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ある将軍家の家庭教師の物語だが、
賭博にのめり込む人びとがロシア人特有の情熱的な性格を体現しており面白い。
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カジノに集まる人々の熱狂的な射幸心と金銭欲。作者の自伝的作品。ヤマは2つ。遺産を当てにされている将軍の伯母のビギナーズラックと破綻。第二は主人公である家庭教師の大勝利と散財。そのタイミングのズレで愛する人は精神を病んでしまった。
ラストで革命を経験したフランス人は貴族の財産・文化を「相続」して、うわべだけの「洗練さ」を獲得した事。ロシアには性急な革命はまだ早いというメッセージが込められている。
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ドストエフスキーがお金に困って末、口述したものを速記者が書いて出版した作品。
その後その速記者とドストエフスキーは結婚したとのこと。
これは自伝的な作品で、実際ドストエフスキーはかなりのギャンブル狂だったのは有名な逸話。
異質な作品ではあるとは思うが、やはりどうしてもギャンブルって好きになれない。
まあ作品でも言い訳がましいところはあったのだが(笑)。
文学ってのはある意味自分の価値観への言い訳みたいな部分もあるので、別にそれはそれでありだと思う。
個人的には子ども時代に流行ったアニメや漫画がパチンコ化されるとどうも思い出を汚されたような気がして萎えてしまう。
生活に困ったいざという時にはパチンコ屋でバイトしても悪くはない。
もし日本に公営カジノができるのならディーラーになりたいとさえ思う(曲がりなりにも公務員に準ずる仕事になるわけだし、待遇だって悪くはないだろうから)。
ただし、ギャンブルで局面を打開しようとは全く思わない。
せいぜい有り金で高い寿司でも喰って、あとはそこらでのたれ死んだ方が文学的ってものだ。
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ギャンブルで転落していく人間を描いた物語。
しかし何故これを読むとギャンブルをしたくなるのか・・
もう1ページ、もう1ページとついつい一気に読み切ってしまう程面白く、読みやすかった一冊。
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初めてのドストエフスキー。
初めてがこれって、たぶん違うんだろうけど、読みやすかった。
登場人物全員(ロシア人、フランス人、イギリス人etc)が、お金に左右され生活を送っており、日々を楽しく生活してなさそう。
それでも、あれだけ負けても、ギャンブルは結局負けるって結論で終わってないのが面白い。まぁこの本読むと、なぜかお金を賭けたくなるんだけど。
・・・・内容は特にない気がw
とりまギャンブルはお金にも、心が余裕があるうちに止めましょう。
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相変わらず著者が書く本に出てくる主人公は変な人物ばかりだなと(笑)あとがきを読んで知ったが、この本の内容は著者自身の体験に基づかれたものだったとは・・・
途中までの話が全て最後の回想シーンのフリに見えた。回想シーンのスピード感と絶頂から底辺まで落ちた主人公のストーリーは読んでいて非常におもしろかった。
ミス・ポリーナが主人公のことを愛していたとアストリーが最後に主人公に言うシーンになぜかグッときました。
そしてこの本を読んだらすごくギャンブルをしたくなった(笑)
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ヴルマーヘルム男爵に無礼をはたらいたあたりから女性に振り回されてゆくドMな主人公アレクセイがまず面白い。
アレクセイはポリーナのために金を作ってやろうとルーレットに挑み、勝った。でも、この時点で彼は彼女のために金を作っているという気持ちは消えていたようだ。そうでなければ、彼はそれこそ彼女を買い取るような態度は示さなかっただろうし・・・。後に、彼はアストリーからポリーナがアレクセイを好きだったことを聞かされ、自らの過ちと後悔の念に涙する。にもかかわらず、彼は自らこれからも賭博の道を進もうと決心してしまう。最後には自責の念で賭博から足を洗うかと思っていたので、あまりにも衝撃的なラストだった。
もう一人欠かせないのが、放蕩婆さんタラセーヴィチェワ。彼女がルーレットにのめり込んでゆくよう数はまさに賭博に心を支配された狂人。彼女のような大博打をやったことはないが、結局ギャンブルしているときに一番楽しいのは、莫大な富よりも、それが一瞬のうちに揺れ動くというスリルなのだろうと思う。 賭博なんて莫大な富を掴むのはごく一部の人間で、期待値考えたらそうそう浮き沈みの激しいものじゃない。・・・と合理的に考えたとしても、やっぱり楽しいもの。
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人物関係を丁寧に描いたかと思えば、ルーレットの描写を勢い良く描くなど緩急のつけ方が絶妙であるため、約310ページという小説であるが、その長さを全く感じさせない作品である。
私自身がFXや株などで、多少なりともお金を賭けるという行為をしているからか、「お祖母さん」や主人公のルーレットに賭ける生き様に感情移入し、また彼らのことを止めたくもなった。また、儲かった後のお金の使い方は激しいものだ。これは最後に直接に描写されているが、「金」が欲しいのではなく、博打に勝つという「名誉」「名声」を欲しているからである。こういった生き方に感情移入できれば、より深くこの作品を楽しめるだろう。
結局彼らは賭博を止めることができず、それによって「人生はもう終わっている」とまで言われてしまうのだが、これはいつの時代にも博打に嵌る者が心に置いておかねばならぬことだろう。一種の栄枯盛衰をルーレットを軸に巧みに描き切った名作であると私は思う。
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ばくちに取り憑かれ、身を滅ぼしていく心理過程をおもしろく描写するとともに、それがロシア人の特性だと言わんばかり。11.10.16
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息つく間もないスピード感が好きで何度も読み返してしまう。これでもか、まだかもっとかというくらい人が破滅していくが、情熱的。最後の一行まで熱い。
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厳粛なる祖母の登場により、狂った様な性急さで乗客を混乱させる。主人公が終世忘れえぬと述懐した奇跡的な夜の賭博は圧巻。打ちのめされた主人公が最後に向かう場所が、愛する人の待つスイスでは無く、自身を破滅させたカジノであり、まさに病的な賭博者。
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賭博狂の心理がリアルに描かれていて、非常にスリリング、かつ恐怖感を抱かせる作品だった。
賭博で大勝をする興奮、負けを取り返すという心理、それらを醒めた眼で眺める第三者的な視点と、自分自身がそこにはまり込む快楽の全てが、圧倒的なリアリティを持って描写されている。そのあまりのリアルさに、この作品に描かれている狂気が決して人事ではないと感じさせ、善良な人間も、賢い人間も、老いも若きも男も女も、簡単に狂気へと転落させる賭博行為への恐怖感が強烈に後味を残す。
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【書評】ドストエフスキー「賭博者」:投資十八番 http://gw07.net/archives/8067724.html
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タイトルにもある賭博者の心理描写がメインなのですが、私は登場人物が恋い慕う女性に対して、冷たい扱いを受けて苦しみながら、奇妙ながら密接な関係を気づけていることそのことに喜びと生きがいを感じている哀れさが心に響きました。その後身に起きる出来事に翻弄される中で、恋い慕う気持ちを失い、完全に人間性を失う、それをかつての友人に数年ぶりの再会で指摘される、ぼんやりとした絶望で幕を閉じます。
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著者自身が南ドイツのヴィースバーデンに滞在していた頃の経験を元に、ロシア人特有の気質ゆえにルーレットで身を滅ぼしていく人々を描いた一冊。
序盤で出てくる、誠実な勤労によるドイツ式蓄財法とロシア式の無謀な博打の対比が良い。
ドストエフスキー『賭博者』の中で一番の名文だと感じた箇所をまるごと引用↓
...
「しかし、僕の考えだと、ルーレットというのはもっぱらロシア人のために作られたものですよ」とわたしは言い、わたしのこの感想にフランス人が蔑むような薄笑いをうかべたので、そりゃもちろんわたしの言うことが正しい、なぜならロシア人が博打好きだとわたしが言うのは、ロシア人を賞めると言うより、むしろけなしているのだし、したがってわたしの言葉を信じてもらって差支えない、と述べた。
「あなたのご意見は、いったい何を根拠としているんです?」フランス人がたずねた。
「根拠ですか、それはつまり、文明化された西欧人の美徳と徳性の基本的テーゼの中に、歴史的に、それもほとんどもっとも重要な項目として、資本を獲得する能力が含まれた、ってことですよ。ところが、ロシア人は資本を獲得する才がないばかりか、ただいたずらに、むちゃくちゃに浪費するんです。それでいながら、われわれロシア人にだって金は必要です」わたしは補足した。「したがってわれわれは、たとえばルーレットみたいに、二時間ほどで労せずしてふいに金持になることができるような方法を歓迎しますし、ひどく取りつかれやすいんです。こいつはわれわれには大きな誘惑ですからね。だけど、われわれは勝負するのも、苦労せずに、ただいたずらにやってのけるから、負けるんですよ!」
「それはある程度正しいですね」フランス人がひとりよがりに指摘した。
「いや、それは間違っている。君は自分の祖国をそんなふうに批評して、よく恥ずかしくないね」きびしく、いさめるように、将軍が注意した。
「とんでもない」わたしは将軍に答えた。「だって、実際のところ、ロシア式のめちゃくちゃと、誠実な労働によるドイツ式蓄財法と、いったいどっちが醜悪か、まだわからないでしょうに?」
「なんてめちゃくちゃな考えだ!」将軍が叫んだ。
「実にロシア的な考えですな!」フランス人が叫んだ。
わたしは声をあげて笑った。ひどく彼らを挑発してやりたかった。
「でも僕は、ドイツ式の偶像にひれ伏すくらいなら、むしろ一生キルギス人の天幕で放浪しつづけていたいですね」わたしは怒鳴った。
「何の偶像だって?」将軍がもはや真剣に怒りだしながら、怒鳴った。
「ドイツ式の蓄財法にですよ。僕はここに来て日が浅いけれど、それでもやはり、ここですでに気づいたり、確かめたりしたことが、僕の中のタタールの血を憤激させるんです。まったく、あんな美徳なんぞ、厭なこった!僕はここの周囲を昨日いちはやく十キロばかりまわってみたんですがね、寸分違わずそっくりですよ。ここでは、どこへ行っても、それぞれの家に、おそろしく行い正しい、並はずれて誠実な父親がいるんです。そばへ寄るのも畏れ多いほど、誠実な父親がね。」そばへ寄るのも畏れ多いほど誠実な人間なんて、僕には堪えられません��。そういう父親の一人ひとりにそれぞれ家庭があって、毎晩みんなして声をあげて教訓的な書物を朗読するんです。こぢんまりとした家の上では楡や栗の木がざわざわと鳴っている。夕日と、屋根にとまったコウノトリ、何もかもが並みはずれて詩的で、感動的なんだ・・・
怒らないでくださいよ、将軍、もっと感動的な話をさせてください。僕自身だって、死んだ父親が小さな庭の菩提樹の下で、毎晩、僕と母にそういった本を朗読してくれたのを覚えているんですから・・・だから僕自身、こういうことに関してはきちんと判断できるんです。ところで、ここのそういった家族はすべて、父親に完全に隷属し、服従しているんです。みんなが去勢牛みたいに働き、みんながユダヤ人のように金をためている。で、かりに父親がもうある程度のグルデン金貨をためたとなると、家業なり、ちっぽけな土地なりを譲るべく、長男を当てにするんです。そのために、娘は嫁入り支度もしてもらえず、いつまでもオールド・ミスでいることになる。そのためには、下の息子は奴隷奉公に売りとばされるか、兵隊にやられるかして、その金は一家の資本に繰りこまれる。実際、ここではそういうことが行われているんですよ、僕はいろいろたずねてみたんだけれど。そうしたことすべてが行われるのも、誠実さゆえにほかならないんです。それも、自分が売りとばされたのは誠実さゆえにほかならないと、売られた下の息子まで信ずるくらい、強化された誠実さですよ。‐生贄に曳かれていく犠牲自身が喜ぶなんて、これは理想じゃありませんか。それからどうなると思います?その先は、長男だって前ほど楽じゃない。長男には心で結ばれたアマリヘンだとか何とかいう娘がいるけれど、まだそれだけのグルデン貨幣がたまっていないから、結婚するわけにはゆかない。二人はこれまた品行方正に、まじめに待ちつづけ、笑顔で生贄に赴くってわけです。アマリヘンはもう頬がこけて、しなびてゆく。二十年ほどたって、やっと財産がふえたし、グルデン貨幣も誠実に、行い正しく貯えられた。そこで父親は、四十歳の長男と、乳房もしなびて鼻の赤くなった三十五歳のアマリヘンを祝福してやるんです・・・その際にも泣いて、人の道を説き、やがて死んでゆく。長男は今度は自分が行い正しい父親と化して、ふたたびまったく同じ物語がはじまるんですよ。こうして五十年なり七十年なりのちには、最初の父親の孫が実際にもうかなりの資本を作りあげて、自分の息子に譲る、それがまた自分の息子に、そいつがまた自分の息子にといった具合で、五代か六代後には、ロスチャイルド男爵だか、ホッペ商会だか、何だかわからないけれど、そんなものが出現するって仕組みなんだ。どうです、実に雄大な眺めじゃありませんか、百年も二百年もの代々の勤労、忍耐、知力、誠実、根性、不屈さ、打算、屋根の上のコウノトリ!この上何が要りますか、だってこれ以上のものはないんですからね、そしてこういう観点から彼ら自身は全世界を裁いて、罪ある者、すなわち彼らにほんの少しでも似ていない者をすぐさま罰するようになるんです。どうです、こういうことなんですよ。だから僕はいっそロシア式にどんちゃん騒ぎをやらかすか、あるいはルーレットで大儲けするかしたいんです。五代後にホッペ商会になるのなんか、厭なこった。僕が金を必要とするのは僕自身のためにであって、僕は自分を何か資本にとって必要な付属物とはみなしてませんからね。ひどく大法螺を吹いたことは、僕にもわかってますけど、それはそれでいいじゃありませんか。僕の信念はこうなんです。」
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