紙の本
さすがルヘイン
2016/04/19 11:47
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投稿者:よしおくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
いやぁ、読ませるなぁ。夢中で読んでしまいました。
コグリン一家の三部作、完結編です。とはいっても、第二部と三部は続いているけど、一部は全く別と考えてもいいと思います。第二部「夜に生きる」はルヘインの最高傑作。三部の「過ぎ去りし世界」は謎解きも含んだストーリーになっていて、それも楽しめる。内容は無情とか非情という言葉だけでは表せない情緒があって、まだ十分に消化できませんが、ジョー・コグリンにはありあまるほどの魅力があって何とも言えないほどです。
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投稿者:ケロン - この投稿者のレビュー一覧を見る
前作の「夜に生きる」が私にとってあまりにも完璧だったので、こちらを読むのは少し抵抗があったのですが、きちんとおさまるところにおさまったというラストでした。
紙の本
一気に読む!
2016/08/07 13:55
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投稿者:GORI - この投稿者のレビュー一覧を見る
外国小説のテンポと登場人物の名前を覚えるのに苦労している間に、
一気に物語の中に引き込まれ一気に読んだ。
時代は第二次世界大戦中、主人公ジョーはギャングだが既に引退同然。
物語の始まりは、主人公の周りの関係を静かに淡々と語られる。
そして自らの命が狙われているという噂が物語が急展開させ、ギャング同士の争いにジョーも次々と巻き込まれる。
大切な息子トマス、愛するヴァネッサ、兄のように大切なディオン、野心のない子分と思っていたリコ、
魅力的に描かれている端役達と、成功を夢見ながら守り、失い、時には争う。
ギャングの成功者と思っていたジョーに安住の土地も時もなかった。
全編に漂うギャング達の哀しみが読む者を虜にする。
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デニス・ルヘイン最新作。
前作に続くノワールものだが、ギャング云々よりも、人間ドラマの方に焦点が当てられている。血腥さは薄め。
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「夜に生きる」の続編。
緊迫感に溢れているのは前作同様。
主人公と息子の親子の物語でもあり、その2人の関係性のぎこちなさがなんとも言えない。
今回もすこい作品。
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一気読み。「夜に生きる」を直接受けて、その7年後が描かれる。「夜に~」は、三部作最初の「運命の日」に感じた冗長さがまったくなく、抜群におもしろかったが、これもそれに勝るとも劣らない傑作。
圧倒的なリーダビリティで、エンタメ度は高いけれど、そこにとどまらないものがある。あっけなく、さして意味もなく人が死に、信じていたものには手ひどく裏切られ、愛するものは弱みとなる、そうした現実が世代を超えて連鎖する世界。それが甘さのカケラもなく描かれるのに、全篇にどうしようもない切なさが漂っていて、そこがルヘインの大きな魅力だ。
ギャングの世界など垣間見ることもない無縁なものなのに、ここまで真に迫って感じられるのはどういうわけか。まるで実際に映像を見ているような感覚にしばしば陥った。ジョーが殺し屋テレサと刑務所で会うシーン、やはり殺し屋であるコヴィッチの家を訪れたときの緊迫した描写(一つ一つの動きが目に見えるよう)、そして何と言っても圧巻は、終盤近くジョーが飛行機で脱出しようとする場面。飛行機のエンジン音や叫び声まで聞こえてきそうだ。
ラストはやはり、これしかないだろうという結末。これぞルヘイン。しかし、「次世代」が(まだ生まれていない子も含めて)何人も登場していたわけだから、パトリック&アンジーシリーズにまさかの完結編があったように、次作があるかも、と期待してしまう。
(この後あの「犬の力」の続篇「カルテル」を読もうと思うのだけど、うーん、しばらくこの余韻に浸りたい気もする)
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コグリン三部作の完結編。警察小説としての『運命の日』では長男のダニー・コグリンを、ギャング小説としての『夜に生きる』では三男のジョー・コグリンを描いたシリーズ最終編は、ジョー・コグリンのその後、前作より10年後の世界を描く。少し前に紹介された『ザ・ドロップ』という小編も含めて、最近は裏社会に材を取ることの多いこのところのルヘイン。
本書は裏社会を描いているものの、実は背景としては太平洋戦争真っ只中である。つまり現代人にとってはもはや過ぎ去った時代であると同時に、暴力的な暗黒組織にとっても、ラッキー・ルチアーノが収監中というもはや過ぎ去りし世界の物語なのである。
さて、もとはハードボイルドの探偵小説でスタートを切り、その後ギャング戦争に題材を移しているかに見えるルヘインだが、最近では、ドン・ウィンズロウなども同じ傾向で小説戦争を仕掛けているところを見ても、この題材、つまり暗黒街や犯罪組織間戦争というアメリカ史にとって切っても切れない裏世界は、人間の生き様として魅力溢れるものなのだろう。
犯罪結社というと切りがない闘争というイメージが歴史上残されているし、現に日本でも最近の組織間抗争は衰えを知らず繰り返され、一般社会に不安を呼び起こしている。
アメリカは銃の歴史を持つ国家なので、抗争そのものも派手だし、あらゆる小説にガンマンという職業も当たり前のように頻出する。西部劇の舞台に生まれた文化が、コンクリート・ジャングルの時代にも変わらず引き継がれ、男たちは撃ち、撃たれる。
本書では子供の姿をした幽霊がジョーの視界に頻出するし、彼には9歳になる息子がいる。子供たちの世界を巻き込んでの暴力闘争というところに、普通の親なみの痛みを覚え、悩む主人公は、作者がならではの、勧善懲悪ではない、善と悪の間を行き来するしかない弱い人間たちの象徴であるかに見える。原罪を持つ人間たちのカルマのようなものが小説をドラマティックに構築しているように見える。
人間の命がごみのように扱われ、せっかく生まれた者たちが、いともあっさりと消えてしまう世界。手軽に持ち運びされ得る人間の運命、もしくは死体。そんな過酷な世界に身を置く者たちの極度の日常世界。それは、我々の遥か遠くにあるようでいて、実は隣り合った場所にこっそり紛れ込んでいるような世界であり、それはもしかすると一般社会にも容易に入り込んで来るかもしれない重たい駆け引きで糾われる残酷な絵巻の世界であるのかもしれない。
そうであれば、むしろ本書の世界は、過ぎ去らざる世界であるのかもしれない。警鐘は鳴り響き、そして今に続いているのかもしれない。
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ジョー・コグリンは、タンパ、その他で複数の会社を経営する実業家として知られている。慈善家としても知られ、第二次世界大戦下にあるアメリカを支援する募金集めのパーティーを開いたばかり。しかし、その実態はイタリア系のディオンをボスと仰ぐマフィアの顧問役だ。第一線を引いたとはいえ、ジョーの力は今も健在で、組織のなかでは<委員会>の数少ないメンバーの一人であり、委員会の決定にはボスといえどもさからえない。ジョーがボスの座を小さい頃からのワル仲間であるディオンに譲ったのは、ディオンとはちがってアイルランド系のジョーには幹部の席は与えられないというチャーリー・ルチアーノの考えを知ってのことだ。
頭も切れて、度胸もある。ポルトガルであつらえた百十ドルのスーツを着こなし、人好きのする笑顔が魅力的なジョーは、誰からも好かれている。特に、仕事の上で他人を儲けさせることにかけて、ジョーの右に出るものはいない。そんなジョーには敵というものが思いつかなかった。ところが、そんなジョーの命を狙うものが現われた。殺しに来る者の名前も日にちも分かっているという。分からないのは、それを命じた相手とその目的だ。
かつてはジョーも相当荒っぽいことをやってきた。殺した相手も多い。しかし、それは過去のことだ。妻は七年前に亡くしたが、九歳になるトマスという息子もいる。それに、今はヴァネッサという名門の一人娘でタンパ市長夫人と熱愛中だ。危険は避けたい。ジョーは、水疱瘡にかかったトマスを車に乗せて情報を告げてよこしたテレサという殺し屋に会いに行く。テレサも雇い主に命を狙われていた。うまく話をまとめてくれたら、ジョーを襲う殺し屋を教えるというのだ。
デニス・ルヘインという作家は初めてだが抜群に面白い。クライム・ノワールというジャンルには疎く、予備知識はなかったが、グレイの地にヴィンテージ・カーとリボルバーのシルエットが浮かぶ表紙に魅かれて手にとった。パーティーに顔を見せるギャングたちの写真に色めき立つ記者を編集長が抑えにかかる冒頭の挿話で、主要な登場人物の紹介を片づけるだけでなく、本編で重要な役割を果たす、ありえない登場人物まで総ざらいしてみせる手際はなかなかのもの。えっ、ありえない登場人物とは誰かって?そう、絶対に在り得ない存在。なぜかといえば、それは「幽霊」だからだ。
ジョーは、事あるごとにニッカボッカをはいたブロンドの少年を目にする。それは夜のパーティー会場だったり、真昼間の桟橋の上だったり、時間や場所に関係なく現れる。何かを告げに来ているようだが、着ている物や髪形ははっきり見えるのに顔にあたる部分だけがぼやけている。およそ三十年も昔のころの服装をした少年はジョーの父親に似ているようにも思われるが、ジョーには、父親の少年時代の姿は想像できない。どうやら、孤独な少年時代を送ったジョーには両親と過ごした良い思い出はないみたいだ。
実は、『過ぎ去りし世界』は、<コグリン・シリーズ>三部作の第三作にあたるらしい。ジョーの子ども時代や、ギャングとしてのし上がってゆく時代は前二作に書かれている。それらを読めば、ジョーと両親の確��も、「幽霊」の正体も、もっとはっきりするのだろうが、本編を読むのに、前の二作を読む必要はまったくない。これ一冊で確立した世界がある。しかも、小説の書き手としてのデニス・ルヘインの実力は並々ならぬものがある。読み終わってから再読すると巧みな伏線がいたるところに引かれていて、うならされた。作品世界の紹介も必要充分になされている。
何より魅力的なのは主人公であるジョーの人物像だ。人を殺し、麻薬も扱うのだから善悪の範疇で分類すれば悪の側に入る人物であることはまちがいない。ただ、作者もいうように、この世の中にまったくの悪人も完全な聖人もいない。一本のスケールの両端に悪人と聖人がいるとすれば、われわれは、その目盛のどこかに位置している。まあ、ふつうの人生を送るわれわれ一般人は、かなりの程度で真ん中よりのどちらかにいるだろう。ジョーは、まちがいなく悪に近い。それくらいのちがいだ。
主人公だけがよく描けていても、まわりがショボかったら、その小説はとても読み続けられない。この作家は、魅力的なライヴァルや相棒、それに敵役を作り出すのがうまい。敵対関係にある黒人のギャングとディオンがもめたとき、その仲裁に入ったジョーとボスのモントゥーソ・ディックスの話し合いがいい。互いを信頼し合い、認め合いながらも手を組むことができない二人は絶体絶命の状況下にありながら、海のために乾杯し、互いの息子の噂話にふける。
ギャングや殺し屋といっても、全部が全部キレッキレでヤバい奴ばかりではない。働き盛りの男たちは、学校に通う年頃の子どもを持つ親でもある。自分の命を狙っている相手の家に乗り込み、ビールを飲み交わしながら話すのもやはり子どもたちのことだ。タクシー会社で働きながらフリーで殺し屋もやるビリー・コヴィッチとの対話も読ませる。凄腕の殺し屋というのは、そのターゲットさえも心を許してしまいそうな、ごくごくふつうのどこにでもいる善人にしか見えない。裏稼業さえ別にしたら、友だちにしたいような人間なのだ。互いの妻が死んだ時は弔いの席に顔を出す関係でもある。しかし、何かがあれば殺しあうしかない。緊張感をはらんで対峙しあう二人の間に過ぎ去っていく時間の愛おしさ。
いくら愛し合っても展望の持てない男女の関係ほど苦しくも切ないものはない。ヴァネッサもジョーもこの関係がいつまでも続けばいいと思っている。しかし、そんな時間が長く続くはずがないことは二人もよく分かっている。だからこそ、セント・ピーターズバーグにあるサンダウナー・モーター・ロッジ107号室での逢瀬は時を惜しんで愛し合うことになる。相手がギャングと知りつつも、生まれてから今までで最も幸せな時間を過ごせているという実感は嘘ではないからだ。ヴァネッサのこの愛も哀しい。
テンポのいい会話、凄まじい暴力シーン、と息もつかせぬ展開でぐいぐいと押しまくってくる前半に比べ、後半は少しずつ不安の影が忍び寄る。思い出したのは、映画『ゴッドファーザー』だ。パート1のデ・ニーロ演じるコルレオーネがのし上がってゆくときの仲間や同郷の者に寄せる情愛が暴力をさえ美しく見せていた。しかし、パート2、パート3と展開するにつれ、ただただ組織を守るために自分の信条をすら犠牲にしていかざるをえないマフィアの実態が空しく思えてきたものだ。『過ぎ去りし世界』は、あの映画に似ている。そういえば、イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』は、デニス・ルヘイン原作だった。シリーズを構成する前二作『運命の日』、『夜に生きる』を探し出して読みたくなること必定の一篇である。
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「夜に生きる」のラストの謎が最後に解ける。
そういう事だったのか! そして読書会で出た解釈は全てハズレだったのか!
いやぁ、ルヘインにしてやられた。
当然予想してしかるべきだったのに!
そして「夜に生きる」と「過ぎ去りし世界」の2冊の装丁が素晴らしすぎるので、ぜひ並べてみてほしい。
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『過ぎ去りし世界』デニス・ルヘイン
World Gone By by Dennis Lehane
このミス9位、文春ミステリー12位
『運命の日』『夜に生きる』『過ぎ去りし世界』
コグリン・シリーズの3作目
1,2作目は冗長に感じたところがあり
3作目がいちばん好きかな
ミステリー的なところもあって楽しめた。
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楽しみにしていた『夜に生きる』の続編。スルスル読める。これ以上はネタバレになっちゃう!シリーズ一作目は『運命の日』は未読だけど、とても面白かったです。
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ジョー・コグリン完結編。
ギャングとしてあくまで倫理を失わず、敵を作らないやり方でその道での座を築いてきたジョー。
前作『夜に生きる』がその出世物語だったのに対し、今作は王座を揺るがされる物語。
第二次世界大戦という外的要因により、家業のしのぎが難しくなっていく中、誰かがジョーを無き者にしようとしているという話がジョーの耳に届けられる。
いったい誰が。
一方では、明らかに密告者がいるような摘発が続く状況や、不用意な抗争を無秩序に仕掛ける浅はかな組織の構成員が悩みの種に。
何しろジョーの立ち回りがかっこいい。完璧に洗練された大人のギャング。
そして結末が切ない。
この家業でハッピーエンドなんて夢のまた夢。