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極端な物語だ。
登場人物みんなが、切羽詰まっている。こういうギリギリの状況こそ、文学が人間を描くのには最適な舞台なのだろう。そう考えてみると、賭博場というのは、作家にとって理想的な環境が揃った空間であるのかもしれない。
この小説には、二人の強烈な賭博者が登場する。
一人は「わたし」という一人称で語られる主人公、もう一人は、高額な遺産を遺すであろうと親戚から期待されている老婆。いずれも常軌を逸したギャンブルの仕方をして、その行為で、自分の人生そのものを博打のタネにしようとする。
そして、もう一人、自らはギャンブルには関わらず、大儲けした男の金を使って堅実に地場を固める、峰不二子っぽいマドモアゼルが登場する。結局のところ、この悪魔的美女が最強キャラというところが、なんだかリアルだなあと思う。
一瞬にして人生が変わる瞬間というのは、一度経験したら逃れられないほどの誘惑なのだろう。その大きな賭けの結末は、周りの人々の人生の崩壊や、パリでの数週間の夢のような日々へと変わっていく。この、夢とうつつがリンクしたような、ドラマチックな展開はとても好きだ。
ドストエフスキーは、そういう破滅的な性格を「ロシア的なもの」と主人公に言わせているけれど、これが的を射た事実かどうかはわからない。でも、確かに、ドイツ人やイギリス人にはなさそうな気質の感じはする。
この小説で、一番好きなシーンは、ラストシーンだ。主人公は、ルーレテンブルグ(「ルーレットの街」という意味の架空の街)で有金を全部失ってしまう。食事を一食する分だけの金がポケットに入っていることに気づいた時、引き返して、それをも賭けに使おうとしてしまう。
いろいろと悲惨なところがある物語だけれど、最後の締めくくり方には、希望を感じさせられる。
あの時わたしは、有金残らず、すっかり負けてしまった・・カジノを出て、ふと見ると、チョッキのポケットにまだ一グルデンの貨幣がころがっていた。「ああ、してみると、食事をするだけの金はあるわけだ!」。わたしは思ったが、百歩ほど行ってから考え直し、引き返した。わたしはその一グルデンを前半に賭けた(あの時は前半がよく出ていた)、実際、祖国や友人たちから遠く離れたよその国で、今日何を食べられるかも知らぬまま、最後の一グルデンを、それこそ本当に最後の一グルデンを賭ける、その感覚には、何か一種特別のものがある!わたしは勝ち、二十分後には百七十グルデンをポケットに入れて、カジノを出た。これは事実である!最後の一グルデンが、時にはこれほどのことを意味しかねないのだ!もし、あの時わたしが気落ちして、決心をつけかねたとしたら、どうだったろう?明日こそ、明日こそ、すべてにケリがつくことだろう!(p.310)
わたしがルーレットにそれほど多くのものを期待していることが、いかに滑稽であろうと、勝負に何かを期待するなぞ愚かでばかげているという、だれもに認められている旧弊な意見のほうが、いっそう滑稽なような気がする。それになぜ勝負事のほうが、どんなものにせよ他の金儲けの方法、たとえば、まあ、商売などより劣っているのだろう。勝つのは百人に一���、というのは本当だ。しかし、そんなことがわたしの知ったことだろうか?(p.26)
僕はいっそロシア式にどんちゃん騒ぎをやらかすか、あるいはルーレットで大儲けするかしたいんです。五代後にホッペ商会になるのなんか、厭なこった。僕が金を必要とするのは僕自身のためにであって、僕は自分を何か資本にとって必要な付属物とはみなしてませんからね。(p.55)
僕はなんの希望も持っていないし、あなたから見ればゼロにひとしい存在だから、ずばりと言いますけど、どこにいても僕の目に映ずるのはあなたの姿だけで、それ以外のものはどうだっていいんです。なぜ、どれほどあなたを愛しているのか、僕にはわからない。どうなんでしょう、ことによると、あなたはまるきりきれいじゃないのかもしれませんね?ねえ、どうですか、僕はあなたの顔さえ、美しいのかどうか、わからないんですよ。あなたの心はきっと、よくないに違いない。知性も高潔じゃないし。こいつは大いにありうることですね。(p.66)
わたしはこのゲームをまったく知らなかったし、ここにもやはりある赤と黒以外は、賭け方もほとんど一つとして知らなかった。その赤と黒にわたしはひきつけられたのである。カジノじゅうがまわりにむらがっていた。この間たとえ一度なりとポリーナのことを考えたかどうか、おぼえていない。その時わたしが感じていたのは、ずんずん目の前に積み上げられてゆく紙幣の山をひっつかみ、かき集めるという、一種の抑えきれぬ快感であった。(p.246)
あなたは人生や、自分自身の利害や社会的利害、市民として人間としての義務や、友人たちなどを(あなたにもやはり友人はいたんですよ)放棄したばかりでなく、勝負の儲け以外のいかなる目的を放棄しただけではなく、自分の思い出さえ放棄してしまったんです。わたしは、人生の燃えるような瞬間のあなたをおぼえていますよ。でも、あなたはあのころの最良の印象なぞすっかり忘れてしまったと、わたしは確信しています。あなたの夢や、今のあなたのもっとも切実な要求は、偶数、奇数、赤、黒、真ん中の十二、などといったものより先には進まないんだ、わたしはそう確信しています!(p.299)
そう、あなたは自分自身を滅ぼしたんです。あなたはある種の才能や、生きいきとした性格を持っていたし、わるくない人間でしたよ。あなたは、人材を大いに必要としている祖国にとって、役に立つことさえできたんです。だけど、あなたは残るだろうし、あなたの人生は終わったんです。わたしはあなたを責めはしない。わたしの見たところ、ロシア人はみんなこうか、あるいは、こうなる傾向を持っているんです。ルーレットでないとすれば、それに類した別のものってわけですね。労働が何であるかを理解しないのは、べつにあなたが初めてじゃないんです。(p.307)
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びっちりと一面に並べられた文字とその内容は、理解するのに難しく、なかなか頁が進まなかった。
しかし賭博のシーンは面白かった。
またドフトエフスキーの思考がありありと見えるところには新鮮さ、驚きがあった。
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ルーレット賭博の魅力に取り憑かれ、泥沼に嵌まっていく人たち。賭博そのものよりも、賭博に取り憑かれる心理を通じて「人間」を描く。本作からも、「全てを平準化する力としての金の威力」という、ドストエフスキーの一貫したテーマの一つを強く感じとることができる。またギャンブルに対する関わり方や、金銭的な感覚を通じて、ロシア・フランス・イギリスの国民性の違いをかなり強調して描いている。ロシア=蕩尽、フランス=収奪、イギリス=分配といったかなり大雑把な分類(イギリス推し・フランス嫌いがすごい)ではあるが、それなりに説得力はあるし、なによりそういった分類が、作中の登場人物の特徴を際立たせ、魅力的な人物として描くことに貢献しているように思う。フランス人は怒るかもしれないが。
ドストエフスキーらしさ全開の面白い小説でした。
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他の長編にくらべると思想的なものが薄かったりして読みやすかった。
ギャンブルにはまったひとにしか書けなさそうな文だとおもったらドストエフスキーもギャンブルでえらいめにあってたのね…。
書いてあることが、ギャンブル依存症の知人が言ってることとだいたい同じだった。
老婦人が登場してからの勢いのある賭け方とスリ方にはつい笑ってしまった。
ドストエフスキーの登場人物は唐突に叫んだり激昂したりするけど、この人もそんな感じで、周りが必死になってとめてるのにウォォォ!とばかりに賭けまくって持ち金全部なくす様は潔くもあり滑稽でもありまた切なくもあった。
負ければ取り返したくなるのは仕方ないことだけどあまりにもはちゃめちゃな賭け方。
『生涯にせめて一度なりと、打算的で忍耐強くなりさえすれば、それでもうすべてなのだ!せめて一度でも根性を貫きとおしさえすれば、一時間ですべての運命を変えることができる!大切なのは、根性だ。』
という文は、すごい根性論ではあるけれどつい逃げそうになってしまう私には響いた。
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ルーレンテンベルグなる観光地でルーレットに取り憑かれた人間模様。
賭博にハマった人たちの行動と心理描写のリアリズムが凄い。結局のところ大勝しても大敗しても破滅的な末路に陥るのは勉強になる。特にお祖母さんの顛末はテンプレート的ですらある。
魅惑のポリーナの描写が生々しいと思ったところ解説によるとモデルは不倫相手。更にドストエフスキー自身もギャンブル狂という実体験によるリアリティと納得。
ラストも印象的な賭博小説の逸品。
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題名の通り、主人公は賭博者。おばあさんの存在がとてもクレイジー。カジノで大当たりしてるとこなんて怖いくらい引き込まれる描写だった。主人公の様子が後半につれてどんどん変化していきいわゆるクズになっていくがどんな行動をしても魅力ある主人公だった。ポリーナの動向が最後まで読めなかった。ドストエフスキーの体験を元にされた小説のよう。”賭博”っていう言葉がロシア人にぴったりと何度も表現されていた。外国人から見たロシア人、ロシア人から見るイギリス人描写が興味深かった。ドスト作品はこれが一番読みやすいかも。
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1866年
ドストさん自身の体験に基づく作品。
この文庫本で250ページ程。
恋とギャンブルに翻弄され、破滅していく青年。
NOTE記録
https://note.com/nabechoo/n/n7473b46f3611?magazine_key=m95e2f346041d
賭け事楽しいもんね。
変に勝ちの経験があると、
ずっとその希望がこびりついて、
延々と続けることに。
恋も楽しいし。しょうがないね。
うまくいかない、そこにドラマが。
恋とギャンブルで破滅していくなんて、
とても人間的で良いね、健全だ笑
好きな主人公かな。
今回のには、色んな外人さんが。
ロシア、イギリス、フランスがメインか。
それから、ドイツとポーランド。
舞台は、架空の都市、ルーレテンブルグ。
ここは、ドイツの場所から創られてる?
毎度お馴染み、ロシア美女(フランス美女もいたか)
美女と書かれるだけで、脳内お花畑、で読める。
だいたいみんな気が強そうで、そこがまた好み笑
まあ非常に厄介そうだが。
あとロスチャイルドて、
いつから金持ちキャラなんだろ?
ホッペ商会(アムステルダムとロンドンにある有名な財閥)
てのも名前出てきて、
知らんけど、すごそう。
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後半のアレクセイがポリーナのためにルーレットに挑み、大金をメイクし続ける描写はまるで自分自身が賭博場にいるかのような興奮を覚えた。ルーレットに勝っても人生そのものの賭けにはおよそ負け続ける状態。それでも何かを信じて、明日もまた賭博場に行ってしまう。哀しき人間の性。
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不思議な感覚、後半の読書疾走感が気持ちよかった、ぐいぐいページを進められた。ギャンブルの真髄が垣間見えた。でもそれが何かって、言い表せない。不思議で素敵。
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舞台はドイツの架空の観光地。様々な国の人間がルーレットで賭けを楽しむ。ロシアの将軍の子の家庭教師、アレクセイ・イワーノヴィチは、将軍の親族であるポリーナに恋をする。恋愛はうまくいかず、関係者は皆、金を必要としている。そんな状況でルーレットが回り続ける…。ルーレットで賭ける様子は読んでいて緊張してしまい、ページをめくる手が止まらなかった。ラストも主人公がルーレットに憑りつかれた様子が哀しい。
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デ・グリューとミスター・アストリーを同一人物だとずっと勘違いして読んでいた。最後の最下位ののシーンでなんかおかしくね?ってなって気づいたけど、ロシア文学はややこしい。
自分はパチンコ位しか賭博をやった事がないからあまり詳しくないけど、負けた時のあのゾクゾク感は分かる。その瞬間、金を取り戻す事しか頭に残らないんだよね。お祖母さんがとんでもない金額負けるシーンはなんか共感出来た。最後まで嫌な人にならず、自分の事を馬鹿な老人って反省してるのがいいね
ポリーナが自分勝手で、あんまり好きになれなかったなあ。主人公を弄んで、最後はフランス人とぬくぬく生活。まあ主人公も悪いけど。
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第107回アワヒニビブリオバトル&全国大会予選で紹介された本です。3ゲーム目。ハイブリッド開催。
2023.12.29