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「はじめに」でのエピソードでインターネットとハサミの話があるが、これがこの本の中身を象徴しているようだ。20代以下の人たちには当たり前に存在する道具としての認識だが、30代後半以上の世代には、接続するにもダイヤルアップ等の「儀式」が必要という認識だった。そのような考え方に対して別れを告げる、という意味の本。
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家入さんの過去とインターネットの変遷が学べる一冊。これからも適度な距離感で上手に付き合っていきたいです。
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かなり昔から気になっている人でした。
現時点では刊行より3年近く経ってしまいましたが、問題なく今この時を語っています。ドッグイヤーと言われるこのジャンルでは核心的な素晴らしい内容であると言うことでしょう。
本書にも書かれていますが、そういえば都知事選にも出ていましたよね。
ホリエモンや孫さん、その他ITの申し子という感じの人たちの中では、結構こっち側の人というシンパシーは持っていました。
野望やマネーゲームとは無縁のいちオタクが成り上がったような人というイメージでした。
しかし、なかなか。
やはり行き当たりばったりで、会社を上場させるなどできることではないし、人間の幅と優秀さを伺わせます。
ボクは現在もペパボの利用者(ムームードメイン)であり、サーバかなり初期からの契約者でした。
安かったし、その分速度や安定度はダメダメでしたが。
本書の副題=間もなく消えるその「輪郭」について
本文中にも度々出てくる「輪郭」という文言が何を指しているのか、いまいちわかりませんでした。
端的に言って、「インターネットとは」という命題で良いのでしょうか。
家入氏の大好きなインターネットを、その発生から現在・今後を改めて俯瞰した内容です。
大好きだからこそ、一旦リセットして、さらに希望を持てるものとして見直そうというまとめです。
衒いなく書かれており、家入氏の人徳も感じさせる良書だと思います。
単順に 好きです。
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世界に向けて開かれていくはずの、現実の世界を大きく広げていくはずのインターネットが、自分に都合のいい世界に個人を引き込ませる形となり、現実を広げていくどころか現実を追認し制約をかけ、同類同士の閉ざされた小さな世界を大量に生み出し、それらが交わることなく監視しあうような、そんな状態におちいっている現状を、インターネットに可能性を感じていた著者だからこその嘆き節が書かれている。著者の提言する本来の世界の誰とでも自由に社会の制約を受けることなくつながれるというインターネットの最大の魅力は、むしろ脱インターネットにあるのではないか、という主張は、これが書かれて3年後の今、多くの人がそれを感じているように思う。
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インターネットの変遷と人々のあり方について。
情報があふれたので、キュレーションやSNSで心地の良い情報しか入らない状態になっている。
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著者、家入一真さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
家入 一真(いえいり かずま、1978年12月28日 - )は、日本の連続起業家(シリアル・アントレプレナー)、実業家、投資家。GMOペパボ、CAMPFIREの創業者、元代表取締役社長。
我らが愛する、ブクログを作った方です。
ブクログ、ウィキペディアには次のように書かれています。
ブクログ(Booklog)は、仮想本棚を作成できるwebサービスおよび運営している株式会社。
2004年9月15日に株式会社paperboy&co.(現:GMOペパボ株式会社)の創業者である家入一真の個人サービスとしてスタートし、2009年10月8日よりpaperboy&co.(現:GMOペパボ)の正式サービスとなった。
で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)
およそ半世紀前に産声をあげたインターネット。その進化は社会、経済、文化、時間、人、あらゆるものを変化させた。
しかし常時接続、無線接続、IoTのなかでその姿は見えなくなり、自由と可能性に満ちた「世界」は、むしろ閉ざされつつあると家入氏は警告する。
パソコン通信からSNSを経由し、サーバー事業やプラットフォーム事業、さらに都知事選まで、ネットに人生を捧げてきた氏は、なぜ今その「世界」に別れを告げるのか?
果たしてこれから先にやってくる「世界」の姿とは? これは、その「輪郭」を取り戻すための思想の旅。
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知らなかったのだけど、家入一真さんは「ブクログ」創始者であり、初期のインターネットのプラットフォームの幾つかを設計した方らしい。ご多聞に漏れず、途中でちょっと失敗して、現在はそれらには関わってはないようだ。
最前線の人ではないからこそ、インターネットに対する昔話とその功罪についての話は傾聴に値するものがあった。
中学生時代、人とコミュニケートが出来ない家入さんを救ったのは、90年代から始まった「パソコン通信」だったという。懐かしい話も幾つか出た(始まりは「ピーヒョロロ」が欠かせなかった)。けれども「弱い人たちやマイノリティが守られる「聖域」への期待」はやがて裏切られる。いったい何処が間違ったのだろう。
前半は最前線を走っていた家入さんのインターネット史。他の人も書いているかもしれないけれど、それらをまとめて最終章に個人史年表を入れてほしかった。01年レンタルサーバー「ロリポップ」を開始、03年ブログが始まる、04年「Web2.0」が語られる‥‥。私はその2-3年後を後追いしていたんだなと思う。この頃「ブクログ」も作られるけど、「読んだ本の履歴やその本の感想などを本棚に残し、それを第三者と共有するという、本好きの自分らしいサービスでした」と書いているだけ。
けれども、読んでみて、ブクログは未だに「閉じた」世界でもないし、広げすぎて炎上することもない。家入さんの思想がまだ息づいているようにも思えた。
07年iPhoneリリース。持ち歩くインターネットへ。11年東日本大震災、インターネットは大きなものから小さなものまで、被災者の力になるさまざまなサービスが生む。家入さんは、クラウドファンディングサービス「CAMPFIRE」を立ち上げる。この年LINEもサービス開始。
この頃から、「インターネットは大きくなりすぎたために、むしろ個々人の小さな単位に分断されることを選ぶようになった」という。
インターネット上の祭りも2種類起こるようになる。閉鎖的な環境や状況で行われれば行われるほど、より盛り上がる。
(1)社会運動につながるような祭り。「保育園落ちた日本死ね!」の待機児童問題がその典型。
(2)血祭りという意味。「社会悪」「不謹慎」という大義名分の元、「私刑」を行う。
→国による本格的な取り締まりが、いつ始まってもおかしくはない。
インターネットはモノの流れや商売のあり方も大きく変えた。企業と消費者とのやり取りから消費者と消費者のやり取りへ。凡ゆるものをシェアして、無駄を削減して生きる。コピーできるものには、人は容易にお金を払わなくてなった。CDも売れなくなった。一方で、現実のライブやコンサートにはしっかりお金を払って参加する。アーティストを直接応援する傾向は強くなっている。よって、データで充足できるコンテンツはどんどんコストダウンしているけれども、それに代替できないものは、付加価値をつけて価格をあげても売れたりしている。つまり体験や感動を買っている。
インターネットと現実が溶け合ってきている。輪郭がなくなってきている。
誰もが別の時間を歩��始めた。自分の興味関心に合わせて、全てを見せることは、それ以外の世界が可視化されないこと(昨日、いつもの映画サークルで、年間鑑賞数が100-200の映画通ばかりが3人話していたのだけど、他2人は寅さん映画を一回も見たことがない、と言われて心底驚いた)。
家入さんは「輪郭など取り戻す必要はない」という人がいるのを知っている上で、取り戻すためには何をどうすれば良いのか、考えてみる。
信じるに足るものを探してみよう。
それはアルゴリズムで自分に合った情報を流してくるSNSのタイムラインを眺めていては見つからない。
「外に飛び出してみよう」
←私が良くする「旅」はそういうことなんだな、と再確認できた。
近所の居酒屋にふらっと行ったならば、出会いがあり、ハプニングがある。
一日中スマホには触らないと決める。孤独を味わう。
自分でプラットフォームを作ってみよう。
←ここに書いているのは、全て2016年前半の家入さんの意見です。コロナ禍のもと、ズーム会が当たり前になり、少しずつ「国による規制」もかけ始められている現代、今の家入さんは何を思っているのか?ちょっと聞いてみたい。何処かに発信すれば、届くかな?
←これはseiyan36さんのレビューで見つけた本。私はそれをブックリストで紹介してみた。ブックリストはタイムラインを見ていただけでは見つからない本を探す場。けれども200文字では、その本の魅力は伝わらないというのが私の持論。よって詳しく紹介したレビュー込みで、私のアンテナに触れたものを紹介している。その他、いろんなツールと足と目で、消費者は本に出逢って欲しいなとは思う。