紙の本
面白い科学読み物
2016/12/05 21:59
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Takeshita - この投稿者のレビュー一覧を見る
科学上の発明がいかに世の中を変えたかを6つの事例で叙述している。古代に砂漠で発見されたガラスが鏡になり、望遠鏡になり、軽くて強いグラスファイバーになって利用され、時代の進歩に寄与したこと。氷の運搬がアメリカ南部の発展を支え、南北戦争の勝敗に関係したことなど面白い話題が満載。楽しい科学読み物になっている。
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イノベーションは、新しいテクノロジーをゼロから発明する孤独な天災によって引き起こされると考えるなら、その考え方は必然的に、特許保護の強化のような政治判断へとつながる。しかし、イノベーションが協調のネットワークから生まれると考えるなら、別の政策や組織形態を支持しなくてはならない。すなわち、特許法の緩和、オープン標準、従業員持ち株制度、学際的なつながりだ。p274
ほとんどのイノベーションは現在時制の隣接可能領域で起こり、そのとき利用可能な道具や概念と連動する。p315
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人類史に影響を与えた6つのカテゴリーについて、モノの発明と文化、文明の関係を考察した本。6つのカテゴリーとは、ガラス、冷たさ、音、清潔、時間、光。ひとつのモノの発明が、思わぬところに波及して人類史を変えていく。
世の中知らないことだらけ。この先、現在のテクノロジーが社会をどのように変えていくのだろうか。
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「ガラス」や「冷たさ」のような特定のカテゴリに絞ってモノの進化とヒトの生活の変化を辿る話。
インクのにじみを防ぐ装置がエアコンになり、南部への人口移動につながる、など、一見関係なさそうな事象が一つのカテゴリにおける進化の歴史に照らすとうまく連動しているように感じる、ロマンのある本。
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この本は、あるテクノロジーの転換/発明が、意図せず形で世界中に波紋を広げていき、最終的に社会経済を大転換させていくダイナミズムを描いている。この本の価値は以下の3つにあると考える。
【テクノロジーの発見/発明の起こり方に対するインプリケーション】
世界を変えていく革命的なテクノロジーは、一人の天才によってある日突然生みだされるわけではない。それ以前にも要素技術は発見/発明されているが、それらの技術はなぜか埋もれたままになっている。しかし、ある時代において特定の条件がそろうと、それらの要素技術が組み合わされて同時多発的なテクノロジーの大躍進を生む。
【革命的なテクノロジーの進歩が社会経済に及ぼす影響へのインプリケーション】
革命的なテクノロジーの進歩は、その適用分野のみならず、全く異なる分野へもその影響力が波及する。そして波及が連鎖することによって、最終的に社会経済全体を大転換させるエネルギーを持つ。
【投資に対するインプリケーション】
この本に通底するテクノロジーに対する巨視的な視野、およびテクノロジーが社会を変えていくダイナミズムは、投資において不可欠な哲学そのものである。ある一流のファンドマネジャーは、自動車産業を分析する際に平安時代の牛車までさかのぼって自動車の根本的価値を考察する。また、投資をする際には、テクノロジーそのものではなく、テクノロジーによって巻き起こされる二次的な影響(それはしばしばテクノロジーそのものよりも遅れてやってくる)によって起こる社会経済の変化を予測するのが有効な手段である。この本の中でもそのような例が載っている。グーテンベルクの活版印刷技術の発明で人々が本を読むようになり、それによって人々は「自分が遠視である」と気づき、教会の僧侶だけが使っていたメガネというテクノロジーが「再発見」されて爆発的に普及した、という例など。
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発明やアイデアはそれ自体は些細なことのように見えても、全く関係なさそうな事柄にも影響を与えている。
著者の巨視的な物の見方に頭を殴られるような感覚を覚える。
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遠視の症状は全人口に広く分布していたが、ほとんどの人は時を読まなかったので、自分がそうだと気づいていなかったのだ。ちらつくロウソクの火で共和制ローマの詩人ルクレティウスの書(訳注:古代ギリシャの哲学者エピクロスの宇宙論を詩の形式で解説した書)を翻訳しようとする修道士にとって、眼鏡の必要性は充分すぎるほど明らかだった。しかし、庶民の多くは読み書きができないので、日常生活で字形のような小さな形を識別する機会はほとんどない。人々は遠視だったが、自分が遠視であると気づく現実的な理由がなかっただけである。そのため、眼鏡は珍しくて高価なものという状況が続いた。
事態を変えたのは、言うまでもなく、1440年代のグーテンベルクによる印刷機の発明である。(中略)識字率が劇的に向上し、正統信仰の正規の伝達経路に危険な科学や宗教の理論が流れ、小説やポルノ本のような大衆娯楽が当たり前になった。しかしグーテンベルクの偉大な技術革新には、別のあまり知られていない効果もあった。大勢の人々に、自分が遠視であることを初めて気づかせたのだ。それが明らかになったことで、眼鏡の需要が急増する。(pp.35-36)
自画像への興味が爆発した直接の原因は、ガラスを扱う技術の別の進展だった。ムラーノの話にもどるが、ガラス職人たちは水晶のように透明なガラスを治金のイノベーションと結びつける方法を見つけ、ガラスの背面をスズと水銀の合金で覆い、ぴかぴかでよく反射する面をつくり出した。鏡が初めて日常生活に入り込んだのである。これは最も個人的レベルの新発見だった。鏡が登場する前、ふつうの人々は自分の顔をほんとうに正確に表したものを見ることなく、水たまりか滑らかな金属にちらりと映る断片的なゆがんだ影を見るだけで、一生を終えていたのだ。
(中略)しかし鏡がおよぼしたもっとも重大な影響は、宗教ではなく世俗的なものだったと言える。フィリッポ・ブルネレスキは、フィレンツェの洗礼堂を直接見たままではなく鏡に映る姿を描くことによって、絵画の遠近法を考え出した。ルネサンスの後期の芸術には、絵画のなかに潜む鏡が非常に多く描かれていて、とくに有名なのはディエゴ・ロドリゲス・デ・シルヴァ・イ・ヴェラスケスの逆転の名作『ラス・メニーナス(女官たち)』である。そこにはスペイン王のフィリペ4世とマリアナ王妃を描いている画家本人(と王家の人々)が描かれている。(pp.48-49)
現代では、日常的にさまざまな温度に触れることは当たり前とされている。朝に熱いコーヒーをいれ、一日の終わりにはデザートにアイスクリームを楽しむ。夏に暑くなる気候帯の人々はエアコンの効いたオフィスとひどい蒸し暑さのあいだを行ったり来たりすることになる。冬が厳しい場所では、暖かく着込んでから意を決して凍てつく街に出て行き、家に帰るとサーモスタットの温度を上げる。しかし1800年に赤道付近で暮らしていた人間の圧倒的多数は、冷たいものを文字どおり一度も経験したことがなかった。当時のマルティニーク島民にとって、凍っている水という考え方はiPhoneと同じくらい非現実的だっただろう。(p.72)
アイデアというものは根本的にほかのアイデアと���ネットワークだからである。私たちはいまの時代の道具と具体例と概念と科学的認識を取り込み、それを練りなおして新しいものにする。しかしあなたがどんなに優秀でも、正しいパズルのピースがなければ発明することはできなかった。とにかく、その時代には隣接可能領域に入っていなかったのだ。(p.90)
生まれた時から脱工業化世界で暮らしてきた私たちには、1~2世紀前の人間の耳にとって、工業化の音がどれだけ衝撃だったかを理解するのは難しい。まったく新しい騒音のシンフォニーが、日常生活の領域にいきなり入ってきたのだ。
(中略)しかし、騒音防止団体が規制や公共広告によって現代の騒音と闘う一方で、別の反応も見られた。人間の耳はその音に不快を感じるのではなく、そこに美しいものを見つけるようになったのだ。19世紀初め以来、日常生活の習慣的な経験が、じつは騒がしい音に対する美的感覚を超える実習になっていた。しかし最終的にそういう騒がしい音を大衆に広めたのは、真空管である。(pp.153-154)
体を洗うことの美徳は、現代人が考えるようには、自明のことではなかった。おもに社会改革と口コミをとおして、理解され奨励される必要があったのだ。興味深いことに、19世紀に入浴が大衆に受け入れられるにあたって、せっけんについて議論はほとんどない。水で人が死ぬことはないと人々を説得するだけでも十分に困難だったのである(pp.184-185)
産業労働者の生活では一日の労働時間がそれまでとちがっていて、それを管理するために時刻が必要だった。以前の農業経済では、時間の単位はだいたい、ひとつの仕事をやり終えるのに必要な時間という観点から表現された。一日は抽象的な数学の単位ではなく、一連の活動によって区分されていたのだ。(p.224)
2001年に歴史家のロジャー・イーカーチが、さまざまな日記や教本を引用して、歴史的に人間は長い夜を二つの異なる睡眠期間に分けてきたと、納得のいく説を唱えている。暗くなると人々は「第一の眠り」に落ち、4時間後に目を覚まして、軽食をとったり、用を足したり、セックスをしたり、火のそばでおしゃべりをしたりして、それからもう4時間の「第二の眠り」にもどる。この古代のリズムを19世紀の照明が乱した。観劇や外食、はては工場の労働まで、日没後に行えるさまざまな新しい活動の可能性が切り開かれたのだ。(p.256)
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レビューはブログにて
http://ameblo.jp/w92-3/entry-12217408408.html
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ガラスの進化が自己を中心とする概念を生み出し、音の進化が1対多のコミュニケーションを生み出して個人やマイノリティの声を世界に届けることを可能にし、冷たさや清潔さや明るさを人工的に生み出すことが人々の生活の幅を広げて人が自由に安全に暮らす場所を選べるようになり、時計技術の進化が1秒1秒の価値を明確化し視点をよりミクロにし、かつマクロにも広げていく。
ある1つの技術の進化が私たちの暮らしだけでなく考え方から政治や芸術など、様々な領域に変化をもたらしていく。
今当たり前で前提条件として捉えている物事が、時代が異なれば当たり前ではない。定説にとらわれずに物事を捉え、自分の思考を広げていくことが大事だなと思った。
一章ごとに新たな発見があり、とても楽しく読めました。
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今ある世界を創った発見と創意工夫と技術、そして偶然の物語。
ガラス、冷蔵、音、衛生、時間、光の六章。とりあえず読むべき。
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「ネアンデルタール人が洞窟の音響効果に気づかなければ、ジミヘンの音楽は生まれなかったかもしれない。」という帯にやられて読んでみた。
現代では当たり前になったものが、いつどこでどうやって誕生したのかを教えてくれる。
4章の「清潔」とか6章の「光」なんかは今では考えられない状況が発見?発明?時にはあったのだなと考えさせられた。
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この本の視点は新しい。とっても面白くてためになる。
「ガラス」「冷たさ」「音」「清潔」「時間」「光」の6つの発明。
宣伝にあるように「本書は、まったく新しい発明を切り口にした、まったく新しい世界史の物語である。」
書評で知って図書館に予約。かなり待って入手。
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昆虫と、昆虫に蜜を提供する植物の関係において、植物は目立つ花や、香り、そして蜜を提供することで昆虫を誘い、昆虫はその蜜を得る活動の中で受粉を助け、昆虫と植物の共生関係の中で双方が進化をしていった。
しかし、そこにハチドリという特殊な鳥が生まれる。ハチドリは花から蜜を得るために、空中で停止するーホバリングという飛び方を得た。飛び方が先なのか、蜜が先なのかは不明だが、ハチドリはその独特の飛翔法を進化させた。
これはおそらく、蜜と昆虫の関係に比べると遠いもので、花はハチドリのために香りや蜜を進化させたわけではないだろうが、そこには明らかな関係性が見られる。
筆者はそれを「ハチドリ効果」と呼ぶ。そして、世界を確信的に変えた発見や発明はその本道(花と昆虫の関係)の他に、脇道とも言えるハチドリ的な発展系を生み、それが本道を凌ぐほどに大きな影響を人類に与えてきた。
冒頭のグーテンベルグの印刷機の発明が、文字を読むということをしなかった人たちに、自分が遠視であることを気づかせ、そこからメガネ=レンズが発達し・・・という話も面白いが、個人的には「冷たさ」の話が良かった。
自然に氷を入手できる環境に住んでいた人物が暑い地方に氷を運べば、氷を売って儲けられると見込んで氷の運搬を開始するが、「氷」というものを知らない人たちにとっては、それが何の役にたつのか、最初はわかってもらえなかったというのが面白い。
何がどう派生し、発展していったかということをここで述べてしまうとおもしろくないが、そういう「風が吹けば桶屋が儲かる」的なハチドリ効果から、現代の社会の発展を読み解くという視点は非常に面白い。
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これは面白い。ガラス、冷たさ、音、清潔、時間、そして光という発明にかかる壮大な歴史。過去の小さな発明が、現代の生活のありとあらゆる場面で欠かせないものになっていることを実感できる。
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テクノロジーを巡る数奇で魅力的な物語。抜群に面白かった。「ガラス」、「冷たさ」、「音」、「清潔」、「時間」、「光」という現代の我々にとってはごくごく当たり前の価値や技術・環境が人類社会にどのように獲得されていったのかをそれぞれ巡り、それらに通底する「技術の隣接可能領域」であるとか「アイデアはネットワークを持つ」といった概念でイノベーションが起こる諸条件を構造的にも捉えていく。ここから見えるところは「ほとんどの重要イノベーションは結果として重要になっているだけで、最初からその価値がいきなり認められるようなことは稀」であり、「技術は隣接可能領域の体系全体によって漸進的かつ偶然につながり発展し、最終的に思わぬ価値を持つ」ということだと思う。
例えばガラス。ガラスは太古の昔に発見されたときにはその希少性と美しさから装飾品としての用途が大半であったが、人がガラスを磨いたり、引っ張ったり、歪めたりすることにより様々なイノベーションを引き起こした。ガラスを歪めてモノをみると拡大されたりすることがある時発見される。ただ、その価値は長い間、評価されることはなかったが、別件、グーテンベルグの活版印刷によって「自分は遠視なのか!」ということに気づいた人たちが大量発生し、それではじめて装飾品はレンズに進化する。そのレンズは今度は極大(望遠鏡)と極小(顕微鏡)のモノを見る用途に発展し、地球と宇宙の概念を作り出し、また細菌によって病気は引き起こされたり予防できたりすることを発見するに至る。ガラスを引っ張るとそれは強靭な耐久性を持つ素材となり様々な機材の強靭化と軽量化に貢献して我々は空を飛べるようになり、かつその引き伸ばした管は光をもっとも効率よく運べる特性があることがかなり後に発見され、情報通信革命に貢献することになる。ガラスを磨くと鏡となり、人ははじめて自己を見、やがてはそれが個の確立、民主主義の確立に資したのかもしれない。
結果、我々は鏡により自由を得た現代社会の中で、飛行機で移動し、好きな場所でガラスの画面を備えた魔法の電話で、歪められたガラスレンズを用いた搭載カメラによって写真を撮って、それをソーシャルメディアにガラスの管経由で配信をしている。「なんだ、ぜんぶガラスのやっていることじゃないか!」と言わんばかりの革命譚である。
というのが第一章で、その後もいままで普遍的過ぎて注目もしなかったがよくよく考えれば実に面白いテーマが作者独特の語り口で描かれていき、イノベーションの深淵に触れた気がしてとても楽しくなったり、勇気づけられたりする本です。ぜひみなさんも一読あれ。