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奉天会戦のクライマックスが描かれている。
ロシア帝政の腐敗、官僚制の腐敗の根深さがクロパトキンの愚かさを象徴として描かれている。日本自体の国力がほとんど尽きている中、勝てたのはまさにこのことが大きいと思った。
また、日本の外交下手は昔かららしく海戦で勝負を決すことになるが、ロジェストウェンスキーの描写もまたその頃のロシアを端的に表していると思った。
最後に、バルチック艦隊が日本に迫ってきた時の宮古島の描写があるが、その頃の日本人の純朴さや一体感が感じることができ興味深いと思った。
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描写の上手さというか程よい堅さみたいなものは素晴らしいと思う反面、「主役どこいった」感が拭えない巻でした。
大局的に日露戦争を語ることがこの小説の目的なのかもしれないが、それにしてもせっかく秋山兄弟を主役にしたのなら、もう少しその2人に重点を置いて語ったらどうだろうとちょっと不足感の出てくるラストスパート。
それにしても勉強になる。
そして今更知る自分をちょっと反省する。
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オフィス樋口Booksの記事と重複しています。記事のアドレスは次の通りです。
http://books-officehiguchi.com/archives/3927743.html
奉天海戦でのクロパトキンの謎の退却から始まる。ロエストウェンスキー艦隊が喜望峰を回ってインド洋を経て、ウラジオストクに向かうという世界史史上例のない出来事、ネボガドフ艦隊はスエズ運河を経由したため、高校距離は短いが、艦船が老朽化していたことなど問題点があげられている。日本はロシアの弱点を拾い上げて、かろうじて日露戦争に勝利したという印象を受ける。
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状況からみれば、絶対に負けるであろう奉天会戦。
なぜ、日本軍は勝てたのか?
究極はロシアの専制国家、官僚体質による自己保身に尽きるであろう。
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奉天会戦がメイン。旅順に続き、及木軍への過酷な戦いがここでも繰り広げられる。このような戦いがどうやって決着がつくのだろうか?と思っていたら、なんとも意外な方法で決着。歴史でもこんな展開があったんだ。。。残るは日本海海戦のみ。
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七巻は奉天会戦がメイン。
戦力が底をつく中、なんとか勝利した日本。
その原因の象徴として、ロシア帝政、官僚制の腐敗の根深さや、クロパトキンの愚かさが描かれている。
しかし、日本側にも成功の見込みがないままに形式だけを整えるという、悪しき事例が生まれたことも留めておきたい。
奉天会戦が終わると日本海海戦に向けたロシアと日本の動向に話が移る。
バルチック艦隊率いるロジェストウェンスキーがこれでもかというくらいボロクソに書かれているが、多少の脚色があるだろう。
秋山真之らがロシアのウラジオストクに向かう進行ルートで精神的に追い詰められていく場面は印象的。筆者の言葉を借りて言えば、心臓担当の東郷と頭脳担当の秋山の違いが顕著に出ていた。
作品全体としては、状況を俯瞰し丁寧に描写している点は素晴らしいの一言。このまま教科書として使えると思います。
ただし、「主役どこいった感」はあります(笑)。
次巻はいよいよ最終巻、日本海海戦です。
楽しみ!
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奉天会戦に薄氷の勝利を得、いちおう連戦連勝の日本軍ではあるが、財政的に逼迫しており、講和を結ぶ動きにある。もともと、日露戦争は日本にとってロシアの完全壊滅を狙った訳ではなく、ロシアの朝鮮半島への南下を防ぎ、日本の安全保障を確保することを目的としていた。ある程度勝ち目があったらその時点で講和をしようという意図があり、予定通りの動きと言える。
そして今回も楽しませてくれたのが、バルチック艦隊司令長官のロジェストウェンスキー。こんな出来の悪い軍人がよく大艦隊の司令長官など務まるもんだと改めて呆れるほかないが、これが専制君主制国家の膿なのだろう。やはりロシア革命は起こるべくして起こったのだ。
もっとも、本作品において、一定の登場人物が、これでもかというくらいボロボロに描かれているが、多少の脚色もあることは理解しなければならない。本作品での人物評は、あくまで司馬遼太郎氏の取材と考察であり、必ずしも客観的なものとは言い難い。乃木希典などが良い例で、本作品では旅順総攻撃のくだりで非常に情けない描かれかたをされているが、書によっては褒めたたえるものも多いと聞く。そのあたりは心得ているつもりだ。
話が逸れたが、本書後半では、そのロジェストウェンスキー率いるバルチック艦隊が、どこを通ってウラジオストクに向かうのかが日本海軍の悩みどころであり、主人公の一人である秋山真之は精神的に追い詰められていく。
残すは最終戦の日本海会戦。クライマックスは最終巻の8巻にて描かれる。楽しみだ。
今回の本文引用は、表現がユニークで思わず吹き出してしまった部分である。
「浮かぶアイロン」「自動式沈没艦」などと揶揄される老朽艦隊ばかりで構成されるネボガトフ艦隊が、ロジェストウェンスキー率いるバルチック艦隊に合流したときの表現。
「ロジェストウェンスキーは長官室で『ネボガトフ艦隊が無事到着した』旨の報告を受けると、扶養を必要とする親類の老婆が訪ねてきたときのような、懐かしさと当惑の混じった微笑を浮かべ…」
→なんとも所帯染みた、そして大人であれば誰でも何となくイメージできる表現である。司馬氏もこのような経験があるのだろうか…。
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奉天会戦で薄氷を踏むかの如き勝利を得た日本であるが、それは日本軍の善戦もさることながら、露軍側、特にクロパトキンの稚拙な戦術眼、官僚的保身によるものであった。バルチック艦隊はベトナム沖で第三艦隊との合流のため漂泊を続け、これまでと同様、船員の士気と体力を奪っていた。一方、日本側ではバルチック艦隊の航路が太平洋側からまわるのか、対馬海峡を通るのかの議論で秋山真之と第絵本営は右往左往するも、東郷平八郎は対馬で一点張りをしていた。この一貫した態度が、東郷の以後の名声をより高めたと言われているらしい。そして、哨戒艦信濃より有名な「我敵艦見ユ」との通信が入る。いよいよ、日本海海戦というところで本巻は終わる。
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陸軍が奉天会戦を終え、児玉がこう言った。「このあたりが、切りじゃ」こののちは海軍に委ねることとなった。(和平までの数ヶ月間は日本海海戦が終わった後も戦闘は続けられていたが)
徹頭徹尾ロシアが優位な条件にあったのに関わらず、将によってロシアは五分五分に持ち込まれた、いや負けた。敗北感というものがロシア兵の中に刻み込まれたのだ。個々の能力が高くても上に立つものの存在がどれほど大事かを知らしめられた。
この点、海軍では日本はより個々よりもチーム、統率を意識した。特にこれを感じたのが、露が砲弾を打つ際、個々に相手の戦艦に対して打ち込むのだが、日本では新たな方式を採用した。三笠の砲兵の将の指示が下り、それに呼応して各艦の砲の将が統率して打つのだ。上の命令が下るまでは打ち出す事はできない。これは諸刃の剣でもあるように自分は感じた。将が有能でなければ、伝達手段が整っていなければ、成功し得ないからである。将が全体の状況を把握し、かつ迅速でその場にあった全体的なチーム行動を考えねばならない。
また、8巻の内容になるが、日本の第一艦隊は露の旗艦スワロフの航路を見誤った。北路に逃げていくと判断したが、実際は舵の故障であった。それを見破った、第二艦隊の旗艦の上村らは三笠についていかず、自ら針路をとった。こういった従うだけでなく自主性も備えていた日本海軍は当時世界最高のチームであったのではないかと思う。
内容からはずれたが、この陸軍の下りの後、金子らによる国際世論の操作、そして対馬コースを選んだバルチック艦隊との遭遇へと物語は進んでいく。
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日本海海戦へ向かう気運が徐々に描かれていて、本当に読んでいてゾクゾクした。あと1巻だけなのか、、、残念。あと1巻を大切に読みたい。
にしても、秋山真之など軍人の国を背負った人々の決断の重さは計り知れないだろうな。自分の悩みなんて、ホントちっぽけだと思った。そして、明治時代の人々の純朴さに胸を打たれた。
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奉天会戦に日本が勝利し、いよいよバルチック艦隊と東郷艦隊の対決へ。
人間の一生で他人に繰り返し語るに値する体験というのは、なかなかない。そういう体験をできるように日々精進しなければ。
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6月20日読了。日本の大勝(とも、言えないようだが)に終わった奉天の会戦とクロパトキン将軍の退却に次ぐ退却と、戦場に肉薄するバルチック艦隊の大航海の終わりとそれを待ち受ける東郷平八郎の連合艦隊の動きなど。日露戦争の奉天の会戦の「何を持って『勝利』とするか」の定義について今日にいたるまで議論がある、というのは面白い。民族の虐殺を意図しているわけではないのだから、相手の戦意を喪失するような打撃を与え、周囲国の同意を得てさっさと有利な条件で講和を結ぶ(しかも、「戦争を続けたくない」という意図を悟られないうちに)というのが「勝ち戦」の終わり方なのか。「自らを愚者のように見せ、部下に思い切って権限を与え、負け戦のときの責任だけはとる」という薩摩流の統帥術、非常に興味深い・・・周囲に「切れ者」と思われているようでは、本物の切れ者ではないのかもしれんな。
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「日本においては新聞は必ずしも叡智と両親を代表しない。むしろ流行を代表する者であり,新聞は満州における戦勝を野放図に報道し続けて国民を煽っているうちに,煽られた国民から逆に煽られるはめになり,日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。日本をめぐる国際環境や日本の国力について論ずることがまれにあっても,いちじるしく内省力を欠く論調になっていた。新聞がつくりあげたこのときのこの気分がのちには太平洋戦争まで日本を持ち込んでゆくことになり,さらには持ち込んでゆくための原体質を,この戦勝報道のなかで新聞自身がつくりあげ,しかも新聞は自体の体質変化にすこしも気づかなかった。」「日本の新聞はいつの時代にも外交問題には冷静を欠く刊行物であり,そのことは日本の国民性の濃厚な反射でもあるが,つねに一方に片寄ることの好きな日本の新聞と国民性が,その後も日本をつねに危機に追い込んだ。」
当時の白人の有色人種に対する差別的な態度に少し悲しくなった。そういう部分は,今もあるのだろうけれど。
一筋縄ではいかない登場人物が沢山出てくるが,そのなかでも秋山兄弟がでてくると,やはり主役らしい雰囲気が感じられる。
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「戦場へひきだされてゆく水兵たちにとって自分の提督に期待するのは優しさでも愛嬌でもなく、ただひとつ有能であるということだった」
シンプルだけど、全部を語ってる言葉だなと。
しかし、一年半くらいかけてようやくここまで!(ーー;)
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奉天決戦は敵の戦略ミスによる退却に乗じて圧勝に終わる。賠償金、領土割譲をよしとしない西欧列強に対し、ルーズヴェルトが講和に乗り出すが、バルチック艦隊による大鉄槌を信じるロシアはこれを拒否。艦隊は対馬に到着する。