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バクチって怖いよね、と雑に一言で終わらせてしまってもいいかもしれん。賭け事に嵌ってしまい、ズルズルと破滅していく登場人物の心の動き方、周囲の人との関わり方が克明に表現されています。一方、描写そのものはくどくもなく、ダレる感じもないのであっさり読み進めていける感じです。
中盤から登場する、ある人物がルーレットで凋落していく様子は、「きっとこういう人が当時は間違いなくいたんだろうな」という感じで、シニカルであると同時に戦慄すら覚えます。
ドストエフスキーの他の作品はあまり読書経験がないのですが、恐らく読みやすい部類に入るのではないかと。それほど厚くもないですし。
一部は著者自身の経験にも基づいているらしいので、著者の人生の一部を覗いてみるという感覚で読むのも面白いかもしれません。
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能動的に仕掛けているようで、実はほとんど運任せという受動的な遊び
それがギャンブルだ
お金とは、人間にとって社会的な生命とも呼べる重要なものだが
ギャンブルという「大人のお遊び」においては
この、お金というものを、おもちゃとしてあつかってしまう
お金を賭けたが最後
否応なく生と死のグレーゾーンに直面させられるのだ
だがしかし、それは勝負が決するまでのほんの一瞬において
彼がすべての社会的責任を放棄できるということでもある
つまり、幼児に返るということだ
こう考えると、ギャンブルはまさに「享楽」と呼ぶにふさわしい遊びである
一方、ギャンブルを「信仰」と解釈することもできるだろう
なにしろ、信じて賭けつづけていれば、いつか当たりがくるのだ
破産しない限りは!
しかし、今や神の実在を無邪気に信ずることのできない時代でもある
たった一度の偶然をもって、奇跡の実現とみなすことは不可能だ
ゆえに、ビギナーズ・ラックは地獄の門となりうる
奇跡をもう一度、いや何度でも確認したいばかりに
ギャンブルの神を信じる者たちは、どんどん深みにはまっていくわけだ
悪い男にだまされて
純情だったロシアの娘は、もはや神の実在を信じることができない
賭博者が、一生に一度の大当たりをすべて彼女に捧げたところで
そんなものは偶然の産物でしかない
そう考えざるをえないのが、現代の絶望である
だから賭博者は
世界の絶望を癒すために、今日も賭けつづけるのだ
悲しい話だと思いませんか
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2015/01/05
ドストエフスキーはこの作品をわずか27日間の間に口述筆記で書き終えている。
ルーレットに取り憑かれた病的な青年の絶望的な恋が悲しい。
ドストエフスキーの経験が大きく影響しており、後半の展開は熱中させられた。
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物語の筋には全く魅力を感じませんでしたが、話に聞く麻薬のように賭博の魔力というものは非常に強力で、一度成功の幸福感を味わってしまうともう他のあらゆる嗜好に満足できなくなるのだろうと恐ろしくはなりました。賭博において危険なのは、きっとその失敗による損失ではなく、成功による異常な快楽なのでしょう。賭博狂となった主人公に対する、「あなたの人生は終ったんです」というあまりにもあんまりな断定が、なかなか小気味よくて好きです。
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ヤバイ。愛も金も人生をかけてルーレットにかける主人公の感情に完全に惹きつけられた。"ロシア人特有の病的性格を浮き彫りきする"と本の広告にあるが、この一発に全てをかける気持ちは誰もが持ってるんじゃないか??
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【印象】
射倖心に取り憑かれている人間たち。
他人の死も恋愛事情もギャンブルでしかない。
【類別】
小説。頁278の記述によれば本作は「中編」。
【構成】
大きく分ければみっつの段階で語られます。複雑さなく時点構成されており、全体の分量もさほど多くないため、さっくりと読める作品でしょう。
【表現】
地の文は一人称視点。
文体は平易。
惹かれた台詞表現は頁87「せいぜいご自愛のほどを祈りあげますよ」。
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ギャンブラーの思考があますところなく描かれている。破滅への思考と行動。誰も止められない、手強い依存性。
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お祖母ちゃんが登場してからの展開のジェットコースター感たるや。僕は頭に血が上りやすいタイプなので、ドストのほかの作品を読んでも登場人物に共感することが多いのだが、この本はまさに賭け事にハマった自分のシミュレーションに他ならないなと感じた。パチンコにだけは手を出すまい。自らの誠実な気持ちのすべてを、賭博室へ向かうための言い訳にすり替えてしまう描写がリアルで恐ろしい。
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ギャンブルの描写が、ギャンブルを知っているからこそ書けるというものでした。主人公が後半に大勝負するところも含めて、ギャンブルにはいろいろな面があり、いろいろな局面をつくり、いろいろと作用することがよく描かれていると思った。そして、その魔性についても。このギャンブルの描写はちょうど良い距離感なんでしょうね。もっと深く、微に入り細を穿って描けそうな気もするのだけれど、そうなると個人的すぎて、ギャンブルとしてはひとつの断片的性格が強くなりそう。『賭博者』の極端なギャンブルの例たちが合わさって、ひとつの全体性みたいなものが感じられるようになっている。ギャンブルそのものについては、そう。ぼくもね、けっこう競馬とパチンコではあるけれどぐぐっとギャンブルに両足を突っ込んだことのあるひとだから、その点でこういう『賭博者』を書く作者(ドストエフスキー)のギャンブルについての知識というか、どれだけわかっているのかを値踏みするように読もうとしてしまうところがあります。さてさて、賭博の成功体験をもつ主人公はどうなってくのか。重要な脇役からの辛辣な「見抜き」で締めくくられています。そうなんです、ギャンブルにハマるとはそういうことなんです…。
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お祖母ちゃんが出てきたところから面白くて、もうお祖母ちゃんの言葉とか態度も面白くて、主人公にしてほしいぐらいだった。
ドストエフスキーの経験から書かれた作品。
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解説によると著者の体験をベースに書かれているらしいが、やはり賭博は人を変える強力なパワーが秘められていると感じた。
主人公の家庭教師が仕えていた将軍のお祖母ちゃんの熱狂ぶりは目を見張るものがあった。
それ以上に主人公のアレクセイの賭博へのはまり方が異常だった。
恋焦がれているポリーナが自分の部屋に来てくれただけで、その興奮によって狂ったように賭博を行い、そのまま賭博の虜になってしまう。。
現代でも十分に通用する話だなと思った。
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長らく積んでた「賭博者」やっと読みました。ドストエフスキーにしては短い物語で登場人物達の関係もそれほど混み入ったものではなく、読みやすい部類です。でも描かれる物語はドストエフスキー特有の圧倒的な熱量を有しており、凄まじい。人々の金銭欲と愛憎の渦、賭博場の熱狂……人間の持つ欲を剥き出しに描写する。賭博台で賭けているのは金銭だけではない。己の地位、誇り、未来、命すらも賭す。伸るか反るか、勝つか負けるか、正しく賭博場は人生遊戯。気性の激しいアントニーダが好きなキャラでした。
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最終章となる第17章がとても印象的だ。
マドマアゼル・ブランシェとのパリでの浪費生活を終えたアレクセイは、ルーレット賭博のためにルーレテンブルク、ホンブルクと流れ着き、各地で手痛く敗北する。
やがてホンブルクで再開したアストリーから、かつて恋い焦がれていたポリーナの真の気持ちを告げられる。その内容は、あれだけつれなかったポリーナが、実はアレクセイを愛していたというものであった。これを機にアレクセイは再起を志す。しかし、既にアレクセイの生活から賭博は切り離し難く、再起のための手段と称して再び賭博に手を出そうとする…。最早、彼にとって賭博を打つことは経済的再生の手段ではなく、刺激を得る為の目的となったようだ。
私は小心者であるから、博打ごとはとても苦手だ。お金が増えるのは有難いが、無為に失くすかもしれないと思うと興奮よりも恐怖が先立ってしまう。そのような自分には、この賭博者で描かれているアレクセイやワシーリエブナお祖母ちゃんの心境について理解仕切ることは難しいだろう。分かるといえば、失ったものを取り戻すために更に失うおそれのある行動をしてしまう心理は分かるかもしれない。
月並みな感想だが、博打は怖そうだから極力避けようと強く思った、というところです。
この本のもう一つ印象深いところは、自分自身の価値観に照らすと、登場人物のほぼ全員が嫌な奴ばかりで、イライラさせられるのに、途中で読むのを放棄したいとはならないところかな。それだけ惹きつけるものがある。
人柄としてはアストリーが一番マシだが、ポリーナに対する対応は英国流の騎士道精神に隠した下心がありそうで嫌だし、他人の破滅をそっと眺めて楽しんでいるようにも感じてしまう。
最大のイライラ人物はブランシェでしょう。次点で賭博場にいたポーランド人たち。
やたらとこの本はフランス人とポーランド人、そしてロシア人に厳しい。どんな作者も一定の批判精神を持って作品を書く場合、自国民には当然に厳しくなるかも知れないが…。
ところで、この本は初版が1861年に出版されたそうです。そうするとクリミア戦争でフランスがトルコ側についた恨みや、ロシアがポーランド王国を支配していたことからくるポーランド人への蔑視なんかがあったのかもしれないですね。また、罪と罰で悪し様に扱われたユダヤ人ですが、端役ではあるものの、この本ではちょいと良い人として現れるのも不思議な感じです。ネットで調べる限りではドストエフスキーさんは、晩年、ユダヤ人嫌いだったようです。これを書いていた当時はまだそこまで嫌いではなかったのでしょうか。
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愛するポリーナのためになけなしの金を賭けて、主人公イワンは20万フランの勝ちを得る。
だが「あんたのお金なんか貰わないわ」と顔に投げつけられてしまう。
何たる屈辱であろうか。
ギャンブルって、はまると抜け出せなくなりそうだから怖いよな。
気がついたときには、この作品の主人公のように、労働を忘れてしまった、滅んだ人間になってしまっているのかもしれない。
「ゼロさ、ゼロだよ!また、ゼロだよ!」
お祖母ちゃんの快進撃がかなりおもしろいです。
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1866年 45歳
第22作
出版業者とのひどい契約で、締め切りに追われた作者が、口述筆記を使って完成させた作品として有名。
そのせいだろう、作品の最初はゴタゴタしてして、進行ももっさりしている。
中盤、金持ちの伯母が登場してから面白くなるが、ドストエフスキーは、若い女や、いろんな境遇の男たちを描くのは上手だけれども、老女はあまり得意ではないようだ。
全体としてはあまりいい出来の作品とは思えないのは、やはり、やっつけ仕事だからだろう。