パリピ+マイルドヤンキー=***
2016/04/30 11:51
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かもなん - この投稿者のレビュー一覧を見る
目まぐるしく移り変わる流行りすたりと見過ごすのは簡単だが、ハロウィンの騒ぎの裏にこの情報伝播のしくみを解明したのは慧眼。
しかし若者の消費行動が本書のとおりだと、出版をふくめたマスコミ業界はいよいよ厳しくなるだろう。先入観を捨ててかからないと。
投稿元:
レビューを見る
「マイルドヤンキー」「オタク」に続く第3弾なのか。流行を作り出すわけではなく、流行に敏感に反応して広める「パリピ」を取り上げ、その特徴、生態を探る。
投稿元:
レビューを見る
大人が読んでもきっと「?」という反応だと思うが、元パリピや、パリピが周囲に生息している人は、「あるある(笑)」という感覚で苦笑しながら、少しコバカにしながら楽しく読めるはず。マーケティング経済書というよりは、パリピ観察記に近い。
著者の原田さんは、「マイルドヤンキー」という言葉を浸透させるなど、この分野に詳しくテレビでもよく解説をされている方。序章の「パリピは多幸感を得られるものに対する嗅覚が異常に発達しており、現代の厳しい社会情勢においても決して心が折れたりせず、『人生をアゲアゲで楽しむプロ』である」という言い方しかり、いちいち小気味良い。
投稿元:
レビューを見る
マイルドヤンキーで有名な博報堂ブランドデザインの原田氏の著書。構成は同じような感じで、マーケティングの本なのかホイチョイの本を読んでるのか、というイメージ。
以下メモ
●15年ハロウィン市場規模は約1220億。11年は560億だった。14年のバレンタインは約1080億。
●80〜90年代にも遊んでいる若者や流行に敏感な若者は存在。しかしネットやSNSがなく口コミやチラシらポケベルやPHSしか情報拡散ルートがなかった。それゆえ流行りをマスに一斉伝導する役割はマスコミ。しかしスマホやSNSが普及した今は、影響力のあるパリピが引き金のケースも出てきた。
●イノベーターがフィクサー。アーリーアダプターがパリピ(他称)。アーリーマジョリティがサーピー(自称パリピ)。レイトマジョリティがパンピー。フィクサーとパリピは閉じてるか開いてるか。パリピとサーピーは人とつながるか、閉じられたサークル内の活動か。
●イノベーターとアーリーアダプターの合計16%に普及すれば一気に普及する。キャズム超え。
●90年代のイベサー等で実業的な権力を持ちたがる傾向は現在のフィクサーやパリピにはない。したがって当時のイベサー代表的な人は、現在で言うところのサーピーの頂点。
●東京ストリートニュースは、トレンドを作ったり発信するというよりは、巷の高校生たちの間のムーブメントを「追う」というスタンスであり、発信者ではなく拡散者だった。
投稿元:
レビューを見る
マイルドヤンキーに続いて、パリピ。昨今の流行はなんだか変だぞ?そんな思いを真っ向から受け止めてくれたのが本書。これまでこんな本は無かったので目の付け所はさすが広告代理店といえる。
だが、だからこそもったいない。テーマに対してミクロに取り上げたために、まるでSPAのような低俗な本になってしまった。本来ならば、マクロにデータを使ってマスメディアの凋落とネット社会の成熟を語るべきだったのではと思う。
本書の中で筆者がインタビューの言葉を抜粋している能力からしても、筆者は意図的に本書のような軽薄な新書を書いたのだと感じる。より社会を俯瞰した質の高い新書を執筆してくれるのを期待する。
投稿元:
レビューを見る
パリピ、フィクサーの存在に???!!!でした。知らなかった。すごい。幸せで、勘がいいんだな。バカにしてはいけない若者がいることに力を得ました。
トレンドリーダーの系譜とマスコミの役割の変化も参考になります。
投稿元:
レビューを見る
バブル時代には男女とも日焼けがかっこいい時代だった。
雑誌やメディアがトレンドを引導していた。当時は一般のw赤ものの中にトレンドを発信、けん引するフィクサー、パリピがいなかった。
PHSの役割が大きかった。若者たちが大人やマスコミに頼らず、自分たちだけで情報網を系せ宇することに大きく貢献した。
投稿元:
レビューを見る
パリピ。
言葉としては耳にしてそう新しくはない。
格差社会の二極化が拡大し、車離れ、酒離れのゆとり世代更にはその下のさとり世代などの、消費意欲が著しく低い若者層。
そんな中、新たな市場開拓をする上で重要なパリピ。SNSの発展に伴い、かつて大手広告代理店やいわゆる業界がトレンドの時代は過去のものに。
六本木や渋谷あたりのハロウィン。
2015年のハロウィン市場規模は前年比11%増の約1220億円。これは2014年のバレンタインデー市場規模約1080億円を上回り2011年の560億円から僅か4年で倍増している。
情報発信の上でどの企業もバカに出来ないパリピ。
1960年代あたりの、みゆき族から年を追ってのトレンドの発信源の流れは中々に面白い。
シンク・グローバル、アクト・ローカルという言葉が正に的を射ている。
投稿元:
レビューを見る
パーティーピープルが市場を動かしてるみたいです。
パーティーピープルが好きそうなことを仕組んで市場が動いてて、消費者なだけな気がしますが…。
あくまでマイノリティですから。
まぁ面白くなかった。新書は外すとやばい。中身スカスカ。分かり切った内容でした。
というかもうそろそろ「パリピ」って言葉も死語になる気が。
「キャバクラ」も死語になるに一票。
投稿元:
レビューを見る
あるマイナースポーツの隆盛させるためのアイデアづくりの参考にならないかと思い手に取る.
パリピ→高いアンテナ・発信力、派手なものや目新しいものへの好奇心の高さ、交友関係の広さ
→ハロウィン、フェス、オクトーバーフェスト
他のレビューではまり注目されてないが,パリピの歴史も地味に参考になる.会社のおっさんの「俺の若い頃はな」話とリンクする部分が多く,今の若者(自分)が受け入れられない価値観でもこの人が自分と同い年くらいだった時は成立していたんだなあとわかる.
あとインターネットの力が情報発信のフローを大きく変えて最上流にあったマスメディアがその影響をもろに受けているところとかも見える,
若者の生の声が多く,自分の知らない世界を見せてくれる.しかし統計的なデータなどは一切無く「パリピが経済を動かす」というのは如何なものか.
彼らの行動を観測しやすいだけで今の若者で回っている経済は意外とスマホゲームの課金とかが多かったりして(これも根拠なし)
経済とは複雑系の極み,その形を捉え切るのは不可能で一側面でそれっぽく理論立てて語るのが精一杯という一例かもしれない.
少なくともパリピが若者の消費行動の典型例である,とこの本で読み取ってはいけないと考える,
同じ日本にいながら自分とは全く異なる暮らしをしている若者が実在するんだなあと思う.
パリピがアーリーアダプターだと言われてイマイチ実感がわかないのは自分がその消費指向のトレンドに乗らない人間であることと自分の周りでそういう人間をあまり観測しないからだろう.
一部クリエイターはいるものの基本的に「いかに自分の消費がいけているか」という側面が強く,資本主義の暴力で消費に快楽を見出す東京・海外(先進国)の消費慣習を是とするのはどうなのと改めて思う.
このどうなの?という考えはこの本で気づかされたものではないが,改めて考えることとしては自分にはこの選択肢(裕福な家での出生から始まるイージーモードな人生)がなかったので無い物ねだりの反復・ジェラシーがあるのかもしれない.
「好きの反対は嫌いではなく無関心」という言葉を思い出す.関東圏で暮らしている限り,そのジェラシーと向き合わなければいけない機会は多いだろう.何かきっかけがあるたびにこういうことを思い出す自分は表向きは無関心と言いつつ,どこか無関心になりきれていないんだろう.
いや,パリピになりたいわけではないけど.
投稿元:
レビューを見る
わたしは流行に疎い30代女性なのですが、自分のようなおばさん・おじさんがイメージする「パリピ」は、本書で言う「パリピ」(若者たちの間でそう呼ばれている本物の「パリピ」)とかなりズレていることがわかりました。
わたしの考えていた「パリピ」はまさに今年のハロウィンに渋谷で騒いでいたような若者たちのこと。
ところが、本書によるとそれは流行に追随しているだけのただの「パンピー」で、本物のパリピたちの間では渋谷のハロウィンはもうホットではないのだそうです。
つまり、本物の「パリピ」はあくまでトレンドを拡散する側、「アーリーアダプター」のことで、トレンドに追随する側であるアーリーマジョリティ・レイトマジョリティは含まれていないようなのです。
ということで、本書を読む前に期待していた若者論とはだいぶ違ったことが書かれていましたが、これはこれで良かったです。流行の火付け役たちが何を考えているのかを知るのも面白いですからね。
地方在住で、家が裕福で、頻繁に大都市部に行く地方在住パリピ。
これが今後の若者マーケティング戦略に重要な層なのだとわかりました。
より詳しいレビューはブログにて。
https://yulinyuletide.hatenablog.jp/entry/2019/12/28/paripi-keizai
投稿元:
レビューを見る
1977年東京出身の博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーによる現代日本若者論。著者には他に『ヤンキー経済』(幻冬舎、2014年)などの現代日本若者論が存在するが(「マイルドヤンキー」という言葉を生み出したのも著者である)、本書も「パリピ」(パーティーピープル)という切り口からの現代日本若者論となっている。
と言っても、本書は既に4年前の本なので、本書のパリピ像と現代のパリピ像はかなり異なっているだろう。それを承知の上でまとめると、パリピとは、「インターネットの発展によりマスメディアや広告代理店を通さずに、直接流行の発信者(フィクサー)に連なり、流行を最前線で享受する層」ということになりそうである。
“ 1970年代から90年代にかけての若者のトレンドは、ヒット曲しかりファッションしかり、テレビ番組や雑誌や広告といった「マスメディア=プロの大人」が仕掛けて作り出すものでした。もしくはプロの大人たちがトレンディーな若者たちとつながり、そこから流行を作り出していきました。前世紀までよく聞かれた「広告代理店の人と知り合いの大学生」が、一定の地位を確保していたのはそのせいです。
しかし現在、若者のトレンドのかなりの部分はこのような大人が作ったシステムの外で生まれ、場合によっては、大人たちに知られることのないまま、拡散していきます。
その立役者として中心的に機能しているのがパリピです。ハロウィンのように、パリピが流行らせたものが老若男女をも巻き込んだ国民的なイベントに発展していく可能性も、あわせて留意しておきたいところでしょう。”(本書17-18頁より引用)
“ パリピは既に巷で流行っているものをミーハーに追いかけるのではなく、海外セレブや国内の一部で流行っているものをいち早く見つけ出す嗅覚を持ち、それを自分のものにしてマスに対して伝道する役割を持っています。”(本書22頁より引用)
興味深いことに、2016年刊行(ということは本書に出てくるようなパリピ像がリアルだったのはさらにその数年前)の本書には、パリピが飛び付く上流の文化の発信源として、韓国の存在が挙げられている(48-51頁)。インターネットやSNS上での反韓国的言説(というのも嫌になるようなヘイト表現)を目にする機会を思うに、流行に最初に飛び付く位置にいるパリピの親韓国的な感覚と、流行を後追いする側にいそうな人々の反韓国的な感覚のズレがまさかここまで大きかったとは。2010年代半ばには日本は韓国からオシャレなものを学び、取り入れなければならない立場になっていたのだ。
ただ、統計その他のデータ面で弱い気がする。極端な話、全部著者の目に入った特殊な人々の話であって、「パリピ」という言葉でまとめて一般化して語れる存在ではないのでは?というような疑問も成り立たないではない。しかし、にもかかわらず、やはり著者の身の回りには、このような人びとの世界があるのだろう。パリピの特徴の一つとして著者は、「家の裕福な人が多い」(63-64頁)ことを挙げているが、現代日本の格差社会の上層部にいる若者達はこんな風になっているのだと改めて思った。1920年代の日本の富裕層の若者達が「モボ」とか「モガ」とか言われながら外国の文化に被れている最中で、そんなことはどこ吹く風と極右や極左が勢力を伸ばしていた構図と、なんとなく被る気がしないでもない。
投稿元:
レビューを見る
とんでもない奇書
最初はパリピの定義や歴史についてだったのに、最後らへんは「パリピの生態は○○の傾向にあるので、こういうものを与えるとパリピはよろこびます」みたいな生き物図鑑みたいになってた なんだこれ
投稿元:
レビューを見る
序盤:
「若者から聞いたのはこんな感じ!」
→「その友人なら聞いた話はこうらしい!」
という又聞きが増え、濃度が益々薄くなってた。
途中:
若者のインタビュー
→なんかパリピを小馬鹿にしたような気もする文章。
ラスト:
若者の意見を取り入れて、
「こういうのが今後流行ると提案します!」
という、
就活のグループディスカッションのような
まとめ。
あとがき:
「マイルドヤンキーの言葉を流行らしたのは自分!」などの自慢。
うーーーん…
『1986年-1991年頃(バブル世代)は、
マスコミが流行っているものを紹介→それを若者がそのまま真似る「マニュアル主義」が多かった。
(自分達の両親の世代) 』
タメになったのココだけかな…
投稿元:
レビューを見る
ややターゲット層が偏っているかな?と感じた。もうちょっとパリピの実態を掴みたかったが、他にはない視点の本だからok