ネットが「ハサミ」!?
2016/09/23 18:08
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投稿者:オカメ八目 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今の若い人たちには、インターネットとは、文房具の「ハサミ」のような存在のようだと、著者は言う。 まだ、インターネットが、今よりも、せっせと「成長」してた頃の、初々しさや、瑞々しさは、今や薄れ、もっと
やたら激しく「人間臭さ」を持ってしまった「ネット」と略される代物に,もう、そう強くは期待が出来なく成りつつある。 その代わりに「もっと別な何か」を探して行こうとも提案してる本。ーーーそう私は「読んだ」
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インターネットが消える前に
およそ半世紀前に産声をあげたインターネット。その進化は社会、経済、文化、時間、人、あらゆるものを変化させた。
しかし常時接続、無線接続、IoTのなかでその姿は見えなくなり、自由と可能性に満ちた「世界」は、むしろ閉ざされつつあると家入氏は警告する。
パソコン通信からSNSを経由し、サーバー事業やプラットフォーム事業、さらに都知事選まで、ネットに人生を捧げてきた氏は、なぜ今その「世界」に別れを告げるのか?
果たしてこれから先にやってくる「世界」の姿とは? これは、その「輪郭」を取り戻すための思想の旅。
【目次】
はじめに
インターネットが「ハサミ」?/小さな世界の大きな価値/じゃあインターネットとぼくらはどこへ向かうんだろう
前章 インターネットが消える前に
インターネットという言葉の意味が変わった/無意識のネット接続/輪郭を失うことによるリスク/インターネットは最初に儀式を失った/そして「輪郭」を失ったインターネット
第一章 やさしかったその世界─ユーザーからプラットフォーマーになるまで
ぼくは確かにインターネットに救われた/やさしかった小さな世界/つながりたいことの可視化/「破壊の道具」や「逃げ込める先」としての期待/爆発し始めた自己表現/現実世界を侵食するインターネット/信じるに足る世界は確かに存在した
第二章 さよならインターネット─その輪郭を喪失するまで
「Web2・0」で決壊が始まった/ギークのためのインターネットの終わり/現実と同じ「つながり」をもたらすSNS/「Web2・0」の向こう側に姿を現したもの/即物的で現実的な期待の中で/ソーシャルゲームに参入しなかった理由
第三章 輪郭が失われた世界─まだそこは信頼に足るものだったのか
終わりの始まり/クラウドファンディングという光/輪郭が溶けたことによるポジティブな側面/「個人」の再発見/政治とインターネット/そして余る「時間」/インターネットの輪郭をつかまえる
第四章 インターネットは「社会」の何を変えたか
インターネットは何を変えて、変えなかったのか
社会
インターネットの世界はむしろ縮小している/祭りの場すら閉ざされる/インターネットに怯える人々/警備員だらけの相互監視社会/パノプティコン化したインターネット/シェア、フラット、フリー
文化
あふれる表現者と不足する鑑賞者/無理強いされた表現としての「批評」/「欲しがらない名無しさん」から「欲しがる名無しさん」へ/かつての「匿名性」は奥ゆかしさをもたらしてくれた/目出し帽を被る覚悟
経済
インターネットがポジティブな変化をもたらした分野/激減したコミュニケーション・コストがもたらしたこと/進む「CtoC」と「シェア」/コピーできるものにお金は集まらない/お金に生まれた新しい価値/善意も炎上する
第五章 インターネットは「私たち」の何を変えたか
時間
誰もが別の時間を歩み始めた/細切れになった時間/常に「オン」の弊害
空間
不幸な伝言ゲームが蔓延した/あえて伝言ゲームをしたがる��たちの登場/サードプレイスの登場
人
人の価値はポイントで決まる/「装置」になりたい人/人は「概念」にもなれる/あなたの友達はネットが選ぶ/変わる家族の意味
第六章 ぼくらはインターネットの輪郭を取り戻せるのだろうか
インターネットの輪郭を取り戻すということ/分断された世界の外へ向かおう/エクスターネット的/Six degrees の外に行こう/世界を強制的に変えてみよう/書店に行こう/プラットフォーマーになろう
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それは、私たちの生活を変え、仕事の仕方を変え、恋愛を変え、つながり方すら変えて、もはや日常に溶け込んだ。失われつつあるのは「インターネットの輪郭」だけでなく、「私たちの自信の輪郭」でもあるのかも。様々なものとの付き合い方を考えるのに、いい機会をくれた一冊。インターネットの変革を見つめてきま世代の人はもちろん、インターネットが苦手な世代の人も、インターネットとともに歩んでいる若者たちも、ぜひ読んでみて欲しい。読み終えてみれば、叙情的なタイトルもしっくりくる。
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今週はサラ読みできるのを沢山読もうということで3冊目。
元ペパボ社長の家入さんの一冊。
インターネットが次のフェーズに入ってきてるよねという内容。確かにふむふむと読み進めることができると思います。
黎明期の事とかインターネットの歴史をあまり知らない人にオススメかもしれないです。
*****
メモ
イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが設計した刑務所施設の構想「パノプティコン(全展望監視システム)」は牢獄が円状に配置され、中心に立てば360度見渡せる。五輪エンブレム問題のメタファーとして引用。
糸井さん曰く、シェアとはおすそ分け。
エクスターネットという考え方。インターネット外へ行く。
ドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーの著書「孤独と人生」での一節。
「健康についでこの世の最高の宝である真の心の安らぎと、落ち着いた気分は、ただ孤独のなかだけにみいだされるものである」
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ブクログの献本企画でこちらの本を頂きました。
家入一真さんを知ったのはNHKの「ハートネットTV」という番組です。ちょっと頼りないような、でも親近感が湧くような、不思議な雰囲気を持った人だなという印象でした。考え方や行動理由に共感できる部分が多かったのを覚えています。
この本ではインターネットの変遷や現在の様子、未来への予想などを交え、最後は現代を生きる人たちへのアドバイスを提示しています。
SNSにおける閉塞感や情報の偏りには私も同じ思いを抱いておりました。自由だったネットの世界が今では現実の延長となり、お互いが監視し合う環境では息苦しさを感じてしまう。まさにその通りだと思います。これで悩み、苦しんでいる人はかなり多いのではないでしょうか。
偶然性を大事にしたり孤独な時間を作ったりするというのは、現在私も実践しています。意外なところから普段得られないような情報を知ったり、ひとりになって自分の中にある考えを整理したりするのはなかなかに楽しいです。これらはインターネットがなかったころには当たり前のことだったのかもしれませんが、他人と簡単につながれてしまう現代では、意識しないと孤独な時間を作るのは難しくなっています。
価値観が多様化した現代では、ひとりひとりの生き方が様々になったように感じます。これからの時代にもまた新しい生活の仕方が現れてくるでしょう。インターネットの世界は今後も変化・発展し、恩恵をもたらしてくれるはずです。それと共に弊害も増えることと思いますが、インターネットの使い方、もしくはインターネット上でのうまい付き合い方や振る舞い方も新鮮なものがどんどん増えてくると考えています。
この本で最も興味深く、おもしろいと思えたのは「おわりに」の部分です。家入さんの人柄がよく表れているような気がして、思わずクスリと笑ってしまいました。優しい人というか、こちらまで優しい気持ちになれてしまいそうな人ですね。
インターネットを介した人付き合いに疲れた人にもおすすめの本ですし、昔のインターネットの話に触れたい人にもおすすめです。私も子どものころに聞いた「ピーヒョロロ」を思い出して懐かしくなりました。むしろ、現代を生きる人はこの本に一度目を通してもいいのかもしれません。
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ブクログの献本企画。
家入さんについては、NHK教育で見かけた事ある、都知事選に出てた人?...位の認識です。
序盤の20年位前からのインタ-ネットの歩み..みたいなのにはとても共感できました。
たぶん、同じ時を経験してきたからだと思います。
でも、実際、自分も今と昔のネット事情の変わりようには思うものがありますが、この著者が本書で決定的な伝えたい事がはっきりイメージ出来なかったです。
所々、そういう言い方どうなん??...なのもありましたし、最後まで何とか書き上げました感が否めませんでした。
でも、今のお若い人達が『ハサミみたいなもの』という表現するのはびっくりしつつもナットクでした。
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「さよならインターネット」という叙情的なタイトルが付けられた本作は、日本のインターネット黎明期に青年時代を過ごした一人の”山師”(敬意を込めながてこの呼称を付けさせていただく)が、日本におけるインターネットの変質とそれを超えて我々がどのようにインターネットと接するべきか、もしくは接しないべきかという点をまとめた論考である。
著者と僕は5歳違いであるが、自宅のPCから常時接続のインターネットに触れたとき(僕の場合は高校3年生のときだった)の興奮や感動の体験は共通している。そこでは、ブラウザを通じて能動的にアクセスすることで、自分の知らない世界に触れることができたわけだが、現代のインターネットはむしろ当たり前にそこにあるものであり、能動的にアクセスするという世界ではない。そうした変質と同時に、そのように明確な輪郭が失われたインターネットは、炎上やプライバシーの問題など、必ずしも僕ら世代がインターネットに触れたときのような純粋な感動のみを与えてくれる存在ではなくなってきているのも事実である。
こうした現代において、著者が主張するのは、「エクスターネット」的とも呼べる、インターネットの外や、インターネットの中にいながらもレコメンデーションロジックやSix degreesの関係性を超えたところへアクセスすることの重要性である。そして、インターネットの中でも外でも可能な生き方として、情報や人のハブとなり、新たな価値を生み出す場として、自らを「プラットフォーム」化させることの楽しさが説かれる。
これまで触れてきたインターネットの意味合いが自分にとって何なのか、そしてこれからどのような存在であったほしいのか、ということを自分なりに考えさせてくれる機会を与えてくれた一冊であった。
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もっと文化論的な内容かと思ったら、最後にはただの啓蒙書になってしまった。「リバ邸」とか知らんし。しかも全然「さよなら」してない(笑)。かつて寺山修司が「書を捨てよ町へ出よう」と言ったが、そういう意味での「さよなら」である、とは受け取ったけど。
序盤の、ここ20年のインターネット発展史は面白かった。テレホーダイとか懐かしい。僕はヤフーチャットにどっぷりと浸かっていた口なので、著者の想いには共感するところも多かった。それこそ「現実とは違う仮想空間」で男女年齢住所不問の出会いが本当に癒しの空間だった。ハンドルネームひとつでもう一人の自分になれた時代だった。それがミクシーとかフェイスブックの登場でいつの間にか実名発信が普及し、あれよあれよという間にツイッターだラインだとなってきた。「現実とは違う仮想空間」は「現実によく似た仮想空間」に変わってしまった。まったく残念だ。たぶんそのうち、いやすでに?「現実と地続きの仮想空間」となるのだろう。技術の進化に、僕の進化は追い付かない(汗)。
つまるところ、現実だろうがネットだろうが、匿名だろうが実名だろうが、自分に責任を持って生きなければいけない。ということだ。
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ブクログに登録したころ、家入さんの読書室を借りるような感じがあった。借りたロッカーに本を置いて読んだものを記録していく帖面があって。ときどき誰かの帖面を見たりできて楽しかった。たぶん、もうあの頃のインターネットはなくなっているのだろうなと思った。
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インターネットサービスで一世を風靡した著者が、そのインターネットによって救われた一方で、近年は息苦しさを感じてることを記した一冊。
著者自体、常にIT業界の最前線に立っているだけあって、説得力があった。
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これだけインターネットは普及したのに、パソコン用のものはほんとになくなってしまうのでしょうか。疑問です。
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ずいぶんとインターネットのお世話になっています。
ネットのない生活なんて、もはや考えられません。
私がよく利用したり見たりしているのは、フェイスブック、ライン、ブログ、本のレビューサイト、ニュースサイト、好きな作家のコラム、ゲームアプリ、ユーチューブ、深夜に見る××といったあたりでしょうか。
ただ、ふと、こんなに長時間、ネットと関わっていていいのかな、と疑問に思うこともあります。
自覚があるだけ、まだマシかも、などと自分を慰撫しています。
それは42歳の自分の人生の前半生がまだ「アナログ社会」だったからかもしれません。
そんなことをつらつら考えていたら、たまたま新聞の書評で本書のことを知りました。
家入さんはネットサービスを利用した実業家で、その道の草分けと言ってもいい方。
2年前の東京都知事選にも出馬しているので、ご存知の方も多いかもしれません。
私なんかとは比べ物にならないほどインターネットの草創期からどっぷりとネットに浸かって来た著者は、ネットがかつてのような自由さや大らかさを失ったと主張します。
その要因は常時接続、無線接続、IoT。
もっとも、今の若い人に常時接続や無線接続といっても、「え? それって当たり前じゃないの?」という答えが返って来るのが関の山かもしれません。
そう、おじさんが学生だった20年前は、電話回線を通じてインターネットにつながっており、ダイヤルアップで自らネットに接続しなければならなかったのだよ。
ピーヒョロロ…なんていってね。
もちろん、パソコンでの話で、当時の学生の間ではPHSさえ持っている人が珍しく(私は持ってました。えっへん)、まして携帯電話なんて高嶺の花、スマホなんて見る影もない時代でした。
著者も本書で懐かしく当時を振り返っています。
「当時ネットを使うときは、有線でつながったパソコンの前に座り、『インターネットをこれから見るぞ』という意識を持ったうえで、接続していました」
本当にそうです。
当時の私にとってインターネットは「非日常」、画面の向こうに私の知らない世界が広がっていると思うとワクワクしたものです。
ちなみに卒業旅行のために貯めていたお金で、マッキントッシュのデスクトップパソコンを買いました。
今振り返れば、卒業旅行に行けば良かったかも。
というのはどーでもいい話です。
翻って今のインターネット環境はどうでしょうか。
著者は常時接続が当たり前になった結果、インターネットの「輪郭」が解けてしまったと指摘します。
つまり、日常と非日常の境目がなくなったというわけですね。
不用意なネット上での発言で炎上するだけならまだしも、ネット上の「警備員」と化したネット民から個人情報が暴露され、実際の生活にまで支障をきたすなんて例も枚挙にいとまがありません。
本書を読んで、私が怖いなと思ったのは、パーソナライズ化という流れです。
SNSやニュースキュレーションアプリなどを使い続けると、パーソナライズされて自分の趣味、嗜好に合った書き込みや情報���かりが流れるようになるそうです。
つまり、別の見方や批判的な意見があっても、インターネット上では目に入らなくなってしまうのです。
ヘイトな言動が横行するのも、こうした現在のネット環境と無縁でないかもしれません。
著者は、「今のインターネットを俯瞰すれば、誰もが顔なじみの田舎者のような感覚を覚えます」といいます。
かつてのようにインターネットは開かれた世界ではなく、閉じられた世界だというのですね。
「かつて『インターネット的』と定義されたあらゆるものは、もはや『エクスターネット的』と同義だと思うのです」という指摘は、示唆に富んでいます。
著者は、ですから、敢えてインターネットの外に出ようと呼び掛けます。
寺山修二が「書を捨てよ、町へ出よう」と呼び掛けるのと同じ文脈でしょう。
たとえば、ふらっと一人で居酒屋へ行く、電車の中で周りを観察して観察日記を書いてみる、書店へ行く、何より孤独に浸る。
私は週末、天気が良ければキャンプに行く予定です。
スマホを家に置いて出掛けたいと思います。
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インターネットがどう発展し、その結果一人ひとりの中にある世界がどうなったのか。
インターネットが拡げるはずだった世界は、今インターネットによって狭められている。
インターネットが狭めた世界からいかに飛び出して、インターネットがまだ秘めているポジティブな可能性をどう掘り当てるか。
ネットの流行を後追いしてきた自分にとって、ネットの最先端を進んだ家入さんの視点や指摘は新鮮で、かつ自分にとっては説得力を持っている。
そして、やはり家入さんの優しさがにじみ出る一冊だった。
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インターネットがワクワクするものではなくなってきている、むしろ人と繋がることが面倒になってきている、といったSNSの負の側面などを指摘。
輪郭がなくなっている→輪郭を取りもどすには?という独特の観点からとらえたもの。
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家入さんの新刊。本書は、ネットの変遷をめぐる様相がまざまざと伝わってくるものとなっている。
ネットの世界もハード・ソフトを含め日々バージョンアップし、20年前とは比べ物にならないスピードで進化してきた。そんな中、その当時から入り込み今日まで携わってきた家入さんの目から見たら、今はまさに「断裂・亀裂」がネット世界に起こっているということである。
拡張、膨張したものが個人の手によって収縮し、閉じた系をなしている。何が良くて何が悪いということは、その時々で変わるし一概に言えないものであるけれど、ただ言えるのは、今それが個々にとってフィットし使いやすいものだということだ。
一先ずは今後もその傾向が強まりそうな感じがしているが、各個人もただただその流れに身を任せるのではなく、自分に合った形でネットとの距離をとり、この世界と関わっていくのがいいのではないだろうか。