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司馬遼太郎にしては
2020/04/25 17:20
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作の「木曜島の夜会」は、司馬遼太郎にしては語り口がたどたどしい作品。
様々のエピソードをあまり整理せずに並べてみたという印象を受けた。
残りの作品も、幕末物の未使用の材料を使ってみた と感じた。
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木曜島の存在を知らなかった。そこで日本人が白蝶貝の採取で大きな能力があり多勢働いていた事実などに驚いた。寡黙で優しい昔の日本人に懐かしい感覚や誇りを感じた。二編目目の富永有隣、三編目の大楽源太郎は自己保存の異常に強い性格が吉田松陰の明るさを逆に際立たせた感じがする。しかし、可哀想な生涯でもあったと思う。
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木曜島はオーストラリア北端の海に浮かぶ小さな島。ここに明治から第二次大戦前にかけて紀伊半島から多くの日本人が出稼ぎに行った。仕事は貝漁。潜水病やサメに襲われて命を落とす者も少なくなかったが、給料は抜群だった。無事帰ってこれれば豪邸が建ったという。小説というより紀行文。街道をゆくシリーズに近い。
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遠くオーストラリア大陸の北端にぽつりと浮かぶ島がある。
その荒涼とした小さな島の名前は木曜島。
その海底は高級ボタンの材料となる白蝶貝や黒蝶貝の宝庫で、明治の初めから戦前まで、多くの日本人が白人に傭われ、貝の採取のために異国の海に潜り続けてきた。
その海に潜るダイヴァーたちは、その多くが海のない熊野の山村の若者だった。
家族を養うため、金銭を得るために渡航した彼らの軌跡を追う表題作のほか、幕末から明治にかけて活躍し、しかしあまり後世に知られていない人物を描いた短篇「有隣は悪形にて」「大楽源太郎の生死」「小室某覚書」を収録。
水の湧かない、物の実るものが育たない、明治以前は無人島だった侘しい島。その海岸を歩くのは体の小さな日本人ばかり。彼らは皆同じ熊野の集落の出身で、素性の知れた者ばかりだった。
そして今も、目を閉じれば当時のままの面影が思い出される。
「目をあけるのが、惜しい」
苦しい仕事をしていた、でも良い時代だった頃を懐かしむご老人の言葉は、詩のような響きを持って胸に残ります。
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明治から太平洋戦争勃発期にかけて、オーストラリア北部の離島木曜島では高級ボタンの材料とされる白蝶貝を採るべく日本人ダイバーが活躍していた…
インタビューを元に当時の記憶を活き活きと切り取った取材録。日本版「老人と海」とも言える。
安全かつ高給な「親方(今でいう現場監督?)」ではなく、サメや潜水病の恐怖が付きまとう「ダイバー」を選ぶ日本人の性。
今でも木曜島に居住する元ダイバーの藤井氏の発言が興味深い。
「海底では、もう金銭も何も念頭にない。何トン水揚するかということだけやったな。紀州者も伊勢者も(日本人は)みな鬼になってしまう。」
「今の日本人は知らんけれども、あのころの日本人はそういう性やったのかもしれんな。いや、性は治るものではないから、今の日本人もそういう性かもしれんな。」
まこと端的に日本人の性を捉えていると思う。西欧人のように合理的でなく、だからといって感情のままに動く訳でもない。ただ、内なる自分と戦うことに美しさを感じる。功罪併せ持つ性であるとは思うが、忘れてはいけない日本人の美徳ではないだろうか。
考えさせられる。
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太平洋戦争前にこんなに遠くまで、主に紀伊半島の人々が貝の採取のため、出稼ぎにきてダイバーとして活躍していたとは全く知らなかった。西洋人より中国人より日本人が最もダイバーに適していた。それは金だけではなくプライドでモチベーションを保って狩猟に対する情熱を燃やすからだ。
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司馬遼太郎は大好きなのに、この本は取材ノートをそのままプリントされた感じで、物語としては入り込みにくく、数ヶ月にわたって、ちょこちょこ読んだ。あの時代の木曜島の記録。いたんだね、日本人が。
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木曜島の夜会
司馬作品では歴史紀行物として、ただ題材が近親者の歴史である点が異色ではあるが、明治から昭和にかけての潜水夫の過酷さ、心意気などに興味が湧き、楽しんで読めました。心細い手かがりを手繰り、よくも交通の便が悪い木曜島まで出向きましたね。比較的最近の話なだけに現在が気になるところです。潜水夫たちはダイブを通して単に稼ぎだけではなく海の素晴らしさを感じたのではないか、と思いました。
有隣は悪形にて
大部分は「世に住む日々」とかぶるが、富永有隣の悪辣ぶりに憤懣します。吉田松陰の恩に仇で返す行動に、吉田の処刑の遠因を感じます。
大楽源太郎の生死
この人もろくでもない筋の通らない生き方であるが、命を尊ぶ現代人たる自分からしたら大いに同情すべき部分もあり。しっかりした挟持かなければいかによい機会に恵まれても大事は成せませんね。
小室某覚書
細かなところまで調べて推察をし、ひととなりまで炙り出す執拗な作者の執念を感じるが、このような無名な人物まで興味を持ちまとめ上げるとは。
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木曜島の旅行記と、幕末に過ごした人物に関する3つの小編。木曜島の話は、かつて、南海の孤島に繰り出した、こんな日本人が少なからずいたことに驚いた。
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短編4篇。エッセイなのか、歴史小説なのか。きっちりと区別しないまま読み進めていく、いつもの司馬作品的読書。4つのうち3つは幕末が舞台となっていて、歴史ファンにとっても司馬ファンにとっても馴染みが深い世界だ。もうひとつ、表題作は明治から昭和にかけてが時代背景。題材として扱っているのは、歴史的人物でもなんでもない「海外出稼ぎダイバー」で、司馬作品の中でも異色作だ。そのぶん、読みにくさもあったが、読み終わってしばらくしても、独特の作品世界が心に残る。
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「木曜島の夜会」1976「有隣は悪形にて」1972「大楽源太郎の死」1972「小村某覚書」1967の4篇。
分量的にも、なんと言っても読ませるのは「木曜島の夜会」。ほかは、可も無く不可も無く、それ目当てに買うような商品では無い。
1976というともう司馬遼太郎的には「長編小説晩年」とでも言うべき時期で、だいぶ脂の乗ったエンタテイメントでは無く、謎の枯淡の深き味わいとでも言うべき変容を来しています。そのあたりの司馬節が好きな人には、堪らない中編。僕は好き。
オーストラリアに近いところに「木曜島」という小さな島があって。
昔そこで真珠や、貴重な貝が取れた。
1900~1950くらいか?ソレを捕るために、危険な潜水を繰り返す仕事があり、
それがなぜか熊野出身の日本人が多かった。
その仕事のOB?たちの「人々の跫音」とでも言うべき内容。
大昔に、南太平洋の孤島に仕事でしばらく居たことがあって、
なんとなくアンな感じかな、と。
懐かしかった。
祇園精舎の鐘の音、という味わいの小説というか、エッセイというか。
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「木曜島の夜会」明治~世界大戦 ごろにオーストラリアで日本人が潜水夫として働いていたとは知らなかった。
「有隣は悪形にて」松陰先生じゃなくて富永有隣にスポットを当てている割に良い書き方じゃないなぁ…。最後に突然国木田独歩が出てきてびっくりした。そういや独歩も山口ゆかりで英語塾開いてたわ…。
「大楽源太郎の生死」しばりょは大楽が嫌いなのでは…?と思う感じの書き方。
「小室某覚書」地味だけど成功した人物
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潜水士の話としては、以前読んだ「マンハッタン・ビーチ」が思い出深いが、当時日本人がオーストラリア近海の海底に潜って貝採取していたということに驚き、また戦争に巻き込まれて不遇な目に遭いながらも現地人と仲を取り持ちながら事業を広げていくなど昔の人は偉大だったと驚く。木曜島という島の存在もこの小説で初めて知り、感慨深い。
短編で明治維新時代に有名にはならなかったまでも名を残した人物が描かれているが、小説として書かれていなかったら知ることのなかったスピンオフ的なもので、へぇとはなるものの、歴史資料を読んでいるようで自分にはいまいちでした。司馬遼太郎の作品自体がほとんど読んだことがなく、純文学は苦手だと改めて知ることになる。