世界の見方を鍛える
2016/05/24 19:08
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、世界の見方、世界構造はどうなっているか、ということを教えてくれる一冊である。とくに、近代世界に広まったヨーロッパ発の世界システムについて分かりやすい。
投稿元:
レビューを見る
ウォーラーステインに基づいた世界システム論の概説書。原本は放送大学の教科書なので、分量的制限からミニマムエッセンス的な記述となっており、取っつきやすい。大航海時代以後のヨーロッパ中心の近代世界を対象に、システム論的な見方で世界史を概括する。たとえば英国の産業革命ですら世界システムの影響から逃れ得なかったなど、示唆に富んでいる。近代世界の移民問題について知りたい場合にも重要な観点である。15世紀以前のヨーロッパ世界についてはアブールゴド「ヨーロッパ覇権以前」をひもといてみたい。
投稿元:
レビューを見る
超絶名著。近代ヨーロッパ史の流れがまるわかりできる。様々な断片的知識が繋がっていく爽快感はたまらない。
2017年1月6日追記
世界システム論について今一度考えてみると、中核―周縁関係の中で、垂直的関係があることが、南北問題が解決しない一つの理由として挙げられている。中核国家が産業の高度化を成し遂げたために、周縁国家は産業の低次化を強いられた。東方植民に見られるエルベ川以東の再版農奴制やインド植民地のモノカルチャー化はイギリスを筆頭とする西欧の産業化との関連性の中で考えられる。さて、そこで重要に思えるのは、低開発化された周縁では労働力のコストを下げるために、非/低賃金労働を強いられるということだ。いわゆる自給的労働は賃金の発生しにくい非/低賃金労働としてカウントされ、生産的労働に財が集まると考えられている。さて、WW2以前の世界では植民地における強制労働という形で、このような非/低賃金労働を賄ってきたが、植民地解放以降の世界では国内に低賃金労働者たる非正規雇用者を確保するために、雇用の非正規化が進む。サービス残業やブラック企業はシステムの存続に不可欠な非/低賃金労働の創出という歴史的側面で説明できる。そして、これが本題であるのだが、2016年12月に一世を風靡したドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」に隠されたメッセージは、世界システムの存続に必要な搾取の構造を、夫婦という解り易い関係に置き換えて世間に訴えていたのではないかと思う。最終回に近づくにつれて、主人公の平匡は解雇による年収の激減から、元々は賃金労働者として対価を払っていた妻の労働を結婚によって非賃金労働化することによってシステムの存続をしようと試みた。このシーンに象徴される含意は夫という中心がシステム維持の為に周縁を非賃金労働化するという世界システム論の中にある非対称な分業体制に由来するのではないか。
追記おわり。
投稿元:
レビューを見る
『砂糖の世界史』の理論を解説し敷衍した内容。非常に読みやすく噛み砕いた内容になっているが、逆に重要な部分を読み飛ばしてしまいそうになる。多分、参考文献を参照しながら、読まないと「分かった気」になってしまうかも。
投稿元:
レビューを見る
世界史の流れを、「国家」という単位ではなく、「世界」全体で見つめ直すべきだ、ということを様々な角度から講釈してくれている本。
この本が示そうとする事柄は、次の文に端的に表現されている、と思っています。
p26「近代の世界は1つのまとまったシステム(構造体)をなしているので、歴史は「国」を単位として動くのではない。すべての国の動向は、「一体としての世界」つまり世界システムの動きの一部でしかない。「イギリスは進んでいるが、インドは遅れている」などということはなく、世界の時計は一つである。現在のイギリスは、現在のインドと同じ時を共有している。両者の歴史は、セパレート・コースをたどってきたのではなく、単一のコースを押し合い、へし合いしながら進んできたのであり、いまもそうしているのである。いいかえると、「イギリスは、工業化されたが、インドはされなかった」のではなく、「イギリスが工業化したために、その影響を受けたインドは容易に工業化できなくなった」のである。
過去500年間にわたって、ヨーロッパからスタートした「近代世界システム」が、どのような流れで世界を飲み込んでいったのか、それぞれのポイントにおける解説がなされています。
投稿元:
レビューを見る
著者は「砂糖の世界史」や「イギリス近代史講義」といった名著を書いた川北稔氏。本書も平明で筋が通っており、がってんボタン100回くらい押した。
投稿元:
レビューを見る
(おそらく)ウォーラーステインの入門書。
原著は2000年出版。こないだ読んだ『オスマン帝国の解体―文化世界と国民国家』も2000年出版だったが、共通しているのは、ヨーロッパ文化圏が世界を統一する前には、地球上には5つかそれ以上の文化圏があった ということ。後進の西ヨーロッパがさまざまな条件により地球上に浸透していったということ。
2000年と言えば冷戦が終わってアメリカの一極支配が議論されていたころだと思うが、こういう議論がはやりだったのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
この世界はどのようにして成立したのか、その中でなぜヨーロッパが世界の中心となったのか、なぜその逆(アフリカや南米が先進国で欧米が発展途上国である世界)にならなかったのか、南北の差はなぜ生まれたのか、というのがこの本の議題で、議題自体は名著「銃・病原菌・鉄」と同様のものだと思います。ただ、「銃・病原菌・鉄」は人類の文明が始まる昔まで遡ってこの議題に挑んでいる一方で、この「世界システム論講義」は主に15世紀以降の世界の経済の動きに焦点を合わせている点が違うと感じました。250ページ程の文庫本なのに1,100円もして高かったけど、それに見合う内容だったと個人的には満足しました。この本を「銃・病原菌・鉄」みたいな感じで形容するとしたら、たぶん「船舶技術・奴隷・甘い紅茶」になるんじゃないかなと勝手に想像しています。箇条書きですが、個人的にこの本の中で面白いと感じた点をいくつか並べます。
・現在の南北問題は北の国が工業化すべく「開発」された過程において南の諸国がその原材料や食料生産地として「低開発」された結果生じたものである、本著では前者を世界システムの「中核国家」、後者を「周辺国家」と呼んでいる
・「中核」と「周辺」とが世界システムを構築している点は不変であるが、どの国が「中核」となるか「周辺」となるかは流動的である
(現在は「中核国家」の一員である日本が今後「周辺国家」になる事だってあり得る)
・オランダが当時開発した先鋭の船舶技術が、輸出物(悲しいかなこの中にはアフリカで調達された奴隷も含まれる)の輸送コストを抑えるばかりか、輸出物にかかる保険も安くした
・当時のイギリスの発展は、「英国人の禁欲と勤勉の賜物」なんかでは決してなく、不当な強制労働を強いられた奴隷制度なくして語られない
・英国から北米への移民の半数は、英国で職業不詳だった人たちだった
・甘い紅茶(紅茶に砂糖を入れて飲む英国の習慣)は当時の英国のステイタスシンボルであったし、短時間で効率的にカロリーとカフェインを摂る生活の術でもあったが、この紅茶と砂糖を英国人が手に入れるために奴隷は働き、人や物が船舶を介して移動し、船舶には保険が、物には関税が掛けられることで、英国が流通と経済の中枢となり得るシステムを構築した
・その後その中枢を英国が米国に明け渡す事になってしまった一因にミシンの開発が挙げられる、これは当時労働力が不足していた米国が衣服の縫製労働時間を節約するために開発したミシンが、労働力は特に不足していなかった英国に大量に輸出されて英国の労働者に取って代わった事で開発国としての主導権を米国に握られた
・英国は米国の発展を目の当たりにして今のやり方が時代遅れになっている事には気づいていただろうけど、一度完成した社会や技術体系を変革することは難しかった(これを本著では経路依存と呼んでいる)
・労働において、「平等」の観念が「能力主義」と結びつくとき、各種の新しい差別(性差別や高齢者・子供の労働機会からの排除)はとても簡単に生み出される
投稿元:
レビューを見る
イギリス近代史学者さんによる、近世からの世界の流れを少し広い目で捉えた本。ねらいは、現代社会がどう成立したのかを読み解くこと。
全体のボリュームは軽めで、各章ムチャクチャ駆け足で進んでいきますが、要点がまとまっていて明解です。世界史で習った「アレか!」的単語が登場したかと思うとサラッと去っていくようなシーンがしばしばあります。典礼問題とか。文章は平易なのですが、世界史習ってないとようわからんかも?
大して豊かでもなかったヨーロッパがなぜ覇権を握ることができたのか?今後世界で覇権を握っていくのはどこ(誰)か?などについて、歴史の流れを手繰りながらヒントを得ていく本です。
世界史は開拓の歴史で、新たな「周辺」を開拓してはそこから「中心」が資源を搾取してきた。よって、ある時期に低開発に甘んじていた地域は「中心」によってそうならざるを得ないような事情があった。とか、アメリカは紅茶を飲む文化圏の端っこにいるのではなく、新たにコーヒー文化圏を作ったという指摘はそうなのかなぁと思わされます。
基本は歴史書なので、今後の展望というところは軽め。世界の「余白」はほぼ埋められた中、現在もっとも有力なのは海洋開発か、また、IT技術による世界システムへの影響についても触れられたところで本編は終わっています。(全く別の本で、サイバー世界を新たな「余白」と捉えて金融システムが拡大したという論があったことをふと思い出しました)
参考図書に挙げられていたウォーラーステインも読もうかなぁと思わせてくれる良い本でした。
投稿元:
レビューを見る
歴史学の分野でシステム論と呼ぶからには、当然、ニクラス・ルーマンのシステム論が根底にあるのだろう。ルーマンがひたすら抽象的な理論に徹したのに対し、これなどはその考え方を中世〜近代世界史に適用した、具体的な学説の例といったところか。
しかし本書ではじゅうぶんに「システム論」的なところが感じ取れず、世界史を「社会システムの自律的動向」として把握しきることは困難だった。
ところどころに面白い知見も見られるが、どういうわけかそうした個別の知が相互につながってくることがなく、単なる「雑学」のような、ばらばらの知識のように見えてしまった。なので、読んだときにはおもしろく思っても記憶に残らず、それは全体像のゲシュタルトに結びつかないからなのである。
本書が壮大な学術を語り尽くすには小ぶりに過ぎるということもあるだろう。個々の章はばらばらであり、「システム」の統一感が出てこなかった。
世界システムの中核としてのヨーロッパ文化と、中国などアジア文化等との関係など、示唆的なところはあったのだが・・・。
投稿元:
レビューを見る
本書は、ヨーロッパ、特にイギリスを「中心」に、重要な史実を関連付けて、システム論という大括りにされた視座で解説がなされている。高校の世界史の授業で扱われたかすかな記憶が線で繋がったようだった。世界システム論の核となる「中核」と「周辺」の概念は、世界の大学の発達過程や、日本国内の大学間の関係を理解するときに活用できよう。例えば、中核となる大学はその機構を強化しつつ、周辺の大学は「大学間連携」の名のもとに当該大学を溶融させようとする効果が企図されている、というように仮定することは言い過ぎだろうか。また、著者は植民地が製品・商品の「生産地」であると同時に「社会問題の処理場」だった側面があるとしているが、これも国内の大学事情に無理やり当てはめると、思い当たる事象があるだろう。
投稿元:
レビューを見る
世界史の見方が180度変わることは間違いない。
世界は一つのシステムなのだ。
だから、すべての事に理由がある。
投稿元:
レビューを見る
各国を個別事象的に見て、ある国を「先進国」、またある国を「後進国」とラベリングするのは狭小な「単線的発展段階論」であると断じ、近代以降の世界は一つの巨大な生き物、有機体の展開過程の如く捉えるべきだとする論が主旋律。
封建制の崩壊と国民国家の成立に端を発し、その後スペインとポルトガルによってもたらされた大航海時代が近代世界システムの成立を告げ、やがてオランダ、イギリス、アメリカと、ヘゲモニー国家の覇権を巡って各国が「中核」の座を争った陰には、「周辺」として極度に低開発化された国々が。それはさながら「光」と「影」であり、この近代世界に影を落としてきたのは紛れもなく中核国そのものである。
この「世界システム」というスキームは、国際社会を見る視座を確実に一段高めてくれるものであり、また未来予測にも大変有益と感じる。
よく歴史は線で考えろというけれど、その一歩先、「複線」で考えるイメージかな。非常に勉強になったし、読み物としてシンプルに面白かったです。
投稿元:
レビューを見る
「イギリスは、工業化されたが、インドはされなかった」のではなく、「イギリスが工業化したために、その影響をうけたインドは、容易に工業化できなくなった」のである。(p.26)
結局のところ、イギリス人にとって、植民地とは、「世界商品」の生産地であると同時に、社会問題の処理場でもあったのである。禁欲で勤勉な中流のイギリス人が、自由のためにアメリカ植民地をつくったわけでは毛頭ないのである。(p.159)
ジャガイモというものは、「他の国の主食となっている(小麦など)より、はるかに安価に、しかも大量に供給されるので、この植物の栽培が着実に広がっていったことが、アイルランドでイングランドほど人口増加に抑制がかからなかった原因である、とパトリック・カフーンは力説した。(p.191)
投稿元:
レビューを見る
著者はウォーラーステインの著作を翻訳するとともに、その解説書である『知の教科書 ウォーラーステイン』を書いている。日本の第一人者と言ってもいいのかもしれない。本書は、その著者が、ウォーラーステインの肝である「世界システム論」をわかりやすく解説した本であるといえる。
世界システム論では、少なくとも16世紀以降の世界は、それまで複数あった「世界」が、ヨーロッパと非ヨーロッパ世界が一体となって、相互に複雑に影響しあいながら「(近代)世界システム」を展開してきたという認識がその前提となる。近代世界は、一つの巨大な有機体であり、近代の歴史をその有機体の展開過程として捉えるのが世界システム論である。
現行の世界を論じるに当たっては、一般的には「先進国」と「後進国」という概念が適用される(「発展途上国」と表記しても同じことである)。その議論では、「国」という概念がまず前提とされるが、その「国」すなわち国民国家の概念は、すぐれて近代の産物である。日本という「国」にしても、ひとつの国として捉えれる前に藩や郷土というシステムにおいてまず捉えられていた。そういった環境の中でまず「国民」が創り出されて、「国民国家」の概念が次第に形成されていったのである。イタリアやドイツ、イギリス、インドなどを見ても同様のことが言える。また、その「国」の分類として「後進国」、「先進国」という表現を使うことで、暗黙のうちに、すべての「国」は「後進国」から「先進国」に発展するという発想が内在している。ただ、その考え方は、ウォーラーステインのように国を単位として世界を考えない場合には、成立しない。歴史は、「国」を単位として動くのではなく、すべての国は「一体としての世界」つまり「世界システム」の動きの一部でしかないというのが、ウォーラーステインによる世界分析の手法である。また、このような世界システムには政治的に全体が統合されている「世界=帝国」と、政治的には統合されない「世界=経済」があると指摘する。西ヨーロッパを中核として始まった近代世界は後者の原理で成立し、帝国の原理は非効率であるということが世界システム論における一定の結論になる。中国が世界システムの中で優位に立てなかったのは、そのことと結びつけられるのである。
また世界システム論においては、「中核」と「周辺」の概念も重要である。その観点において、日本が半周辺の位置にいたおかげで、周辺化を免れたという点も強調されるべきであるし、帝国主義が「周辺化」をめぐる中核諸国の争奪戦であり、現在、周辺化できる地域がなくなったことによってある種の行き詰まりを見せているという観点もまた重要だ。
また中核におけるヘゲモニー国家 - 17世紀中頃のオランダ、19世紀中頃のイギリス、20世紀後半のアメリカ - の存在も世界システムの分析には欠かせない。ヘゲモニー国家は、オランダ、イギリスのように、生産から商業、さらに金融の順に支配形態を進化させ、逆に崩壊するときには、この順に崩壊するとされる。
イギリスの砂糖入り紅茶が比較的近年に確立した習慣であり、世界システムにおける「帝国」となったこ���で実現したインドの紅茶とカリブ海の砂糖のプランテーションによって初めて成立する、いわばステータスシンボルであったというのは、世界史のエピソードとして面白い。植民地と囚人の関係もそれがアメリカの成立にも深く関与した点と合わせて、システム的な観点からも興味深い。
柄谷行人が『世界史の構造』で世界システム論を援用した理由がよくわかる。
「世界システム」をざっと見直す教科書的なものとしてはとてもよい本。
----
『知の教科書 ウォーラーステイン』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4062582228
『世界史の構造』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4000236938