうしてもあの未曾有の大災害を連想してしまうが、例えば時と場所が違えば、それは独裁体制のとある国のことであったり、極端な思想に走った新興宗教のことであったり、古くからのしきたりに縛られた地域のことであったりするかもしれない。
もっと言えば、ほんの些細な日常の中にも存在するかもしれない、ある種のファシズムを連想させる物語だ。
そしてその恐ろしいところは、いつのどんな場所にも文化にも、連想してしまう現実の世相が存在するということだろう。
読後いつまでもいやな感じが胸に燻り、読んで楽しい小説ではないが、もやもやとした前半から、後半にかけてじわじわと何か不気味なものが隠されていると予感させられるにつれ、見えてくる小説の「世界」の変化、とりわけ母親像の見え方の変化が、とても際立っていた。
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今となっては東日本大震災のことを思うけれど、そんな局所的な話ではなく、私達は世界を認識できるのか、認識しているのか、について書かれた、これは普遍的な小説だ。
精神異常者は、恭子なのかもしれないし、母親なのかもしれないし、恭子と母親なのかもしれないし、海塚市民なのかもしれない。恭子のモノローグだから、というのとは別の次元の話として、それを特定することは出来ない。現実世界において、誰の考えが異常であるかを断言することは出来ないのだ。それは、異常と正常の境目は刻々と移り変わるものであるからだ。ある時代において正常な考えであったものが、別の時代においては異常な考えとなる例はたくさんある。
そんな中で、「結び合い」の異常さに注目したい。東日本大震災の直後によく言われていた「絆」という言葉に、アンチの意見を述べれば人非人のように言われただろう。しかしあれから数年経って、いまだに故郷に帰れない人がいるという現実に思いを致す人はどれくらいいるのだろうか。つまり私が言いたいのは、「絆」などという耳触りの良いことを言っても、そんなものは一過性の、自己満足に満ちた、欺瞞でしかない、ということだ。人はいつだって、他人の幸不幸になど無頓着なものなのだ。
ボラード病とは何か。私達を世界に繋ぎ止めるもの。人は自分の存在の正当性を確かめるために、異質な人間を作って弾圧する。そうして、私達は仲間だね、と確認する。常に「私達」の側にいられるように、誰かの異質さを見付けてはそれを指摘し、排除する。そうすることによって、「私達」の側で安心して生きていられる。安心して生きていられるならば、排除された側の人間のことなど考えもしない。ボラード病とはすべての人間のかかっている病だ。
最後の一文には、しびれた。
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良くも悪くも印象に残る本。震災後の福島を連想させる話。絆とか花という歌の気持ち悪さに似たもの。タリバンとかイスラム国とかもこれに近い病なんだろう。どっちが気狂いなのかわからなくなった。
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この何とも言えない不気味などんよりとした世界にもう少し浸っていたいと思いながら読了。
ディストピア小説か、3.11を描いた寓話か。
いや、そんなことはどうでもいい。
この、恭子と母に見えている世界と「ドウチョウ」できるかどうか、なのだろう。
いやいや違うな。彼女たちが住んでいる海塚という街の絆を受けいれるかどうか、なのか。
何かがおかしい。何かがゆがんでいる。狂っているのは恭子たちか、住人たちか、それともこの国のどこかに住む私たちか。
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震災後の閉塞感と、「絆」のような言葉(ここでは「結び合い」)に隠された薄気味悪さが巧みに描かれている。きちんとして礼儀正しく、助け合い、裏で蠢く悪事には気付かないふりをしてやりすごす、気づいて声をあげる者は抹殺する日本人の姿。
この本が素晴らしいのは、そういった解釈だけでは収まりきれないところがあるから。震災がなかったとしても、ここに書かれたようなことは起こり得る。いや、既に何度も起こっていたし、これからも起こる。
それを心に刻み込むことが、唯一それを避ける方法であることを教えてくれる。
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いとうせいこうの書評を読んで図書館で借りてきた。
彼が昨年末「今年の3冊」に挙げているくらいだから、よほどの力のある小説なんだろうと思う。
アホな私はいとう氏の解説無くして本書の内容は理解できなかったのだが(今も本当には理解できてないが)、とにかく気持ち悪くて仕方ない。
臭いの描写や人物の薄気味悪さはもちろんのこと、
作品世界に蔓延する暗黙の了解ごとみたいなものが、抜け出せない泥沼のようにまとわりついて、とにかく生理的に気持ち悪い。
そして個人的には、母親の融通の利かない内職のやり方が自分に似ていてうんざりする(笑)