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本文は文語体で、馴染みがない文章なので難しかったが、その後の著者の解説を読むとなぜ文語体が用いられたのかが分かる。大和の特攻、必敗の作戦に赴き、援護もなく立ち向かっていくがやられ放題、最後には沈んでいく様がなんとも悲しい。生き残ってもまた苦悩、、、
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吉田満 「戦艦大和ノ最期」 戦艦大和の電測員であった著者が、天一号作戦における戦艦大和の出撃から自爆までを記録した本。
戦争の不条理、悲哀、残酷さ、昂揚感など戦争の全てを再現している感じ。カタカタ文語体の文章が 軍隊を象徴しているように感じる〜規律的というか、ガラパゴス的というか。
天一号作戦は、往路のみの燃料を搭載し、敵国の標的となれというもの。もはや作戦ではない。この時点で降伏せず、原爆投下まで国家の損失を広げた理由を知りたい
敵国の的確な攻撃力に対して「敵ながら天晴との感慨湧く。達人の稽古を受けて恍惚たる如き爽快味あり」と感じるあたり、後に日本銀行で日本経済を復興させた人物だけあって、自分と周辺を俯瞰する能力が凄い
臼淵大尉の言葉「進歩のない者は決して勝てない。負けて目ざめることが最上の道だ〜我々は 日本の新生にさきがけて散るのだ」が玉砕の本質なのだと思う。無理やりな論理構成だが、それで自分を納得させるしかないといった感じ
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副電測士の少尉であった著者による、戦艦大和の最後の出撃をえがいた記録文学です。
太平洋戦争の敗色が濃厚になっていくなかで、大和は片道の燃料だけを積んで、生還を期することのない「天一号作戦」の実行をおこないます。「日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」と語る臼淵大尉と、それでもなお戦いのなかで死んでいかなければならないことの理由を求めようとする者との認識のちがいが浮き彫りになりつつも、大和は進路を進めていきます。たびかさなる集中砲火を浴び、著者も死の淵をさまようことになりますが、生きたいという「希求」ではなく、生きなければならないという「責務」によって、著者はロープをつかみ、救出されることになります。
巻末の「作家案内」を執筆しているのは、「祖国と敵国の間」の作品がある古山高麗雄です。古山は、戦争のなかで著者とは異なる立場に立つことになりましたが、古山のこの作品の書評を依頼された著者は、「こんなに苦しい原稿を書いたことは初めてだ」と語りながらも、原稿用紙30枚におよぶ書評を執筆します。二人のあいだに立場のちがいはありながらも、ともに戦争をくぐり抜けた者としてのことばの重さを感じます。
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筆者の吉田満は、学徒動員の一環として応召され、副電測士(電測士というのは、レーダー要員と理解した)として、沖縄特攻作戦に参加する戦艦大和に乗り込む。1945年春、終戦まであと4ヶ月の時である。
既に米軍は、沖縄を勢力圏に置いており、そこを本拠地とした本土攻撃を遅らせるために、日本軍は本土防衛作戦の一環として「天号作戦」を立案する。「天号作戦」には、一号から四号まであり、戦艦大和が参加したのは、「天一号作戦」である。700機の特攻機が沖縄の米軍を攻撃するのを支援するために大和は、計10隻の艦隊の中心艦として参加するが、帰還は想定されておらず、行きの燃料のみを積んで、広島県の呉港を出港した。
本文中にある、本作戦の目的についての記述を引用する。
【引用】
本作戦ノ大綱次ノ如シー先ズ全艦突進、身ヲモッテ米海空勢力ヲ吸収シ特攻奏功ノ途ヲ開ク 更ニ命脈アラバ、タダ挺身、敵ノ真只中ニノシ上げ、全員火トナリ風トナリ、全弾打尽スベシ モシナオ余力アラバ モトヨリ一躍シテ陸兵トナリ、干戎ヲ交エン
【引用終わり】
勝ち目のない、成算のない作戦であることは乗組員は分かっている。「圧倒的数量ノ前ニ、ヨク優位ヲ保チ得ル道理ナシ タダ最精鋭ノ錬度ト、必殺ノ闘魂トニ依リ頼ムノミ」と筆者も書いている。
大和は沖縄近海までやって来るが、そこで100機を超える、米軍の航空機部隊から攻撃を受ける。攻撃は一度で終わらずに、七波、八波と続く。その間、大和は相手にほとんどダメージを与えられないまま、一方的な攻撃を受け続け、沈没してしまう。筆者は、奇跡的に助かり、他の艦船に救助され、佐世保港に戻る。
本書は、大和の出陣から、筆者が救助され佐世保に戻るまでの記録である。
戦闘場面、大和の最後、筆者が九死に一生を得る場面等、実際に起こったことの記述の迫力にまずは驚かされる。本書は文語体、かな部分は、ひらがなではなくカタカナで書かれており、決して読みやすい本ではないが、ほとんど一気に読んだ。
しかし、心が痛んだのは、戦争の悲惨さ、理不尽さだ。それも、「戦争が一般的に悲惨で理不尽である」ということではなく(もちろん、それはそれで真実だと思うが)、日本軍というか、日本国(大日本帝国)の、この戦争に対しての理不尽さである。
この「天一号作戦」に参加した艦船10隻のうち、帰還したのは4隻のみ。特攻攻撃に参加した700機の航空機のうち、350機は撃墜され、かつ、米軍には、ほとんどダメージを与えることが出来なかった。ほとんど意味のない作戦を実行したのである。
しかも、行きの燃料しか持たずに大和が出航したことが示すように、「こうなることは、あらかじめ分かっていた」うえでの作戦であったのだ。
沖縄が米軍の勢力圏に入った後の戦争の展開も既に分かっていたはずである。実際に、その通りに戦争は進んだ。日本は本土を空襲され、広島と長崎に原子爆弾を投下される。終戦間際には満州にソ連軍が攻撃を開始し、そこにおられた方は大変な想いをされ、多くの兵士がシベリアに抑留され、また、兵士でなくても、例えば、多くの「中国残留孤児」を生んだ。しかし、この作戦が失敗してからも、降伏するまでに数か月、何の成算も、何の意味もない戦争を続け、兵士ばかりではなく、一般の人たちに多くの犠牲者を出し、悲惨な想いをさせたのである。それは、本当に理不尽なことだと思う。
本作は以下の通りの終わり方をしている。万感が込められた終わり方だ。
徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」撃沈シテ巨体四裂ス 水深四百三十米
今ナオ埋没スル三千ノ骸
彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何
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【死・愛・信仰】
539
戦いは必敗だ。いな、日本は負けねばならぬ。負けて悔いねばならぬ。悔いて償わなければならぬ。そして救われるのだ。それ以外に、どこに救いがあるのた。
542
あれが死なのか。あののがれようのない、孤独、寂寞、絶望はどうしたことなのだ。あのようにしか死ねないものとすれば、人間とは何なのか。
543
ゆるしてくれ。俺は愛したい。献身したい。ひとに押し付けひとを叩くための議論でなく、そのためにこそ自分が生きているということだけを語りたい。
生きねばならぬ。正しく、愛をきずいて、生きるにふさわしく生きねばならぬ。
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戦記物して書かれた体験文学の傑作。全部が文語体で書かれているのがかえって迫力になっています。悲壮感、戦場の不合理がビンビン伝わる。古文勉強の導入として音読してもいいんじゃないかなと思います。