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大きなあこがれについて
おお,俺の魂よ,俺はお前に全てを与へた.俺の手は,お前に触れて空つぽになつてしまつた.ところが,いま!いまお前は俺に微笑みながら,実に憂鬱さうに云ふ.「私と貴方では,何方が感謝すべきなんでせうね?与へる側が,受け取つてもらつた事を感謝すべきなんぢやないかな?プレゼントする事は,必要に迫られてるからぢやないかな?受け取るのは,憐んでゐるからぢやないかな?」おお,俺の魂よ,俺には,お前の憂鬱が微笑んでゐるのがわかる.お前は豊かすぎるので,憧れの手を差し出してゐるのだ!
FriedrichWilhelmNietzsche
AlsosprachZarathustra
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ようやく読み了える。三島由紀夫『花ざかりの森』を読んだ後は「もうどんな本でも読める」と思い上がったものだが、世の中には三島と違う難しさがあったのか。
ツァラトゥストラの従者みたいな鷲と蛇が人語を操るのに驚く。
福音書のイエスは滅多に笑わぬ印象だが、ツァラトゥストラはよく笑う。ダンスを好み、とりわけサイドジャンプが得意らしい。
自費出版でわずか40部しか印刷されなかったという第4部は、奇人変人が続々と現れいでてくるので、いくらか面白い。
大島弓子がマンガ化するとよい、と萩尾望都が主張していたけれど、ヴィジュアルが想像できない。
これより解説書をひもとく。
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「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い」と中島敦は言っていますが、苦しみを何度味わっても自分の生を肯定的にとらえ上昇を希求すれば、何度繰り返しても足りない。学ぶことは永遠にある。って言ってる気がしました。
最後は、全てのものごとは繋がっている、喜びは苦しみが深いほど素晴らしくなる、しんどいから人生は深くなる、すべてを味わえと、どこか宇宙的な極致に到っている感じがあります。
ニーチェは苦しみの多い生だったのではないかとこの本を一冊読んだだけでも伝わってきますが、そんな中でも、今を頑張れ、過去を肯定しろ、大丈夫だ、笑うんだ、軽々とダンスをしながら、誰かの基準ではなく自らの基準の高みを目指せと言ってる。
社会の定められたレールに上手く乗れない自分のようなポンコツにはとても励まされたし。胸が熱くなりました。
晩年、ニーチェは発狂して生涯をとじますが、ある意味、この人は本当に人を超えたのかもしれないな、と思います。
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一応最後まで読んだものの読み終えたと言えるのか微妙。
解説なんかを見るとキリスト教へのアンチテーゼとか聖書のパロディといった記述があったのでそもそもその辺の理解がないと分からないのかも。
それならば聖書を読んで「じゃ、もう1度」とはならないかな。
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辛うじて読了
狂人の頭の中を覗いたような気分
没落しようが、高く跳ぼうが、人から逃れ山に入ろうが、結局は人が好き。そんなツァラトゥストラは誰の中にもいるんじゃないかなと思いました。
超人にはなれずとも、確固たる自身を持ち、変化を恐れず、よく笑い、ダンスをするように軽やかにありたいものです。
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※下記感想の中には、本書の中身に触れています。なので、今後本書を読もうと思っている方で、ご自身で読む前に例え哲学書とはいえ、一切内容は知りたくないという方は、これ以降の閲覧をお控えくださいませ。
なぜ哲学書・思想書ならネタバレしても良いと僕が思っているのかは、「最強!のニーチェ入門(飲茶氏著)」の感想に詳しく書いております。ご理解賜ります様、何卒よろしくお願い申し上げます。
【上下巻を通しての感想】
「ツァラトゥストラ」は、緩やかな物語仕立てで書かれている。これだけ書けばストーリー仕立てになっているのであれば、すごく分かりやすいじゃん、と思われたかも知れない。しかしそうは問屋がおろしてくれない。ほぼ全編を通してアフォリズム(日本語に訳せば格言かな?)で書いてある。それもほぼ全編で比喩を多用しまくっているので、ニーチェの解説書を読んでおかないと、何が言いたいのか、最初から最後までよく分からないと思ったまま読了してしまう。それならまだ哲学書らしく論文調で書いてくれてた方が、理解度で言うと、まだ少しマシかもと思ってしまう。
ニーチェが論文を書かなくなった理由は、ニーチェ処女作「悲劇の誕生」でこっぴどく、アカデミズムに否定されたからであろう(詳しくは、「100分de名著のツァラトゥストラ」に記載してます)。
「ツァラトゥストラ」のことをニーチェは、《人類へ最大の贈り物》とか、《ドイツ語で書かれた最も深い作品》と自負している。だが、出版された当時は、当時のドイツ人にさえチンプンカンプンだとか、「高級な文体練習」だとか揶揄された。第一部から第三部までは出版社がついたけれど、第四部は自費出版で40部しか出せなかった。思想詩のように比喩的に書いた「ツァラトゥストラ」は、ほとんど理解されなかった。敗者復活戦のつもりでニーチェは、思想詩よりはストレートなアフォリズムで「善悪の彼岸」を書き、(ニーチェにしては珍しい)論文で「道徳の系譜」を書いたとのこと。この2冊は「ツァラトゥストラ」を解説・敷衍(ふえん)した本とみなすことも出来るとのこと。ここで僕が思ったこととしては、自分で解説書を書くほどに、どうしてもこの本は読者に理解して欲しかったし、過去最高の出来であると、ニーチェ自身が確信していたんだろうなぁと。
本書解説部分にも書いていたが、ニーチェは本書をキリスト教の聖書に変わる書物として書いたらしい。なので解説部分でも聖書のパロディとの解説があったのだろう。
文体や内容が、あまりに時代に即してなく、前衛的すぎたので、世間に受け入れられるまで時間がかかってしまったのだろう。皮肉なことに、徐々に世間に評価され始めた時には、悲しいかなニーチェは、精神が壊れてしまい、自分で世間に評価されたことを認識できぬまま、亡くなってしまった。こう書くと本当に悲劇の人だなぁとつくづく思う。
と僕にしては最初珍しく、ネガティブなことから書いてしまったが、いま現在も本書は名著として世界中で読まれている。ということは、今更ながら内容が素晴らしいからなのは、言うまでもない。僕は哲学書についてまだまだ読書量が圧倒的���少ない初心者なので知らなかったが、「ツァラトゥストラ」の様にこんな生きづらい世の中だけど、だからこそ前向きに生きていこう!というポジティブな生き方指南的な哲学書は、意外にも少ないらしい。だからこそニーチェは、今だに世界中から評価されている哲学者なんだろうなと思った。
※ここからネタバレというか、本書を読了して僕個人が考えたこと及び思ったことを、赤裸々に書きます。ご注意下さい。
本書でニーチェが最も重要だと言っている「大いなる正午」とは、いったいなんぞや?ということについて、個人の感想を書きます。実はニーチェ自身は少なくとも本書では、「大いなる正午」については回答は一切書いていない。この後に解説書として書いた「善悪の彼岸」や「道徳の系譜」に書いてあるかも知れないが、まだ未読のため、それは現在の僕には分からない。ただ飲茶氏の「最強!ニーチェ入門」を先に読了していたので、おそらく「大いなる正午」とは、過去でも未来でもなく、今この一瞬が一番大切で、この一瞬を噛み締めて生きるべきということを言いたかったんじゃないかなと思う。
であるならば、ニーチェの大切な思想って禅というか、仏教の思想と一緒だなと嫌が上にも思ってしまう。仏教的思想でも、過去や未来でもなく、今この瞬間がもっとも大切なんだと説いている。そう考えると、哲学というか思想をトコトンまで突き詰めて考えていくと、行き着く先は洋の東西を問わず、一緒なのかなと感じる。
僕が読書を行なっている一番の理由は、自分のプロフィールや色々な書籍の感想欄で書いているが、実生活で使える知恵や気づきを得たいからだ。一時期ビジネス書や自己啓発書を乱読していた時期が昔あったが、あるとき気づいた。これって一番重要な部分って、最終的には哲学書や思想書からの引用がほとんどだと。であれば引用元である哲学書や思想書を読んだ方が、自分が求めている答えに行き着くのは早いんじゃないかと。今回「ツァラトゥストラ」を読了して、その思いがより強くなった。
【雑感】
本書とは直接関係ないが、ここ一年ほど僕が個人的に取り組んでいることで、最も人生においてプラスになっていることがあるので、書いてみます。ここ一年程、日記ではないがそれに近しいものを書いており、これを書く様になってから、凄くポジティブに生きれる様になった。
きっかけは、岡田斗司夫氏のYouTubeだ。そこで書籍紹介をしており、書籍名は「ずっとやりたかったことをやりなさい」(ジュリア・キャメロン著)だ。実はこの本、ビジネス書というか自己啓発書だと思うので、上記理由から書籍自体は読んでいない。ただ岡田斗司夫氏いわく、この本で実践しろと言っている、日記というか自分が1日で感じたことを、ただノート3ページ分毎日書け!というものだ。
あまりに岡田氏が熱烈に勧めるので、試しにやってみた。うーん、自分が感じたことを毎日3ページも書くのは、ほとんど拷問に近い。やって頂いたら分かるが、よっぽど忍耐力がある人でないと毎日は続かない。ただ作者が言わんとしていることに共感はできたので、このまま止めてしまうのは勿体無いなぁと。であれば自分なりにアレンジしてみようと。現在の形になるまでかなり試行錯誤���たので、元々のジュリア・キャメロン氏の原型はほぼ何も留めていないが、現在の僕の行なっている形は以下だ。
普通のノート(A4サイズ)を使い、1日分として見開き2ページを使う。左半分が重要な部分だ。左半分には一行づつ空けて箇条書きでその日、自分で取り組みたいことを書く。(一行空けて開くと大体17個ほど書ける)右半分はキャメロン氏と同じで、その日感じた感情が動いた事を書く。但し、感情部分はキャメロン氏と違い、書きたいことが無ければ無理に書く必要なし、としている。
ここからが重要なポイントだが、1日が終わって翌日になると、前日書いた目標をできたかどうか、自分でチェックするのだ。ただチェックすると言っても日々仕事をしていて忙しいので、チェックはこの上なく簡略化している。箇条書きしたものを出来ていたら丸(まる)をつけ、出来ていなければバツ、微妙だったら三角のマークをつけるだけ、ただそれだけだ。
これをすることの最大のメリットは、自分で前日分をチェックすることにより、前日の自分と当日の自分を比べ、成長できているかどうか比較ができることだ。これを毎日することで、比較するのは他人ではなく、あくまで昨日の自分と今日の自分を比較するので、他人と比較することが一切なくなる。
思うのだが、人間のネガティブ思考の始まりは、他人との比較をしてしまうことから始まることがほとんどなのではないかなと。これを日々行うようになってから、ネガティブに陥ることは、ほぼなくなった。なので職場の知人、友人に勧めてみた。すると、目標って具体的に何を書くの?例を教えてよ!と結構な割合で言われる。最初のうちは、「いや、何でもいいやん、例えば、誰にでも優しくするとか、甘いものは食べないとか、睡眠を十分に取るとか、極力運動をするとかなどなど」と言うのだが、実際に書いてるのを見せてと、あまりにしつこく聞かれたので、あくまでも参考として、最近僕が日々の目標に書いている事を以下に書きます。
(例)
・一度自分で決めたことは最後までやり遂げる。
・誰に対しても真心で接する。
・日々、目一杯楽しく過ごす。
・相手に期待するのではなく、心から応援する。
・ピンチは自分を変える最大のチャンスである。
・良いと思ったことは、すぐ試す。
・今日人生最後の日だとしても、今からやろうとすることは必要かを考える。
・5分時間があれば、読書するのではなく、思考する習慣を身につける。
・一つ一つの動作を行うときに、感覚に集中する。
・世の中のすべてのことに執着しない。
・過去でも未来でもなく、いまこの一瞬に集中する。
・出会う人に対して、尊重した態度で接する。
・どんな些細なことでも、相手が自分のためにしてくれたことには、心からの感謝を伝える。
・極力誰に対しても笑顔で対応する。
・会話をするときには、相手が本心で何を望んでいるかに、意識を集中する。
・愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ。
(→他人の失敗から学び取れる様、日々観察眼を鍛える)
・難しい内容ほど、子供でも理解できる言葉で伝えるよう意識する。
その目標が無意識でもできる様になれば、新たな目���に差し替えてもらって、日々新たな目標にチャレンジするのが、もちろん望ましいです。
現在ネガティブな気持ちに陥ってしまうことが多い方がもしいらっしゃれば、この方法を試してみるのも一つの手かなぁと、僭越ながらご提案させていただきます。
次は、村上春樹氏の新作「街とその不確かな壁」を読みます。
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・ツァラトゥストラとは、古代ペルシアのゾロアスター教の始祖ゾロアスターのドイツ語名。このツァラトゥストラが、山から下りたり、山に戻ったりして、超人を探しながら、いろんな場所で、弟子などに説教するという設定だ。
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「きちんと受け取るよりもきちんと与えることの方が難しい」というのには同感。ニーチェが同情よりも闘争を選ぶ人であることも読み取れる。しかし、創造するものが破壊することがあるとはいえ、破壊するものが創造するとは限らない。そしてこの本は、破戒のオンパレードではないのか。少なくとも、私とは相性はよくないらしい。
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上巻もそうだったのだけど、下巻もほぼ何を言っているのかわからないまま読了。いや、読んだというより頁をめくり終わったというほうが近いから、正確には「めく了」かもしれない。
でも、書いてあることがわからないから、ニーチェの魅力が感じられないかというと、そんなことはなくて。
「またひとりになったぞ。ひとりでいよう。澄んだ空と自由な海があれば、いい。」
「俺は、祝福する者になったのだ。肯定する者になったのだ。 俺が長いあいだ苦労し、努力してきたのは、いつか自由に祝福できるようになりたかったからだ。」
全編に散在する、こうしたさりげない言葉から、眉間をしかめて本とにらめっこしてないで、いまここにある光を、時間を、命を感じたらどうなんだ? と言われている気がする(気のせいかもしれない)。華やかさと朗らかさのなかに、繊細な心が見え隠れしている(と思う)。
「俺の悩みや俺の同情なんかーーそれがどうした! 俺は、幸せを手に入れようと努力しているのか? 俺の仕事を手に入れようと努力しているのだ!」
牧師の家系に生まれながら、キリスト教を否定しアカデミズムからも追放されたニーチェ。人生に苦しまなかったはずがないけれど、それでも悩みや同情に、「それがどうした!」と言い放つ姿勢が好きだなと思いました。
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上巻同様難解。語り口は平易なんだけど、言いたいことがよく分からない。「この人を見よ」を先に読んだ影響かもしれないけれど、全ての理屈が「俺って、すごいでしょ?」に行き着くようで、涼やかさは皆無か。
上巻に解説にあった通り、「ダンス」のフレーズが何度も登場する。イエス・キリストへの手厳しい意見とセットで考えると、本来は辛気臭い思想とは無縁なのだろうか?
P213
(ロバの台詞)
「その昔 — たしか紀元1年のとき —
巫女が、葡萄酒も飲まないのに酔っ払って、こう言った。
『大変だ、おかしなことになってきた!
堕ちます!堕ちます!世界がこんなに沈んだこと、ありません!
ローマが沈んで、娼婦になり、娼家になった。
ローマの皇帝が沈んで、家畜になった。神様が — ユダヤ人になった!』」
P316
この地上で、これまでの最大の罪は何だったか? それは、「ここで笑っている者は、不幸である!」と言ったイエスの言葉ではないか?